星の落ちる日














昼間、尾形上等兵と兵舎ですれ違った際、紙を渡された。自室に戻って開いてみると、時間と場所だけが記されていた。時間は真夜中近くで場所はここから一粁前後離れた市街地の生花店の名前が書かれていた。今日の夜中、兵舎を抜け出して来いということだろう。


突然呼び出されて、私は何か悪いことでもしたのだろうかと不安になりながら、皆が寝静まった頃、目立たないように黒っぽい服を着て兵舎を抜け出して外へ出る。念のため小刀だけズボンのベルトに引っ掛けて隠して携行する。


街は静まり返って人っ子一人歩いていない。民家の明かりも全て消えて、想像以上に暗かった。それだけでも恐ろしくびくびくと周りを見渡しながら早足で進み、なんとか指定された場所までたどり着く。昼間にみると華やかで明るい生花店も真夜中に見ると錆や朽ちた木材が不気味な音を立てて気味が悪かった。あたりを見渡してもまだ尾形上等兵の姿を見つけられず、なんとなく少しでも身を隠したくて軒下に入る。生花店の締め切られた戸の出っ張りに月桂樹の冠が下げられていて季節だからか珍しく花も添えられていた。慣れ親しんだ植物ではなかったけれど、日露戦争の戦勝記念樹として東郷閣下が日比谷公園に植樹したので記憶に新しかった。その葉は勝利や栄光を象徴する。私がその葉に触れようと手を伸ばしたところで、店の影から足音が聞こえて私は思わず身構えるけれど、その人影が尾形上等兵であることが簡単に判別できたので瞬間的な緊張はすぐに解ける。尾形上等兵は黙ったまま、ついて来いと合図をするので私も黙って尾形上等兵の後をついて歩く。軍靴が砂を踏む音が静かに響く。

尾形上等兵が前にいるだけであんなに怖かった暗闇がなんともなくなり不思議な気持ちになりながら、無言でただひたすら街の外れに向かって歩いて行く背中に急に猜疑心がうまれる。相反する感情に胸が騒つきはじめる。

どこまで行くのだろう。彼はやはり一言も私に声を掛けることも振り向いて気遣うこともなく、ただ静寂の闇の中を真っ直ぐ歩いて街の外れてに向かっていく。

少し肌寒い夜の風が頬を撫で、街を囲む森の香が漂ってくる。尾形上等兵は軍服を纏っていたけれど、その濃紺が暗闇に溶けて危うく見失いそうになり、私はすこし小走りで尾形上等兵のそばにぴたりとくっついて歩く。少し疎ましそうにする尾形上等兵の顔が脳裏に浮かんだけれど実際の彼の表情は暗くて見えない。


街の外れの突き当たり、これ以上進むと森の中に入ってしまうというところまで来て、ようやく尾形上等兵は足を止めてこちらを振り返る。私は姿勢を正して気をつけをしたまま尾形上等兵を見上げる。月の明かりが背中からさして、彼の頬をぼんやりと照らして肌の色を浮かばせるけれど、軍帽の影になって目元は見えない。


「お前はどうする」


彼は低く静かな声で言う。どうする?何を?
私は説明がないのを不審に思いながら、どういう意味でしょうか、と問い返す。尾形上等兵は軍帽の鍔に手を添えて、わざわざ深く被り直して、私の顔を覗き込むように少しだけ屈んだ。私は尾形上等兵の目を見て彼の真意を知ろうと試みたけれど、罠だったのではないかと後悔する。彼の瞳に見詰め返され目が逸らせなくなる。この人に見詰められると、全て見透かされているような気がするのだった。どことなく、鶴見中尉の目に似ている。嘘をつくことも逃げることもできない。心の奥に仕舞い込んだ感情まで抉り出されるような、そういう視線だった。尾形上等兵の黒い瞳を瞬きも出来ずみつめたまま、彼が言葉を発するのを待つけれど、彼は微動だにしない。おそらく造反組を炙り出しているのだろうと予測はついたけれど、この人がどちら側なのかが分からなかった。私が鶴見中尉に不信感を抱いていることをこの人は知っていたはずだし、もし鶴見中尉が造反者を炙り出すために差し向けた者なら、私は此処で。半分諦め視線を逸らして下を向く。尾形上等兵は指先で月桂樹の花を弄んでいた。生花店の飾りから盗んできたのか、意外と手癖が悪い…、と、同時にはたと思い出して私は微かに緊張が緩んでため息を吐く。



「私も行きます」



尾形上等兵は、「そう言うとは思っていた」と言って花を手の内に握り込んで、反対の手の中に隠し持っていた刃物をちらつかせる。私はなんと物騒な、と心の中で呟いて、「私を殺したところで利益ないですよ」と言うと「俺の護身のために決まってるだろ」と言った。そうか、尾形上等兵は造反者だから、万が一私が裏切らないという選択をした場合には、私に殺される危険性を孕んでいたのか、と素直に納得してしまうけれど、私が鶴見中尉に不信感を抱いていたことを知っていて、それなのにまだ疑っていたのだと思うと、用心深い人だ、と呆れる反面感心してしまう。



「近く、動きがあるはずだ」
「わかりました」
「お前の面倒までは見きれんぞ」
「承知の上です」


彼は彼の身一つで着実に、鶴見中尉の敵となりうる素質のあるものを探して見抜き焚き付け、造反者の数を増やしているのだろう。そのうちに鶴見中尉を内側から食い破って、師団すらもまるごと食い尽くすことを画策しているに違いなかった。彼は星の光ほどの小さな炎だけれど、その火が一度原野へ落ちると、瞬く間に燃え広がって原野は焼き尽くされる。勝利と栄光の最中に裏切りの花が咲く。その筋書きを私は密かに支持する。私は尾形上等兵の駒になろうと托す。最終的な目的が何かは知り得ないけれど、鶴見中尉を止められるのはこの人の他にいないかもしれないと、思ったからだ。



(2022.06.10/星の落ちる日)
星火燎原、尾形は造反者の光であってほしい。


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