Cendrillon | ナノ


▼ *02


 沖矢の借りている部屋は日本のアパートの一般的な間取りで、あまり広くないダイニングキッチンのようだ。そのテーブル席に菫を座らせると、秀一は冷蔵庫から水のペットボトルを取り出しそれを菫に渡す。
そしてやはり沖矢の姿の話し方を崩さず、秀一は説明し出した。玄関前でのやり取りの続きだった。

「彼がこの事――沖矢の事を知らないのか、という話でしたね。私が――沖矢昴が米花に住む事は、こちらは共有してますよ。むしろ、彼らは菫さんに内部事情は共有していないのですか?」

 秀一のその言葉には菫も首を傾げた。こちら、とはFBIの事だろう。そして彼ら、とはつまり零と景光の事だと思われた。彼らから共有も何も、菫は公安の深い事情などを知る立場にない。
 大体のところは知っているものの、それは人づての情報ではなく、菫が元より知っている知識だ。

「沖矢さん、彼らは基本的に私に重要なお仕事の話はしません」

 現状の菫が零と景光から明確に知らされているのは、二人が公安に所属し、ある組織に潜入捜査をしていた事だけだ。そして景光は公安という身元が知られた事により捜査不能となり、それに伴い身を潜めているというのが菫に与えられている情報だ。
 姿が知られている上に死んだ事になっている景光は、素顔のままでは基本的に公安への出入りを禁じられている。別所で裏方の仕事を一手に引き受けており、その補佐が菫の協力者としての仕事なのだ。

「私はえっと、あまり動けない桜の守り人さんの代わりに、うーん……太陽の昇る所まで、書類を出しに行ったり、簡単な仲介をする事が多いです。それ以外の事は一切感知してないですよ?」

 景光は警察官という事で桜の守り人とぼかし、公安については警察の旭日章から太陽と称しながら、菫は秀一に伝えた。目の前の人物であればそれで通じる筈だ。
 そして菫はそう申告した通り、景光の事務作業の補佐程度しか公安からは仕事を与えられていない。恐らく自分はさほど重要な情報を扱っていない、数多いる協力者の一人と公安側から思われているだろう……というのが菫の認識だ。
 だが、どうもFBIの秀一には、公安側の自分の実際の立場とは異なる認識をされているようだと菫は思う。

「……この件は後ほど、彼らともお話しする事にしましょう」
「? まぁ、そうですね。どんな事でも認識の齟齬はなくした方が良いですしね? あ、ちなみに桜の守り人さんの名前、沖矢さんは聞いてますか?」
「えぇ、それは聞いてますよ。楠木景光さんですよね? 彼は元気ですか?」
「はい。変装にもだいぶ慣れて、外出がしやすくなったって言ってまし……あ!」

 そこまで話をして、菫はハッとしたように表情を変えた。秀一が沖矢に変装している事を自分にばらしてきた理由について、その答えが得られていないのだ。

「それより! 今回の事は何なんですか? 沖矢さんになっているって事は、しゅ……もぉ! 赤の彼の事を隠したいって事ですよね? わざわざ教えるような事、なんで私にするんです!」

 菫は目の前の人物も気軽に呼べないため、その名字から秀一を示せる単語で問い質した。ついでにこのアパートの大家の息子からも似たように呼ばれていた筈なので、かなり単純な連想でもある。
 しかし、秀一は菫が猫のように毛を逆立たせているのもなんのそので、あっさりと流す。

「もちろん理由はありますよ?」
「む……何なんでしょう?」

 少し不機嫌そうに菫は問い返した。秀一に振り回され、少し面白くない。

「まあ、最初はただ、この状態で菫さんと知り合っておくだけのつもりでしたが」
「その予定が、どうして変わっちゃったんです?」
「それは菫さん、あなたが私に気付いていると思ったからですよ?」
「え?」

 菫はびくりと身体を竦ませる。再び開眼した秀一に菫はジッと睨まれていた。

「先ほども玄関前で言いましたが、私が誰だか知っていたので菫さんは簡単に沖矢の家まで来たのでしょう? それとも普段からあんなに気軽に、知らない男について行っているんですか?」
「ち、違いますっ! そんな事してません!」

 微妙に低い声で問い質され、慌てて菫は首を振る。
 だがこれは、どう返答しても菫的には詰んでしまう問いだ。秀一だと知らなかったと言えば、ホイホイと男について行くと思われてしまう。反対に秀一だと知っていたと言えば、何故知っていたかと追及されるだろう。後者の方が弁解できないのだが、菫は前者ではないと弁明した。知らない男について行くと思われる方が怒られると、菫は直感した。

「それならば結構です。いいこですね」

 菫の直感は正しかったようで、その答えを聞くと秀一の雰囲気がやわらかな沖矢のものに戻る。にっこりと微笑まれ、菫は息をつく。だが追及されたくない思いはあるが、それでも菫にも言いたい事はあった。

「でも……私がもし知らなかったら、どうするんです? いいんですか? ばれてない人にわざわざ教えてしまって……。それに最近、赤の彼と私、会いましたよね? その時は何も言わなかったのに、なんで今になって……?」

 菫は秀一が日本で生活するようになってからはそれなりに連絡を取り合っていた。黒尽くめの組織に関する話などには全く触れない、通常の交流だ。

 だからこそ今回は秀一にしては軽率な行動に思えた。これはFBIでも極秘情報ではなかっただろうかと思うのだ。沖矢に変装しているという事は、現在秀一はあの峠で死んだ事になっているという事に他ならない。確かこの情報はしかるべき時まで、あの仲間のジョディやキャメルにも知らされていない筈ではなかったかと菫は思い出す。しかし秀一の返答は軽い。

「知らなければ、それはそれで構わなかったんですよ。周囲に一人くらいこちらの事情を知っている人間がいると、助かりますからね。もし知らなくても、協力者になってもらおうと思ってしまいました」
「思ってしまいましたって、そんなのさっき思い付いた、みたいな言い方じゃないですか……。しかも事後承諾ですし……」

 何とも言えない表情で菫が不満げにぽつりと零した。

「ええ、つい先ほど話をしながら思い付きましたので。それに菫さん、知らなかったら――など、所詮仮定のお話です。あなたは知っていましたしね」
「う……」

 やはり秀一のその指摘に菫は言葉を詰まらせる。

「彼らから情報の共有はないようなのに、菫さんは赤の彼の死もご存知のようですね? さらに沖矢の正体も知っている。興味深いです」
「……」

 どこからその情報を得たのか菫は説明ができない。そして秀一はその菫の負い目を的確に突いて、自分の意見を通そうとする。

「菫さんは何故かこちらの情報をお持ちだ。そして私はあなたを協力者にするつもりでした。過失の割合は50:50という事で、ここは妥協しませんか? 私は菫さんが沖矢をご存じだった事を追求しません。代わりに元より事情も知るあなたには、ぜひ協力して頂きたい。……どうですか?」
「……個人的には構わないかなって思うんですけど……」

 追及されないというのは魅力的ではあった。菫としては自分の秘密の綻びとなる、糸口となってしまう発言をしたくない。
 菫は元々嘘が得意ではないが、それよりなによりこの世界の人間は、目の前のFBIやら幼馴染の公安をはじめとして洞察力が鋭い人間が多すぎるのだ。素人が嘘をついてもすぐに論破されてしまうだろう。その上巧みな話術を繰り出されれば、菫はもう唄うしかない。

「でも私もう、桜の守り人さんのお手伝いをしているので、ビュロウさんのお手伝いは難しいんじゃないかと……」

 何も言わずに済むのが一番である。だが、菫は公安の協力者の一人として、このFBIでもある秀一の話に独断で頷いてはいけないだろうな、と思う。秀一は顎に手を当て、考え込んだ。

「フム……それならば、彼に話を通しておきますね?」
「……透さんが良いって言うでしょうか?」

 菫は頬に手を当て、首を傾げた。未来が変わったせいか、公安とFBIは協力関係にあるらしいとは菫も聞いている。と言っても、その繋がりは付かず離れずといった程度らしい。そして零と秀一の関係も、菫が昔から知るものとそんなに変わり映えがないようなのだ。無論、菫が知る通りであるほど険悪ではないが、仲が良いとはお世辞にも言えないのが傍目に分かる関係である。

「彼らばかり、ズルいと思いませんか?」
「? ズルいって何がです?」
「菫さんの協力を得られる事ですね」
「ビュロウさんでも事務仕事の人手が足りないんですか? ……まぁそうですよね。ここ日本ってビュロウさんからすれば、外国でアウェイですし。本拠地のようにはいきませんよね? 猫の手でも借りたいですよね」

 菫は自分で言って、さもありなんと納得してしまった。間違いなくFBIからは少数精鋭の実働部隊が日本へと投入されているのだろうが、それと一緒に事務処理のサポーターまでもが同行しているとは考えにくかった。恐らく日常の細々とした事などは、本人たちで手配や手続きなどしなければならないのだろうと菫は想像した。

「まぁ、それもありますね……」
「うーん、確かにそれは大変そうですよね? もしも許可が下りたなら、微力ですが協力しますね」
「下りなかった場合はどうしましょう?」
「え? うーん……」

 そこをさらに掘り込まれると思っていなかった菫は、困ったように眉を下げる。

「やはり彼らはズルいと思いませんか? 私も菫さんとはお付き合いは長いと思っているんですよ。彼らのように私も、菫さんのお手伝いがあると嬉しいんですけどね?」
「あ、そういう意味もあるんですね。でも確かにそう言われちゃうと、沖矢さんにも何かしない訳には……いかない、ですね……」
「おや、そう言ってくれますか?」

 意外そうな秀一の言葉だったが、菫はジトッと半眼になる。

「もう……今のこれって、沖矢さんが言わせたやつですよね!」

 そう、菫も途中で気付いたのだが、先の発言は誘導されてのものだった。だが、自主的な発言には変わりなく菫も、自然に言わせるなんてすごい話術……と思わず心の中で唸ったくらいである。
 しかしそれでも菫は、諦念を含んだため息をつく。

「ふぅ……まあ、もしも許可が下りなかった時でも、何かしらお手伝いはしますよ? ただあちらに差し障りがない程度のお手伝いになりますよ?」
「充分ですよ。ありがとうございます」
「だけど制限があるとなると、具体的に私に何か出来る事って、あります……?」

 公安を慮って出来る範囲となるとそう多くないように菫には思えた。しかし、秀一はあっさりと要望を口にする。

「そうですね……たまに食事に付き合ってくれたりしたら、嬉しいですね?」
「そんなのでいいんですか? でも、お手伝いになります?」
「ええ。いい息抜きですよ。沖矢の友人として気軽に付き合ってください」
「それなら、難しくなさそうですね」

 意外なほどささやかな秀一の希望に菫は拍子抜けしてしまった。だが、情報漏洩に気を配れば友人付き合いの範囲の筈だ。公安と言えどこの程度ならば見逃してくれるのではないかと菫にも思えた。

「それではそういう事で……。あぁ、そうだ。私の事は昴で結構です。それでは、これからもよろしくお願いしますね、菫さん?」
「はい、沖矢さ……じゃなかった昴さん。私もよろしくお願いします。でも、あまり危ない事はしないでくださいね?」
「それは約束できませんが、他ならぬ菫さんの言葉ですからね。気をつけましょう」

 さらりと約束できないと秀一に断言され菫はねめつけるが、沖矢のアルカイックスマイルで受け流されてしまう。歯牙にもかけない秀一のその様子に、菫は再度ため息をついたのだった。



 * * *



 話もひと段落したところで、菫は道案内の話を思い出した。

「そうだ昴さん。道案内の件、今から出かけますか? まだこの近所の地理は怪しいんですよね? でも、まさかあれって口実だったりします?」
「あぁ、あれは菫さんに話しかけるための口実ですね。事前にこの近辺の地理は把握してますから」
「そうですか……」

 平然と認められてしまい、思わず菫は乾いた笑いが零れてしまった。もう自分は秀一の手の上で踊るしかないのかもしれないと、菫は達観してしまいそうである。そんな哀愁を漂わせていた菫に、秀一はある話を掘り返してきた。

「――ところで菫さん。何故、私物は別の場所に移動した方が良いんでしょうか?」
「え、それ、終わった話です、よね……」
「興味深いお話でしたから、掘り下げさせてください」
「えぇ……ほ、掘り下げないでくださいぃ……」

 まさかアパートが火事になるとも予言できない菫は、秀一との多少の問答の末、苦し紛れに、女の感です! と煙に巻いた。正確には巻かれていないのだろうが秀一は追及の手を止め、数秒考え込んだあと菫に驚くような提案をする。

「では、私の本を預かってもらえますか? 菫さん」
「はい?」
「今ここに置いてある物で、替えのきかない物はそこの本棚の本だけなんです」

 菫は秀一の指差す本棚に目を向ける。同じ背表紙の古めかしいハードカバーの本などが、所狭しと並んでいた。

「え、と……どうしてでしょう?」
「おや、菫さんが大切な物は移動した方が良いと仰ったんですよ? 近場でレンタルルームなんてすぐには見つかりませんし、責任を持って菫さんが預かってください。それに菫さんのご自宅はお部屋、余ってますよね?」
「そうですけど……そうですけど! うぅ〜……」

 言いたい事は山のようにあるのだが、結局そのどれをも飲み込んで菫は秀一のその要望に頷くしかない。

「ありがとうございます。それでは善は急げですね。早速運んでしまいましょう」

 まだ処分していなかったというダンボールに、秀一の手持ちの本は全て詰められた。そして菫はその本と共に秀一の……というより沖矢の愛車で、自宅まで運ばれる。

「本を読みたくなりましたら、こちらに伺っても良いですか? 菫さん」
「……はい、どうぞ。もう、昴さんの好きにしてください」

 それ以外の返答がありようものかと、菫は遠い目をした。
 そして後日、菫はこの世界の目まぐるしい時の流れを、実感させられる事となる。


 ・
 ・
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「菫さん、実は今日というか昨夜、アパートが火事になりましてね」
「え!」

 突然家に現れた沖矢に扮する秀一に、コーヒーを出してもてなしていた菫は、その報告に慌てふためいた。

(も、もうなの?! 話の展開が早いよぉ!)

 だが、火事が既に起こっていた事に驚いたあとは、秀一の身体をペタペタと触って怪我がない事を菫は確かめる。万が一だが火事に居合わせている事も考えられたからだ。

「昴さん、怪我とか火傷はしてないですか?」
「ええ、夜の出火でしたが、たまたま外出してたんですよ。それでですね、菫さんの助言のお陰で、私の本は難を逃れました。ありがとうございます」
「あ、いえ、とんでもないです……」

 面と向かって言われてしまい、菫は困ったように首を振る。あまり深く言及されたくない話題である。

「菫さん、この事を――何か起こる事を、何故ご存じだったんでしょうね?」
「えぇ……ご存じだった訳じゃ、ないんですよ? か、感です……」

 思わず言葉遣いもおかしくなるというものだ。菫のたじろいだ様子に秀一はある事を畳みかけてきた。

「……そう言えば菫さんのご自宅、空き部屋がありますよね」
「え、えぇ……」
「住む所が燃えてしまったので、居候は可能ですか?」
「え?」

 菫は目をパチパチとさせた。

(あれ? コナン君……じゃない。工藤君のおうちに引っ越すんじゃなかったっけ? コナン君と会ってないの?)

 工藤邸に引っ越すと知っていた菫は、本当に不思議そうに頬に手を当てて考え込む。

(何か、私も知らないような事が起きてるのかな……)

 もちろん、いざとなったら部屋を提供する事に菫は否やはなかった。だが問題があると言えばある。

「……私は別に構わないですけど、ただ……」
「ただ?」
「幼馴染が二人、たまにというか、結構な頻度で顔を出しますけど、大丈夫ですか? 最近特に、打ち合わせを我が家でする事が多いんです」
「……やはり居候の話はなかった事にしてください」

 菫も断るつもりで言ったのではなかったが、気を遣ったその菫の言葉に秀一は一瞬の沈黙のあと、あっさり前言を翻した。しかし、全面撤退はしないようである。

「あぁ、でも一時滞在は可能ですか? 住む場所が決まるまでくらいなら、お目こぼししてくれるでしょう。恐らくですが」
「私はもちろん大丈夫ですよ。困った時はお互い様ですからね。あの二人みたいにセーフハウスっぽく使ってください。でも、これから服とかいろいろ買い揃えるの、大変ですねぇ」
「全くです」
「でも昴さん……どこか他に、引越し先の当てはあるんですか?」

 このまま自分の知る展開になるのかと、菫は好奇心から探りを入れる。

「あぁ、それはご心配なく。実は一つ、居候をしても良いと誘われている所があるんですよ。面白い家主の方ですね。お世話になるとなれば、もう少し詳細を詰める必要はありますけれど……」
「!」

 やはり秀一はコナンと接触しているようだ。というよりも赤井秀一の死の偽装にコナンが関わっている筈なので、すでに知り合っていたというのは推測はできるのだが、詳しい裏事情は菫の知るところではない。だが、秀一の発言によって間違いなくあのコナンが味方であると確信し、菫は内心安堵の息をついていた。

「そうなんですね! あぁ、それは良かったです。昴さんは絶対に、そこでお世話になるべきですよ!」
「……おや、菫さんはそう思いますか?」

 秀一のその問いに菫は躊躇いもなく頷いた。それは、あのボウヤの事も何か感づいてるな……と秀一にも確信させてしまうような、満面の笑みだった。



そして赤井さんの一時滞在中に幼馴染たちにばれるのはお約束。
当サイトではウイスキートリオが旧知の仲のため、公安(安室さん)とFBI(沖矢さん)は協力関係という事で。ただ犯人を確保した方が主導権を握れるっぽい流れ。日々競い合ってる感じで合同で動く事はほぼない。


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