Cendrillon | ナノ


▼ *05



 真夜中の12時。キッドの犯行予告時刻だった。鈴木大博物館の全ての電気が落ち、辺りが急にフッと暗くなった。

「来たか!?」

 中森警部の鋭い声が館内に響く。

「え? きゃっ……」

 その直後、女性の小さな声も微かに聞こえた。それに聞き覚えがある二人が瞬時に声を上げる。

「菫さん?!」
「菫ちゃん大丈夫か?!」

 零と景光は暗闇で菫に呼びかけるが、その返事がない。

「明かりはまだですか!」
「菫ちゃん、返事しろ!」
「え? 菫さん、どうかしたの?」
「なんじゃと!?」
「菫さん? 大丈夫ですか?」

 零と景光の緊迫した声に、その場にいる園子や次郎吉、蘭たちからも声が上がり、辺りは騒然となる。
 しかしそこでようやく電気が復旧し、館内に明かりが戻った。同時に中森警部の焦った声だ。

「おい?! ケースの中が!!」
「クソッ! やられた!」

 コナンからも悔しそうな声が漏れる。当然と言うべきか宝石が飾られていたガラスケースは空になっている。そして宝石の代わりに、エルピスは頂いたとのメッセージが残されていた。

「やっぱり菫さんがいないわ!」
「ど、どうして? なんで菫さんが?」

 また人が一人消えていた。菫である。園子や蘭が菫の不在に慌てふためく。それには目もくれず幼馴染の姿が見えない事に零が灰羽へと詰め寄っていた。

「灰羽さん、菫さんが連れ去られました。ちょっと話が違いますね?」
「盗まれるのはエルピスだけの筈じゃなかったんですか?」

 景光もスマホを操作し、菫の発信機の居場所を確認しながら低い声だ。

「申し訳ありません。どうやらキッドは菫さんに興味を抱いたようですね……。まぁ、あのエルピスの持ち主ですし、思えば菫さんを気にするのも、さもありなんではあるのですが……」

 まさか連れ去るとは灰羽も思っていなかった。キッドと接触していた菫がどうやら少しだけ息子をからかったらしいとは聞いていたが、想像以上に息子の関心を引いていたようだと、灰羽は自分の予測が外れた事にバツが悪そうである。
 中森警部やコナンは痕跡を頼りに外へと通じる開いていた窓へと走りながら出て行くが、灰羽はそれに軽く目をやるだけだ。むしろ彼らの行った逆方向に視線を定め、零と景光に声を掛ける。

「しかし、ご安心を。キッドの逃走経路の見当はついています。今からそちらに向かいますので、ついて来てください」

 灰羽はそう言って展示室の出口へと駆けだした。向かう先はどうやら屋上のようである。零と景光も異論はないらしく黙ってそれに続く。菫の発信機も同様の方向にその位置を示していた。灰羽の背を追いながら二人は苦い表情で呟く。

「早く菫さんを保護しないと」
「ああ。タイミングが悪ければ、キッドが窃盗団と対峙している場に菫ちゃんが居合わせる事になる」

 零と景光はキッドにエルピスを予告通り盗んでもらおうと灰羽が提案してきた時の事を思い出していた。


 ・
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 ・


「私としては宝石を第三者が狙っているという事で、ここは一度キッドにエルピスは盗んでもらおうかと思っているんです」
「「はい?」」

 思いがけない灰羽の発言に零と景光は間の抜けた声をあげたが、すぐに共に考え込む。

「エルピスをキッドの手に渡すのですか?」
「盗ませる事にメリットが?」
「先ほども言いましたが、エルピスはパンドラではありませんからね。キッドならば盗んだ後に返却される事は間違いないでしょう。反対にキッドから宝石を守り切ると困った事になるんですよ」
「うん? どういう事ですか?」

 首を捻った景光に灰羽は、今回はエルピスがキッドだけでなく、パンドラを求めている組織からも狙われているのが問題だと言う。

「キッドにエルピスは目的の物ではないと返却される事が大事なんです。組織から見て、同じ獲物を狙うキッドが手離した……と認識させたいのです。そうしませんとパンドラだと誤解されたまま、いつまでもエルピスが付け狙われます。キッドを介してではなく、組織は直接持ち主に仕掛けてきますよ」
「しかし鈴木相談役との取り決めで、宝石の持ち主の情報は開示されないのでは? 相手に菫さんが持ち主とは知られない筈です」

 零が今回のエルピスが公開に至った際の条件を挙げる。灰羽はそれを肯定するが首を振る。

「確かにそうです。世間には持ち主の情報は開示されない事になっています。ただ残念ですが相手側には漏れていると考えた方が良いでしょう。そういう組織なんです。またこちらはキッドほどお行儀が良くありません。持ち主から奪おうとする過程で菫さんに危険が及ぶ事もあるでしょう」
「つまり、この機会にパンドラではないと、両者にとって盗む価値がある物ではないと理解させたいって事ですね」
「後々、菫ちゃんの安全が脅かされるくらいなら、今回で縁を切っておく方が得策か……」

 その通りです、と灰羽は頷いた。警察の威信を掛けて盗まれる前にキッドを撃退させたいところではあるが、今回に限っては禍根を絶つために一度は宝石が敵の手に渡った方が良いようだと零と景光も理解する。

「それでは宝石の警備は少し緩めるんですか?」
「いえ。それは警察への不義理になります。警備に関しては中森警部に一任していますから。キッドが警察を掻い潜れないのであれば、それまでですね。その場合はパンドラを狙ってくる組織に絞っての対応へ移行します」

 キッドの手助けまではしないときっぱり灰羽は言い切り、キッドがあてにならない場合は別途対応を取ると言った。

「ですが、現状はキッドの手にエルピスが渡る前提で動きますので、その打ち合わせをさせて頂ければと思います」

 にっこり笑う灰羽に零と景光は互いに眉を顰め顔を合わせる。警察は宝石を守り切れないと言っているようなものだ。だがその時は取りあえず、二人も協力するために灰羽の話に耳を傾けたのだった。



 * * *



「あのぉ……キッドさん? 何で私まで? それにエルピスは目的の物では……なかったですよね?」

 犯行時刻に館内が暗闇に包まれたと思った菫は、あれよあれよといつの間にかエルピスの展示されていた建物の屋上部分に連れてこられていた。

「えぇ。あなたの言う通り……これは私の求めている物では、ないようですね……。残念です」

 そこは遮るものが何もない、月の光が燦々に降り注ぐパンドラを確認するには絶好のシチュエーションで、キッドはエルピスを月にかざして見上げている。紫の宝石の中にもう一つの宝石は確かに認められたが、その色は赤くもなく、またやはり涙も流さない。キッドはため息を一つつくと、空に掲げていたエルピスをゆっくりと降ろした。

「これはお返しします。今回は申し訳なかったですね」

 キッドは菫の背中側に回り込むとその首にエルピスのペンダントをつけながら謝罪した。菫は胸元に戻ってきたペンダントを心なしか安心したように握り込みながら答える。

「いえ、返してもらえるなら、いいんです。でもそれなら、ここから離れられた方がいいですよ?」

 自分がなぜここに連れ出されているのか不明ながらも、菫はキッドに退避を促した。発信機付きの腕時計が働いているならば、遅かれ早かれ幼馴染たちがここに来ると思われるのだ。しかし、キッドは振り向いた菫に一歩近づくと、その顔を覗き込むように見つめてくる。

「いえ、私はまだ帰れません。菫さん。あなたには色々聞きたい事がありますから」
「え?」

 菫は距離を詰めてくる目を爛々と輝かせるキッドに、思わず後退りする。その時のキッドはまるでネズミを部屋の隅まで追い込んだ猫のようであった。思わせぶりだった菫から何か有力な情報が得られるかもしれないと、キッドは内心舌なめずりをしていた。だがキッドはここで予想外に、ネズミ――菫の逆襲にあう事になる。


 ・
 ・
 ・


 灰羽たちは屋上への階段を駆け上っていた。電気が復旧し明るかった一階から何故か二階に上がった途端、電気がまだ戻っていないのかそれ以降の目的地までの道のりは暗闇だった。窓からの月の光を頼りに零と景光、灰羽は走っていた。
 景光は見つめていたスマホから顔を上げ、階段の先――屋上を見据える。

「菫ちゃんはやっぱりこの棟の屋上だな。さっきから全然移動してないみたいだ」
「キッドはハングライダーを多用しますよね? 屋上に向かったのはここを脱出するためだとすると、菫さんを置いて、キッドはもう立ち去っていると見て良いでしょうか?」

 小刻みに動いていた菫に持たせている発信機が先ほどから全く動かなくなっており、菫を連れ回す者がもうそばにいないのかと零たちは予想した。

「そうだといいのですが……」
「灰羽さんはまだキッドがそばにいると思ってるんですか?」

 灰羽のどこか困ったような声音に景光が尋ねる。

「キッドの用件が済んでいれば、宝石も返却し菫さんを解放している筈です。が、むしろ菫さんがキッドを引き止めている可能性がありますね……」
「はい? 菫さんがですか?」
「え? 何で……?」

 これには零と景光も眉を顰める。幼馴染が泥棒を引き止める理由がさっぱり分からなかった。しかし灰羽はそれに答えず、別の懸念を漏らす。

「例の組織と鉢合わせていた場合、菫さんが危ないですね」
「しかし今のところ、灰羽さんが言う組織が現れるような兆候は見られないですが?」
「確かに。キッドだけなんじゃないか? 今日、宝石を狙ってきてるのは」
「いえ、恐らく――」

 灰羽がそう言った瞬間だ。


 ドンッ!!


 建物の外で爆発音が鳴り響く。

「――どうやら動き出した者達もいるようです」
「パンドラを狙う組織のお出ましか。結構派手なやつらだな。全く忍んでないぞ?」
「身を潜めてきたという人間の割には、今回は大々的に現れましたね?」
「それだけエルピスに対する期待が大きいという事です。必ず奪うつもりなのでしょう」

 窓からは鈴木大博物館に隣接する潮留公園の上空にヘリらしき機体が確認出来た。待機していた警察官たちが外へと続々と飛び出してくる。

「ヘリまで用意できるのか。相当規模の大きい組織のようですね」
「世界規模で動いている輩ですからねぇ。ですがアレは陽動でしょう。やはり奴らが動くならば静かな闇の中です」
「という事は、何故か電気の復旧がされていないこの建物の上層階が現場になりそうですね。……しかし、キッドが宝石を返却していれば、その組織も諦めるという話でしたよね?」
「もしかしますと今回に限っては、組織も自分達でパンドラではないと確認しないと引かないのかもしれません。エルピスはそれほどパンドラに酷似してるんです」
「菫ちゃん、大丈夫か……?」
「連れ去ったからにはキッドも責任をもって対処をすると思うのですが……」

 景光の心配そうな声に答える灰羽の声は硬い。そして彼らの不安は的中する事になる。零たちが屋上に着いた時、キッドは菫を抱きかかえ、夜空をハングライダーで飛びまわっていたのだから。



 * * *



 最初はキッドも菫を追い詰める側だった。多少色仕掛けをしてでも口を割らさせると考えていたキッドだったが、意外な程に自分の試みが上手くいかない事に首を傾げる。相手はどうも自分の手を読んでいる――手の内がバレているように感じられた。

(なんだか手強いな、この人。俺が言う事が分かってるみたいで、やり辛い)

 普段ならばそれを目の当たりにした女性たちが顔を真っ赤にする仕草や口調が、菫には全く通じない。菫はまるで大人が子供の相手をするように、窘めるように、いともあっさりそれを流すのだ。

「菫さん、どうもあなたは他の女性と勝手が違いますね。私の質問に一つも答えてくれませんし?」

 苦笑を浮かべ、でもどこか憐憫を誘うように問いかけてくるキッドに、それまでの言動も含めて何となくハニートラップかなーというのが分かってしまい、むしろ菫も苦笑する。また、答えようにも答えられないだけだ。

「あのですね、キッドさん? 質問の内容からすると、パンドラを狙う組織の事が知りたいんですよね? だけど私、その答えを知らないんです」
「意地悪ですね、菫さん。あなたはだいぶ情報を持っていると思うのですが? 知らなければ組織の事など、口にできませんよ? 私はどんな情報でも欲しいのです。そんな私を哀れと思われるなら、どうか協力してもらえませんか?」
「え? あ……」

 キッドの言葉に――有力な情報源に成り得るかもしれないと思われている事に、菫は目を見開く。そして慌てて首を振った。期待させてしまっているならば申し訳なかった。

「その、ごめんなさい! 勘違いさせてしまったんですね……。キッドさ……うーん、もう名前でいいかな? 黒羽君、残念だけど、私もあなたが知りたがっているような組織の事は本当に知らないの」
「え!? ちょっと待って? 何で名前……?」

 自分の事情が多少は知られているとは思っていたが、まさか素性――黒羽という本名まで菫は知っているのかとキッド――快斗は素で驚く。いくらなんでもそこまでバレているとは考えもしていなかったためだ。
 名前を呼んだ菫はすっかり知り合いの子供の感覚で快斗をその場に引き止めた。

「あっ! そうだ、黒羽君。やっぱり帰るのは少し待ってください。会わせたい人がいるんです」
「はい?」
「あまり会ってないって言ってたから、この機会にちょっとだけでも」
「うん?」

 白いマントをギュッと掴み菫が行く手を阻むと、知りたがっていた組織の事なども忘れ、快斗はあからさまに焦りを見せる。状況的にまずい事に気付いたようだ。

「イヤイヤ、菫さん手を離してくれる? そろそろ警察も来そうだし。それにさっき菫さんも言ったよね? 早く帰った方が良いってさ」
「確かに言いました! でももう少しだけ待ってください! 多分すぐに黒羽君の待ち人が来ますから!」

 菫は灰羽を念頭にそう言ってマントを掴む手を離さないが、当の快斗は訝しげな表情を浮かべる。被っていた猫ももはや欠片も見られない。

「待ち人? いないよ、俺にそんな人なんて」
「え? でも……?」
「? ほんとに菫さん、何の事言ってるの?」

 話が通じない事に菫は首を傾げる。灰羽は連絡は控えていると言っていたので、顔を合わせる事はさらに少ないだろうと思っていた。ここで久しぶりに親子の対面を果たせばいいと菫は単純に思って発言する。

「あれ? 年頃の男の子だからかな? 結構冷めてる? 待ってないの? お父さんの事?」
「はぁ?! ちょっと菫さん、親父知ってんの? っていうか親父生きてんの?」

 快斗の問い質され、今度は菫が驚く番だった。快斗が灰羽――黒羽盗一の生存を知らないとは聞いていない。菫は盗一は家族と交流があると認識していたからだ。

「え?! ……黒羽君、今まで知らなかったの? だって黒羽さん、家族には伝えてるって言ってたよ? だから私、安心してたんだけど……」

 菫はサーっと青褪める。快斗が今まで父親の死を信じて疑わず、組織へ立ち向かっていたのだとここでようやく気付く。それでも菫は言い訳のように自分は知らなかったと繰り返す。

「あ、だって、黒羽さん……灰羽さんが最初に会った時に、言ってたよ? 私は自分の生存を家族に伝えてます、って……」
「灰羽? 今回協会から派遣されたアドバイザー? あいつが親父だって言うの?」
「あれは変装してるだけ……。黒羽君、本当に、知らなかったの?」
「知らないよ! でも……親父が生存を知らせてるって断言してるなら、それはきっと母さんだ。クソッ! 母さんは知ってたんだな!」
「そんな、黒羽君今まで、黒羽さん……お父さんが亡くなってるって思ってたの……?」

 菫は茫然と呟く。快斗が父親の死に心を痛めていたなど知らなかったのだ。
 今まで菫は赤井家や哀へ抱いていた罪悪感を快斗にだけは感じていなかった。黒羽家は盗一が協会によって助けられた事を本人により情報を共有されていると微塵も疑っていなかったからだ。

(黒羽君が今まで辛い思いをしていたの、私、知りもしなかった……)

 ズシンと罪悪感が菫に圧し掛かる。

「黒羽君、ごめ……え? ひゃ! な、何?」

 菫が快斗に謝罪しようとした時だ。菫はいきなり快斗に抱きかかえられ、その場から移動させられる。その瞬間、博物館に隣接する公園方向から爆発音が轟く。

「え、爆発……? あの? 何? どうしたの、黒羽君?」

 菫は混乱したように音がした方向と自分を抱き上げる快斗の両方をキョロキョロと見やる。

「あー取りあえず、菫さん。今の状態の時はキッドって呼んでもらえる? それと、ちょっと危ないやつらもお出ましだから、逃げるよ」
「はい?」
「悪いね、巻き込んで。菫さんの宝石、パンドラじゃなかったんだけど、な!!」

 快斗がそう言って辺りを縦横無尽に駆け回り始めたのと同時だった。菫の近くで何かが当たり跳ねたような音がした。

「銃なんて穏やかじゃないね! 一応一般人もいるのにさ!」

 どうやら今、快斗と菫の周りでパンパンッと音を立てているのは、銃弾らしい。抱えられたままだった菫は銃という単語の恐ろしさに、思わず快斗にしがみつく。

「キ、キッドさん、ど、どうしよう? こんな屋上じゃ、逃げ場がないよね?」
「まさか! お忘れですか、お嬢さん? 私には羽があるんですよ?」

 ハングライダーを開きながら演技がかった声で不敵に笑う快斗に、菫はこの展開はもしかすると……と顔を引き攣らせる。いつの間にか菫は広い屋上の端まで快斗によって連れてこられていた。

「ちょ、待って。キッドさん、私、こういうの苦手……」
「菫さんをここに置いて行くのも無理な話だし、俺と夜空をデートしような?」

 同行者の怖気づいた声など軽く無視をして、快斗は菫を横抱きにその場から飛び立つ。

「ひっ?! や、やだー!!」

 夜の闇に情けない菫の声が響くのだった。



急展開からの急転直下(物理)。

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