Cendrillon | ナノ


▼ ・02


 零は人知れず病院に通い詰めていたようだった。その零の動向を探っている道すがら、菫は思わず呟いてしまう。

「私、男の子に生まれたかった」
「はっ?! え? な、なんで?」

 自分のその言葉にかなり慌てた様子の景光を不思議に思いながら菫は答えた。

「え? だって零くんとヒロくんと、ずっと一緒にいられるだろうな……ってそう思うもの」
「別に女の子のままでだって、ずっと一緒にいられるだろ?」
「そうかなぁ? でも現に零くんとは距離を感じるよ……。これって所謂、思春期の男女の別離の時期って事だよね? 同じ幼馴染でも、やっぱり同性同士の方が楽しいだろうし。だったら私も男の子ならよかったな……」
「菫ちゃんって意外と冷静に分析してるよね? でも、的外れっぽい気もするから何とも言えないなぁ……」

 景光は菫の意見に賛同はしてくれず、何となく胸にしこりを残したまま菫は首を捻る。

「そう? ……それよりヒロくん、私たち尾行中なのにちょっと声が大きい? しかもちょっとのんびりしすぎたかも?」

 景光と話をしながら歩いていたため、零の追跡が疎かになっている事に菫は気付いた。かなり距離は取っていた事から話し声の大きさはそこまで問題ではないだろうが、その距離がアダになっている。いつの間にか視界から零はすっかりいなくなってしまっていた。

「あぁ……ヒロくん、もう零くんが見えなくなっちゃってる。どっちに行ったんだろう? でも、あれ以上近づいていたら零くんなら気付いちゃうだろうし、仕方ないんだけど……」

 将来警察官となる片鱗を見せているのか、零は幼いながらも気配に敏感だった。そのため遠い距離から尾行をしていた菫と景光は零の姿を見失ってしまう。しかしそれは何ら問題ではなかった。

「あ、安心して。行き先は分かるから。実は前にゼロのあとをつけたんだ! きっと今日も、さっき話していた病院に向かってたと思うんだよね」

 そして景光もまたその片鱗を見せつけているのか、すでに行き先らしい病院は突き止めているらしい。

「……二人ともスゴイネ」

 思わず棒読みで景光を称える。そして幼馴染たちの優秀さに菫は引け目を感じた。

(男の子だったらずっと一緒にいられるって安直に考えたけど、それでも無理なのかも。元々のポテンシャルが二人とは違い過ぎだよね……)

 ふとした時に感じる自分と幼馴染たちとの能力の差に、自分は思い違いをしていたな……と菫は考えを改める。

(私が男の子だったとしてもいずれ、零くんとヒロくんからは置いて行かれる……ついていけなくなっただろうな。でも、同性の方が気兼ねなく付き合えるのは確実だろうから、やっぱり男の子に生まれるっていうのは魅力的だけど)

 そんな事を考えつつも、あれ? と菫は自分達の行動の矛盾に気付く。

「でもヒロくん? 零くんの行き先が分かるなら、もう無理に追いかけなくても良いんじゃない? 零くんの憧れのお姉さんは見てみたかったけど、何というか追いかける理由、なくなっちゃったよね?」
「そんな事ないよ。ゼロが突然病院に行き出した理由が分かってないからね。そこで何をしているか調べるまでが尾行だよ。菫ちゃんも怪我の治療に行ってるだけとは思ってないだろ? まぁ、菫ちゃんの言い分じゃ、ゼロは女医さんに会いに行ってるみたいだけど?」

 少し面白そうに菫の発言を掘り返して景光は言う。それに少し自分の言動は不用意だったと菫は慌てた。景光もやはり目聡いというか、よく気が付くというか、とりあえず感が良いのである。時々、菫は景光に何か怪しまれているようだと感じる時があった。

「あ、あのね? 病院だから女医さんって単純に思っただけなの! でも、もしかしたら病院にいる女の子に会いに行ってるのかもしれないよね?」

 菫はあたふたとそんな言い訳をする。

(エレーナさんに会いに行ってたんだと思うけど、娘さんの明美さんに会いに行っている可能性だって、無きにしも非ず?)

 そのような事を考えての発言だったが、やはりそれも不用意な発言ではあった。結局、零が病院には女性絡みで赴いていると菫は頑なに信じていると伝えたようなものだからだ。

「ふーん……?」

 何とも読めない表情で景光は相づちを打っていた。



 * * *



 景光の案内で菫は零の通う病院へと辿り着く。

「……げっ!」

 しかし、一足先に病院を覗き込もうと門前にいた景光によって、菫は自分達が来た方向とは逆の曲がり角まで撤退させられた。

「菫ちゃん、隠れて! ゼロのやつ、もう治療が終わって帰るところだ!」
「えぇ?」

 ゆっくりと話をしながら歩いてきていたせいか、ヒロと菫が目的地に着いた時には、ちょうど零が病院から出て来るところであった。病院は低い生垣で囲まれており、身を隠すにはしゃがみ込むしかない。
 病院からすぐの曲がり角に二人で身を潜め、その様子を窺うと零を見送りにか、メガネを掛けた女性も外に出てきた。


「ダメって言ったでしょ? もうケンカしちゃ……」
「だってー……」
「次に怪我して来ても、もう手当て出来ないよ……」


 そして聞こえてきた声に、菫は身体を固くした。覚えのある言葉の羅列だった。

(嘘! これ……! 今まさにあのシーン!?)

 口元を手で押さえ、息をさらに殺して菫は聞き耳を立てる。


「先生、遠くに行っちゃうから……。バイバイだね……零君……」


 零が何と返答したのかは聞こえない。平和な日常を送るうちにすっかり忘れてしまっていた。

(エレーナさん達、組織のせいで死んじゃうんだった……)

 誰にも死は隣り合わせなのだと。
 こうやって目の当たりにするまで、全く無関係だと思っていた。気にも留めていなかった。しかし、菫は気付いてしまう。救えるかもしれない命なのだと。

(でも……私、何も出来ない)

 菫は俯いた。今の自分の顔を誰にも見せたくない。何も出来ず、見殺しにする自分を知られたくなかった。
 そして菫は目を固く瞑る。今は何も見たくない。悲しい未来を、悲劇を見たくない。

(私って本当にバカだね……)

 零の思い出になるであろう微笑ましい光景を見たかった。ただそれだけだった。
 だがそれは悲しみと表裏一体だという事に、菫はたった今まで思い至れなかった。甘い事を考えていた自分が菫にはとてつもなく愚かに思えた。

「なんか、この病院閉まっちゃうみたいだな? しかも本当に女医さんがいたし……って、えっ菫ちゃん? どうしたんだ?」

 零の方へと視線を向けていた景光は振り向くと、自分の後ろにいる菫の異変に気付いた。口を押さえ俯く菫を見て、景光は血相を変える。

「ヒロくん……」

 口元を押さえたまま菫が頭を上げると、青褪めたその表情に景光は眉を寄せる。

「気分が悪いのか? 病院で先生に診てもらおうか?」

 景光は菫の額に手を当て、熱があるかを確認すると、自分達が今ちょうど居合わせる病院の建物を横目に見る。医者に掛かる必要があるかと景光は尋ねるが、菫は首を横に振った。

「ううん……平気。でも、もう、帰りたい……」
「分かった。動けないなら、おんぶするけど――」
「あなた達、ここで何をしてるの?」

 しゃがみ込んでいた菫と景光に影が差す。振り返り見上げると、門前にいた筈の女医――エレーナがすぐそばに立っていた。大人の背丈では垣根に隠れていても二人の子供の頭が見えてしまっていたようだ。

「あら? 女の子の方は顔色が悪いわね。うちの病院に来た患者さんかしら?」
「ヒロ? それに菫も? 何してるんだ――って、菫、どうしたんだ? 具合が悪いんじゃないか?」

 エレーナの後ろから顔を出した零が幼馴染の二人がなぜこんな所にいるのだと不思議そうな声を出したが、すぐに菫の様子がおかしい事に気付き駆け寄った。

「零くん……ごめんね。違うの、大丈夫」
「本当か? 菫ちゃん……」

 菫は立ち上がり無理やり笑顔を作ると、景光も立ち上がって菫を支えるように背中に手を添えてくれた。

「うん。それに私より、零くんの方が怪我いっぱいしてるよ?」

 景光を挟んで零とエレーナへ向き直り、零の方が重傷だと菫は少し躊躇いがちに指摘する。本日も零の身体のいたるところに痣があり、絆創膏が貼られている。その治療をしたであろうエレーナも三人の子供が知り合い同士だとは理解したようだ。

「零君のお友達? この子達は――喧嘩しちゃうようなお友達では、ないわね」
「違うよ! あと先生、それ言わないで……」
「零くん、やっぱりケンカして怪我してたんだね……」
「菫……」

 分かっていても、それを他人から知らされるのは切なかった。今回のように喧嘩をして怪我をする事を知らされない事や、クラス替えまで友人付き合いのないように振る舞われていたなど、菫は景光とは違って零に関する事で蚊帳の外に置かれる事が多い。
 怪我については心配を掛けさせぬよう、他人の振りは自分の身を案じて……という事には菫も気付いている。それでも、菫はその零の気遣いが心の距離だと感じる。あと一歩が踏み込めない壁を感じる。

(やっぱり私は本来ここにはいない筈の人間だし、ヒロくんと同じレベルまで仲良くなりたいって思うのが烏滸がましかったのかな……)

 自分は何も特別な人間ではないのだという事を改めて菫は自覚した。むしろ憧れの人との今までの関係自体が幸運であると自分に言い聞かせる。菫はこのまま零たちと疎遠になる事が正しいのだと、この時心の底から信じられた。

「零くんの友達なら特別よ。診察してあげるからいらっしゃい」

 幼馴染との別れを決心していた菫の顔色はひどく悪かった。それを見咎めたエレーナは菫の手を取り、病院へと連れて行こうとする。しかし、数歩歩いたところでエレーナの引く手は止まる。菫が困ったように立ち止まったからだ。菫も身体に不調がある訳ではなく傍からどのように見えるかにも気付いていなかったため、エレーナの好意に甘える事は出来なかったのだ。ただ菫は無意識に声を掛けていた。

「だ、大丈夫です! でも、あの……」
「? 何かしら?」

 まるで内緒話でもするかのように菫が口元に手を当てるようなポーズを取ったため、エレーナは菫の背に合わせて膝を屈める。菫はエレーナの耳元で小さく囁いた。

「烏丸グループには気を付けて……」
「!? どうして――」
「そ、それと! 零くんの手当てをしてくれて、ありがとうございます」

 そう言ったあと、菫は一歩離れて頭を下げる。そして逃げるようにして景光の背中の後ろに隠れた。途中で自分の発言のまずさに気付き、菫はその時混乱していた。相手の反応は確認できなかった。思わずしてしまった、苦し紛れの自分の言動に菫は我が事ながら眉を顰める。

(私、やってはいけない事をしてしまった気がする)

 何も出来ないのに口だけ出している自分の行為がとても偽善的だと思った。

(こんなの、何の助けにもならないのに)

 景光の服をギュッと掴み菫は再び項垂れてしまう。そんな菫に景光は心配そうに帰宅を促した。

「菫ちゃん、今日はもう帰ろう。送ってくよ。ゼロ、ボク達、先に帰るな?」
「それなら、ボクも帰るよ」
「ゼロは……その先生とちゃんとお別れした方が良いんじゃないか? 最後なんだろ? 挨拶しておきなよ」

 一緒に帰ろうとする零を景光は押しとどめ、エレーナに向かって軽く頭を下げると菫を伴って歩き始める。

「菫ちゃん、大丈夫? 今日は調子が悪かったのかな?」
「そうじゃないけど、でもヒロくん、ごめんね。迷惑かけて……」
「そんな事ないから、気にしないで……あれ? ゼロ、もういいのか?」

 ゆっくりとした足取りで菫と景光が来た道を辿っていると、後ろから近づいてくる足音があった。それに気付いた景光が振り返るとあとから零が駆け寄ってきている。

「挨拶はちゃんとしてきた! それより、菫は大丈夫なのか?」

 零はすぐに追いつくと、景光とは反対側の菫を挟んだ位置に並ぶように歩き始める。菫は戸惑ったように首を傾げて尋ねた。

「平気だよ? でも零くん、もっとあの先生とお話してきた方が、良いんじゃないかな?」
「菫まで同じ事言うんだな? もう充分話したからいいんだよ。ボクも家まで送る」

 それまでのわだかまりが一時的に消えたように、零が菫の体調を気に掛ける。家までの道中、久しぶりに三人で以前のように話が出来た。それが菫には嬉しかった。

(やっぱり、零くん、ヒロくんも優しい。最後にこうやって話が出来て良かった。明日から私、きっと自然に離れられる)

 決して望んでいない未来を前に、菫は最後の思い出になるだろう会話が和やかに出来た事を秘かに喜んだ。



 * * *



 あまり元気のない菫を家まで送り届けた零と景光は、その帰り道で忌憚のない会話を交わしていた。

「なぁ、ゼロ」
「なんだよ」
「あの女医さん、気になるか?」
「そう見えるか?」

 どこか驚いたように零は景光に問い返す。景光も菫の発想はあり得ないだろうと思っていたが、それにも少し迷いが生じている。

「うーん、病院に行くまではそんな筈ないって思ってたけど、実際にゼロの様子を見てると傍目にはそう見えなくもない」
「そうか?」
「医者はあの女の先生だけじゃないだろ? 少なからず、あの先生の病院に通っていたのには理由があるんだよ」
「別にそんなつもりはないんだけどな……」

 話を聞いていると、どうも零本人も無意識に行動しているようだと景光には見えたのだ。

「それで、なんで最近はあの女医さん……というか、病院に行ってたんだ? きっかけはあっただろ?」
「……怪我ばっかりでカッコ悪いし、それに菫が心配するから……」

 自分の手当てをしてくれている時の菫の悲しそうな、泣きそうな顔を零は見たくないのだという。

「根本原因はそれね……。でも菫ちゃんは断然、別の意味で認識してるけどなぁ……」
「菫の認識って何だ?」
「もう幼馴染だからって一緒にいるのも終わりかなってさ。男は男同士、女は女同士で固まる時期だしって、なんか諦めてたぞ?」
「は? 僕は終わらせる気なんてないぞ?」
「でも菫ちゃんには伝わってないな。残念」

 零の態度に思うところがあるのか景光は素っ気ない。その反応に零も少しムッとしたようだが、零も質問されるばかりではなかった。先ほどから気になっていた事を景光にきつめに問う。

「というか、ヒロも菫も何で今日あそこにいたんだ? そもそも何で僕があの病院に通ってるって知ってるんだよ?」
「何度かゼロのあとをつけたから? 今日は特に菫ちゃんも一緒で、スパイごっこみたいで楽しかったぞ」
「おい! 僕をネタに遊ぶな!」
「ゼロがコソコソ隠れて行動してるのがいけないんだろ? ま、それも終わりだろうけどな。あの病院、なくなっちゃうんだろ?」
「あ、あぁ……夫婦揃って、どこかの研究所で働く事になったみたいだ」

 気落ちしたように零は自分が知らされている情報を景光に共有する。それを見ていると、菫の意見もあながち間違っていないかもしれないと景光にも思えてきた。

「それよりも! むしろ僕は、菫がなんだか余所余所しい気がしてたんだけど」
「それなら尚更こっちから積極的に繋ぎ止めておかないと。菫ちゃんとボク達との関係が自然消滅するぞ? っていうかそれを狙ってそう、菫ちゃん」
「な?! なんでだよ! ボクはそんなの認めないぞ!」
「だよね。まぁボクもだけど」

 今日の菫の様子を見ていて景光も、菫が零だけではなく自分も含めて遠慮しているようだと感じられた。下手をすると自分も遠巻きにされそうだ、とそんな危機感が景光にはある。

「あ、ついでにあの女医さんがゼロの初恋とか、そんなのだって思ってるぞ? 年上のお姉さんに憧れる的な?」
「! 菫のやつ! 勝手な想像するな!」

 菫の確固たる予想も伝えてみると、零が顔を真っ赤にして憤った。そんな中、景光も首を捻る。

(やっぱり微妙だな。言い当てられて怒っているのか、誤解されて怒っているのか……。そもそも病院に行く原因が菫ちゃんだったし? でも病院にはあの先生に会いに行ってたみたいなんだよな? う〜ん、分からない)

 菫の言う事を話半分で聞いていた景光も、病院前での零とエレーナのやり取りを見て、菫の言う事も一理ありそうだとは思った。なのだが、他ならぬ菫が誤解するからこその、この怒りようなのか? ともやはり思う。零のどちらにもとれる反応に、景光も結局その答えが見つけられなかった。


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 また翌日以降、幼馴染と距離をおこうとようやく心を決めたばかりの菫は、その二人から追い回される事態に陥る。そして、最終的には何故だか菫が折れる形で決着する事になった。
 菫としては幼馴染の元の関係に戻れたのは嬉しいとは思う。それでも、決死の覚悟で泣く泣く離れる選択をしているのだ。自分がその判断に至るまでの葛藤や、それを決意した時の心労が必然的に無に帰す事になった。心乱された日々を思い出すと、菫も泣き言の一つや二つは言いたくなる。実際、涙目で抗議した。

「最初に距離を取ったのは零くんなのに〜!」
「ボクはそんな事してないぞ!」
「まぁ、二人の勘違いだったって事でいいんじゃない? っていうか、いい加減仲直りしてくれないかなぁ……」

 ここ最近ぎくしゃくしていた菫と零はきゃんきゃんと言い争いをしていたが、どちらにも中立な立場だった景光が間に入って互いを宥める。そして苦労性の景光は二人のかすがいの役目を、それから数日に渡って果たさなければならなかった。



零くん、幼馴染と交流が途絶える瀬戸際だったんですよ? という話。また降谷さんの初恋はエレーナ先生? それとも……とちょっとあやふやな感じ。そして帰宅した夢主の様子がおかしいので養親たちが色々聞きだし、さらに暗躍するまでが一連の流れ。

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