Cendrillon | ナノ


▼ 002
 寝起きのようなぼんやりする頭が何やら音を拾った。

「――いじょうぶ? 聞こえる? 菫さん?」
「は、はい。なんだか……揺れる乗り物に乗ったみたいに、頭がくらくらしますけど、大丈夫、です」

 若い女性に声を掛けられている事に気付くと菫は気分の悪さを押し隠し、そう伝えた。
 そんな菫を気遣うように傍にいてくれる女性は菫の背を優しく撫でていてくれる。

 いつの間にか目を瞑って座り込んでいたらしい。菫は俯いていた頭を上げると、どこかはっきりとしない思考で背を撫でてくれる人を見やる。
 そして傍らにしゃがみ込む女性を見て一瞬で覚醒した。

「!? ……あのもしかして、ヴィオレさんですか?」
「ふふ。そうよ」

 ヴィオレは元々年を重ねても美しい女性、という印象だった。最初の出会いでも上品な雰囲気から菫もすんなり警戒心を解いたと言ってもいい。
 しかし目の前の女性は明らかに違った。

「最初にお見かけした時と、見た目が……」
「これが私の元の姿よ。というよりもあなたの世界で何十年と過ごしていたから年を取ってしまっていたけれど、こちら――元の世界の元の時間に帰ってきて、本来の姿に戻ったのね」

 悪戯っぽく笑う若い女性――ヴィオレは大層美しい、銀髪紫眼が良く似合う妖艶な女性であった。世界で活躍する海外のモデルだと言われたら納得しただろう。儚げというより強い意志を感じさせる、自信に満ち溢れた女帝のような貫禄がある。

「見た目が変わっているといえば、菫さんも少し変わってしまっているの。それも含めて菫さんとは今後の事も色々話さなければならないけれど、まずこの場を治めさせてね」
「え? ……え! ち、小さくなってます!」

 一番最初に菫の目に入ったのは、自分のふくふくとした小さな手だ。次いで自分の身体を見下ろし慌てる菫を横目にヴィオレが立ち上がり辺りをゆっくり見渡した。

「ヴィオレ様! 今、一瞬姿が消えられましたが、どうなされました?」
「実験が失敗したのでしょうか?」
「通常ではありえない反応でしたが……」
「……いきなり現れたこのお嬢ちゃんは誰だろうね?」

 自身の変化に手一杯だった菫は気にかける余裕がなかったが、実に慌ただしい喧騒の中心に二人はいた。
 住宅街の人のいない通りにいた筈なのに、今いる場所は大きな湖の畔の拓けた原っぱであった。夜空に満月が輝いている事くらいしか、菫の最後の記憶と共通点がない状況である。
 さらにそこにはマントに身を包む人間たちしかいなかった。有り体に言えばかなり怪しい。

 だが皆落ち着かない様子で菫とその隣にいる女性を取り囲んでいる。しかしそんな中で、冷静な男性の声が響いた。

「……ヴィオレ様、何か問題がございましたか? またご一緒の小さなお客様はどなたでしょう? それにこちらのお嬢様にはお召しの服が、いささか大きすぎるようでございます」

 男性のどこか人を従えるような強制力のある声で、辺りは一瞬で静まり返った。
 声の主もマントを纏っていたがその下は三つ揃えのスーツで、口調と合わさって執事のように見える人物だ。

「ノア、私の客人よ。そして命の恩人。さて、皆様。今回試した魔術はかなり危険です。私は身をもってそれを知りました。今後の使用はおすすめしません。命の保証ができかねます」
「何と……」
「おぉ、ヴィオレ様がそこまで言われるか……」

 ヴィオレの発言に、あちらこちらから驚きの声が上がった。それに気も留めずヴィオレは宣言する。

「詳しくは後日説明しますが今日は解散してください。ただ皆さん、私はこの娘――菫に助けられました。それだけは覚えておいて」

 その場にいる誰よりも威厳のある声で周囲を制するとヴィオレは解散を命じた。それを聞いた者達は頭を下げ、煙が消えるように一瞬で姿を消していく。
 残ったのは菫とヴィオレ、そして執事のような男性のみだった。ふと訪れた静けさに、菫は混乱から我へと返る。
 しかし同時にヴィオレがただ一人残る男性に勢いよく抱きつくのを目撃すると、すぐに見てはいけないものを見たような気がして顔を逸らした。ただ耳を塞ぐのも大げさなので二人の男女の会話を聞くともなしに聞くしかない。

「あぁ、ノア。あなたにまた会えて、私……胸が震えるくらい嬉しいのよ?」
「……瞬く程度の短い間に、なんて可愛らしい事を言うようになったのですか、ヴィオレ様」

 危なげなくヴィオレを受け止めたノアは、腕の中の女性の今までにはなかった言動に目を瞠らせる。でもどこか嬉しそうでもある。

「ふふ、あなたが変わらず私の傍にいてくれる事が何よりも幸運だったのだと、ようやく気付いたの」
「どうやら私が知らぬ間に何か想像もつかないような事が起きたのは確かなのでしょう。急に私の想いにお応えくださったこの奇跡を噛み締めたいところではありますが、こちらのヴィオレ様の命の恩人とおっしゃるお嬢様を放っておく事もできません」
「そうね。まずは話し合いましょう。ノア、この娘は菫さん。異世界からの客人であり命の恩人。菫さん、この人はノア。私の片腕であり今は……恋人になるのかしら?」

 二人の世界に入っていたヴィオレから前触れなく自己紹介の流れになり、菫は慌てて立ち上がり身なりを整えた。しかし着ていた仕事帰りのスーツはぶかぶかとなり、スカートのベルトを調整して辛うじてズレ落ちないようにする事くらいしかできなかった。

「ご紹介にあずかりました。ヴィオレ様の補佐をしております、ノアと申します。ヴィオレ様の恋人としてお見知り置きくださいませ。ヴィオレ様をお助けいただいたようで、私からも礼を。ありがとうございます」
「いえ! ご丁寧にありがとうございます。鳳菫と申します」

 互いに深々と頭を下げながら、互いに相手を伺い合う。
 菫の目の前にいるのは金髪碧眼のこれまた非の打ちどころがない美青年だ。若返ったヴィオレも大変見目麗しいので二人が並ぶとかなり華やかでお似合いのカップルに見えた。
 住む世界が違うように感じさせる二人を目前に、菫はたじたじと言葉を重ねる。

「ヴィオレさんとは……その、違う世界? で出会ったばかりで、それに命の恩人というのも私自身が何かした訳ではないので、そんなに大げさにされると恐縮です。普通にして頂けると助かります」
「しかし……」
「本人がそういうなら堅苦しいことは止めにしましょ。これから長い付き合いになると思うし。一度屋敷に戻って今後について話し合いましょう」

 菫とノアの問答をヴィオレが制止する。そして菫が聞いていても分かるくらい甘い声でノアへとおねだりをした。

「ねぇノア、お茶を入れてくれる? あなたのお茶は久しぶりなのよ」
「かしこまりました。ヴィオレ様」

 愛しい人からのお願いに間髪入れず了承したノアに、つい菫はふふっと吹き出し相好を崩した。しかし二人のその会話のすぐあと、菫はほぼ強制的に瞬間移動のようにヴィオレ所有の屋敷へと連れて行かれる事になる。突然景色が変わり洋風の豪奢な部屋に居る事に菫は目を白黒とさせた。

(そうだった、ヴィオレさんは魔女だった……)

 菫はヴィオレが不可思議な力を持つ女性なのだと、頭の片隅にやっていた事実を再認識するのだった。



 * * *



「――私がこのような可愛らしい彼女と再会できたのも、菫様のおかげだったのですね。心から感謝を。ヴィオレ様と同様に誠心誠意、菫様のバックアップをさせて頂きます」

 これまでの経緯を知ったノアは再び堅苦しさを復活させて菫に頭を下げた。

「わぁ?! 本当に止めてください! 元はパンドラみたいな宝石の力……えっとエルピスでしたか? それによるものなんです。私が何か努力して成功したとか、そういう話じゃないんです」

 菫は慌てて身に覚えのない自分に降りかかる功績を否定する。また様付けは止めてほしいと懇願した。

「エルピスで叶えられる筈の願いを私に譲ってくれたのは事実よ。あなたは何だって願えた筈なのよ。私はそれに代わる事をあなたに返さなくてはいけないわ」
「でも相性の悪い? 世界から私を連れ出してもらいました。それは私には絶対できませんでした。ヴィオレさんが居なければ到底無理な事です。だからなんて言うんでしょうか……お相子、だと思います」

 それに、と菫は一度区切ってから自分の喉に触れて話し始めた。

「私今、英語で喋ってますよね? 今まで日本語しか話せなかったのに、急に英語が理解できるようになっているんです。これはヴィオレさんのおかげですか?」
「あぁ、それはそうね。勝手にしてしまってごめんなさい。ただ今いる此処が日本じゃないのよ。さっき他にも人がいたでしょ? あの人達も見て分かっただろうけど日本人じゃないの。言葉が分からない人間に囲まれているって状況把握もできないし、何より不安になるでしょ? ストレスも感じるからそうなるくらいならって菫に魔法掛けちゃったの」

 本人の同意なく魔術の使用は褒められる事ではない、としょげるヴィオレに菫は首を振った。

「いえ、私のためにしてくれた事ですよね? それに英語は苦手で今話せるようになって嬉しいんです。だから、そう――私の願い事が叶ってるんです。お相子です。ヴィオレさんには充分して頂いたと思ってます」
「だからそれは私が勝手にした事よ。お礼にはならないわ」

 ヴィオレの過剰なまでの感謝の念を菫は持て余し気味だった。すでに礼は尽くされていると、気にしないでほしいと菫は言葉を重ねたが結局二人の話は堂々巡りとなってしまう。
 そこで話を切り替えたのがノアだった。

「――まぁ、お二人の言い分は分かりました。ですが、菫様――あぁ、お言葉に甘えて今後は菫と呼ばせて頂きましょう――菫はこちらで一から新たに生活を始めなければなりません。身分ですとか住む場所などが必要です。こういった物はお持ちでないでしょうから、それらをまず私達に任せてください」
「そうね! 菫もそれは必要でしょ? ないと困るし、今の菫じゃ自分でそんなもの用意できないでしょ?」
「た、確かにそうです……」
「大丈夫ですよ。全て合法的に用意できますから」

 戸籍などの心配はしなくて良さそうな事に菫はひとまず安心した。しかし、目下一番の問題について直面する事にもなる。

「それに菫が小さくなってるのも、ちょっと予想外なのよね」
「あ、それは私も気になってました。でもヴィオレさんにとっても想定外の事だったんですか? 子供の姿になっているのはなんででしょう? 時間が経てば自然と大人の姿に戻れますか?」

 矢継ぎ早に問いかける菫に、ヴィオレは首をひねる。

「うーん、自然とすぐに、というのは難しいと思うわ。菫の世界からこちらの世界に移動した時に何かが作用したのだとは思うのよ。私も年老いた姿から今の姿に戻っていたでしょ? 実はこれって私が何かした訳ではないのよ」
「あぁ……何か時間が巻き戻ったとか、あったんでしょうか? それが私にも適用された?」
「真相は分からないけれどね。でも菫の願いを叶える事に尽力すると誓った身としては、魔術で大人の姿にする事はできるわ」
「! それは良かったです」

 意外と話は簡単に解決する事ができるようだった。だが喜色を浮かべた菫に対し、直前の発言とは真逆の事もヴィオレは勧めてきた。

「けれど新しい生活をここでするのなら子供時代から心機一転というのもありだと思うわよ?」
「え? そうですか?」
「菫は友人が欲しいって言ってたわよね。前の生活を推測するに、あなたは人間関係の構築はいまだ初心者でしょう? いきなり大人の友人を作るのはハードルが高いんじゃないかしら?」

 ヴィオレの指摘は的を射たものだった。正真正銘、菫は友人がいた試しがなく、友達の作り方がよく分からない。菫は友人を作ろうにも世界との相性の悪さ故か他者に良い印象を与えない雰囲気を纏っていた。
 そのためまず友好的に人と知り合うという最初の関門もこれまでに突破できていない。成長するにつれて学ぶ、人との距離の取り方、縮め方など菫自身も自信がなかった。

「う、それは否定できません」
「でしょう? それなら最初は警戒心も強い大人じゃなくて、子供相手にお友達になりましょうって、練習する所から始めるのが良いと思うのよね」
「そう――ですね。ちょっと情けないですけど、その方が良いんでしょうか……」

 心が揺れ動き始めた菫に、それまで口を挟まなかったノアも助言のように声を掛ける。

「私も人生をやり直すというならば、若い身空が良いと思いますよ? 世間的にも子供時代から人生をやり直したい、という人は大勢いるようですしね。ある意味恵まれた状態とも言えます。菫は今まで苦労されたとの事ですし、大人に成長するまでのモラトリアム期間としてゆっくり過ごすのも良いのでは?」

 ノアの言葉を聞いて一理あると菫は思ってしまった。むしろ魅力的な提案なのでは? とも思う。
 子供時代からやり直して、友達を作る――もしかしたら物語でよく見かける幼馴染のような関係を築ける友人もできる可能性もある。そう考えると子供のままの方が良いかもしれない。

「そう――ですね……。それなら無理に大人の姿に戻らなくても、良いかな? どうしても戻りたいっていう理由もないですし」
「それならこの状態で菫の戸籍とか用意するわよ? でも本当に大丈夫? 正式な記録として登録されたら、やっぱり大人に戻りたい、は通じないわよ?」

 最終確認のように念を押すヴィオレに菫は笑みを浮かべる。通常では考えられない決断ではあったが、今後の事を思うと菫は少しワクワクしてきていた。

「はい。私は今のこの自分を成長させていきます。そして大切なお友達をたくさん作るんです!」

 こんなに希望に満ち溢れた心情でいられるのは初めての事だった。

「そう。それなら応援するわ。あとこれからも私達の事は親のように頼ってちょうだい」
「えぇ?! 流石にそこまでは……」

 必要な物は最低限任せてしまうとは思っていたものの、それ以上の迷惑は掛けられないと遠慮を見せた菫だったが、ノアが畳みかけるように喋りだす。

「いいえ菫。是非そうしてください。菫の親になるという事は、私達は家族という事です。つまり私とヴィオレは夫婦という事になります。願ってもない事です。それに彼女は今回のような事がなければ、きっと私の事など一人の男としては見てもらえなかったでしょう。きっかけをくれたあなたは私の恩人でもあるのです。ヴィオレと二人であなたの助けになるのは、この上ない喜びです」

 嬉しそうに頬を緩めるノアをやや呆れたように見つめるヴィオレだったが、否定する言葉は出てこなかった。どこか近寄りがたさも覚えるノアの、見かけによらない発言に菫は拍子抜けしたように肩の力を抜いた。本当にこの二人に頼っても嫌われないだろうと安心できた。

「友人は作る事ができても、家族は無理だろうなって思ってました。……これからもよろしくお願いします。ヴィオレさん、ノアさん。たまにお母さん、お父さんと呼んでもいいですか?」
「うふふ、いつでも良いわよ?」
「ええ、同じく」

 にっこりと微笑むカップルを見上げて、菫は何も不安に思う事がないこの状況に、泣きそうなくらいの幸せを覚えた。




[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -