Cendrillon | ナノ


▼ #遠い日の長野での偶然 #01
ウイスキートリオの消息が分からなくなって、夢主が体調を崩してた頃のお話。


 ある日、組織に潜入している幼馴染たちの消息が途絶えたと知らされ、菫は崩れ落ちた。空が落ちたような、世界が壊れてしまったかのような、そんな幻覚を見せられた気がした。
 最も恐れていた未来が、いつどこからやって来るのかも分からない事に、吐き気を覚える。本当の恐怖を知らずに安穏と暮らしていられたこれまでの日々は、薄氷の上にあったのだと菫はその時気付く。それが繊細で儚く壊れやすいのだと、菫は知らなかった。

「嘘……こんなの、嘘……嘘だよぉ……」

 顔を手で覆い、菫は壊れた機械のように繰り返す。これが現実だと信じたくなかった。
 消えてしまってようやく理解する。そしてそれでは遅すぎたのだ。失われた幸福の大きさに比例して、菫の心に残ったのはどうしようもない後悔だけだった。

 それからというもの菫は毎夜、幼馴染が――特に景光が消えてしまう夢を見るようになる。そして朝、絶望に塗れて目覚めるのだ。眠りは死と同義となって、菫が眠りを恐れるようになるのも必然だった。
 だが、絶望を伴う眠りからの目覚めはある意味、希望でもあった。その夢が覚醒と同時に跡形もなく消え去る事で、それは現実ではないのだと教えてくれるからだ。菫はその目覚めの一瞬の希望に、未来を重ねたかった。恐ろしい眠りですら受け入れられた。

 その日から菫が考える事は――目覚めに真っ先に願う事は、彼らの無事だけだった。夢が現実にならない事だけをただ祈っていた。


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「――ねぇ、菫。今回の商談、延期してもらいましょう?」

 菫が精神的にも、肉体的にも参っていると知ったヴィオレとノアは、イギリスから急遽来日していた。しかしその当の本人は、翌日に控えたの取引のため、明日は朝早くから遠出するという。

「そうですね。先方には謝罪しておきますから、今は休みなさい」
「いえ……。今回の依頼人――相手の方は忙しい方ですし、早く商品を受け取りたいって楽しみにされてたんです。私が責任を持ってお届けしますって約束もしました。だから、明日、長野に行きます」

 菫の青褪めた顔をヴィオレは苦い表情で見つめる。

「でも菫。あなた、身体がボロボロじゃない。すごく痩せちゃって……見てられないわ」
「菫。無理をしてはいけませんよ。どうしても商品を先方に渡すというのなら、私が代わりに行きますから」
「心配を掛けてごめんなさい。でも……今は、働いている方が、気がまぎれるんです。家でじっとしてると、苦しいんです……!」

 憔悴したその菫の言葉に、ヴィオレ達はため息をつき、そして説得を諦めた。



 * * *



 菫が弱っている身体に鞭打って向かった取引先の相手は、長野では有名な会社の社長だ。手広く事業をしているらしく、菫がその社長宅に訪れたその日も、仕事の関係者などが複数出入りしており、少し騒がしかった。
 相手の社長もとても忙しそうであった。商品の受け渡しは早々に済み、軽い雑談で互いに情報交換をしていたその時も、その前の商談中でさえも、部下たちからひっきりなしに声を掛けられていた程である。
 たった今も、菫が案内された応接間から部下の一人が慌ただしく退室していく。

「――いやぁ、菫さん。バタバタして、ゆっくりおもてなしも出来なくて悪かったね」
「いえ、無事商品をお届けできて、安心しました」
「ああ、ようやく手に入って、嬉しいよ。しかし、なんだか顔色が悪いね? 今日は無理をさせたんじゃないかい? 今は風邪も流行っているようだしね」

 それまでにも何回か取引をしていた事もあり、菫も親しくしていた人物だ。菫の顔色を認め、人の良い社長は心配そうに具合を確認してきた。だが、親しくしていたからといって、顧客にそれを指摘されるのは仕事人としては褒められた事ではなかった。

「とんでもない。これは不摂生が祟りまして、お恥ずかしいです」

 社長の指摘に落ち込みつつ、あまり長居をしない方が良いだろうと、菫は普段より早く辞去を申し出る。

「ですが、ご心配ありがとうございます。それにもし風邪であれば、社長にご迷惑をお掛けしても申し訳ありません。今回はそろそろお暇させて頂こうかと思います」
「うん。私も今日は長く引き留めるのは止めておこう。次回はもう少しゆっくりしていっておくれ」
「はい、次回はぜひ」
「どれ、帰るならタクシーを呼ぼう。あと、私は部下と少し仕事の話をしてくるよ。今日は特に忙しくてね。お相手できなくて悪いが、この部屋で待っててくれるかな?」
「はい。私の事はお気になさらずに……」

 忙しい商談相手が部屋から出て行くと、菫は大きく肩で息を吐く。思わず両手で頭を押さえた。
 無理が祟ったのか、菫も取引の途中から体調が悪化している事に自分でも気付いていた。頭がひどく痛むのだ。また時間が経つごとに身体もだるさを訴えてきている。

「今から移動するのは、きつい……かも。動き回らないで、今日はホテルに一泊して帰ろう……」

 時間はまだ昼過ぎだったが、これから帰途につくのは難しいかもしれないと菫は判断した。
 菫は電話でヴィオレ達に取引を終えた事、そして体調が思わしくないため、大事を取って一泊してから帰宅すると伝える。
 そして宿泊の予約を取ろうとホテルを探すため、スマホに触れようとした時だ。

「きゃあー!!」

 女性の叫び声が広い屋敷内に響く。菫は咄嗟に自分しかいない室内を見回した。

「! え……な、何……?」

 出先の慣れぬ土地で、何の因果か菫は事件に巻き込まれてしまうのだった。



 * * *



 県内有数の実業家の自宅で事件が発生したとの知らせを受け、その場には長野県警から刑事が派遣されていた。
 しかし、いる筈のない人間がいる事に諸伏高明は首を傾げる。

「おや、敢助君。君は早朝に起きた事件の担当ではありませんでしたか?」
「そっちは人手が足りてるからって、急にこっちに回されたんだよ。おめーがいるから、俺は無駄足かと思ったんだがな。ここの社長は有名だし、お偉方としちゃ早く解決して欲しいんだろーよ」

 上には逆らえず、取り掛かっていた仕事を放りだす形で新たな現場に配置を変えられた大和敢助は少し不機嫌そうに答える。

「そうですか。そういう意図で現場に口を挟まないでもらいたいものですね。しかし、それでこちらの事件が早く片付くならば歓迎しますよ」
「こっちが解決したら、朝の事件手伝えよ」
「ええ、分かりました」

 そのような会話を交わしていた二人の刑事だが、現場へと訪れてまず二人が思った事は、少し手間取りそうだ、という事だった。
 事件現場となった社長の豪邸は、自宅と言えどプライベートはなかったらしい。普段から会社関係者の出入りが激しいという。その時も片手ではすまないほどの容疑者候補が、邸内にはいたようなのだ。使用人を含めれば、その数はさらに膨れ上がる。取りあえず全員、警察によってその場を離れぬよう押しとどめられていた。

「ちっ……状況から見て、誰でも犯行が可能だな」
「そうですね。まずは居合わせた人物全員から、話を聞きましょう」

 捜査に当たる事になった高明と敢助は、単純に終わらなさそうな事件に、気を取り直して取り掛かる事にした。
 だがその時、現場検証をしている二人に、通常にはないざわめきが聞こえてきた。

「何でしょう? あちらが慌ただしいようですね」

 高明が敢助に首を傾げ問い掛ける。すると、制服警官からちょうどそれについて耳打ちをされていた敢助が軽く答えた。

「ああ、女性が倒れたらしいぞ。話を聞かなきゃならん関係者の一人だな」
「はい。旦那様がお招きしたお若い美術商の方です。本日は東京からお越し頂いていたのですが……」

 敢助の言葉に続けて、その事を社長へ報告にやって来た家政婦が補足するように説明した。すると現場検証に立ち会っていた社長自身も、その人物に関してつい口を開く。

「ああ、倒れたのは彼女だったのか……。これは申し訳ない事をした。刑事さん、彼女はどうやら体調が悪いのを押して来てくれたようでね。今日は商談中も顔色が悪かったんだ。取引も終えてちょうど帰るところだったんだよ。それに事件直前までは私といてね。問題がなければ彼女はもう帰してやりたいのだが……」
「いや、悪りぃが容疑者もまだ定かじゃねぇんだ。話も聞けてねぇし、まだここを離れる許可はやれねぇな」
「敢助君、少しは配慮の必要もあるでしょう。相手は体調の優れない女性なのですから」
「おいおい、高明。言っちゃなんだが、犯人の可能性もあるんだぜ」

 突っかかるような、だが敢助の最もな言い分に高明は頷く。

「ええ、ですから話を聞いて、容疑者から外せるようなら、解放してもいいのでは? それでその方は?」
「鳳様という方です。意識が戻らず、応接間のソファで今は眠ってらっしゃいます」
「刑事さん、彼女をすぐに帰せないなら、せめて医者を呼んでもいいかな? 近くにかかりつけの病院があるんだ。すぐに来てくれるだろう」

 この家の主の申し出もあり、それくらいならば、と二人はそれを了承する。

「まぁ、それは構わねぇだろ。なぁ。高明」
「はい。あとそれならば、彼女の事情聴取は最後がいいでしょう。恐らく医師に診て頂いたあとの方が落ち着いているでしょうし。その間に他の関係者の話を聞くとしましょう」
「そうだな」

 病人の女性は最後に接触する事にし、高明と敢助は本格的に事件の捜査を始めるのだった。



 * * *



「――怪しいやつが何人かいるな。そいつらを重点的に聞き込みしておくか」
「ええ。私もそれが良いと思います。ですが、休んでいる女性――鳳さんにも、話を聞きませんとね」

 刑事二人は家主の先導で、最後の事情聴取になる女性の休む部屋へと向かっていた。その女性は応接間から客室の一つに運ばれたそうなのだ。

「社長、その鳳って女性について、分かる事は聞いておきたいんだがな?」
「彼女かい? そうだね……彼女は以前から世話になっていた美術商の娘さんでね。代替わりみたいなもので、彼女との付き合いはここ数年の事なんだよ。だが気立ての良いお嬢さんだ。身元も明らかだし、今回の事件とは無関係だと思うよ」
「ま、それを判断するのは警察なんでな。だが社長の話しぶりだと、だいぶ若い女性みたいだな?」
「あぁ、まだ二十代そこそこだろう。だが良くしてくれるよ。それに美術品を見つけてくるのが上手い。最近、海外の蚤の市で、掘り出し物を思いがけず見つけると言っていたね。運が良かったと笑っていたよ」

 そうこうしているうちに、女性の休む部屋まで辿り着いた。家主は女性の事情聴取には同席しないようだ。

「それでは刑事さん、私はここで。お話しが終わりましたら、声を掛けてください」

 社長は女性の寝室に入るのを遠慮したのか、すぐにその場を立ち去っていく。高明と敢助はノックのあと、医師の返事で部屋へと入り込んだ。
 すると真っ先にベッドに横たわる女性が目に入る。まるで身動きをせずに眠る青白い女性は人形のように見えた。

「はぁ……すぐには聴取は無理そうだな」
「仕方ありません。しばし待ちましょう」

 高明と敢助はそれぞれベッド横に用意されていた椅子に腰かけ、女性について話が聞けそうな医師に声を掛けようとした。
 その瞬間だった。


「ヒロ、くん?」


 小さくか細い声で、女性から発された名前。恐らく男のその名前に、敢助は聞き覚えがなかった。

「は?」
「……」

 眠っていた女性は、いつの間にか目覚めていた。だが焦点があまり合っていない。
 それでも一心に、ベッドの横に座る男性――高明を見つめ、手を伸ばして、語り掛けてくる。

「ヒロくん、良かった……無事、で――」
「……」
「おい、高明」
「しっ。敢助君、少し静かに」

 訝し気に睨んでくる敢助を、高明は人差し指を立て制止する。

「会えて、良かった……。私ずっと、会いた、かった、よ」
「……」
「もう、二度と、会えないって、思って、た……」

 一言一言喋る度に消耗するのか、その声はどんどん弱々しくなっていく。重たげにまつ毛も徐々に伏せられていった。

「ヒロくん、もう、どこにも、行かないで……」

 そう言い終ると同時に、女性はスゥッと意識を失ってしまう。伸ばした手も力なく落ちた。再び眠ってしまったかのように見えた。

「……なんだ、寝ぼけてんのか? 言ってる事は何だか、不穏だったがな……」
「先生、彼女は大丈夫でしょうか?」

 高明は隣に控えていた医師に問い掛ける。

「……ええ。今も眠っているだけですね。先ほどから浅い眠りで、寝たり覚めたりを繰り返しているんです。恐らくすぐに起きると思いますよ。お話をされるのでしたら、その時に。無理に起こさないでください」
「あ、ああ……」

 医師は二人の刑事にそう言うと何か書面に書きつけ始めた。取り残された二人は、再度眠ったばかりの女性が目覚めるのを待つ事となる。
 しかし、高明はさらさらと何かを書き込んでいる医師に声を掛けた。

「先生、彼女の、鳳さんの下のお名前は分かりますか?」
「患者の名前ですか?」
「? ……おい、高明」
「あぁ、敢助君、少々お待ちを。彼女は私の知り合いだと思います。昔一度、会っただけなんですけどね」

 医師はカルテをペラりとめくり、確認した名前を高明に告げる。

「えー……この方は、菫さん、鳳菫さんですね」
「やはり。菫さんでしたか……。ちなみに、彼女の容体はどういったものなんですか?」
「そうですねぇ。症状としては睡眠不足や体重減少に伴う体調不良です。体力や免疫力も低下していますね」
「さっきの寝言は、なんか関係あるのか?」

 敢助の問いに医師は大きく頷いた。

「ええ、あると思いますよ。体調不良のそもそもの根本原因は、精神的なものでしょう。実は先ほどからあのように、うわ言を言われています。内容からして何か人間関係のストレス……長く会えずにいる、親しい方がいるようですよ。もしかするとその方は、亡くなられているのかもしれませんね」

 淡々と告げる医師の言葉に高明も同様に返す。

「そうですか……」
「取りあえず現時点では、薬を処方出来ません。ゆっくり休むのが一番でしょう。それでは私は帰りますが、刑事さん方、お仕事が終わりましたら彼女にこの診断書をお渡し頂けますか? 可能なら近くの病院に掛かるよう伝えてください」
「はい、分かりました。ありがとうございます」

 診断書の入った封筒を渡され、医師が出て行くのを見送ると、早速とばかりに敢助が高明に問い詰める。

「高明、この嬢ちゃん、お前を誰と勘違いしてたんだ?」
「私の弟、でしょうね……」

 まるで頭が痛むとでも伝えたいかのように、高明は眉間にしわを寄せながら言った。敢助は指であごをなぞりながら、高明と交わした昔話を思い出そうとする。

「弟……確か、東京の親戚に引き取られたって言ってたな」
「ええ。ですが前に一度、弟に東京で出来た幼馴染だと、二人の友人を紹介されましてね。その時に会ったお嬢さんが菫さんですよ」

 高明は傍らで眠る菫に見下ろし、思案気に少し目を細めたのだった。



夢主が事件に遭遇していますが、ぼんやりしてます。あまり深く考えないでください……。そして高明お兄ちゃん登場。今回調べて知ったのですが、高明さんと降谷さんって昔、顔を合わせてたんですね(FILE1031)。早く次のコミックスほしいです。そして続きます。


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