なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
目の前で繰り広げられる不道徳な行いに胸の底から悍ましさが込み上げるのと同時に抗いようのない甘美な欲望が溢れ出る。その相反する対極の感情は思考を混乱させるには十分すぎるものだった。
「いけません、兄様、もうおやめ下さい」
震える手を握りしめて、絞り出すように声を掛ける。それを聞き入れる気がないのを示すかのように、女性の細い身体を背後から抱き、わざわざその悦楽に歪んだ顔がこちらに見えるよう、顎を掴んで上を向かせる。その女性の肩口から蔑む様な暗い瞳が覗く。
「どうしてです?こんなに善がっているじゃありませんか」
どうして、どうして…、?
思考を整理しようにも考える端から部屋の中に響く吐息に塗り潰され、兄様の身体が女性の身体の内に沈むたびに甘い声をあげて震える白い裸体の淫らな姿に雷に撃たれたように全てが罅割れ弾け飛んでしまう。
愛し合う2人が身体を交わすことは悪ではない。
寧ろそれは正しく美しくさえもあるはずだ。けれど、今目の前で行われている交わりには、愛も正しさも美しさも、微かな同情すら無いはずだ。ただ欲望に塗れて醜く落魄れた私欲の掃溜めか、露骨に向けられた悪意か、或いは。
「あぁ…ぅ、百之助さま、くるし…」
「ん?どこが苦しい?」
片腕で女性の身体を支え、片方の手を下腹に回して撫でる。また女性の甘い悲鳴が響いて身体がひくりと震える。彼女の目尻から涙が一粒零れて頬をつたうのに、思わず女性の顔から目が離せなくなってしまう。見詰めることでふつふつと沸き上がる浅ましい欲望に罪悪感が襲う。彼女は、目を閉じて眉を顰め、歯を食いしばって涙を溢しているのだ。そして人には決して見せないはずの裸体を、不埒な交わりを晒して尚、色情に狂っている。
見ないで、勇作さま。彼女が途切れ途切れに細い声で漏らすのに、思わず目を逸らして俯くと、今度は、目を逸らしてはなりませんよ勇作殿、と兄様の声が追いかけてくる。深く溜息を吐いて呼吸を整えようと試みても背中はじっとりと汗ばんで、心臓は今までにないほど早く脈を打つのだった。
「勇作殿。見てください」
「……!」
後ろから抱きすくめていた女性の身体を今度は組み敷いて、脚を持ち上げて秘部に指を埋める。女性の背中がぎゅっと弓なりに沿って声にならない喘ぎが漏れる。思わず目を瞑ると「勇作殿」と絡みつくような粘ついた声音で名前を呼ばれる。
「ぅッ、百之助さま、っ、も、やめ…ましょう」
「お前は黙ってろ」
女性が兄様の身体を突き放すように押し返そうとしたその両手首を片手で掴んで腹の上に束ねる。緩やかに抜き差しされていた二本の指が容赦なく何度も内側を抉るように差入れられ、何か抵抗の言葉を吐き出そうとしたらしい彼女の声を奪う。わけのわからない幼児期の喃語のような音が漏れ、股の間から飛沫が散る。がたがた震えるその身体を押さえ込むようにして再び覆いかぶさろうとする兄様の肩を掴んで、静止する。動揺して荒くなる呼吸を出来るだけ抑えながら「もう、やめましょう、嫌がっています」となんとか紡ぐ。
どうして兄様はこんな酷いことができるのだろうか。私の目の前で、同意のない女性を無理やりに犯して、一体何が目的なんです?心の中で詰まって声にならない疑問が烟る。兄様は口元を歪ませて上目づかいにこちらを見遣り「嫌がっていると思いますか?」と聞いた。私は思わず掴んでいた肩を離す。
腕を掴まれ抵抗もできないまま横たわる女性は唇の端から唾液を垂らして焦点の定まらない瞳で私の方を向いて、やはり、見ないで、と呟くのだった。
「嫌々、なんて口だけですよ」
「そんな」
「ほら現に、こんなに濡れて」
女性の秘部から抜いた指先を目の前に翳して開いたり閉じたりして、糸が引く様を見せつけるようにし、「もう本当は早く欲しくて欲しくて仕方がないんですよ」と言ってと笑う。
「勇作殿、舐めてみますか?」
私の前に指を差し出す。
息を呑んで何も言えずにいると、「冗談ですよ。勇作殿を穢すわけにはいきませんから」とその手を引っ込め、女性の愛液で濡れた指をべろりと舐めてみせる。それを恥じいる様に目を固く閉じ耳まで赤く紅潮させる女性の姿が視野に入る。
「触って」
掴んだ女性の手を自らの陰部へ誘導して握らせ、彼女の手を掴んだままその上に自分の手を重ねてゆっくり上下に擦る。女性の息遣いと水音が絡み合って淫靡な振動に鼓膜が揺れる。兄様の肩から離した行き場のない手は空を掻いたまま動けずにいる。その目の前で、片腕で目元を覆う様に隠して唇を噛み締める女性の顔と、その無抵抗で弱々しい彼女の手を持って交わるために陰茎を勃たせようとするその毒々しい行為のアンバランスさに視界が歪んでくるような気すら起きる。
「そんなに怖がらないでくださいよ、勇作殿」
兄様は言いながら女性の手を離して太腿を掴んで大きく開かせる。あっ、と女性が息を呑むのと同じに勃起した陰茎を女性の膣へ挿入する。再び彼女の身体がピクリと跳ねて甘い声が漏れ出る。
「そんなに神聖なものでもないんですよ、こんなもの」
吐き捨てるように言い、抵抗する気力もない彼女の腿を掴んで引き寄せ何度も奥を突き上げる様に腰を動かす。言葉にならない無意味な悲鳴の合間に、彼女は掠れかけた声で何度も兄様の名前を呼んだ。接吻を求め、首に腕を回して、名前を呼んだ。
愛し合う、という形。感情という、無形。
「勇作殿」と兄様の声がする。2人の方を向く。
「ほら、お願いしてみろ」
兄様の要求に今度は彼女が応える。
彼女は頬を紅潮させ、吐息の狭間に潤んだ瞳でこちらを見つめる。
「勇作さま」
彼女の求めに応じて、顎を掴んで接吻をした。
満ちて蕩けるような恍惚の表情を浮かべて私を見上げるその子に、「ほら、嫌がってなんかいないでしょう」と兄様が笑う。
眩暈。心が塞がり澱む。深淵に立ち、手を差し伸べる兄の姿に手を伸ばす。
(2022.06.15/彝倫)
彝倫:人が常に守るべき道
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