Cendrillon | ナノ


▼ *04
≪≫内は英語です。


「≪すみません。少し良いですか?≫」
「≪はい?≫」

 菫は一人、鈴木大博物館の展示品を眺めていたところで、ある外国人男性から声を掛けられる。この日の午後、この館内にいるのは警察や従業員以外ではヴィオレの手配により魔術師協会のコアな関係者だけである。だが菫はこの時点で、おや? と思う。

「≪エルピスの一般公開は、菫さんのおかげだと聞きました。協会員は皆、喜んでいます。今回はありがとうございます≫」
「≪いえ……≫」

 先程から来館者に話しかけられていた内容とさほど変わらない話題ではあったが、この目の前の一見、若い西洋人風の男性は協会の関係者ではない事が菫にはすぐに分かった。魔術師協会の――表に出ない実態を知る人間にのみ通じる符牒がなかったからだ。博物館には一般人が入り込めない現状、忍び込むには協会の人間に扮するのが最善であろう。つまり目の前の男性はキッドである。
 しかし、まさか本日この場にいる協会員全員が魔術師だとは想像もつかないキッドの最初の誤算を読んでいたのは灰羽だ。菫は内心舌を巻く。

(灰羽さんが言う通り、本当にキッドが接触してきた……)

 コナンや零、景光が警察に交じって警備状況の確認をしていたが、菫はこれといってできる事がない。ヴィオレやノアも一瞬顔を出しただけで、すぐに帰路についている。単純に菫を驚かせたかっただけらしく、忙しい身の二人は他の日本での用事を済ませた後はイギリスに帰国するとの事だった。

 つまり菫が今回の展示の目玉、宝石エルピスの所有者として館内に待機する事は不動の事実であった。そこで灰羽の勧めもあって菫は博物館を一人歩き回っていたのだが、博物館に訪れている魔術師協会のメンバーからひっきりなしに菫は挨拶を受ける事になる。ある一角でその挨拶詣でのようなものがひと段落すると、待っていたとばかりに怪盗キッドであろう人物から話し掛けられてしまった。そしてここまでは灰羽の予想通りなのだ。
 
(今回キッドは協会員に変装してくるって言ってたけど、その通りだったねぇ)

 もちろん犯行予告の時間まで観覧者である協会員は居残る事は出来ないが、博物館に入り込んでしまえばキッドとしては第一段階はクリアだろう。そのまま息を潜めていれば仕事もスムーズと思われるのだが、菫にしてみれば自分に話し掛けてくる意味が分からない。だがキッドと同類と言うだけあって、灰羽はこの状況を読んでいたようだ。

(でも何で私に接触が必要なのかな? 体格差からして私には変装はできないから、情報収集?)

 背の高い男性を見上げ、菫は内心首を捻る。キッドの目的やまた灰羽の意図も微妙に分からない。当たり障りのない会話の中で軽めに交えてくる質問などに菫が曖昧な返答をしていると、思ってもいない事を問われた。

「≪今回、エルピスが盗まれたらどうしますか?≫」
「≪そう――ですねぇ……あの怪盗キッドの事ですから、一度は盗まれるとは思いますけど、きっと返してくれますよ≫」

 菫も最初はキッドに宝石を盗まれる事に不安を覚えたが、考えてみるとキッドはほぼ毎回、宝石を持ち主に返却している。現在では菫もエルピスが盗まれる事はあまり心配していなかった。しかし、目の前の男性は首を傾げる。

「≪そうでしょうか? 残念ですけど盗まれたら戻ってこないかもしれませんよ? あのエルピスはキッドの本命の宝石じゃないかと私は思ってるんです≫」

 その言い方に、菫はなんとなくキッドが話しかけてきた理由が分かった気がした。

(あ……もしかして、エルピスがパンドラだって思われたのかな?)

 思えば展示中のエルピスは怪盗キッドの追い求めるパンドラその物と認識されても致し方なかった。プロフィールがかなり似通っている。実際は別物の兄弟石であるが、月光にかざすと宝石の中にもう一つ石が見えるという情報が流れているのだ。キッドもエルピスがパンドラだと確信に似た期待をしてもおかしくない。

「≪もし戻ってこなかったら、あなたはきっと悲しむでしょうね……。何か慰めになる事があれば、お伺いしたかったのです≫」

 どこか申し訳なさそうにキッドが扮する男性は言う。今回盗まれるかもしれない宝石は、手元に返却されない可能性を示唆――心の準備をしておくようにとキッドは忠告に来たのかと菫には思えた。

(つまり罪悪感で、話し掛けずにはいられなかったのかな?)

 わざわざ未来の被害者に接触するとはやはり根っからの悪人ではないのだなぁ……と菫は苦笑した。

「≪大丈夫ですよ。キッドはいつも最後には宝石を持ち主に返してますし。今回も返してくれると思います。それにエルピスはキッドのお目当ての宝石ではないでしょうから……≫」

 むしろガッカリするかもしれない……と菫は首を振る。その菫の返答にキッドは疑問を抱く。

「≪何故そう思われるのですか?≫」

 それに菫は反対に問い返す。

「≪あれ? 魔術師協会の方ならご存じだと思ったんですけど……?≫」

 エルピスとパンドラは似て異なるものだ。符牒を知る協会員ならば周知の事実である。しかし、あえて菫ははっきりとは言わなかった。男性は菫の言葉に一瞬慌てた様子だったが、すぐに取り繕い尋ね返す。

「≪……え? あぁ、すみません。私は新参者で……。良ければ理由を教えて頂けますか?≫」
「≪あら、そうなんですね? それなら……エルピスは希望であって、災いを撒き散らすものではないから、ですね≫」
「≪え?!≫」

 一度は確実に盗まれるだろうな、という事で菫は意趣返しのちょっとした意地悪のつもりで、少し含みを持たせて答えた。案の定、驚いたような声を上げるキッドに菫は悪戯っぽく笑い、さらに追い打ちをかける。

「≪そろそろ行かれた方が良いです。あなたが接触してくるだろうと睨んで、私を監視している人がいるんですよ。出来れば予告時刻には、宝石を確認するだけにしてほしいですね≫」
「≪あなたは……何故知っているのですか?≫」

 その問いは、パンドラを知っているのか、自分の正体を知っているのか、と二つの意味に取れた。今日が終わればきっともう二度と会う事もない。両方答えるのが親切だったのだろうが、菫はやはり意地悪を続行し、後者の問いにはそ知らぬふりをして一つにだけ返答をする。

「≪私の希望は涙を流しません。あなたの求める物ではないんです。そもそもビックジュエルほどの大きさも有していませんし≫」

 パンドラは月の光で宝石の中に赤く光る別の宝石から涙を流し、それを飲むと不老不死になると言われている物である。涙を流さないと断言すれば、キッドの興味の対象から外れる筈だ。

「≪本当にそろそろ私から離れた方が良いですよ。さっき言った監視している人とは別に、私の行動をチェックしている人もいるので。その人達に怪しまれたら少し大変ですよ?≫」

 発信機で逐一確認するから変な所に行かないでね、と前もって声を掛けられていた菫はそう助言する。灰羽の監視は恐らく緩いものだ。また身内でもある事から灰羽もキッドを本格的に捕まえるまでの事はしないだろう。多分今回も宝石を守るという体でキッドに接触し、上手い具合に逃がすのではないかと菫は思っていた。しかし、幼馴染たちは違う。

(零くん達は普通にお仕事遂行しちゃいそうだもんねぇ……。やっぱり灰羽さんの息子さんだし、穏便に帰ってもらいたいなぁ……)

 あの幼馴染たちならばコナンと同様、捕まえる機会があるならば躊躇なく縄を掛ける事が考えられる。菫としては知り合いの息子という事で、キッドには捕まってほしいとは思っていない。零と景光に気付かれないうちにこの場を去ってほしかった。

「≪そう、ですね……。こちらに近づいて来る方もいますし、私も一度退散しましょう。それではお嬢さん、また後程……≫」

 そう言い残して外国人男性に扮したキッドは立ち去っていく。

「お嬢さんって……私、あの子の何歳年上だったかな……」

 頭の中で引き算をしかけて菫は途中で止めた。リップサービスがすごい……と微妙な気持ちになっていると、キッドも気付いていた菫に近づいてきた人物に肩を叩かれる。

「キッドはどうでしたか?」
「あ、灰羽さん。私、エルピスはパンドラじゃないって教えちゃいました。もしかしたらキッドは来ないかもしれません」
「おや? 菫さんは優しいですねぇ。ですが反対に疑問も増えたでしょうから、あの子はやはり来ると思いますよ?」
「そうですか? 目的の物じゃないって分かったら、危ない橋は渡らないと思うんですけど……」

 期待を込めて言った菫の言葉は灰羽に否定される。ただでさえキッドキラーのコナンが待ち構えているのだ。目当ての宝石ではなかった、と手紙一つ送れば回避できる状況であれば自分ならばそうするのに、と菫は思う。

「といいますか、今思ったんですけど……」
「はい?」
「灰羽さんがキッドにエルピスはパンドラじゃないよって伝えてあげれば、この件は終わりそうな気が……? 灰羽さん、息子さんとこの件で連絡してないんですか?」

 菫の不思議そうな声に、ほんの一瞬だけ灰羽は顔を強張らせる。だがプロのポーカーフェイスですぐに隠されてしまい、菫はそれに気付けなかった。
 灰羽はある事実を菫にだけ伝えていない。というよりも、菫の勘違いをそのまま放置している状況なのだ。

「……すみません。連絡は控えているんです。あの子に危険が及ぶかもしれませんからね」
「あ、そうでしたか。でも確かに灰羽さんの状況だと、その懸念も仕方ないですね……」
「まぁ、あの子の事に関しては私にお任せください。それより先程気になる情報が入りました。協会の担当の方が独自に掴んだもので……」

 キッドに関してはさらりと流され、そんな事よりも……と灰羽は話を変えた。魔術師協会の情報収集の担当が入手したという情報を灰羽から伝えられ、菫は目を見開き慌てふためく。

「えぇ!? そっちの方が重要、というか危ないですよね?! でもそうですよね。キッドがパンドラって勘違いするくらいなら、あの組織だって目をつけますよね? ど、どうしましょう!」
「大丈夫ですよ。ヴィオレさんとノアさんが言うには、あなたのナイト達にもお伝えすれば、どうにでもなるだろうと仰せでしたよ。彼らも協力してくれるとの事です」
「え? ナイト? えーと……透さんと景光さん、ですか?」
「はい。快くお手伝いを引き受けてくれました。あ、もちろん、警察にも多少は報告してますから、ご安心ください。私ももしかしたらこの機会に全てを清算できるのではないかと、年甲斐もなくワクワクしてきましたよ」

 零たちが公安だとは灰羽は知らない。だがヴィオレ達が太鼓判を押すので、何がしかの力が働くのだろうと灰羽もその点は特に不安視していないようだ。
 どこか張り切り始めたように見える灰羽に、これは絶対に事件が起こると菫は確信する。因縁の対決が行われるであろう事に菫は微妙に不安が隠せなくなった。

「あのぉ……一応ここは次郎吉さんの博物館なので、ほどほどにしてあげてください……」

 建物が壊れるような派手な捕り物はしないでくれと菫は切実に願った。



 * * *



 菫とキッドが出会う少し前の事だ。魔術師協会から急遽得られた情報について、ヴィオレからの提案で菫の知人だという男性二人に協力を請うため、灰羽は顔を寄せ合い話し込んでいる零と景光に声を掛ける。

「透さんに景光さん、少しよろしいですか?」
「はい? 灰羽さん……何か?」
「俺達に用ですか?」
「ええ。ヴィオレさん達があなた方二人には共有しても良いだろうという事で、お伝えしたい事が……」
「oh……ヴィオレさん絡みか……」
「景光さん、ヴィオレさん絡みだからこそ放置できません。諦めましょう」

 絶対面倒なやつ……と景光は片手で顔を覆い、零は抵抗するだけ無駄だと言わんばかりに無条件で話を聞く態勢になっている。この二人も振り回されているな、と内心気の毒に思いながらも灰羽は容赦なく零と景光を巻き込む。

「実はキッド以外にも、宝石を狙う組織的窃盗団が動き回っているようなんです。捕まえる際には協力して頂けると助かりますね」
「窃盗団……そんな話、初耳ですね? 景光さん、何か聞いてます?」
「いや……俺も聞いてないな。灰羽さん、どんな組織ですか?」

 公安である二人でも小耳に挟んだ事もない組織だ。そのような情報を掴んだ灰羽に、つい不審な目を向けてしまう。景光は訝しげに問うが灰羽は大げさに肩をすくめるだけだ。

「お二方がご存じないのも仕方ありません。かなり巧妙に闇に身を隠してきた輩です。ビックジュエルしか狙わない偏食ですし……」
「ビックジュエルというとキッドと狙う物が同じようですが、それにしては今までキッドとかち合った事がないのでは?」

 キッド以外に第三者が狙っているというならば警察も把握していそうなものだが、生憎そのような情報は零たちは掴んでいない。

「いえ、過去には何度か小競り合いをしておりますよ。キッドが盗み出した後、さらに奪いに来るパターンが多いです。まぁ、互いにお目当ての宝石ではないという事で、両者から手を引かれるのがお決まりになっていますがね」
「キッドとその組織はビックジュエルでも、さらに特定の宝石を探しているって事ですか? だが俺達でも知らないそんな組織、何故そこまで灰羽さんは詳しいんです? 情報源は?」

 景光が矢継ぎ早に尋ねると、困ったように灰羽を首を傾げる。

「私が知っているのはその組織に浅からぬ縁がありましてね……。その昔、大変世話になったのでお礼がしたいんですよ。ですが先ほども言いましたように、なかなか表に出てこない集団です。お礼参りの機会に恵まれませんでしたが、今回は長年の念願が叶うかもしれません」

 目を細めてくすくす笑う灰羽の言葉が、もちろん本来の意味のお礼参りではない事は零と景光にも分かった。

「……ですが、菫さんのエルピスは本人も認めるように、ビックジュエルほどの大きさではありません。本来ならばキッドやその組織の狙う宝石としては対象外では?」
「確かにビックジュエルとしてはサイズは足りませんが、他の最も重要な特徴を有しているんですよ、エルピスは」
「不足する大きさを補って、キッド達が目を付ける程の特徴ってどの点です?」

 当然景光はキッドやその組織が重要視するという特徴を問う。しかし、灰羽は曖昧に笑った。

「いえ、今回に関しましても、キッドとその組織のお眼鏡に適う宝石ではないんです。エルピスは素晴らしい宝石なんですけれどね? まぁ、その特徴についてはさほど気にされなくても問題ないですよ」
「うーん、灰羽さん。相手の目的が分かるのと分からないのでは、だいぶこちらの動きも変わるんですけどね」
「僕達を巻き込むからには、もう少し情報を流してくれても良いのでは?」

 限定的な情報だけで一方的に使われるのは許容できないと零が反論すると、灰羽は小首を傾げる。

「本当にこの特徴は今回無視して頂いても構わないんですけどねぇ? でも、お二方はこの手の話に理解があると聞いてますし、キッド達がビックジュエルを狙う理由は言っても良いでしょうかね……」
「おい、安室……雲行きが怪しいぞ」
「……えぇ。この手の話というのに、嫌な予感がしますね……」

 景光と零は話を聞くのを微妙に躊躇し始めたが、灰羽は言ってしまうかと決めてからは行動が早かった。二人の様子など気にせずにさらりとそれを口にする。

「キッドとその組織が狙っているのは、裏ではパンドラと呼ばれる宝石です。その宝石は不老不死の願いを叶えてくれるともっぱらの噂なんですよ」
「やっぱりそっち系か……。不老不死って、それはまた大それた願いだな」
「ですが菫さんのエルピスも大概です……。同類といえば同類でしょう」
「えぇ。実のところ、エルピスとパンドラは兄弟石なんです」
「そうですか……」

 知らされる現実的とは言い難い情報に、零と景光は疲れたよう表情を浮かべた。それでも灰羽は言葉を続ける。

「ですから、エルピスは彼らのお目当ての物ではありません」
「……何故灰羽さんはそれを知っていて、彼らは知らないんです?」
「私も以前まで知らなかったクチですよ? この情報に辿り着けたのは魔術師協会のおかげですね。協会の皆さんはこういった知識が豊富でしてね? こういう摩訶不思議な事象は協会の十八番のようなものなんです」
「つまり、協会の人間にはエルピスだけでなく、パンドラの曰くも知られてるって事ですか?」

 灰羽は景光の疑問に少しだけ考え込む。

「そうですねぇ……。協会にも一般人と、そうではない者の二種類の人間がいるんですよ。今回のような話を知っているのは後者ですね」
「一般人ではないって、何です?」

 半眼になり胡乱気な零の言葉に灰羽は笑いながら答えた。

「おや、知りたいですか? まぁ、協会内でそうではない者の頂点にいるのがヴィオレさんですよ?」
「あ、良いです。それ以上言わないでください」

 ヴィオレの名が出てきた事で、景光が両手を上げて灰羽の続きの言葉を押しとどめる。

「フフ。それが良いでしょう。今回の件には関係ありませんしね? それでですね。私としては宝石を第三者が狙っているという事で、ここは一度キッドにエルピスは盗んでもらおうかと思っているんです」
「「はい?」」

 灰羽の思い掛けない提案に、零と景光は揃ってどこか調子の外れた声を上げたのだった。



キッドが登場するも変装中。劇場版の迷宮編より長丁場にならないよう、駆け足ですがあと数話で終わらせます。次回は急展開?

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