Cendrillon | ナノ


▼ *紫色のライラック
鶴山さんはゼロティーに登場するトリプルフェイスのおばあちゃま。


 カランカラン

 ポアロのドアベルが軽やかな音を立てる。入店してきたのは花を抱えた女性だ。

「こんにちは」
「あ、いらっしゃいませ! あれ、菫さん。どうしたんですか? そのお花……?」

 花屋で購入したという訳でもなさそうな、ただの白い紙に簡単に包まれた花束を抱いている菫に、出迎えた梓は首を傾げる。

「実はうちの庭を今日の午前中に剪定したんですよ。その時に枝打ちしてもらったお花です」
「枝打ち?」
「えーとですね、育ちの悪い枝とか、密集してしまって他の枝の生長を妨げるとか、色んな理由で枝を切ることです」
「あ、お花って言っても、これ木のお花なんですね?」
「はい、ライラックって言うんですよ。リラとも呼ばれて、今の時期が盛りですね」
「紫色で綺麗……。たまに見掛けますけど、ライラックって名前だったんですねぇ。それに良い香り」
「そうですよね? 香水にも使われたりするお花みたいですよ? あ、梓さん、今日はアイスコーヒーをお願いします」

 梓は説明を聞きながら菫をカウンター席に案内すると、注文を受けたコーヒーの準備に取り掛かる。菫は他に客もいないという事もあって、自分の席の隣の椅子にその花を置いた。

「そうだ、梓さん。今日は鶴山さんはいらっしゃいました?」
「鶴山さんですか? ちょうどさっきお帰りになったところなんですよー。入れ違いでしたね」
「あーそうでしたか……。タイミングが悪かったですねぇ」
「鶴山さんにご用でしたか……あっ、このお花、鶴山さんに渡すつもりだったんでしょう?」

 なぜ鶴山の名前が出てくるのかと梓は一瞬思ったが、すぐにその理由は思いついた。

「そうなんですよー。枝打ちしたといっても良い枝ぶりだったので……」
「華道の先生でしたものね、鶴山さん」
「はい。ただ捨てちゃうよりは鶴山さんに活用してもらえたらって思ったんですよね。ポアロではお花は飾ってないですもんね?」
「そうですね。花瓶自体、置いてないですから。観葉植物は置いてあるんだけど……」

 花の盛りは基本的に短いため、時間が経てば花は萎れて見栄えも悪くなる。こまめに取り換えなければならず、花を飾るのはなかなか手間がかかるのだ。

「良ければ梓さんも一枝、貰ってもらえませんか? これを全部……って言ったらご迷惑でしょうけど、一枝くらいならご自宅にでも飾れないかな……って」
「あ、それなら頂けます? このお花、本当に良い香りですから少し気になってて。この花束全部じゃ持て余しそうですけど、一枝くらいならうちでも飾れそうで助かります」

 菫が持ち込んだライラックは普通の花束とは違い、やはり枝物のため嵩張る。このまま渡されても困るだろうと少量だけ受け取ってほしいと菫が問うと、梓も香りが気に入ったようで嬉しそうに頷いた。

「ありがとうございます。ただライラックって切っちゃうと香りが早く消えちゃうんです。香りのする期間は短いですけど、それでも数日は楽しめると思いますよ」
「分かりました! こちらこそありがとうございます。……でも、まだまだいっぱい余りますね?」
「そうですよね。残りは持って帰って我が家で飾る事になりそう。でも、もう家でも微妙に置くところがないんですけどね……」

 枯れかかっているような状態の悪いものは剪定業者に引き取って行ってもらった上で、まだまだ見頃の花は手元に残す事にしたのだが、それでも手元に残ったその数がかなり多かった。菫も少し失敗したと思っている。既に家中に飾り付けているのだ。
 また曲がりなりにも人様に渡すという事で、特に状態の良い枝を選んできたため、できれば誰かにプレゼントしたいと菫は思っていた。

(それにこのお花、ちょっと珍しいんだよね。誰か貰ってくれないかなぁ……)

 そして菫は秘かに良いジンクスがあるものをより分けていたのだ。女性には嬉しいと思われる恋のジンクスだ。

 余った花の取り扱いに悩みながら菫は梓用に一本の枝を抜き出し、ポケットから出した包装紙で早速包むとリボンを掛ける。その間に梓は注文のコーヒーを供しながらある事を提案した。

「誰かお客さんが来たら、その方に聞いてみましょうか? お花いりませんか? って。私だったら思いがけずお花をプレゼントされたら嬉しいですよ?」
「そうですね……。相手の方が困らないなら、貰ってもらえる方が私も嬉しいです」

 そんな話をしていると、早速ドアベルが来客を知らせた。そして現れた客は正にライラックを贈るに相応しい少女達だった。



 * * *



「ラッキーライラック?」

 ポアロに訪れた蘭と園子に、菫と梓が共にお伺いを立てると少女たちは快く残りのライラックを引き取る事を了承してくれた。菫が簡単にその花について説明した事に園子が首を傾げる。

「うん。ライラックは通常4枚の花びらなんだけど、花びらが5枚のものは珍しくてね? 見つけると幸運って言われてるの。四つ葉のクローバーみたいなものかな?」

 二人で全てのライラックを引き受けてくれるという事で、菫はポケットから新たに紙とリボンを取り出し、花を二等分にして手早く包む。そしてそれぞれを蘭と園子に手渡しながら、小花がブドウの房状に密集して咲くそれをよく見てほしいと伝える。

「園子ちゃんと蘭ちゃん、梓さんにも渡した枝の中にもこのラッキーライラックがあるから、ちょっと探してみてください」
「え? 本当?」

 四つ葉のクローバーのようなものだと言われ、三人は自分の受け取った花を矯めつ眇めつする。すると程なくして発見の声を蘭たちは次々と挙げた。

「あ! 見つけました!」
「私の受け取った中にも入ってる!」
「私も! でも、どの枝にも花びらが5枚あるのが含まれてるって、実はけっこうよくあるものなんですか?」

 梓のもっともな指摘に、菫は苦笑する。確かに珍しいと言った口で、このような有り様では自分の発言は信憑性がないだろう。

「本当は珍しいんですけどね? うちに咲いてるライラック、このラッキーライラックが良く見つかるんです。それと他にもね、女の子に嬉しいジンクスもあるんだよ?」
「え? 何ですか? 菫さん」

 蘭の問いに菫は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「花びらが5枚あった時、その花を誰にも知られず、誰にも言わず飲み込むと愛する人と永遠に結ばれるって言い伝えもあるの」
「え、そうなんですか!?」
「菫さんマジなの!?」

 想像していた通り、真っ先に恋する乙女たちが食いつく。

「そうだよー。今回は誰にも知られず……は難しいかもしれないけど、次に見掛ける機会があるなら、試してもいいんじゃないかな? ライラックはちょうど今が最盛期だしね?」
「えー! うちの家の庭にもライラックなんて咲いてたかしら? 帰ったら探してみるわ!」
「そういえばこの香りの花、通学中とか買い物の途中とかで近頃よく見ます。私も探してみる!」

 園子と蘭が拳を握りしめ決心している横で、梓がポツリと呟いた。

「でも、なんでそんな恋愛成就みたいな言い伝えがあるのかしら? 5枚の花びらが珍しいからラッキーって言われるのは分かるんだけど……」

 恋愛ごとにはいまいち食いつきは見せなかった梓は、むしろジンクスの由来が気になったようで不思議そうに首を傾げたため、菫は自分の知る理由を告げる。

「何でも花言葉が元になってるみたいですよ? 初恋、愛の芽生えとか、ライラックは恋や愛のキーワードが多いんです」
「あぁ、なるほどぉ! それにしても菫さん、植物に詳しいですね!」
「うちの庭、植物が多くて。手入れも業者さんを使うのは大がかりなものだけなので、普段は私が手入れするんですよ。だから色々調べる事も増えちゃって、花言葉もその一環ですねぇ」
「お手入れを自分でって、大変ですね? でもすごい。私、植物育てるの下手なんですよねー。サボテンを枯らしちゃうんですよ? 何かコツってあります?」
「サボテンは意外と育てるのが難しいって聞きますよ? でも、そうですね……まずは簡単に咲かせられるものからチャレンジするのが――」

 菫と梓が園芸について盛り上がっていると、園子が唸り声をあげた。

「もぉ〜梓さんも菫さんも、何でそんなにジンクスの方に反応が薄いというか、他人事なのよ! 二人して園芸話に花を咲かせるなんて、内容のわりに枯れてるわよ?! 二人は恋愛に興味ないの? どうせなら二人の初恋話とか、恋人の話を聞かせてよ!」
「私、恋人いないから……」
「同じく」

 困ったように菫が相手がいないと主張すると、梓も苦笑して頷く。

「それじゃ、初恋話で手をうつわ! 菫さんは前に言っていた憧れの人の話でもいいわよ?」
「え! 園子ちゃん、その話詳しく!」
「梓さん、それがね、前にあったパーティーで……」

 梓と二人で槍玉に挙がっていた筈が、いつの間にか菫のみに矛先が向かっていた。園子から詳細を聞きだした梓が興奮したように菫に詰め寄る。

「菫さん! 憧れの人がいたなんてすごく気になりますよぉ〜。その人の真似をしてグレーの服を着るなんて、菫さん可愛い! どんな人なんですか?」
「うぅ、私の話ばかりじゃなく、梓さんの初恋は……?」
「私ですか? 初恋は隣の家に住んでたお兄さんです、以上! それで、菫さんは?」

 あっさりと梓に答えられてしまい、菫は自身の答えに窮する。恥ずかしがらずに最初のうちにサラッと言ってしまえばここまで引っ張らなかったのだろうが、羞恥が先立ってしまうと今更何でもないようには話はできない。

「今日こそは聞かせてもらえるまで帰さないわよぉ」
「ひぃ〜ん……」

 結局、園子の追及に負けて、菫は名前を言う事は避けられたものの、その憧れの人について真っ赤な顔で洗いざらい話をする羽目になった。



 * * *



「――菫さんの憧れの人って、確かにカッコイイですね! 憧れるのも分かりますよぉ」
「人知れず活動する正義の味方って感じですね? 途中で周囲にいる人たちの説明も混ざってきましたけど、その人達も素敵です」
「人知れずってスーパーマンじゃない……。もしかして前にガキンチョが言ってたみたいに、本当に小説とか映画の登場人物? だから言うの恥ずかしがってたの?」

 最初は話すのを躊躇っていた菫だったが、話しているうちにその説明に熱がこもってしまっていた。具体的な話はしなかったが、ある意味好きな人という事でそれを誰かに語りたかったのかもしれない。ついでにその仲間たちについても触れてしまったのは菫としても予定外だった。

「でもこれが本とか映画なら私も見てみたいなぁ。菫さん、これってフィクションって事でいいんですか?」
「フィクション、かなぁ……? 実はこれ私が夢でよく見た物語……みたいな? 実在する本とかはないんだよね。ご、ごめんね? 夢見がち、というか夢オチな話なんかして……」

 今の菫からすると、前の世界はもはや夢の中のように思える。また実在する人物とも言えず、かといってこの世界では見る事は叶わない本の題名も言えない。適当な題名を言うのも実際に探されてしまった時に都合が悪い。そのために濁した返答である事を菫は謝った。

「そんな事ないです。昔から憧れてたって言ってましたし、子供の頃なら尚更熱をあげちゃうんじゃないですか? 新一だって今でもすごいホームズオタクですよ?」
「私も架空の人物に憧れた事ありますもん。普通ですよ。ちなみにいつ頃に見た夢なんですか? あ、グレーの服もその夢を見た頃から着てるのかしら? でも私、菫さんがグレーの服着てるところあまり見た事ないですね? それに今日もグレーじゃないですし……」
「あ、服に色を取り入れない時は小物とかで……」

 菫はそう言いながら、カウンター内からは見えない位置に置いてあったグレーの小さな手提げかばんを持ち上げて見せる。梓はそれを見て、本当だぁ……と感心していた。

「あと、時期はですね、えーと小学校に上がる前には着てた、かな……? その頃には親にもグレーが好きだって言ってたと思います」

 流石に物語として見たのはかなり前になるため、そこには触れずにミスリードされる事を期待して、服装についてのみ時期を明示した。実際にヴィオレ達と共に日本に移り住み、零と知り合ったくらいから服のラインナップはそれを意識したものとなっているのでその点は嘘ではない。
 しかし、菫の憧れが小学校以前という設定でも十分に驚かれた。

「え……って事は幼稚園からなの!? 結構年季が入っているのねぇ……。でもそこまで熱く語れて、服の趣味まで変えちゃう人なら、初恋の人と同義よね?」
「架空な存在なのがもったいない……。実在する人ならよかったですね?」
「もしも本当に存在したら、菫さんもアタックしたでしょ?」
「えぇ……どうかな? 憧れとか尊敬する人とか、そういうのだよ?」
「でも尊敬とかそういう感情は恋愛に発展しやすいって良く聞くわよね? ねぇ、二人とも?」

 園子は蘭と梓に同意を求める。すると梓も園子に同調した。

「確かに。元々尊敬って好意的な感情だもの。それに尊敬から始まる恋じゃなくても、普通に好きになった人だとしても、必ずどこかに尊敬できる点ってあるわよね? ね、蘭ちゃん?」
「そういえばそうですね。むしろ尊敬できない人を好きになる方が難しいかも?」
「ほら菫さん! 尊敬は恋愛に必須よ! つまり相手を敬う気持ちが恋愛の根本にあると言っても過言ではないのよ! ……という事で、今気になる人とかいないの? 好きじゃなくてもいいの、尊敬できる人っていない?」
「尊敬できる人? そうだねぇ……」

 それはもちろんパッと思い浮かぶ人物はいる。だが、尊敬する人物は片手では足りないくらいに菫には思い浮かんだ。自分にはない魅力に満ち溢れる人が、この世界にはそれこそ至る所で星のように煌めいているからだ。

「私、園子ちゃんに蘭ちゃん、梓さんも明るくて優しくて癒されて、すごく尊敬してるよ? もちろん好き」
「うふ、告白されちゃいました! 嬉しい! 私も好きです、菫さん!」
「私だって、嬉しいです! それに私も菫さんに憧れてるんですよ?」
「もう〜! 私だって好きよ! でもね?! 今聞きたいのはそういう事じゃないのよ〜!」
「――おや? 皆さん盛り上がってますね? 何のお話をされてるんですか?」

 話をはぐらされたと思ったのか園子が菫に詰め寄ったところで、新たな声が混ざり込んできた。それに菫は身体を硬直させる。バックヤードからちょうど現れたのは零だった。

「ひっ……今日、透さんも出勤だったんですか? はっ、そうだ。皆お願い、今の話は言わないで! 特に男性陣――コナン君とかにも! 女の子だけの秘密にして!」

 菫はその場の三人にコソコソとだが必死に頼み込む。それに梓や蘭が不思議そうだ。

「え、どうして? 小さい頃の微笑ましいエピソードって感じじゃないですか?」
「そうですよ。可愛いなぁって思いましたよ? それに安室さんも前に興味あるって言ってましたから、教えてあげたらどうです?」
「無理無理! 恥ずかしいから絶対に教えないでぇ!」
「えぇ〜? どうしようかな〜」
「園子ちゃん!?」

 揶揄うような口ぶりだが油断できない園子に菫が慌てていると、エプロンをつけながらカウンターに移動してきた零もどうやら菫に関する話らしいと察したようだ。

「どうしたんですか? 女性の皆さんで内緒話か何か? 菫さん、僕も聞きたいです」
「む、無理です! 透さんには言えません!」
「……ホォー。そうですか」

 軽く受け流されたのであれば零も追及するつもりはなかったのだが、菫の言い方は仲間外れのようで少し頂けなかった。一瞬目を細め、そして標的を答えてくれそうな人物に改め、零は良い笑顔で問い掛ける。

「――では園子さん、教えて頂けますか?」
「え〜? そうね〜、実は〜……」
「きゃー?! やだやだ! 園子ちゃんやめて〜」

 問い掛けた対象が蘭でも梓でもないところが、菫の危機感を煽る。普段は静かなポアロでもその日ばかりは、客と店員の問答とそれを遮る声でしばらくの間騒がしいのだった。



紫色のライラックの花言葉が「初恋」です。ライラックにはあまりよろしくない意味もあったりしますが、割愛しました。ついでに春の花です。

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