▼ *05
「服部君、怪我は大丈夫?」
「こんなん大した事ないわ。かすり傷や」
公園で犯人と木刀でやり合った平次は相手の得物を跳ね飛ばす事には成功したものの、武器を短刀に持ち替えられ劣勢になったようだ。そこを彼の幼馴染である和葉の機転で助けられたらしいが、怪我を負い現在は病院に収容されている。
「むしろ鳳はんに迷惑かけてもうて悪かったわ。オレが取り逃がした犯人、そっちに向かってったんやろ? 景光はんが追っ払ってくれはったみたいやけどな」
「ああ。でもあの時は犯人もあっさり退散していったけど、正直なところ菫さんはこれからが危ないんじゃないかって思ってるんだ」
景光は思案気な表情を浮かべている。それに頷いたのは平次の見舞いに訪れていたコナンだ。
「菫さんは犯人の顔を見てしまったんだよね? 犯人は平次兄ちゃんだけでなく、きっと菫さんも狙うよ」
「あの、実際には暗くてほとんど見えなかったんだけどね? 目が合っただけなの……」
「ですが犯人にとっては脅威でしょう。顔を見られたと口封じにかかる可能性も無きにしも非ずです」
「まぁ犯人は鳳はんが顔を見とらんとは知らんやろし、襲われる危険があるやろなぁ……。一人での行動は特に夜間は避けてくれはりますか?」
「はい、気をつけますね」
昨晩、先斗町のお茶屋で殺された桜という人物が源氏蛍の一人だったと聞きつけ、東京からは白鳥警部が駆けつけていた。また大阪府警の大滝も平次の見舞いを兼ねてか同席している。二人の刑事も菫に昨夜降りかかった不運な出来事の詳細を聞いて、やはりコナンと同じ結論に至ったらしい。
「念のため鳳さんには関係者の写真をお見せして面通しはしましたが……」
「はい、すみません。顔は全く分からなくて、捜査のお役には立てなかったですね……」
そうは言うものの菫は少しだけ仮定の想像した。もしも公園で襲われた時に犯人の顔をしっかりと実際に見ていたならば、自分はどうしたであろうか、と。
(昨日は本当に見てなかったから犯人は知らないって心置きなく言えるけど、そうじゃなかったら私は警察の人に伝えてたのかな? 未来が変わっちゃうよね……)
今回は気付けば既に事件という事件はほぼ起こってしまっていた。恐らくもう殺人などは起こらない筈だと朧げながら菫は思い出す。もはやあるがままに事が推移するのを黙って見守るという選択しか残っていないように菫には思えた。記憶もあまりなかったせいか、犯人を黙っているという事に関する罪悪感も薄い。
しかしこれが記憶も鮮明で、しかも殺人事件などが起こる前のような状況であれば、菫も自分はどうすべきなのか? という迷いが生じた。
(今までほとんど事件に居合わせる事がなかったんだよね……。コナン君達と会うのって、ほとんどポアロの店内だけだったし。今後こんな風に犯人が事前に分かる事件に居合わせる事があったら、私の取るべき行動ってなんだろう?)
菫がため息をつくと白鳥は少し困ったようにフォローの言葉を掛けてきた。直前の自分の発言で落ち込んでいるように見えたのだろう。
「鳳さん、気を落とさないでください。警察は様々な手段で犯人逮捕に尽力します」
「それに犯人に鉢合わせて怪我もなかったんは運が良かったわ。鳳はん、一緒にいた楠木はんに感謝せな」
「せやで鳳はん。それに犯人に繋がる証拠なら犯人は現場に短刀を置いていきよったからな。それからも分かる事も多少はあるやろ?」
「そうだよ菫さん。警察は優秀だからね。きっとすぐに捕まえてくれるよ。それに俺もしばらく菫さんの身辺警護するからさ」
「景光さん、ありがとう。皆さんもありがとうございます」
刑事二人と平次の気遣いの言葉、そして景光が今後付き添ってくれるという言葉に菫も眉を下げ、またそれぞれに礼を言う。その直後に平次の病室に客が現れた。
「気ぃつかはりましたか……」
そう言って綾小路が定時健診らしい看護師と同時に入室してくる。ちょうど良いとばかりに早速平次が綾小路に短刀について質問をしていた。
「警部さん、あの短刀は……」
「鑑定に回さしてもらいます」
「結果が出たらすぐ教えてや。証拠が足りひんかったら、この肩の傷も提供すんでえ」
「えぇ? 証拠って?」
平次の言葉に疑問を投げかけたのは和葉だ。
「あの短刀が桜さん殺害した凶器やっちゅう証拠や。ほんまは犯人の肌に触れてたもんがあったらええんやけど……あぁ! バイクは? バイクがあったやろ?」
「あれは盗難車です」
その平次と綾小路のやり取りを聞いていた和葉がハッとしたように表情を変える。考え込むように顎に手を当てている和葉を一部始終目撃していた菫も同様に思い当たる事があった。
(あ、あぁ〜!)
ついビクッと菫は体を揺らしてしまう。隣にいる景光が訝し気にその様子を見ていたが、菫はそれを気にする余裕がなかった。
(そうだ! このあと和葉ちゃん、服部君の言う証拠を探しに昨日の公園に行って、犯人に攫われちゃうんじゃなかったかな!?)
最後の事件がまだ残ってた! と菫も慌て始める。今回さほど自身に存在していなかった罪悪感が急激に膨らんできたのを菫は自覚した。
(ど、どうしよう……一応は事件は解決するんだよね? さ、攫われちゃうけど。でも和葉ちゃんが大きい怪我はする事ないし、このまま経過を見守った方が良いかな……。下手に手を出して、危険度が上がっちゃう方が怖いよね? でも、でも……)
死人が出るような展開ではないのだし……と菫が、介入しない方が良いだろうかと内心大いに慌てふためいていた。そんな菫の葛藤をよそに、綾小路が懐からイラストが描かれたあの暗号文の紙を取り出す。
「ところで……この絵、何だか分からはりますか? 桜氏の自宅の義経記に挟んであったんやけど……」
綾小路のその問いに平次は無言で――看護師によって咥えさせられた体温計も原因であろうが首を振る。
「ほんまですか?」
それにも平次は無言で首肯する。綾小路はどこか疑っている様子だったが深くは追及せずあっさり引き下がった。暗号の紙を懐に戻すと出口へ向かい、退室の直前に振り返って一言告げる。
「……これに懲りて大人しゅうしてる事ですなぁ」
無茶をした若者に釘を差し綾小路は去って行き、同時に白鳥と大滝も病室をあとにした。だが綾小路たちが消えた中でも、まだ考え込んでいる様子の和葉を注視していたのが菫だ。迷いながらも和葉の一挙一動に気を配っていた。
(和葉ちゃんの事どうしよう? このまま公園に証拠品を探しにいくのを見送った方が良いのかな。最後は無事に戻ってこれる筈だもの。私が引っ掻き回す方が危険だとは思うんだけど……)
菫は額を押さえて物語の終盤を何とか思い出そうとした。
(確か……服部君はどこかの山の廃寺に呼び出されるんだよね? 篝火、松明みたいなのを焚いていたら、夕方以降の話だった筈。なんでかコナン君が一時的に工藤君になったような……。でも結局コナン君に戻るよね? それで服部君は和葉ちゃんが最初に閉じ込められていた部屋で村正を見つけて……最後は一件落着、だよね?)
所々記憶に抜けはあるが大体の流れは思い出せた。しかしその内容を振り返ってみると和葉が危険な目に遭わなくても解決できそうな気がしないでもないのだ。
(和葉ちゃんが見つける証拠品。あれを警察に鑑定してもらえば、DNAとかで犯人を割り出せるよね?)
和葉が証拠品を探しに行くのもそれが目的である。犯人に攫われる前に証拠を見つけ出し、危険な公園から離れる事が出来れば事件解決はすぐだと菫には思えた。腕の時計で菫は時間を確認する。
(今はまだ明るいし、和葉ちゃんの証拠品探しに私もついて行ってお手伝いすればいいかな? そうすれば見つけるのも早くなるよね。そうだ、ヒロくんにもついて来てもらうのはどうかな? ヒロくんなら怪しい人が近づいて来たら、すぐに気付いてくれるだろうし……)
思い付いた勢いのままに、菫が景光に公園まで一緒に来てほしいと頼もうとした時だ。
「ねぇ、景光さ……」
「うん? ……あ、ごめん、菫さん。電話だ。ちょっと外に出てくるな?」
「あ、分かりました……」
タイミング悪く景光に電話がかかってきてしまった。景光の仕事に関わる事かもしれないと思えば引き止める事も出来ず、菫は景光が病室から出て行くのを黙って見送るしかない。
しかもさらにタイミングが悪い事に和葉が平次の事を蘭に頼み込むと足早に病室を出て行ってしまった。
(あっ! 和葉ちゃん、もう行っちゃうの? さすが女子高生フットワークが軽い……って言っている場合じゃない! 私も追いかけないと!)
菫はポケットからメモ帳を取り出すと、昨晩の公園に行くので、これを見たら景光にも来てほしい……という事を急いで書きつける。
「蘭ちゃん。お願いがあるんだけど、景光さんが病室に戻ってきたらこれを渡してもらえないかな?」
「え? もちろん構いませんけど……。菫さん、直接渡さないって事はどちらかに行かれるんですか?」
「うん。用があったの思い出してね? ちょっと出てくるね!」
「菫さん?! 一人で行動しちゃダメなんじゃ? あの、すぐ戻ってきてくださいねー!」
書いたばかりのメモを一枚破り取り、二つ折りにしたそれを蘭に預けて、菫も急いで病室を抜け出した。蘭の慌てた声は残念ながらその耳には届いていなかった。
* * *
「和葉ちゃん! 待って!」
「菫さん? どないしたの?」
すぐに追いかけたため菫は和葉の背中を病院を出たところで見つけ、呼び止める事が出来た。
「今から和葉ちゃん、昨日の公園に行くつもりじゃないかな? 私もついて行っていい?」
「えぇ! なんでアタシの行き先、菫さん分かったんや?」
「あー、えっとね……何だかさっき、服部君が証拠があればいいって言ってた時に、和葉ちゃん考え込んでたみたいだったから、思い当たるものがあるんじゃないかなって、公園に何かを探しに行くのかな、って……」
「その通りやけど、それだけで分かるん? すごいわぁ……。菫さんも探偵みたいやね?」
驚いたような和葉の言葉に元々知っていた菫はつい苦笑いをする。過剰評価されてしまい居た堪れない。だが仮に知らなかったとしても和葉の様子を見ていれば予測はそう難しくないと思われた。
「ううん、たまたまだよ? 和葉ちゃんって服部君のためなら率先して動きそうだなぁって、昨日会った時から思ってたんだよね」
「アタシってそんな分かりやすいんやろか? なんや恥ずかしいわぁ……」
顔を赤くした和葉に菫は微笑んで、取りあえず公園へと歩みを進めながら手伝いを申し出たのだった。
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「菫さん。昨日アタシらが犯人に会ったんがこの辺なんや。そんで靴下に石コロ入れたやつ、ぶつけてやってん」
「和葉ちゃんって本当にすごい。服部君を助けるために咄嗟にそんな事できるんだもん。カッコイイ……」
和葉は昨晩、犯人に靴下に石を詰めたものを投げつけたという。幼馴染の危機に所謂ブラックジャックという武器を即席で作り上げ応戦したのだ。
(私なんてヒロくんに助けてもらって、幼馴染の役に立つとは真逆な事をやらかしてるのに……)
和葉とは反対に菫は犯人の遭遇して腰を抜かしていたものだからその思いはより強かった。自分とは対極に位置する行動を実践できた和葉に菫は尊敬の眼差しを向ける。
「夢中やったから、そんなあんま褒めんといて……。そ、それでな、たぶんこの辺に落ちてる筈なんやけど……」
照れた様子の和葉は早口になりながら、身振り手振りでこの近辺に目的の物が落ちていると菫に説明する。
投げた石は見事犯人の能面に当たり、その時に面の一部が欠け、地面に転がり落ちたのを和葉は見たという。和葉はその能面の欠片が事件解決に繋がると病室で気付いたのだ。
「うん、分かった。この辺りに犯人のお面の欠片が落ちてるんだね? 急いで見つけちゃおうね」
菫と和葉は早速犯人の身に着けていた能面の欠片探しのために、各々に地面にしゃがみ込んだ。
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菫は焦りながら草むらをかき分けていた。なかなか証拠品が見つからないのだ。
(二人がかりで探せば、和葉ちゃんが一人で探していた時よりもきっと早く見つかる筈。大丈夫。見つけたらすぐにこの場を離れるんだから)
本来にはない行動で本来は不要であろう介入をしている事に、菫は内心ビクビクしていた。それでも能面の欠片を求めて菫はまだ確認していない場所へと移動を繰り返す。
(物語が、未来が多少変わっちゃうのは、誤差だよね? だってそもそも私が京都に居合わせている時点で、おかしいんだもん)
菫は自分の行動の正当性を心の中で誰かに訴える。
(私がどういう行動をとるかなんて、私が決めても良いんだよね? それっておかしくないよね?)
だがやはり胸を張る事が出来ない判断のためかその訴えは、他の誰でもない自分自身に言い聞かせているようなものだった。
(早く見つけないと……。あっそうだ。ヒロくんはどうしたんだろう? だいぶ時間が経つし、あのメモは見てくれたよね? 電話だってさすがにもう終えてるだろうし、今電話したら繋がるかな?)
菫はポケットからスマホを取り出す。景光へ連絡を取ろうと通話ボタンを押そうとしたその時、菫の背後からガサッと音がした。自分とは違う場所を探していた和葉だと菫は思った。
「和葉ちゃん? 欠片、見つかった、の……」
「菫さん……ほんまごめん……堪忍な……」
振り返って目に入ってきた光景に、菫はそれ以上話せなくなった。和葉の心の底から申し訳なさそうな声が聞こえる。
「女、そのまま何も喋るんやないで。そのスマホ、画面を見せてみぃ」
和葉を後ろ手に拘束する能面の男がいた。さらに和葉の首には短刀を突きつけている。菫は青褪めながらも、言われる通りスマホを見えるように相手へと向ける。
「……まだどこにも連絡しとらんな。そんならそのスマホ、ゆっくり地面に置くんや。余計な事したらあかんで? この姉ちゃん、怪我させとうなかったらな……」
菫は無言で頷き、手に持っていたスマホを地面に置く。その直後、菫もまたその首元に刃物を当てられていた。
「姉ちゃん、あんたも手を後ろに回すんや。妙な事するんやないぞ。痛い目見たくないやろ?」
いつの間にか忍び寄られていたらしく、能面の男の仲間が菫の背後に回っていた。菫は思わず項垂れる。湧き上がるのは後悔だ。
(どうして……私ってどうしていつもこうなの? 人に迷惑しか掛けられない。和葉ちゃんも、私のせいで逃げられないんだ……)
互いを人質に取られては下手な事などとてもではないが出来なかった。
一切の抵抗も出来ずに菫は和葉と共に男の指示に従うほかない。そして二人は男達にある場所へと連れて行かれるのだった。
和葉ちゃんと一緒に攫われるの巻。あれです、ヒロインは悪者に攫われるというテンプレを踏襲。