▼ ∴太陽と花 ∴01
酒盛り中の話? 警察学校の人って外出先での飲酒をかなり制限されてるらしいですが、まぁこのメンツならうまい事やるでしょう(適当)。菫が自宅のリビングでくつろぐ三人の男性にそれぞれコーヒーを配膳していると、そのうちの一人が尋ねてきた。
「そういや菫は酒を飲むのか?」
「私ですか? たまに飲みますよ。出先ではお付き合いの一杯だけにしてますけど。でも、伊達さん達はたくさん飲めそうですよねぇ……」
伊達の問いに、菫は飲みはするが基本は家飲みだと注釈もつけ頷いた。外では前後不覚になった時が怖いため、飲酒は控えているとも伝える。菫の問いには伊達も、否定はしないな、と笑いながら肯定した。
「お、菫もいける口か。じゃあ今日は萩原が女に人気があるっていうやつも買ってたから、それ飲めるぞ」
「お土産ですか? 楽しみです! ありがとうございます。でも、陣平さん達には重い物を買って来てもらって、せっかくのお休みなのに、すみません」
松田がコーヒーに口をつけながら先ほど調達してきた酒のラインナップを思い出しそう告げると、菫は嬉しそうに礼を言う。また、酒の良し悪しの判断もつかず、客人の手を煩わせた事にも謝罪した。だが、構わねーよ、と松田は軽く手を振ってそれを流す。
「むしろ今日は、菫ちゃんにこの場を提供してもらって、こっちがありがとうだよー。食事の準備、大変だったでしょ?」
「いえ研二さん、そうでもないですよ。零くんとヒロくんが仕上げを手伝ってくれるのを期待していたので。私がしたのは下拵え程度だから、そんなに大変じゃなかったんです。ただ完成までちょっと時間が掛かりますから、もう少し待ってくださいね?」
萩原に礼を言われた菫は首を振り、零を当てにしていたので大した事はしていないと苦笑した。そこにキッチンから景光が零の伝言を携えてやって来た。
「菫ちゃん、冷蔵庫の食材だけだと俺達には少し量が足りないかも。ゼロもお前たちはデリバリーでピザを1、2枚頼んで腹ごしらえしておけ、だって。それを食べ終わる頃には出来上がると思うよ」
「え?! ヒロくん本当? 男の人が五人分だから、食材は多めに用意したつもりだったんだけど、もっと準備していても良かったの?」
菫は驚いて確認するように尋ねたが、景光はあっさり頷いた。
「うん。でも俺達も酒とつまみだけじゃなくて、何かメインになるようなの買ってくればよかったな。菫ちゃんだけに準備させてごめんな?」
「ううん。お酒はよく分からないから、そっちを皆に頼んだのは私だし。それにどのくらい食べるか聞いておけばよかったね。むしろ準備が足りなくてごめんね? でも、そう……。あれで足りないの……」
景光の謝罪に菫は首を振って否定する。だが、菫は自分が事前に用意していた食材の量を思い出し、さらにデリバリーで追加が必要だと知り密かに慄く。菫の少し引いた様子に、男性陣は微妙に言い訳をした。
「ほら俺達、食べ盛りだからー」
「いや、警察学校に入ったら食う量が増えてな?」
「食わないと身体がもたねーんだよ……」
「確かになぁ……」
萩原、伊達、松田に景光の順で答えられた内容に、菫は目を見開く。
「警察学校って聞きしに勝るハードさがあるみたいだね? そういえばヒロくんも零くんも、なんだか身体の厚みが増してるかも?」
「え? そう見える?」
景光は菫の言葉に喜色を浮かべる。菫は目の前の幼馴染の一人の身体をまじまじと見つめ、頷く。身長が伸びている筈がないのに、何故か最近会う度に大きく見えるような違和感の理由が何となく分かった気がした。
元々二人の幼馴染は細身であるため、際立って何かが変化しているように感じられなかったが、警察学校の生活で体幹がしっかりしてきたのかもしれないと菫は思った。
「みんな大変だねぇ……。本当にお疲れ様です。今日はいっぱい食べてね? あ、ピザのデリバリーなら、ここからだと○○が一番近いよ。メニュー表があるからちょっと待ってね?」
キッチンの棚にデリバリー関係のチラシが置いてある事を思い出し、菫はそちらへと移動する。そこで先に一人奮闘していた零から声が掛かった。
「菫、僕じゃ手に余る。少し手伝ってくれるか?」
「あ、零くん、一人で準備させちゃってごめんね? 今から手伝うよ。皆にピザのメニュー表を渡したら戻ってくるね」
「ああ、頼む。でも、ここまで下拵えをしてくれていてありがとな。ヒロもいるし一時間もあれば出来上がるかな?」
菫は零の言葉に微笑む。今日のこの日を菫は心待ちにしていたのだ。
「零くんとヒロくんのごはん楽しみ。それに今日は、うちで飲み会を開いてくれてありがとう。私も混ぜてくれて、嬉しい」
「飲む場を提供してくれてこっちこそ礼を言うよ。でも、俺達の泊まりまで快諾しなくても良かったんだぞ?」
「空き部屋がいっぱいあるから、たまには使わないとね。皆が泊まっていってくれるのはちょうど良かったの」
今日は所謂お泊り会のようなものだ。菫は今回、その会場となる場所として自宅を提供していた。
「それに、夜通しお酒を飲んでお話しするなんて初めてだから、楽しみにしてたんだよ?」
仲の良い友達が集まってするようなイベントに菫が憧れない筈がない。しかもそれが零や景光とその仲間たちとの集まりで、まさか自分も参加できるとは菫も夢にも思っていなかった。
「そうか? ならいいんだが……。でも男しかいないんだぞ?」
「えぇ? 零くんもヒロくんもいるのに? むしろ警察官の卵が五人もいて、今日の我が家はいつにも増して安全な気がするよ」
「そうか……」
全幅の信頼を菫から寄せられ、零も苦笑してそう答えるしかなかった。
* * *
零とヒロ、菫で作り上げた料理は瞬く間になくなり、場所をダイニングからリビングに移動させ、本格的に酒宴といった様相になっていた。宴もたけなわ、テーブルの上は酒のつまみだけが彩っている。だが、賑やかに酒を酌み交わしていたそんな和やかだった空気が、零がある事に気付いたために崩れてしまう。
「うふふ……」
菫の様子が少しおかしかった。何がそんなに嬉しいのか、ニコニコと笑みが絶えなかったのだ。
「どうしたんだ、菫? ……まさか?!」
「菫ちゃん、それちょっと俺に寄越して……」
いつもより赤らんだ菫の顔に零は顔色を変えた。遅れて景光も菫の持っているコップを取り上げる。だがそのコップはほとんど空に近かった。
「お前ら! 菫には最初の乾杯のビール以外、酒は一杯だけだって言ってあっただろ!」
「えー俺、菫ちゃん用に買ってきた女の子向けの甘いやつ、一杯しか酌してないしー」
「俺もだぞ」
「あー、俺も一杯勧めたな……すまん」
「つまり三人がそれぞれ一杯ずつ飲ませている訳だな」
「全部で四杯も飲んでるじゃないか!」
困ったような表情で景光が苦笑し、零は怒り心頭といった様子で酒を飲ませた張本人たちをギロリと睨む。
ふと、テーブルの下に菫が飲んだと思われる普段の自分達ならば手を出さない、いかにも甘そうなカクテル系の空き缶や空き瓶が転がっている事に零は気付く。
「しかも……これ全部、アルコール度数が高いぞ!」
零はその表示されているアルコール度数に目を剥き、怒鳴った。事前に幼馴染には酒はあまり飲ませるなと釘を刺していたのだ。それなのにもかかわらずこの体たらくでは、怒りも早々には収まらない。
ちなみに、伊達が最初に菫のビールの入ったコップが空いたのに気付き、最後になる筈だった2杯目の酌をしていた。その後に萩原と松田が3杯目、4杯目を酌している。
「でも菫ちゃん、家では飲んでるって言ってたよ?」
「過保護過ぎじゃねーか? 菫もいい大人なんだから、酒くらい好きに飲ませてやれよ」
萩原と松田の言葉に零は真っ向から反論する。
「飲み過ぎて酔っ払った日の翌日は、菫は何も覚えてないんだぞ。普段から外でそんな事をやられてみろ。自衛もできないし、何かあっても泣き寝入りじゃないか」
「まぁゼロ、流石に外で一人だけなら菫も自制するだろ。外では付き合いで一杯しか飲まないって言ってたしな。今日は家飲みで、お前らがいるから安心して飲んだんじゃないか?」
零と景光から前もって言われていた注意事項を守れなかった事に申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、伊達は二人がいるなら問題ないだろうと宥めた。また、萩原も一応菫の体調に変化はないかと尋ねていた。
「菫ちゃん大丈夫? 気持ち悪いとか、ある?」
「いえ、フワフワして気持ちいいですよー? この程度なら、私、平気なんですけどねー?」
「うーん、微妙な反応だな」
少し間延びした菫の返答に、伊達は判断がつかないようだ。アルコールの影響はあるとは思うが、酔っ払いというほどでもないような気がしたのだ。
「おい、菫。お前、ちょっと日本国憲法の三大原則を言ってみろ」
すると、松田が一計を講じる。というよりも少し面白がっていたが、一般常識の問題で菫の酔い具合を確かめようとした。
「三大原則ですか? えーと、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重です!」
「お、当たりだ」
あっさりと答えられ、松田は拍子抜けしたような表情を浮かべる。それを見て、今度は伊達が問題を出した。
「それじゃ簡単じゃないか? よし菫、日本国憲法第14条は分かるか? 有名なやつだぞ」
「14条……すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない、です」
「これも当たりだな。それなら9条はどうだ?」
伊達は追加でさらに問題を出す。それにも菫は一瞬考え込んだあと答えた。
「9条……は、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
「おースラスラ言うな。これは酔ってないんじゃねーか?」
菫があまりにも普通に諳んじるため、伊達は酔っていないのではないかと思った。だが、萩原はそうは思わなかったらしい。
「それ試験問題じゃん。みんな暗記してるって。もうちょっと捻ったのないの?」
「んじゃ、萩原、おめーが問題出せよ」
「えー? じゃあ憲法縛りはやめて、日本に関する問題ね。んー……菫ちゃん、47の都道府県名を全部答えてみて?」
「難しくはないし、捻ってもいないが、めんどくさいやつだな」
解答数の多さで割とえげつない問題を出してきた萩原に伊達が苦笑する。
「酔っ払ってたら答えられないから出すんだよ。別にいいでしょー。はいはい、菫ちゃん分かる?」
「え、と……北海道、青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島……」
菫は萩原に問われるがまま、北から順に答えていく。
「……熊本、宮崎、鹿児島、沖縄、です?」
一定のテンポで詰まる事もなく最後まで答えた菫に、指折り数えた萩原が感心したように軽く拍手をした。
「おぉーすごいね、菫ちゃん。一つも漏れなし。多少酔っていてもしっかり頭は働いているし、問題なくない?」
「……菫はそういう学生時代に暗記する類は得意だぞ。当てにならない」
「そうだな。はい、菫ちゃん。これ飲んで」
それまで黙っていた零と景光がそれを否定する。さらに景光はウーロン茶の入ったコップを渡し、菫の血中のアルコールを薄めるのに努めていた。
「でもここまではっきり答えられるなら酔ってないだろ」
だが松田も菫の発言内容から、酔いは見られないと萩原に同調した。
「いや菫は今、絶対に酔っ払ってる。菫、唱歌の故郷は分かるな? 歌ってみろ」
「えー、故郷を?」
「そうだ。1番だけでいいぞ」
「はーい」
零の要望に菫は躊躇なく返事をすると、ゆっくりと歌いだした。
兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷
菫はそれを物悲しく歌い上げた。しかし短い曲のため、すぐに歌い終わる。どうだ、と言うように菫は零を見つめてきたが、零はそれに頷き、そして同時に断言する。
「やっぱり酔ってる」
「うん。かなり酔ってるね」
零だけでなく景光もそれに大きく頷いたため、松田が物申した。
「何でだよ。どこも間違ってねーじゃん」
「そうだな。音程がずれてる訳でもなかったし、上手かったぞ」
「っていうか菫ちゃんの声、綺麗だったよー」
「えへ、ありがとうございます」
菫は嬉しそうに笑ったが、零と景光はそれを見てため息を吐く。間違いなく明日の菫は、酒を飲み始めて許容量を超えた以降の事――今までの経験上、三杯目を飲んだ以降は何も覚えてないと確定したからだ。
「菫は素面の時には絶対に人前じゃ歌わない。恥ずかしがり屋だからな」
「つまり今は羞恥心が薄れてるんだよ。酔っぱらってる証拠だね」
菫の場合、歌が歌えた事が酔っていない証明にはならず、歌を歌った事自体が酔っている証明になるのだ。
「菫ちゃんは酒を飲んだ当日は恥じらいが薄れるだけで、それなりには振る舞えるんだ」
そう言いながら景光は最後の悪あがきに、これも飲んで……と、菫に2杯目のウーロン茶を手渡す。効果があるかは日によって違うが、水分を多めに取らせると菫は酔いが醒めるのが早まるのだ。ただ酔いが醒めるのが当日中か翌日かの違いだけで、酔ってる間の事を忘れているのは変わらない。
「醜態を晒すなんて事はないけど、それより問題はゼロが最初に言った通り、菫ちゃんは酔っている間の事を何も覚えてないんだ。どれだけ楽しく過ごしたとしても、何も覚えてないなんて可哀想じゃないか」
例え自分達がいるからと特に警戒もなく酒を飲んだとしても、今日のようにせっかく集まったにもかかわらず、相手が途中から何も覚えていないというのは共に過ごす者としても寂しさを覚えるものだ。
「あぁ、二人が言いたかったのはそれか。んじゃー俺が言った、お前たちがいるから安心して飲んだんだっていうのは、的外れだったな。本当にすまん」
「あー……悪かった」
「確かに、そういう事なら悪ふざけが過ぎたね。ごめん。次は気を付けるよ」
三人三様に謝罪され、しっかり自分達が言いたい事を理解しているようだと零と景光も感じ取れた。そのため、それ以上の小言は二人も口にはしなかった。
続きます。夢主が酔っぱらってから本番。