Cendrillon | ナノ


▼ #爆発物処理班 #01

 カレンダーを見つめ、菫はため息をつく。

「もう……11月」

 恐れていた未来が確実に歩を進めてやってきていた。
 零たちは警察学校を卒業した。その後やって来るのは悲しい未来だ。このままであれば、世界がただ決められた通りに回るならば、零は手のひらから砂が零れ落ちるように友人を亡くしていく。

「そんなの、いや……」

 それを想像するだけで菫はまるで我が身が削られるかのように辛い。一人残される零の心情を思うのはもちろんだが、萩原、松田、景光、伊達の4人の命が失われてしまうという事実も耐え難い痛みだ。
 彼らと知り合い交流を持ち、その為人を知った事で菫のその思いはさらに強くなった。このままそれを傍観する事はやはり出来なかった。
 だが、どうしても不安が付きまとう。本来生きる道のない人間を助ける事が、本当にできるのだろうか、と。

「でも……やらない後悔より、やる後悔よ。例え泣く事になっても、何もしなかった痛みに勝るものなんてないでしょ。だからこれからが本当の正念場なんだよ」

 自分に言い聞かせるように不安から目を背け、菫は最後の覚悟を決める。
 幼かった頃、幼稚園から帰ったその足で、当時の菫は思い出せる限りの情報を一心不乱にノートに書付けた。その事が昨日の事のように思い出される。

「先に逝ってしまうのは、一番最初は……研二さん――」

 今もその時のノートを開きながら、菫は今後自分がどう動くべきか、考えあぐねていた。零の友人という事で、この悲しみしかない事件のストーリーは菫も良く読み込んでいた。他の事件などよりは比較的ではあるものの、情報量は多い。だが、具体的にどうすればいいのだろう。菫は頭を抱えた。


 ・・・ ・・・ ・・・

 原作が始まる7年前の11月7日、爆弾事件で萩原は殉職する。
 松田と2人で2つの爆弾解体を担当するが、萩原の方は間に合わずに爆弾のタイマーは遠隔操作で犯人によって止められた。
 しかし、犯人の一人が不慮の事故で死亡。それを警察のせいだと思い込んだ相方の犯人の報復により、タイマーが再起動される。
 結果、防護服を身につけず処理に当たっていた萩原は、最も爆心地に近い場所で爆発に巻き込まれてしまう。

 ・・・ ・・・ ・・・


「――本当に研二さん、ちょっと気を抜き過ぎですよ……」

 幼稚園の時に書いた古びたノートを手に、菫は拳を握りしめた。

 もちろん40キロの防護服を着ていたからと言って助かる見込みがある訳ではない。いざとなれば身軽に走って逃げられる方が、生存見込みが高い事だって考えられる。

「この場合、どうするのが最適解なの? それに私に何ができるの……」

 単純に思いつく事といえば、防護服を完全装備するよう口を酸っぱくして忠言するくらいだ。菫にはその程度しかできない。というよりもそれ以上、できる事がない。
 だが、警察学校の同期の幼馴染……という微妙な立場の自分がそれを言ったところで、果たしてどれだけ相手に響くだろうかと、菫には有効な方法には思えなかった。

「たしかに零くんとヒロくんを通して、研二さんとも多少は仲良くできてると思うよ? でも、同じ爆弾処理をしている陣平さんが注意しても、改まらなさそうな雰囲気だったんだよね……」

 友人であり同僚である松田。その対等な関係の松田の忠告でも、萩原は気にした風ではなかったのだ。むしろ部外者が口を出したら余計頑なになりそうだ。そんな予感が菫にはあった。

「――菫、悩んでいるようですね?」
「そろそろ零の友人に、危険が迫る時期だったわよね?」
「え……ヴィオレさん、ノアさん。イギリスの筈じゃ?」

 ヴィオレとノアが前触れもなく現れ、菫は驚いた。現在イギリスに拠点を移していた二人の、来日の予定を菫は聞いていない。

「言ったでしょ? 一人で考え込まないでって……」
「しかも以前、爆弾処理の事件だと言っていましたよね。元より菫一人に、事に当たらせるつもりはありませんでしたよ?」

 菫の知る知識――情報は、この二人には一通り説明していた。それが、黒ずくめの組織に関連しない事でもだ。

「でも、ヴィオレさんたちには、黒ずくめの組織の件でもう充分協力してもらってます。その上で組織に関係のない事で、お手を煩わせる訳には……」
「もう! 菫にとってはどっちも大事なんでしょ。だったら、私が動くのは必然なのよ」
「そして私もですよ? それに、以前そのノートを見せてもらいましたが、菫が気にしている零の友人の事件。正直に言えば、我々魔術師にとっては対応が容易にできそうな案件なんですよ」
「え?! 本当ですか?」

 思ってもいなかったノアの発言に、菫は顔色を変えて食いついた。



 * * *



「萩原ぁ!!」

 止まっていた筈の爆弾のタイマーが生き返ったという通話と爆音を最後に、携帯からは応答がなくなった。
 松田は爆弾が仕掛けられ、今しがた爆音を辺りに轟かせたマンションを見上げたまま、茫然と呟く。

「は、萩原……」


 あの爆発の規模。
 防護服を身に付けていないと言っていた。
 爆心地にいた萩原が生きている可能性は……。


 導かれる答えに、松田は真っ白になった。身体からは力が抜け、ふらつく。
 咄嗟にすぐそばの車のボンネットに手をつき、辛うじて体勢は崩さなかったが、サングラスはその衝撃で外れてしまう。とても拾い上げる気にはならなかった。
 だが、腕で支えていても松田はすぐに立っていられなくなり、結局ズルズルと地面に膝をついてしまった。そのまま松田は力なく車に寄りかかり、天を仰ぎ、そして両手で顔を覆い隠した。

「なんでだよ……」

 湿った消えそうな声で松田がぽつりと呟いたその時、いつの間にか地面に落としてしまっていたらしい携帯から、着信を知らせる音が鳴り響く。

 ハッと松田はその携帯を取り上げる。萩原からの連絡かもしれないと思った。しかし、それは束の間の希望だった。着信の相手は、違う。

「菫、か……」

 松田は一瞬、電話に出るかどうかを迷う。今は冷静に受け答えができる自信がなかった。それでも、誰かと……萩原を知る誰かと、話をしたい。吐き出したい。この感情を――悲しみと痛みを共有したい……そう思った瞬間には、松田はボタンを押していた。

「菫……」
「あ、陣平さん、今、いいですか? ニュースを見たんです。研二さんは――」
「菫、落ち着いて聞け」
「は、はい……?」

 松田は菫の声を遮る。そして息を大きく吸った後、自分が見たままの状況を伝えた。

「あいつは、萩原は……爆発に巻き込まれて、恐らく…………死んだ」
「え……研二さん、が? そんな筈……あの、すみません……え?」

 松田の言葉に当然の事ながら菫は驚きの声を上げた。いや、どちらかと言えば混乱の声だった。そして、意味のない言葉を羅列している。

 相手には悪いと思うが、自分よりも平静ではない人間がいると、少しだけ自分が冷静になれるというのは本当だな、と松田は思う。
 肝心の菫は電話口から少し離れ、何やら居合わせる誰かと話をしている様子だった。くぐもった声だけが松田には聞こえている。

 次に応答があれば自分は何と言おうか、菫は何と言ってくるか……そんな事をぼんやり考えていると、何故だか辺りが騒がしくなった。

「? 菫、ちょっと待て……おい、どうした?」

 松田は携帯を胸に押し当て、近くにいる人間に何事かと尋ねる。相手が興奮したような口ぶりで伝えてきた内容を、松田は一瞬理解できなかった。
 しかし、それが頭に浸透した時、松田は目を見開いた。心臓が大きく音を立てた気がした。
 保留にしていた携帯に、松田は叫ぶようにまくし立てる。

 
「悪りぃ! 菫、切るぞ。また掛ける! 現場にいた人間は全員、助かったらしい!」


 そう言うが早いか、松田は菫の返事も聞かずに携帯を切ると、爆発の起きた現場へと全力で駆け出したのだった。



 * * *



 菫は松田から電話を切られてしまい、そばにいたヴィオレに首を傾げて尋ねた。

「ヴィオレさん。二個目の爆弾が爆発したニュースが流れたら、陣平さんに電話すれば完璧だって言いましたよね?」
「そうねぇ」
「私てっきり、陣平さんが何か関わっているのかと思ってましたけど、違うんですね」
「今回、彼には特に何もしてないわね」
「最初、研二さんが亡くなったって言われて、心臓が止まるかと思いました」
「ふふっ、相手の勘違いだったでしょ?」
「はい。あ、もちろん研二さんが助かったというのは、ヴィオレさんとノアさんが太鼓判を押してくれたので、信じてるんです! でも、なんだか話があまり通じてなかったような……」

 電話口で判断できた限りでは、どうやら爆発現場の情報が今しがた地上に届いたような雰囲気であった。
 爆発に巻き込まれたのであれば、その場にいる仲間たちの生存確認にも手間取るだろうし、いざ連絡しようにも通信機器に異常がある可能性もあるだろう。
 少し遅れて無事の情報共有がなされた……といったところであろうか。

「もう少し時間をおいてから、陣平さんには連絡すべきだったかもしれませんね……」
「そう? そうしたらきっと、友人が助かったという喜びで電話なんかどうでもいいって心境になっている相手に連絡がつかなかったかもしれないわよ?」
「あぁ、それも有り得そうですね。でも、あの……研二さんは具体的にどうやって助かったんでしょうか?」

 実は今回の事件、菫は全くの蚊帳の外に置かれていた。
 解決に至った全容をいまだ知らないのだ。

「危ないからって、私が関わる事は禁じられましたけど、もう終わったのなら教えてくれますか? 何をしたんでしょうか?」
「うーん……菫はこの件はあまり知らない方が良いわよ。知ってても言えない事が多いから。あとで追及された時、面倒よ? 頭の良い子達だって聞いてるし、菫はきっと黙秘はできないわよ?」
「そうですよ、菫。知らなければ、知らないと言い訳が立つんですから。心配はいりません。何も問題ありませんでしたよ」

 キッチンでお茶の用意をしていたノアが、ティーセットを運びながらヴィオレの意見に追従する。

「そう……ですか? 知らない方が良いなら、今回はもう聞きません。でも! 私も何かお手伝いしたいんです。もし可能なら、次はお役目があると嬉しいです……」
「大丈夫よ菫。次回……あのサングラスの坊やの事件では、あなたに動いてもらう事になるから」
「?! そうなんですね! 私、頑張ります!」
 
 別の場所ではこんな会話がなされていたとは、爆弾事件の後始末に追われる事になる二人には知る由のない事であった。



 * * *



 マンションの上層階の爆発現場から地上へと舞い戻り、萩原はそれはもう揉みくちゃにされた。特に親友には生存をひどく喜ばれ、また詰られたが心配を掛けたので仕方がない。萩原も手荒い歓迎をこの時ばかりは粛々と受け止めるほかなかった。

「――ねぇ、陣平ちゃん。聞きたい事があるんだけど」
「ん? なんだよ?」

 無事生還し、ようやく人心地がついた萩原は、松田におもむろに尋ねる。
 全くもって、脈絡のない問いだった。

「あの爆弾が爆発したあとさ、すぐに陣平ちゃんに連絡してきたやつ、いる?」
「連絡? あぁ……菫が電話してきた。途中で切っちまったから用件は聞いてねーわ。でもお前の事を聞いてきたから、俺達がこの事件に関わっているって思ったんじゃないか?」
「え? 菫ちゃん? そっかー……菫ちゃんか――」

 何故だか萩原は意外そうな表情を浮かべる。さらに何かを考え込み始めた。松田はその萩原の様子に、眉を寄せる。

「おい、何なんだよ。菫がどうかしたか?」
「あーうん。待って。ちょっとややこしい。それに俺も少し混乱してるんだよね……」

 どこか困ったような声で萩原は言った。それまで松田が聞いた事もない頼りない声だった。何かあったようなのだが、それが松田にはさっぱり理解できない。
 ただ、直前にすわ永遠の別れかと覚悟させられただけに、萩原の困惑したような声が何やら松田の不安を煽る。だが、気を付けてその表情を見てみれば、萩原は戸惑っているだけで、致命的にまずい状況でもないようである。

「何か問題があるのか?」
「まぁ、うん、説明したいのはやまやまなんだけどさ、これから報告やら何やらしなきゃいけないし。だから終わったら、いつもの場所で。そこで詳しく話すよ……」

 何とも複雑そうな表情を浮かべた萩原に、訳が分からないながらも松田は追及をやめた。確かに萩原だけでなく、松田にも仕事が残っていた。

「チッ……分かった。早く仕事終わらせろよ」
「うん。それじゃ、あとで」

 足早に去っていく萩原を見送り、松田はタバコを取り出した。仕事に取り掛かる前に一服するかと火をつけようとした。だが、松田も疲れていたらしい。親友を亡くしたかもしれないという心労は多大なストレスだったのだろう。

「ハァ……」

 思わず、その日一番の大きなため息が零れるのは、止められなかった。



 * * *



 二人がよく行く約束の店で落ち合い、萩原と松田は誰にも邪魔されない個室に腰を落ち着けた。

「悪魔に魂を売ったかも?」
「あぁん?」

 早速話を聞きたがった松田は萩原のその一言に、泣く子も黙るような形相で凄む。しかし萩原には全く効果がないようである。

「いや、でも良心的だったのかなぁ……」
「……ふざけてんのか? ってか、萩原お前やっぱ頭打ってんのか?」
「俺、まともだよ?」
「どこがだよ!」

 すっかり普段の調子を取り戻している萩原は、怒れる松田を軽くいなししつつ、信じてもらえるかなぁ……と独り言ちながら口を開いた。

「――それが昨日さ、夢見たんだよね。変な夢。外人の女と男が出てくる夢でさー」
「外人の女と男?」
「そう。二人ともすごい美形の外人で、そいつらが変な事を言うんだよ」
「……何を?」

 松田は頬をひくつかせながらも、とりあえず最後まで聞いてやろうと聞く体勢に入る。荒唐無稽の話だと前置きした上で、萩原はその夢について語り始めた。


 ・
 ・
 ・


「何だ、此処?」

 見た事もない部屋に萩原はいつ間にか紛れ込んでいた。
 人気の全くない部屋は応接間のようで、萩原はそこでソファに腰掛けている。

「……これ、夢だよな?」

 何故だか分からないが、自分が夢を見ているという事に萩原は唐突に気付く。
 調度品を見ると、何となく古めかしい洋館の一室のような気がした。美しいアンティークの家具に囲まれたその部屋は、まるで映画に登場してもおかしくないほど整えられている。だが、見覚えのない部屋はどこか寒々しい。
 萩原は部屋を出ようかと、出口であろう扉にふと視線をやった。

 その時だった。

「こんばんは」
「え、誰?」

 萩原の目の前には、テーブルを挟んでソファが置かれていたが、それには間違いなく誰も座っていなかった。にもかかわらず視線を戻すと、そこには年齢不詳の美しい女が一人、足を組んで鎮座している。

「あなたに契約を持ち掛けに来た……魔女よ?」
「魔女ぉ?」

 銀髪紫眼の明らかな外国人だというのに、操る言葉は完璧な日本語だ。その発言も何とも滑稽である。
 近づき難い妖艶な美女が、萩原には途端に胡散臭く見えた。ガキでもないのにこんな夢を見るなんて、自分の頭はどうかしている、と萩原には苦い気持ちが沸き上がる。

「いくら夢でも、それはないでしょうよ」

 付き合っていられないとばかりに、萩原はこの場を去ろうと立ち上がる。出口へと体の向きを変え外人の女に背を向けると、今度は低い男の声が聞こえてきた。

「そう仰らずに。耳を傾けた方が良い。あなたの一生を左右する、大事な話になりますよ?」
「はぁ?」

 萩原が思わず振り向くと、女の隣には金髪碧眼の男――やはり端正な顔立ちの外国人が、こちらも優雅に足を組み座っている。

「ハァ……。何な訳? 俺にどんな用事があるって言うんだよ。訳が分からないんだけど」

 新たな登場人物のまたもや胡散臭い発言に、萩原は疲れが倍増した気分だった。返す言葉もぶっきらぼうになるというものだ。しかし、夢の中でわざわざ現れた人物ならば、自分が相手をしなければ終わらなさそうだと、萩原には諦めの気持ちも芽生えてくる。

「一生を左右するって何? 契約っておたくらに、どんな利益があるんだよ?」

 萩原は嫌々ながら、再度ソファに座り直し、そう自ら話を切り出した。


 ・
 ・
 ・


「――で、魔術師だと名乗るそいつらが言ったのか。今日の爆発事故でお前は死ぬって。それを信じた訳?」
「信じる訳ないでしょ」
「でも実際、事件があって、死にかけたんだよな」
「そうなんだよね……。その上俺ってば、夢の中でその持ち掛けられた契約に、同意してたんだよねー」
「は? ……お前は怪しい壺は買わないやつだと思ってたが、違ったのか……」

 松田の残念な人間を見るような眼差しに、萩原は不貞腐れた顔で異を唱える。

「仕方なくない? だって夢の中の話だよ? ハイハイって適当に返事しちゃうじゃん?」

 萩原がまるで焦った様子もなくただ喚いたため、松田は耳を押さえそっぽを向いた。全く危機感がない。萩原が魂を売ったなどと言うので、多少松田も警戒していたのだが、それもたちどころに霧散した。

「あーあーそれで、契約って、どんな内容だったんだよ?」
「それがさー、そこが奇妙なんだよね」

 相手が萩原でなければ、さっさと切り上げる話だった。しかしそうもいかず、松田は先を促す。

「お前の今以上に奇妙な話なんてあるのか? もう、とっとと話せよ」
「いや、単純に言えば俺の命を救ってやるって、そいつらから提示されたのはお察しだと思うんだけど……」
「そりゃそうだな。で、反対にそいつらは何を要求してきたんだよ? お前の命を助けといて、その命を寄越せ! ってか?」
「まさか。その条件じゃ、いくら俺だってハイハイ返事はしないって」

 さすがに夢の中であろうが、そこは弁えている。自分に不利になる内容には了承しないと萩原は苦笑した。

「貸しにしておく、いつかお願いを聞いてくれ、だって」
「あん? 曖昧じゃね? そんな条件をお前は呑んだのか?」
「言ったじゃん。夢の中だったんだよ? それに夢の中じゃ、もっと詳しく説明されたさ。平等で対等な契約で、俺の不利益になる条件じゃないって。……だけどその貸しの話も、今日になってちょっと続きができてさ――」

 萩原はあの爆発の時の状況を脳裏に浮かべ、松田にその時に起きた事を話し始めた。


 ・
 ・
 ・


「みんな逃げろっ! 逃げるんだ! タイマーが生き返ったぞ!!」

 タイマーが復活した爆弾を見て、萩原は仲間へ逃げるよう叫んだ。
 携帯からは松田の声が聞こえていたが、返事をしている余裕はない。

 萩原も爆弾に背を向け、その場を離れようとした。だが、タイマーの残り時間は無情だ。

 辺りに閃光が走る。爆発音はまだ聞こえない。
 ほんのわずかな時間だった。

 光と音の狭間で、萩原は女の声を聞く。
 まるで歌うように、軽やかで楽しそうな声だった。



 魔女の契約よ

 助けてあげる

 けれど、約束は絶対

 これは貸し

 いつかきっと、返してもらうわ

 でもその貸しは――……

 

 その声が全てを言い終わるか、言い終わらないか、という一瞬だ。萩原の身体に凄まじい爆音と爆風が伝わってきた。
 それと同時に、何かに守られるような、包み込まれるような温かい空気を感じ、そして萩原は急激に意識を失うのだった。


 ・
 ・
 ・


「――その貸しは、取り立てるのがあの魔女本人じゃないって言うんだよねぇ」
「……その魔女ってのが取り立てないなら、誰が取り立てるっていうんだよ?」

 ここまで来ると、松田もオカルト染みた話を一蹴できなくなっていた。最初の悪魔の話がここに繋がるとは思っていなかったが、要は萩原には誰かに借りがあるらしいという事実が、松田にも理解できた。
 そうなると、突拍子のない話なだけに、取り立てが悪魔かもしれないという可能性も俄然強くなる。しかし、萩原は何故かそういった心配はしていないようだった。

「それでさ、さっき聞いたでしょ?」
「何をだよ?」
「陣平ちゃんの携帯に連絡してきたやつ、いるか? って」
「あーあれか……」

 萩原の生還を喜び合ったその直後の、全く関係のない話だ。
 松田は、そういえば菫にも連絡しないとな……と内心思う。

「それだよ」
「あん?」
「爆発のあと、陣平ちゃんの携帯に最初に連絡してくる、そいつの願い事を叶えて、だって」
「……つまり、取り立て人は菫か? お前だからさっき、あんな事聞いてきたのか……っていうかなんで俺の携帯だよ」
「そりゃ俺の携帯が壊れたからじゃない? いや、知らないけど。まぁ、という事で、あの自称魔女との契約によれば、俺は菫ちゃんの願い事を叶えないといけない訳」

 飄々とそう言った萩原に、松田は疑問を抱く。

「萩原、お前は助かったのが本当に、その契約のおかげだって思ってるのか?」

 松田も萩原の言葉を信じていない訳ではない。いや本人がソレを見た、聞いたというのを嘘だとは思っていないだけだ。夢の話、爆発による瀬戸際の幻覚……という可能性を、松田は捨てていない。
 しかし、萩原は違うようだ。萩原の生還時に見られた迷いは収束している。もしかしたら萩原はあの時、この事を疑っていたのかもしれない、受け入れようとしていたのかもしれないと松田は思う。そして萩原はすでに受け入れていた。

「たぶん? みんな運良く助かった、めでたしめでたし……で片付けたけど、振り返って考えると、やっぱりあり得ないんだ。あれ、絶対死んでた。防護服を着ていなかった上に、俺はほとんど爆発物から距離を取れてなかったしさ。本来、俺は助かる筈がなかった。でも、怪我すらないのがその証拠だよ」
「マジかよ……」

 達観にも似た冷静な萩原の言葉に、松田は言葉を失う。その緊迫した状況を体感した萩原だからこそ、それを信じるのだろう。話を聞くだけの自分とは、やはり認識が大きく異なる事を松田も実感した。

「萩原……お前、どうすんだよ」
「もちろん、約束は、契約は守るしかなくない? むしろ、なんか約束破るの怖いんだけど」
「……そうかもな」
「ま、その貸しを返すのがいつになるのか分からないけど、相手はあの菫ちゃんだもん。絶対酷い事にはならないでしょ?」

 貸しを返す、つまり借りの相手が菫という事でのこの余裕だったかと、松田は納得した。松田は今回の件で、何やらキーパーソンとして浮上してきた菫について思いを馳せる。

「菫なぁ……」

 同期の二人が珠のように大切にしている幼馴染。警察学校時代は良くつるんで遊んだものだ。最近はその同期二人とめっきり連絡が取れずに、松田も菫を気にかけて連絡はしていた。だが、恐らくそれは自分だけではないと松田は確信している。

「っていうか、菫とその自称魔女って、なんか関係あるのか?」
「えー……どうだろう? そもそも電話の相手が菫ちゃんなのも理由あるの? 偶然なんじゃない? 誰でも良かったとか?」
「そうか?」
「顔は全然似てなかったけどな。好みじゃないけど、あっちは迫力とカリスマ溢れる外人美女。菫ちゃんはどっちかというと、優しい大和撫子系だし?」
「んなこた聞いてねー……」

 松田が疲れたように頭を押さえる。否定するつもりはないが、松田が聞きたい事はそれではない。

「ま、正直、俺は詮索するつもりはないんだよね。答えが分かるとも限らないでしょ。それにあの魔女、微妙に怖いし。藪を突いて蛇出すのも嫌だし」
「……お前がそう言うなら、俺は何も言うつもりはねーけどな」
「あとはその貸しの取り立てだって事を、どうやって判断するかなんだけどね? まさか、取り立てですって聞いてくる訳ないよね?」
「菫が? それはないだろうな」
「まぁ、菫ちゃんのお願いならきっと可愛いもんだろうけどね。いくらだって可能な限り、叶えて見せるさ」

 しかし、その貸しの取り立ては中々の難易度で、後に萩原に降りかかる事になる。その取り立てがいつ行われるかと知るのは、その時は魔術師の二人だけだった。



やはり設定フル活用でした。魔術師の方が出張ります(萩原&松田、スコッチ、伊達さんの救済話の中では、爆処が一番ふぁんたじー)。
当サイトはかなり単純に、「萩原生存=松田生存」というスタンスです。1200万人の人質編は……多分コナン君が何とかしてくれるよね、という絶対的安心感。次話に続きます。


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