▼ ・初恋の人 ・01
「ねぇ、ヒロくん」
「ん? 何だ菫ちゃん」
「こんな事して、あとで零くんに怒られないかなぁ?」
離れた前方を歩く幼馴染を視界に入れつつ、菫は心配げに問い掛ける。電柱の影に隠れているもう一人の幼馴染のその背に菫も隠れてはいたが、どうしても自分達の行動に自信が持てない。
「バレなきゃ大丈夫だって。ボクらに秘密にするゼロが悪い!」
「ヒロくん……それ理由になってないというか、正当性が皆無だよ?」
「いいの! それに菫ちゃんだって気になるだろ?」
「そ、それは確かにそうだけど〜」
菫は景光の言葉をきっぱりと否定できなかった。
(最近の零くん、どこに行って、一人で何してるんだろう……)
どうもこの頃の零は菫や景光の目を盗んで、一人で行動する事が多くなっていた。幼馴染の自分達にも知らせないでするその行動にモヤモヤしていたのは菫だけではなかったようだ。
「だから今日は、ボク達でゼロが何をしているのか確かめるんだよ!」
菫と景光の二人は現在、幼馴染である零の尾行の真っ最中であった。
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事の発端は零が少し菫に余所余所しくなった事が始まりだ。ある日、零と景光そして菫の三人は放課の鐘が鳴るといつものように連れ立って帰宅した。その道中で菫が恐る恐る問い掛ける。
「零くん、最近怪我が多いね? 誰かと……ケンカしちゃった?」
菫の心配そうな声に零はそっぽを向いて答えた。
「別にそんなんじゃない。ちょっと転んだだけだ」
「ゼロ。あまり一人で行動しない方が良いぞ?」
景光が眉を顰めてそう言うのも無理はなかった。口の端が切れていたり、不自然な位置にある青あざなど、転んだ時にできるような傷ではないのが一目瞭然だ。あからさまな嘘に菫は眉を下げる。
だからといって深く追及する事も菫には躊躇われた。零がそれの原因が喧嘩だとは頑なに認めないからだ。話したくない事を根掘り葉掘りして嫌われたくはない。またその理由も、菫には大体のところは想像がついた。
(零くんは否定するけど、絶対あの子達だ……!)
学年が上がり、幸運にも零や景光と同じクラスになった菫は、零が抱いている懸念を無視してまで幼馴染たちのそばにいる事を望んだ。何より菫は景光が羨ましかった。自分も二人の幼馴染ともっと苦楽を共にしたいと願ってしまったのだ。そして、一緒にいる事で目に付くようになった子供達がいる。
(色々と対策を考えているのに、私やヒロくんが一緒にいる時は全然近づいてこないんだよね、あの子達。ズルい……)
菫は思い浮かぶ数名の男子児童に対して仄暗い気持ちを覚える。元々、零と周りの男児が折り合いが悪い事は菫は明確に伝えられてはいなかった。菫が単純に知っているだけだ。ただ仮に知識がなかったとしても、容易に察せられる程度には数人の男児が悪質な事をしているのが傍目には分かった。そして、そういう事に得てして大人は気付かないのだ。
零を取り巻く環境は他の子供達より厳しい。しかし、それを零が自ら訴えないため、菫も口出しが出来かねていた。
(しかも零くんが一人で行動してる時に限って、徒党を組んでケンカを吹っかけてくるみたいだし……)
多少争い事に遭遇する事は覚悟の上だったにもかかわらず、これまで菫はそういった事に巻き込まれる事がなかった。恐らくだが、零と景光の二人が相手ならば男児たちから難癖をつけたとしても喧嘩両成敗になるであろうが、菫という第三者の女子児童が存在しては、自分達に不利になる証言があるだろうと悪知恵が働いているのではないかと菫は思う。
しかし、それならば零から厭われない限りそばにいようと菫は行動するも、四六時中共にいる事はやはり不可能だった。問題の男児たちは隙をついては零にちょっかいを掛け、そして怪我を負わせていた。もちろん零もやり返しているので相手も負傷しているだろうが、一対多数のためどうしても零の被害の方が大きい。
(それに、零くんと一緒にいたいのに最近、零くんは別行動が多いんだよね……)
何故か近頃、零が単独行動をよく取るようになったため怪我の頻度も増えていた。それが菫の不安を増大させる。怪我自体もそうだが、なんとなく友人が離れていくような、そんな恐れを感じるのだ。
何とも言えない恐怖を感じながら、そっぽを向いたままの零に菫はある物を取り出した。
「そう……? あの、転んだのなら、これ使って?」
菫がポケットに入れていた絆創膏を差し出したが、零は首を振るだけだ。
「いいよ。平気だし。ツバつけとけば治るよ」
「おい、ゼロ。結構怪我してるだろ? もらっとけばいいじゃないか」
零の少し排他的な言動に、景光がやや強めに翻意を促した。しかし零は考えを翻す事はなかった。
「大した事ないって言ってるだろ。それにボク用事があるんだ。だから今日は二人とも遊べないぞ」
「あ、そう、なんだ……」
「えー? そんな事はもっと早く言えよ、ゼロ」
「今言ったんだから、いいだろ?」
不満そうな景光とやや開き直りがちの零が軽い口喧嘩を始めてしまった。それを菫は少し物言いたげに見つめていたが口を開く事はない。
こういう展開が増えていた。菫が話しかけ、零が素っ気なく返事をして、それを景光が注意する。三人の和が乱れていた。
(やっぱり距離を置かれてる気がする。これって幼馴染も卒業の時期って事なのかなぁ……)
菫はたぶん自分が抜ければ解決するんだろうなとも薄々察している。だが、それがまだ実行できないのはこの関係を手離せないからだ。しかし、頃合いかもしれないとも菫は思い始めていた。
三人は途中までは同じ帰宅路だが、ある交差点で菫は幼馴染の二人とは分かれ道となる。折しもその道に差し掛かり、菫は唐突に幼馴染たちに声を掛けた。
「……それじゃ、私はここまでだね? 零くん、ヒロくんまた明日ね」
菫は早口でそうまくし立てると、返事も聞かずにパタパタと走ってその場を離れる。走り続けて、さらに曲がり角を曲がって幼馴染たちから姿が確認できないだろうという位置まで来ると、菫は立ち止まった。そして溜息が漏れた。
(もう、限界だよね? これ以上纏わりついたら悪い印象を持たれちゃいそうだし。うっとうしいとか思われちゃう前に、離れないとダメだよね……)
菫はそんな事を考えながら、一人トボトボと帰路につくのだった。
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分かれ道の手前で菫に置いていかれた零と景光は、一瞬無言で見つめ合う。そして口火を切ったのは景光だった。
「ゼロ……菫ちゃん、萎れてたぞ? いいのか?」
「萎れてたって……絆創膏を受け取らなかっただけじゃないか……」
バツが悪そうに零が弱々しく言い訳めいた言葉を発した。悪いとは思っているようだ。
「それで、用事って何だよ? ゼロ、どこかに行くのか?」
「どこだっていいだろ――って言ってもヒロは答えを聞くまで粘るしな……。病院だよ。近所じゃないけどな。怪我の治療に行くだけだよ」
「? それこそ、菫ちゃんに手当てしてもらえば良かったじゃないか」
「別にいいだろ? もう今日は先に帰る! じゃあな!」
追及されるのを良しとしなかったのか、零は景光を置いて走って行ってしまう。一人取り残された景光は呆気に取られたが、一度顎に手を当て考え込み、そしてすぐさま自宅へと駆け出す。走りながらも景光は少し悪戯な表情を浮かべていた。
* * *
「……もしかしたら、私がいない方が――いなくても良いのかなって思うんだよね。あと零くん、ヒロくんとだけで遊びたいって思ってるんじゃないかな?」
「えぇ……まさか。それはないよ。菫ちゃんは何でそう思うんだい?」
零を追跡しながら、菫は景光に胸の内をポロポロと零していた。零の尾行の時間は何故か景光への悩み相談の時間へと変貌している。
断じて菫から打ち明けたのではない。話の流れで景光から引き出されていたのである。景光は何とも絶妙な間と適切で疑問を感じさせない言葉でごく自然に、菫が秘めていたものを暴いていく。
「だって最近、三人で遊ぶ事あまりないよね?」
伝えるつもりのない事まで話してしまった気がする……と、菫がそれに気付くのは帰宅後だ。しかし今はそれを不思議に思う事なく、菫は言葉を重ねる。
「でも、ヒロくんは零くんと二人で会う事はあるでしょ? 何だか私、零くんと話す機会が減っちゃった気がするもの。やっぱり男の子同士の方が気兼ねなく遊べると思うし」
「あーそれは……」
思い当たる事があるのか、景光は少し言葉を濁す。菫もおおよその理由は推測できたため、それを深く追及はせずに他に気になっている点を挙げた。
「それにね。前は怪我をしたら零くん、私に手当てをさせてくれたのに、最近はそういうの避けてるみたいだし……」
「うーん……いや、あえてゼロを擁護するなら手当ては自分でも出来るからさ。菫ちゃんの手を煩わせたくないんじゃないか?」
「私、別に煩わしいなんて思ってないよ?」
景光の言葉にあまり納得がいかず菫は少し不満げだ。それに景光は困ったように笑い、気にするなと言った。
「良いじゃないか。自立し始めたって事だよ。それに大丈夫だと思うよ? ほら、怪我はしてるけどゼロもしっかり手当てはされてるだろ? 自分で病院に行ってるみたいだ」
「病院?」
「ああ。この近所じゃないんだけどね? ボクも詳しくは聞いてないんだ。というよりゼロが教えてくれなかったんだけどさ。自立は良いけど、秘密主義はいただけないよな?」
景光の発言で菫はやっと気づいた。少し頬が紅潮した事に菫自身は自覚がない。
(もしかしなくても零くんの初恋! 女医さん……エレーナさんに会ってるんだね!)
思えば時期的にもこの年頃なのではないだろうかと菫は納得してしまった。
「そっか! なら大丈夫かも?」
「え? 菫ちゃん、何が大丈夫なの?」
「きっと綺麗な女医さんに治療してもらってるんだね!」
「女医さん? それはどこからの情報なの、菫ちゃん……」
いきなりの根拠もない菫の発言にはさすがの景光も首を傾げた。しかし、菫からすれば確定事項だ。
(一人で行動してたのも、怪我が多いのも、零くんはやっぱり宮野医院のエレーナさんに会うためだったんだ)
わざと怪我をして病院に通っていた筈なのだ。そうなると、菫は現在の自分達の行動がやはり良くない事なのだと罪悪感が湧いてくる。
(そんなところ、幼馴染には――特に私には見られたくないよね?)
初恋の女性の元に通い詰めているというところを、幼馴染の自分達に見られたくないだろうなぁ……という事は菫にも簡単に想像できた。だが、幼馴染だからこそ気になるものがある。
「ヒロくん! 零くんの初恋だよ! 年上の女性に憧れる年下の男の子。青春だねぇ……」
「菫ちゃん、ちょっと本の読み過ぎかなー……。確かに菫ちゃんが言うのって定番のシチュエーションだけど、男が子供の時に年上に憧れるなんて幻想だと思うよ?」
「全員が全員じゃないかもしれないけど、今回の零くんの場合は絶対甘酸っぱいやつだと思うよ?」
「その発想はやっぱり、ボクは単純すぎだと思うけどなぁ……」
苦笑する景光をおいて菫が一人だけ盛り上がってしまっている状態ではあったが、断じて面白がるつもりはなかった。ただ未来の零にとっては、きっと昔を懐かしむ優しい記憶――思い出になるのだろうと思うと、その光景を間近で見てみたいと菫は思ってしまったのだ。
(うぅ……ごめんね、零くん。一度だけ! ちょっとだけ確認したら、すぐに帰るから!)
菫は心の中で零に詫び、自分のあまり褒められない行動を見て見ぬ振りをして、景光と共に零の尾行を続行するのだった。
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最近の零の行動の理由を知る事が出来て、菫は少しだけ気が楽になる。
(零くん、エレーナさんに会いに行ってたんだ。そっかー……)
だが、根本的には菫自身が避けられているという事実は変えようもない。やはり幼馴染と離れる時期が迫っていると菫は思う。
(明日から、少しずつ……少しずつ離れていこう……)
だいぶ以前から菫も心の準備はしていたが、それが本当に間近なのだと思うと胸が潰れそうに痛んだ。しかし、悲しいながらも菫は覚悟を決める。それでも詮無きことは考えてしまう。
(でも……こんな事があるなら、やっぱり私、男の子だったらよかったのに)
女の身であるよりも純粋に友情での結びつきは強固で、また長く続くのだろうと思うと、菫は我が身が物足りなく思うのだ。それをポロリと菫は思わず景光に零す。
「ねぇ、ヒロくん……」
「なに? 菫ちゃん?」
「私、男の子に生まれたかった」
「はっ?! え? な、なんで?」
想像もしていなかっただろう菫の突拍子のない発言に、景光がらしくもなく大声をあげた。
思春期男女の幼馴染のあるある。続きます。