Cendrillon | ナノ


▼ *02


 菫は自分の抱える秘密の一つを解放したいと心の底から願っていた。今回の邂逅はうってつけの機会ではあった。しかし、その打ち明けるべき相手は訝しげな表情を浮かべる。

「あなたが抱える秘密を、私が知っても良いっていうの? 他人の秘密でしょ? それを何故……私に?」
「他人の秘密だけど、灰原さんにも関わる秘密だから……」

 今まで明美自身が哀――妹の志保に自身の生存を知らせていないのならば、それは伝えるつもりがないという証左だ。それを菫の一存で伝えるのは、秘密を漏らすのは禁忌であろう。現に赤井家には務武の固い意思により、菫は口止めされ真実を伝えられないでいる。
 そのため、菫は伝えてはいけないだろうかと、ダメ元で協会を経由して本人に尋ねてみたのだ。その結果は今現在の状況である。

「でもそれには――伝えるには、条件があるの」
「条件? それって、何かしら?」
「灰原さんがその秘密を知っても、誰にも教えないでほしいの」

 菫が明美に秘密を打ち明ける条件として提示されたのは、哀がそれを第三者に漏らさない事だ。それは菫でも知っている、保護する人間に協会が課す契約時の条件の一つだった。

(明美さん、やっぱり灰原さんに自分の無事を告げるつもりはなかったみたい。そして今回は結果的に、私がそれを翻意させてしまった)

 明美は秘密保持の契約をしているが、家族に打ち明ける事だけは元々許されている。だがその場合、家族にも契約が適用されるのだ。そのつもりがなかった明美の意に添わぬ事を頼む事になり、菫は明美の要望を可能な限り答える心づもりでいた。
 しかし、明美はこれまで秘密にしていた自分の生存を、妹である哀に告げても良いという許可を意外なほどに快く菫に出してくれた。そしてそれに伴う条件は契約に含まれているもののみだった。明美自身の条件はないも同然である。

(明美さんの好意に甘える事になっちゃったけど、でもせっかく生きているなら、無事を告げても良いと思うんだもの。私だったら零くんやヒロくんの無事を、いつだって知りたいって思うから――)

 菫側の事情は問題が排除されている状態ではあった。だが、それを受け入れる側の哀はまた違う。

「私もその秘密を抱え込まないといけないって事? あなたはそれが苦しいって言うのに、私にもそれを求めるの?」
「そうだね……。ごめんね……」

 哀のもっともな指摘に菫は申し訳なさを覚え、目を伏せてしまう。しかしすぐに哀を見据えて、何故そのような事を哀に強いようとしているかを口にする。

「でも、灰原さんはその秘密を知った方が良いと思うの。知らないままより、ずっといいんじゃないかって思ってたの」
「私が……その秘密を知らないままでいる事もできるのかしら?」
「もちろん。その選択は灰原さんのものだよ。ただ、私が灰原さんを見透かしたように見てるっていうのは、たぶんその秘密が原因だと思う」

 菫はまだ哀には見せていなかったかもしれないな……と、まずは何も持っていない空の手のひらを哀に見せる。

「? なに?」

 そして菫はいかにも手品を見せるような素振りで手を握り込み、その一瞬後には手のひら大の封筒をポケットから取り出して見せる。

「?! あ……マジック?」
「ふふ。私、手品得意なの」

 その時だけ見せた子供のような哀の表情に、菫は嬉しそうに微笑んだ。そして本題を告げる。

「灰原さん。もしもその秘密を知りたいなら、知っても良いと思えるなら、この電話番号に連絡してほしいの。あと、その連絡は公衆電話からにしてほしいな」

 菫は電話番号が掛かれたメモとテレホンカードが同封された封筒を哀に手渡した。哀はそれを受け取るとじっと見つめ、不思議そうに問い返す。

「これは……?」
「そうだねぇ……。ちょっと気取った言い方をするなら、パンドラの箱みたいなものかな?」
「パンドラ……」
「開けたら苦しくなるかもしれないけれど、最後にはやっぱり希望が残ってるんだよ。私にはその希望が、何よりも灰原さんに必要な物だと思うんだけど……。でもそれはやっぱり、灰原さんが選ばないといけないんだよね……」

 伝票を持って菫は立ち上がる。先に店を出る事にした。

「知らないままでも、問題はないの。でも、その番号が繋がるのは今日一日だけだから、よく……考えてね?」

 菫はそう言って哀の前から立ち去った。哀がその番号に連絡してほしいと心から菫は願っていた。



 * * *



「鳳さん。少し会えるかしら?」

 哀と喫茶店で話をした翌日だ。伝えてあった自分の連絡先に哀から電話があり、菫は哀は再び同じ喫茶店で会う事になった。

「あのあと、あの人と話をしたわ」
「そう! 良かった……話が、出来たんだね?」
「えぇ……」

 どのような結果になるのか気をもみながら過ごしていた菫にとっては朗報だった。思わず明るい声で確認する。
 哀は今ここで名前を出してはいけないと思っているのだろう。自分の姉を一貫してあの人と呼んだ。

「あの人とは沢山、沢山、色んな話をしたの」

 哀はポツポツとどのような話をしたか、菫に聞かせた。穏やかな表情で語られる事に、菫は自分の試みは失敗ではないのだろうと、胸を撫で下ろす。
 哀との会話は最初はその報告だけのようなものだった。だが一通り話し終えると、少し表情を変えて哀は菫に語り掛ける。

「あの人の話には、とても……驚いたわ。助けられた時の条件の秘匿契約で全ては話せないと言われたけど、聞く事ができた内容だけでも推測できる事もあった。でも、それでも分からない事があるの。なんであなたがこんな事を知っているのかしらって」
「灰原さんはきっと、そう疑問に思うだろうなって思ってたよ」

 菫は苦笑する。この話を突き詰めていけば、そういう考えに至るだろうとは予想できた。どうしてこの件に菫が関わるのだろうと思うのは当然の事だ。

「あなたは本当に色んな事を知ってるみたいね。私や私の家族の事だけじゃないわ。きっと江戸川君の事も、それ以外の何かも承知しているんでしょうね?」

 哀は自身の発言の正誤を確かめようと真っ直ぐな視線を菫へと向ける。菫は困ったように眉尻を下げ、首を傾げて受け止める他ない。そしてあえて何も言わない。沈黙は金だ。
 だが菫の表情などから読み取れるものもあったのだろう。哀は納得したような様子でやっぱりね……と独り言ちた。
 また哀も何が何でも詳細を知りたいという訳ではないようだ。最初の質問も菫に明確な返答を求めるでもなく、あっさり引き下がっている。

「あの人にも言われているの。あなたに、私が抱いた疑問の全てを問い詰めるなって。あの人はあなた――菫さんに助けられたも同然だって言うのよ」
「そんな事、ないんだけどな? 私、本当に何もしてないんだよ?」

 むしろ菫は全て終わったあとで、哀があの人と呼ぶ人物――明美の生存を知ったくらいである。実際に明美の救助に動いたのは養親のヴィオレ率いる魔術師の面々であろう。あくまでも魔術師協会内での活動内容、機密事項は菫には詳細を知る権利がないのだ。

(もしかして協会の人達、保護した人に何か私の事、大げさに伝えてるんじゃないかなぁ? ヴィオレさんへの傾倒ぶりを見るに、この推測ってあながち間違ってなさそう……)

 今回の件で事前に明美と話す機会を菫は得ていたが、連絡した本題とは別に菫は明美から改めて礼を言われている。電話でのやり取りだったが、相手からは菫が恐縮してしまうほどの感謝の念を伝えられていた。自分について一体どういう説明をされたのだろうと、菫自身も不思議に思うほどだった。

(私がヴィオレさん達を通して協会に伝えているのは、物語の大まかな流れとか、関係者――亡くなってしまう人とかの情報だけで、具体的には何も出来ていないも同然なんだけどな……)

 菫は誰それを助けてくれ……と頼んだ事はない。唯一、コナンの世界とは別次元のように思われた怪盗キッドの父親については、幼い頃に遠回しにノアへ伝えた事はあるがそれきりだ。

 実際に動かねばならないのはヴィオレの仲間たちである。自分が率先して動く訳でもないのに、他の人間を危険に晒してまで自分の願いを口にする事は菫には出来なかった。自分の手の及ばない事件などは、菫はもうほとんど諦めていたのだ。

 また菫は協会がいつ、誰を助けているのか、今はどうしているのか……といった事は滅多に知らされない。どうやらヴィオレ達は、あえて自分への情報の共有を制限しているのだと菫もだいぶ早い時期から気付いていた。共有されないという事は知らない方が良い事なのだと、菫も深く追及する事を避けていた。

「例え菫さんがそう言っても、菫さんの言い分はこの際、関係ないのよ。あの人がそう思っている、その事が重要なのだから」

 しかし、傍からすればそのような事は問題ではない。菫の認識は関係ないのだ。

「でも、話を聞いて余計に菫さんが分からなくなった。あなたに助けられたって言われても、簡単には信じられなかったわ。だって私、江戸川君に聞いていたもの。確かにあの人は腹部を撃たれて亡くなったって」
「ごめんね。私、それは――助かったのには、どういった経緯があるのか本当に知らないの」

 菫自身も10億円強奪事件の顛末については新聞で知ったクチだ。菫の困ったような表情に、哀は首を振る。

「……それは別にいいわ。疑問は沢山あるけれど、あの人が助かった事に菫さんが大きく関わっている。その一点が不思議なだけよ。それってつまり、菫さんも知っているって事よね。あの組織について……」
「そう、だねぇ……」
「あんな危険な組織、菫さんみたいな人が何で知っているのかしらって思うわ。でも、その答えを私は求めてはいけないんだわ。菫さんにそれを問うたら最後、私はより大きな秘密を抱え込む事になるのよね?」

 口は禍の元。雉も鳴かずば撃たれまい、だ。余計な事をして、厄介なものを身の内に取り込む必要はないと哀は自制が出来た。哀のその宣言に菫はほっとしたように、だが申し訳なさそうに眉を下げる。

「灰原さん、聞かないでいてくれるんだね? ……ありがとう」
「私は自分の保身のために聞かないのよ。礼を言われる事じゃないわ。それにあの人にも聞くなって言われたしね。好奇心程度じゃ、菫さんに迷惑はかけられないわ」
「迷惑って訳じゃないけど、ごめんね? 言えなくて……」

 菫が黒尽くめの組織について知識があるのは、ここが物語の世界だと知っているからだ。もはや自分も物語の一員であり、この世界に生きる人を虚構の人物だとは思っていない。だが、そのような事実は彼らは知らなくても良い事だ。菫は自分がそんな事を言われたらショックだと思うからだ。菫はどうしてもそれだけは言えない。

 仮に、自分が未来を予期しているようだと誰かに指摘されたとしても、それこそ物語には触れず、未来予知が出来るのだと嘯くだろうと菫は思っている。それが相手に対して真摯な対応ではないとしても、菫はそこだけは譲れなかった。

 今回それをせずに済んで、菫は少しだけ緊張を解いた。そして、哀に秘密を無事打ち明けられた事に、肩の荷を一部下ろせた気がした。しかしそれは、菫の荷を哀が肩代わりするという事でもある。

「灰原さん、本当にごめんね? 今回の事、コナン君達にも言えなくなっちゃったね……」

 菫の謝罪を哀はあっさり受け流す。

「構わないわ。菫さんが言ったように、知らなかった頃より今の方がだいぶ良い状況だと思うから。江戸川君や阿笠博士に黙っていないといけないのは申し訳ないと思うけど、あっちも私に秘密にしてる事があるみたいだし、気にしない事にしたわ」

 それについては菫には心当たりがある。コナンと秀一の秘密の協力関係などの事ではないかと思った。哀が気に病まないのであれば、菫としては心が軽くなるのでそれは喜ばしい言葉だった。



 * * *



 菫と哀はしばらくそのまま、取り留めのない会話を続けていた。哀も自分の事情を知る比較的年の近い女性である菫とのお喋りは嫌いではないようだった。
 全て丸く収まったかと思われたこの件は、最後に少し予想外な結末に終わる。それは哀の一言だった。

「――そういえば、私の親、生きてるんですってね? 私が生まれてすぐに亡くなったって聞いていたから記憶もないし、両親に関しては正直何と言えばいいのか迷うわ」

 秘匿事項ではないらしいその情報を哀の口から聞かされ、久々に菫は度肝を抜かれた。

「えぇ?! 宮野さん達、生きてるの!?」

 宮野夫婦は烏丸グループの研究所の火災で亡くなったのではないのか……と、菫は心の底から驚いた。協会の人間の手腕はかなり古い時期から発揮されていたようだ。あまりにも手が広すぎて、何となくフィクサーのようだと少しうすら寒くなる。もしかしなくても魔術師協会は、世界有数の実力を持つ組織かもしれないと菫は改めて実感する。

 そして、零に伝えたいと思ったがそれはもちろん無理な話である。

(うぅ……よりにもよって、零くんに黙っていないといけない秘密……。せっかく零くんの初恋の人の良い情報なのに)

 その情報、事実は歓迎すべきものではあるが、幼馴染には言えない新たな秘密が出来た事に菫は内心項垂れる。菫の秘密は一つ減り、そしてまた一つ増えた。結局のところ何も変わっていないようなものだ。
 何やら落ち込んでいる様子の菫を見て哀は呟く。

「……菫さんって、本当に分からないわね。不思議な人だわ……」

 自分の両親の事はやはり知っていたらしいのに、その真相については今の今まで知らなかったようだと菫のその反応で哀は感じ取る。だが、姉の話ではそれにも菫は関わっているそうなのだ。

「そんな事ないよ? 私は至って普通の人間だと思う。本当に悲しいくらい普通なの」
「こういうのって、本人には分からないものよね?」
「えぇ……? 何か誤解されてるねぇ……。私の場合、周りの人が規格外なんだけどなぁ……」
「誤解じゃない、紛れもない事実よ」

 全容は全て知っているようだが、自分の両親の件は知らずに姉の事件は把握していたという、そのあべこべな菫の認識は哀にとって全くもって不可解であった。ただ、警戒すべき人間ではないと哀には確信でき、その点は収穫だったと言える。

「そうだわ、菫さん。これからは私の事は哀って呼んでくれる?」
「え! いいの?」
「もちろんよ。菫さんとは長い付き合いになりそうだものね。堅苦しいのはなしでいきたいわ」

 そう言って柔らかな笑顔を向けられ、菫はその哀からの信頼されたような態度に顔を綻ばせた。打ち解けられそうな事にただ喜びを感じた。

「嬉しいな。それじゃあ哀ちゃん、これからよろしくね?」
「ええ、こちらこそ。菫さん」


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 後日、このような会話があった。
 少年探偵団と今度こそ本当に遊びに行こうと誘われ、その最中で菫と哀が――特に菫を警戒していた哀が、今までのそれを綺麗になくしたかのように親密な様子だったためだろう。目聡くそれに気付いたコナンが不思議そうに尋ねた。

「おい、灰原。いつの間に菫さんと仲良くなったんだ。しかも互いに名前で呼び合うなんて、なんかあったのか?」
「江戸川君、あなたには秘密よ」
「ふふ。そうだね。秘密。秘密だよ」

 しかし、コナンの問いには哀の素っ気ない言葉と菫のどこか悪戯っぽい言葉が返って来る。どちらも教える気のないその返答に、何だよ……とコナンは眉を顰めるのだった。



協会側は夢主には詳細を色々と共有する予定だったものの、当の本人が秘密を抱えるのに向いてなさそう(死を装い匿われている人間の家族と交流があり、黙っているのがしんどそう)だと早い段階で判断され、夢主には深い事情は知らされなくなったという裏事情(養い親が過保護)。でも哀ちゃんとは交流はなさそうだと協会に思われたため、明美さん生存は知らされた感じ。


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