Cendrillon | ナノ


▼ 004
「あ、菫ちゃん、おはよう!」
「……お、おはよう、降谷くん――」
「零でいいよ?」
「そ、う? じゃあ、零くん、今日からよろしくね?」

 登園したばかりの朝の幼稚園の教室で、早速話しかけてくれる少年――零の存在に菫の胸は激しく高鳴った。
 昨日の今日で零にどんな反応を……対応をすればいいのかまだ決めかねていたのだ。だが零に菫の心の内など分かる筈もない。両手に抱える本を菫に見えるように零は掲げた。

「菫ちゃん、きょうもいっしょに、ほんを読もう? これ、ボクだいすきなんだけど、みんな読めないって、いっしょに見てくれる人、いなかったんだ……」
「あぁ、英語の本だね。そうだね……昨日も一緒に英語の本を読んだもんね」

 零のお気に入りの本は幼児向けで簡単な単語だけではあったが、英語の絵本だった。そして昨日、零と話すきっかけになったのも、その英語の本であった。

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 見学だけだと聞いていた菫は、同じ年齢のクラスに突然放り込まれ固まってしまった。そして生来の怖気癖がその場でも出てしまい、子供相手でも菫はなかなか話しかけられずにいた。
 そんな時、大人しく本を読んでいる子供たちのグループが菫の目に止まる。菫は恐る恐るそちらに混ざってみる事にした。

 と言っても静かに本を読んでいる子供たちなので、菫は本棚に並ぶ本を手に取っても手持ち無沙汰。誰かに声を掛けるタイミングを見つけられない。
 最初はキョロキョロと辺りを窺っていたものの、菫は次第にチラチラと目を落としていた自身が手に取った本の物語に引き込まれ、そのまま読書に没頭してしまうのだった。
 目的を忘れて本を読み始め、しばらくした頃だっただろうか。可愛らしい声に菫は話しかけられた。

「ねぇ、そのほん、読めるの?」
「え? う、うん……」
「それ、ボクもすき! ……あのね、こっちもおもしろいよ? いっしょに読まないかな?」
「あ、ありがとう! うん、一緒に読みたいな」

 自分からは難しいが、相手からアクションを取られたためか菫もなんとか対応できそうだった。一応社会人として働いていたため、それなりに臨機応変に振る舞う事は難しくない。
 だが今回は用件が済めば後腐れなく終わりにできる仕事関係の会話ではない。正に友人、知り合いになれるかの瀬戸際である。菫は子供相手ではあるが持ち得るコミュニケーション能力をすべて使い、応対する。

「えへ、えいごのほんはいっぱいあるのに、読む子があまりいないんだ……。だから読みあいっこするの、はじめてだ」
「そうなんだ? 私ね、皆に話しかけられなかったから、声かけてもらえて嬉しかったの。あの、誘ってくれてありがとう」
「ううん、ボクもことわられなくて、よかった」

 ――そう言ってふわりと笑ったのが、降谷少年だったのである。

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 もちろん、最初は彼があの降谷零だとは菫も知らなかった。ハーフの子なんだろうな、と見た目から判断する程度である。
 だが、おしゃべりを交えながら何冊かの本を読み終えたところで菫は他の園児たちよりも先に帰路につく事になった。その帰り際に菫は初めてその日時間を共有していた少年の名前を聞く事になったのだ。

 その名を聞いた瞬間、驚きの余り菫は目を見開いたものである。菫の知る幼い頃の姿よりさらに幼かったが、確かに面影はあった。
 それを認識すると二次元と三次元の違いなどものともせずに、瞬時に菫は幼い少年と彼の人をリンクさせた。
 それと同時に目の前の少年の未来が思い浮かび、菫は泣きたくなった。

 何とか菫も名乗り返し別れの挨拶をしてその場を離れたが、結局帰宅後にヴィオレとノアへ不安な思いをぶつけてしまったというのが昨日の顛末である。

「菫ちゃん、ぼぅっとしてるけど、だいじょうぶ?」
「そ、そんなことないよ? 心配かけて、ごめんね?」

 心配そうに自分を覗き込んでくる零に、菫は慌てて首を振って謝る。そして零のおすすめの本を共に読み始めるのだった。



 * * *



 零の幼い少し高い声で紡がれる英語の物語を聞きながら、菫は心から感心していた。

(やっぱり凄いなぁ……。こんな子供時代から、日本語も英語も喋れるなんて。最近はバイリンガルも珍しくないのは知ってるけど、でも自分にできない事がこんな小さい子にできてるっていうのは、零くんに限らないけどやっぱり尊敬しちゃうな)

 菫も英語は理解できるようになってはいたが実力ではない。しかしこの幼い少年は正真正銘、自身の独力でもってその言語を自分のものとしている。
 ハーフという事で家庭環境で英語に触れる機会があるとしても、それは菫にとっては驚嘆に値した。

 そもそも幼稚園児ならば平仮名も読み書きできるかも怪しい筈なのに、零に至っては平仮名はとっくにマスターしているらしい。英語の素養がある事も併せて考えれば、人並み以上に優秀なのは間違いないだろう。
 知っていたつもりでも菫はそんな事を再認識させられた。また零の音読に耳を傾けながら、さらに別の事にも考えが及ぶ。

(あれ? そういえばヒロくん? だっけ。幼馴染だよね? 幼稚園も一緒だと思ってたけど、違ったかな?)

 彼に寄り添うにように存在した幼馴染がいない事に菫は内心首を傾げる。零の声を聞き洩らさないようにしながらも、並行して原作を思い出そうと試みた。そしてふと勘違いしていた事に気付く。

(そうだ確か、零くんと諸伏景光くんとは小学校に上がってから出会うんだったかな? 勝手にもっと小さい頃からの幼馴染だと思い違いしてた……って、私、原作が始まるまでに内容忘れそう! 主要な事だけでも覚えている限り、ノートに書きだしておかないと!)

 本にすれば百巻に近い長編の作品なので、よほど印象に残る事件だったりしないと記憶があやふやなのだ。正直主人公の工藤少年が関わる日常の事件の数々は現時点でもかなり記憶が危うい。
 さらに工藤少年がコナンとなってから綴られる原作が始まるのは、幼稚園児の菫にとっては今から二十年以上あとになる。
 菫は帰宅したら早急に行動に移そうと決意しつつ、意識を切り替えた。そして今できる事――零の声に本格的に耳を傾けるのだった。



 * * *



 零の好きだという本が読み終わるとさらに零は別の英語の本を持って来た。そして今度は菫が音読をねだられる。交互に読み合う事を数回繰り返した時だった。 

「菫ちゃんと本がよめて、ボクうれしいな。それに、菫ちゃんのお父さんとお母さんも外国の人だからかな? ボクのかみの毛とか、はだの色とかに、なにか言わない子も、言いたそうな顔もしない子も、菫ちゃんがはじめて。ボク、みんなとちがうでしょ……」

 昨日の本の読み合いの最中から菫にも見て取れていた事実である。大人しい子供ばかりの読書グループの中でも零は浮きがちのようだった。
 その上今までの経験の積み重ねなのか、零は自身の容姿に引け目を感じているのが傍目にも分かった。当然ながら菫はそれを否定する。

「そんな……零くんの髪の毛はキラキラして綺麗だし、肌だって何もおかしいところはないよ?」
「ありがと。でも、やっぱりみんなとおなじじゃないから、ほかの子たちとなかよしになれない……」

 幼い子供達だけの環境がそうさせるのだろう菫は思う。
 無意識の選別に無邪気な排除だ。子供だからこそ異なるものを受け入れられない。菫も前の世界で異物として存在していたため、零の気持ちが痛いほどよく分かった。
 たとえ子供達からすればまだ悪意のない行動だとしても、まるで刃のようなそれを一身に受ける零自身もまだ子供だ。どうしようもなく傷ついている。
 しかも幼さ故に受け流す事もできないのだろう。大人になるにつれて手に入れる、自身を傷つける言葉から心を守るための盾やクッションがきっと零にはまだ備わっていないのだ。

 自信なさげに体を縮こませる幼い零が菫には余計に小さく見えた。こんな小さい子供が萎れている姿はひどく胸につまる。

「あのね、昨日も思ったけどね、突然クラスに交じってきた私にも、零くんから話し掛けてくれたでしょ? 私、それがね、本当にとても嬉しかったの。そんな優しい零くんにはね、これからいっぱいお友達ができるよ、絶対に」

 菫はついそんな事を言ってしまう。零の人柄ならば難しい事ではないと思えたからだ。また彼の未来の仲間たちの姿が思い浮かばなかったと言ったら嘘になる。零は大切な友人たちをいずれ得る筈だ。しかし、それは今の零には知る由もない。

「きっと、もうちょっと零くんの事を知ってもらえれば、すぐにみんなと仲良くなれるよ!」

 自分の言葉は今を生きる零には響かないかもしれない。そう思うと菫は慌ててそのように言葉を重ねた。

(そう、なんかちょっとしたきっかけがあれば、すぐにでもみんなと仲良くなれそうなんだけどな? 性格だって小さい男の子にありがちな粗暴な所もなくて紳士的だもの。幸いにしてこの園にはいじめっ子はいないみたいだけど、でもやっぱり今は他の子に少し避けられてるみたい。でも子供の感情はどうにもできないしなぁ……)

 生粋の日本人らしからぬ風貌に合わせて、英語の本を好んで読むところも幼い子供達を委縮させてしまうだろう事は菫にも想像できる。しかし、きっと零と仲良くしたい子供もいる筈だとも思った。

(零くん、子供ながらに整った顔立ちしてるもんね。そう言った意味で遠巻きにされちゃうのもあるのかな。子供達の意識改革があるまではこのままかなぁ……)

 零の遠巻きにされている現状を打開したいとは思うが、何せ菫も対人能力がお子様レベルである。まず自分が人様と仲良くなる技術を磨かねばならない。
 他の子供達との懸け橋くらいにはなりたいのだが、今すぐには役に立てないかもしれないと、菫は自分自身に残念さを覚える。

 そういえば……と、零は小学生時代にも見た目の事で喧嘩をして、女医さんに診てもらうシーンが作中にはあった事を菫は思い出す。
 小学生になっても前途多難だった……と落ち込むが、それでも大人になれば人の見る目は変わる。それを気長に待つしかないのかもしれないと菫は内心ため息をついた。

「あの! それじゃ……」

 つらつらと考え込んでいた菫に、零が少し強張った表情で話し掛けてきた。それがそれまでよりも一段と大きな声だったため、菫は一瞬目を見開きそして首を傾げる。

「どうしたの? 零くん」
「あの、菫ちゃん、あのね……」
「うん」
「ボクのこと、知ってもらえれば、みんなとなかよくなれるって言ったよね?」

 直前の会話で自分の発した言葉だ。菫は再度、うん、と首を縦に振りながら頷く。

「菫ちゃんは、ボクのこと、知ってくれたよね? そうだよね?」
「う、うん」
「だ、から……ボクと、友達に……なって?」
「!?」

 窺うような、どこか縋る様な表情と共に零から伝えられた言葉に、菫は胸がギュッとした。
 でもそれは今まで菫が感じてきた孤独や諦めが伴う悲しいものではない。切ないけれど、嬉しい。この感じを菫は少しだけ知っている。

 本を読みながら、零やその仲間たちとの関係に目を細めた、菫が憧れた感情によく似ていた。思わず菫は胸の前で手を組み握り込む。湧き上がってくる感情は苦しくもあるが、優しい痛みだ。それが全く嫌ではなかった。目が熱い。気を抜けば涙が零れそうで、菫は奥歯を噛み締めた。

 だが菫が言葉を発せずにいたのが、零を不安にさせたらしい。悲しそうに零が表情を歪めたのが菫の目に入る。誤解させてしまっている、なんて事だ! と菫は慌てて、本当に何も考えず、思うままに言葉を紡いだ。

「なりたい! 零くんと友達になりたいよ!」

 泣きそうだった零の表情は、それを聞いて一転して花のように綻んだ。

「ほんと? 本当に菫ちゃん、ボクとともだちになってくれる?」
「もちろんだよ。私も零くんと友達になりたかったんだよ? すごく嬉しい……ありがとう零くん。友達になってくれて」
「ボクもうれしい。……はじめてのおともだちだ」
「私も! 零くんが初めて。初めてのお友達が零くんで良かった!」

 互いに初めての友達を作れたという事で、頬を紅潮させ二人はきゃいきゃいと盛り上がる。菫の心配事のあれこれは、その時ばかりは頭から消えてしまうのは致し方なかった。

 そして、なかなか子供達の輪に入る事ができなかった零と通園初日の菫を注意深く観察していた担任の教諭は、その様子を見て二人の連絡帳に「今日、お友達ができたようです」と喜々として記入したのだった。



降谷少年の幼少時描写が難しい……。英語を使う家庭環境やら幼少時の性格捏造です。プロローグ以降は基本的に原作前のお話です(小学生時代〜安室さんがポアロでバイトする前あたりまで)。原作開始後は主にポアロでの茶飲み話?


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