(練習帳)
12.悪夢を見る尾形>>>
「あぁ、兄様」勇作殿。美しく整った顔を柔らかく綻ばせて近づいてくる。片手を上げて挨拶をして、それから俺の身体の内側を擦り抜けて歪む。俺はギョッとして振り返ると溶けかけた勇作の身体の半分が傾いている。「勇作殿」声を掛けるとそれは丸くくるりと円を描いて猫になった。俺はその猫を拾い上げて鼻先をくっつける。ザラザラした鼻先が少し濡れている。猫は言う「呪われた子」俺はその目を見つめて猫の身体を引っ張ると、内側から包帯が零れ落ちてくる。猫を離して地面に置くと、それは二本の足で立ち上がって腹の中から血まみれの包帯を差し出して、俺に巻けと言う。俺は気持ち悪いと断ると、猫は鶴見中尉の顔をして「ガッカリだよ、百之助」と言って髭を撫でた。俺は血濡れた包帯を片手に持ったままその鶴見中尉の顔の猫を無視して歩き出そうとするが、ずるりと地面が沼地のように足を飲み込んで上手く前に進めない。もがくように足を前に前に踏み出すと、勇作が俺の両足を抱き抱える。「どこへ行くんです?」「ここにいればいいじゃないですか、ねぇ、兄様」勇作殿、離してください。俺は今から花沢中将を殺しに行かないといけないんです。「父上をですか?兄様にできますか?そのようなことが」できるに決まっている。俺は銃剣で勇作殿の顔を突き刺そうと振りかぶる。勇作殿は眩いばかりの笑顔のまま俺の両足を地面の中から抱き抱えている。振り下ろしたはずの銃剣はスポンジのように柔らかく地面に当たってボヨンと弾んだ。俺は広い庭の上で玩具の刀を持って汗を流している。ヒャクノスケ、池の中から鯉が這い出て俺の名前を呼ぶ。誰だお前。母親の顔を忘れたの?何を言っている?ヒャクノスケ。鯉がずるずる水を垂らしてにじり寄る。俺はそれを蹴って退かそうとするが脚がうまく動かない。下を見ると俺の足の先から尾鰭が生えていて認知した瞬間バランスを崩して尻餅をついた。池から上がった鯉は跳ねることなく蛇のようにうねうねと身体をくねらせて近づいてくる。俺は後退りするのに手で身体を引き摺る。何にも繋がっていない手錠が両手に付いている。鯉はいつしか遊女の顔に代わり腰まで着物を脱いでいる半裸の女が俺の上に乗っかってくる。振り払おうと手を動かそうと力を込めた。何にも繋がっていなかったはずの手錠は地面に硬く固定され、もがいてもピクリとも動かない。水浸しの女が俺の顔を撫でて服を脱がす。俺はなすがままにしかならない。冷たい女の手が胸に触れるとそのまま身体の中に沈んでいく。気味が悪い。やめてくれ、と叫んだつもりが声は出ず、息がうまく吸えない。身体がガチガチに固まって動かない。半分俺の身体と溶け合っている女の手が下腹部に伸びて陰茎を扱く。やめろ。はなせ。触るな。矢継ぎ早に短い言葉を絞り出すと女は笑って「でも嬉しそうじゃない」と言う。「昨日池の水を全部飲んだのよ」なんの話をしている?「将棋の角で頭を打ったでしょう」女の手が陰茎を執拗に捏ねくりまわして息が苦しくなる。女が増える。俺は抵抗しようと身体を捩る。「花沢幸次郎は良い男だったわよ」うるせぇよ。「あなた顔は似てるのに」女の手のひらが亀頭を擦る度に反射的に身体がびくんと震える。「あれ?尾形はどこへいったんだ?」杉元の声が聞こえる。やめろ。今来るなよ、頼むから。心の中で唱えるものの、いつのまにか俺は仏間に横たわっている。1人の女が俺の陰茎を咥えて唾液を垂らす。締め切られた障子の外の縁側を歩く足音が聞こえる。杉元だろうか。「泥団子の中に薬草を詰めると美味いらしい」何を言っているんだ?外から聞こえる声が遠くなる。アッ、と思った時には脳天から爪先まで突き抜けるような快感が走って息を吸うので手一杯だった。3度に分けて射精した。女はそれを見て笑って蕩ける。精液に混ざって液体になり赤黒く染まる。腹の中から止めどなく血が溢れてきて俺は慌てて傷口を探して抑えるが、傷口はなかった。代わりに体に巻かれた包帯を血が染めていく。幸次郎が俺を見下ろしている。「どうだ、切腹は」俺は父上の顔を見上げる。「さぞ良い眺めであったろう」俺は言葉を紡げない。半身の猫が天井から落ちてくる。父上、俺はただ愛されたかった。泥団子が落ちてくる。それは俺の前で割れて中から鶏が出てくる。トサカは緑の蓬で嘴から煙を吐く。痛いなら塗っておけ。と鶏は俺に煙を吐き掛ける。俺は思わず手でそれを払い退けて逃げるように部屋を出る。血まみれだったはずの服は乾き、外套を羽織って森の中を走っていた。女が落ちている。俺はそれを拾い上げる。「尾形さん」「愛してる」女が言う「俺も愛してる」俺は答える。愛している。そうだ、俺はこいつを。彼女の手が俺に差し伸べられる。そうだ。愛おしい。愛していた。いた?俺は彼女に応えるように手を伸ばす。その細い身体を抱き締めると、首がぼろりと落ちる。俺は慟哭する。失った。全てを。たぶん、全てを。夢だ。これは夢だ。自覚する。悪夢を。目覚めようともがく。漆黒が冷たい。俺は銃を持つ。森の奥から熊の頭を被った犬が走り出る。狙いを定めて撃つ。当たらない。なん度狙って撃っても当たらない。舌打ちをする。彼女がそばで笑う。「たまにはお休みしたらどうです?」俺はそうだな、と呟いて銃を置く。溶けた。二度と覚めなくても良い。こいつがいるなら。俺はもう。こんな悪夢からさえも、目覚めなくてもいい。「尾形さん、愛してる」「俺も
俺は目を開ける。
ぼんやりと薄く明るい陽が射して部屋の中を照らす。手を伸ばしてみる。たしかに、感触はある。俺は身体を起こして部屋を見渡す。昨日泊まった宿に間違いなかった。俺は前髪をかき上げてため息を吐く。囚われていても仕方がない事ばかりだ。進むしかない。
どんなに願おうと、失ったものは戻ってこないのだから。
2022.08.05/尾形
2372字
11.尾形(死ネタ)>>>
忘れることのできない感触がある。
人の死に触れた時の、あの独特な感触。
直接触れることは少ないが、何度経験しても慣れなかった。
覚悟はできていたはずなのに、いざ目の前にすると、冷徹にもなりきれず、中途半端に靄かかった焦りが胸の内に広がって、次第にそれは暗澹と波打ち心臓を抉る。
彼女の胸に空いた穴にガーゼを詰めて両手で押さえても指の隙間を溢れて零れる赤い血を見て、あぁ、早く楽にさせてやらなければ、と脳が理解する。
けれど身体が言うことを聞かない。
死ぬな。と、口をついて出た言葉が彼女の方へ落ちる。彼女は虚に揺れる眼を俺に向けた。
傷口を押さえる俺の手に自分の手を添えて、僅かな力で握る。柔らかい女の小さな手。
彼女は何か言おうと口を開けるが、それ以上は何もできなかった。
俺はその様を見詰めて、早く殺してやれ、と自分に言い聞かせる。両手は彼女の傷口を押さえたままだ。
彼女の手が俺の手首をぎゅう、と握る。
冷たい汗が頬を伝って彼女の身体に数滴おちる。
彼女は目を閉じて少しだけ息を吸った。
「すき」
「わかってる」
「でも」
「なんだ」
「わすれていいよ」
私が死んだら。私のことは、忘れていいよ。
少し前に彼女が俺に言った言葉が脳裏に蘇る。
俺は彼女の頬を叩く。「死ぬな」。彼女が微かに目を開ける。見えているのかいないのか、意識はまだそこにあるのか、分からなかったが、目尻に溢れた涙が彼女の頬を伝ってばたばたと地面に落ちた。「忘れない」片手で傷口を押さえたまま言う。「お前のことは忘れない」。彼女の手からすうと体温が引いていく。頬が冷たくなる。指の先は骨の内側から凍るように、静かに、急速に冷たくなっていく。
柔らかかった手が嘘のように無機質になる。この独特の感覚。
俺は彼女の傷口を押さえていた手を外す。
血で袖までドロドロになった手で彼女の目を伏せる。目元が赤く血で濡れる。
涙と混ざって薄まった血液がぽたりとおちる。
体の中心はまだ温かい。俺は彼女の身体を抱きかかえて立ち上がる。このままこんなところで1人にはさせない。くたりと力のないそれは、いつもよりずっと重たく感じる。
2022.07.26/尾形
868字
10.尾形と七夕の話>>>
七夕。夜空に星の川が架かる。
人気のない森の奥深くの木々の梢の間から、眩しいばかりに煌めくそれを見上げる。
尾形さんは周囲を警戒するように、目線をまっすぐ森の四方へ向けていた。
「尾形さん、夜空、きれいですよ」
「見上げてる間に狙撃されても知らんぞ」
尾形さんは呆れたようにこっちを見てため息を吐く。私は真夜中の森の中で足音一つしないのに、どこの誰が私たちを見てるんですか?と言いそうになったけれど、耐えて飲み込む。物音ひとつ立てずに何時間も相手を見張ってる男がまさにここにいたからだ。
「歩き疲れちゃいました。少しだけ休みません?」
迷子にになって半日経った。杉元さん達の気配すら感じないので、一旦森を抜けて合流出来そうな手掛かりを探す方が早いとさえ思う。私は荷物を放って草木の上に腰を下ろす。尾形さんはじっと見ていたけれど、まあいいか、と諦めのような表情を浮かべて双眼鏡を首にぶら下げ私の隣に立つ。
私はそのままごろりと寝転んで広がる夜空を見上げた。雲ひとつなく、星は煌々と輝く。
「きれい」
私は寝転んだまま横着に尾形さんの足首をつついて座れと促す。尾形さんは三八を抱くようにして、仕方なげに座る。
「織姫様と彦星様会えたかな」
「さぁな」
私は指で天の川をなぞる。
一年に一回だけの逢瀬。
遠く隔たる星の川を越えて、やっと逢えるなんて。
どれだけの想いを抱えて、どれだけの愛しさを募らせているのだろうか。
尾形さんは私を見下ろしながら「七夕なんて、そんな浪漫でもねぇだろ」と唾を吐くように言うので、ムードぶち壊し、と私は悪態をつく。
尾形さんは突然私の顔の両側に手をついて、真上から見下ろしてくる。夜空が視界から消える代わりに尾形さんの綺麗に整った顔が私を覗き込んで、あまりの距離の近さに、私は思わずごくりと息を呑んでしまう。
「な」
「七夕伝説ちゃんと読んだことあるか?」
「あ、るとおもう…」
「織姫も牽牛も真面目で勤勉だった。良い年頃だというのに仕事ばかりで。だから天帝が良い相手をと二人を引き逢わせた。するとどうだ?二人は愛にかまけて仕事を投げ出しうつつを抜かして怠惰になった」
「……」
「怒った天帝は二人を引き離し、勤勉にしていれば一年に一度だけ逢えるようにしてやると言ったんだ。それが今日だよ」
尾形さんがぐっと顔を近づける。反射的に私は唇を噛み締めて目を瞑る。なんで、この人なんで、え?
「恋は盲目というが、愛は人を殺せる」
尾形さんの吐息が耳元のすぐ近くで聴こえて私は目が開けられないまま彼の続きの言葉を待った。近い、し、なんか、良い匂いも、する。
「俺なら天帝を殺して織姫を攫って天の川を埋める」
「なんて横暴な」
本当に愛したいなら手段を選ばず奪い取るってことだよ。と、尾形さんはそう言って喉で笑った。
私から身体を離して空を見上げる。
「快晴だな」
2022.07.07/尾形
(1158字)
9.営業を教える尾形(現パロ)>>>
尾形さん、今月も断トツだ。
うちの会社には昭和風のテレビドラマでしかみたことがないようなグラフが壁に貼り付けてある。営業の成績表だ。契約が取れれば伸び、延々1ヶ月何も取れなければ棒グラフは成長していかず、目立ってしまう。私は気持ち程度積まれた自分の名前の上のグラフを見つめる。しかもあろうことが、意地が悪いのでグラフが一件分伸びるとそこにどのくらいの規模の契約なのかと数値も加えられる。契約件数が少なくてもドカンと一本釣りというのもアリというわけだ。そりゃぁそうだ、小さな件数集めて裾野を広げるのが1番だけれど富裕層をとっ捕まえてお金持ちのパイプをつなぐのだって立派なお仕事だ。1人懐に入り込めばあとは紹介で繋げてもらうのが1番楽だから、新規顧客のもつ人脈もポテンシャルだ。
私は指で尾形さんのグラフをなぞる。件数もさることながら、小さ過ぎる契約はほとんどない。私がため息を吐いたところで、後ろからコツンと頭をつつかれる。
「そんなもん眺めてても契約は取れんぞ」
「あっ、尾形さん」
私は振り返って彼を見上げる。ちょっと煙草臭い。
尾形さんはグラフを眺めてニヤニヤしている。やはりこの淡々と仕事をこなすこんな人でも成績が伸びると嬉しいのだろうか。
「尾形さん私もうどうやってお客さんと話せばいいか分かんないんですよね」
「ん?」
「何話していいか分かんないんです」
「お前が話す必要ないだろ」
「え?」
尾形さんはキョトンとした顔をして私を見下ろしている。私は同じ顔をして尾形さんを見上げている。
「お前もしかして、本に書いてあるようなことやってる?」
「へ?」
「きどにたてかけし…ってやつ。話題作りの切り口ってよく書かれてるが…」
「………」
「あんなもん中心に据えて喋ってたら一生取れねえぞ新人」
「うっ」
「お前が社長だとして、忙しい時間の合間に全然知らねえ若造のために時間取って、天気の話でもされてみろ。だからなんだよって話だろうが」
確かにそりゃぁそうだ。
でもいきなり商品の話されたってドン引きだ、切り口もなければ商品につなげるアプローチのやり方もよく分からないのだ。
「アイスブレイクも必要だがお前新人なんだから変な小手先のテクニック使わずに直球でいってみれば?」
尾形さんは私のグラフを眺めながら、うーんと顎を触る。
「どうせ既存顧客の取り合いなんだ。他社で取引してるモンをこっちに引っ張ってくればいい。他で取引してるって断られるのが1番多いんだ。うちの何が不満か聞け」
「なるほど…」
「そしたら相手が勝手に不満を喋るだろ。お前のところはここがダメだとか、フォローが悪いとか。それに対して自分ならこれができますって全部掻っ攫ってくるんだよ。担当者との義理なんか奪えばいい。お前だって今付き合ってる男よりお前のことを大事にしてくれる男が現れたら義理もクソもなく乗り換えンだろ」
今度は私が自分の顎を触る。うーん、確かに。
尾形さんの手が背中に触れる。
「だからお前が必死に喋らなくていい。相手に喋らせろ。営業は聞き上手がうまくいくってのはそれだよ。相手のどうでもいい話を延々聞くのがうまい営業じゃねぇからそこ勘違いするなよ。こっちが聞きたいことを喋らせるのが聞き上手」
尾形さんは暫く私のグラフを眺めて非常に小さな声で「まぁ、こりゃぁひでえな」と呟いたので、私は消えたくなって下を向く。
「一緒にくるか?今から商談行くから」
「えっ」
「見せてやるよ」
尾形さんはそう言ってさっさと会社を出て行こうとする。私は慌ててデスクに戻ってカバンの中に筆記用具を雑に詰め込んでパソコンを落として走って着いて行く。
2022.06.28 尾形・現パロ
(1476字)
キ…気候
ド…道楽(趣味)
ニ…ニュース
タ…旅
チ…知人
カ…家族
ケ…健康
(セ)…性
シ…仕事
+
衣食住
8.尾形にしてもらう(現パロ)>>>
「あっ、あの、」
「…ん?」
「痛くしないでください」
「じっとしてろ」
ぎゅっと目を瞑って尾形さんの腕を掴む。
尾形さんが呆れたように鼻で笑う。
「そんなに怖がるなよ。お前が頼んだんだろ」
「そうですけど…っ、怖いものは、怖いです」
「すぐ終わるから」
尾形さんの指が私の耳朶をむにむにと触る。
それだけで背中に変な汗が滲んで、びくんと身体が震える。
「お、がたさん、やっぱり、あの…」
「なんだよ。今更やめろっていうのか?」
「……ッ」
「痛くないから」
「本当ですか…?」
「すぐ終わらせるから、お前は動かずにじっとしてろ」
「……はい…」
尾形さんの腕を掴む手に力が入る。
尾形さんは片手で私の耳朶を触りながら「お前の爪が食い込んで俺が痛い」ともう片方の手で私の頬を軽く叩いた。私はごめんなさいと謝って少しだけ力を抜く。
「いいか?やるぞ」
「……っ、言われると…怖いから…っ」
「いきなりの方がいいのか?」
「.……そんな…気がする…っ、」
「じゃぁ、望み通りにしてやるよ。動くなよ」
「…はい…、あっ」
「んだよ、まだ何もしてねえだろ」
「怖い!やっぱり怖い、尾形さん、やっ…」
「うるせぇな」
尾形さんが私の顎をグイと掴んで固定する。私はヒッと悲鳴を上げて一瞬固まる。その隙に尾形さんが耳朶に当てたピアッサーをガチャリと打ち込む。
「…………???」
「痛かったか?」
「えっ…終わった?」
「終わった」
耳朶を触るとそこには皮膚を貫通した鉄の塊があった。少しだけ熱を持ってはいたけど、痛みはなかった。
キョトンとしている私に尾形さんは、すぐ終わるのにお前がぴーぴーうるせえから時間食ったじゃねぇかとぶつぶつ文句を垂れていた。
「消毒だけちゃんとしとけよ」
「ひゃい…」
尾形さんはポイと空のピアッサーを私の方へ投げて寄越して部屋を出て行く。私はそれを捨てることができずに握りしめる。
2022.06.25 尾形・現パロ
(761字)
7.尾形の部下(罪悪感に潰される)>>>
背徳の蜜語を交わす。何も悪いことなんかない。と、彼女に何度も言い聞かす。初めのうちは、嫌々と首を振って泣いたが、何度も何度も諭すうちに何も言わなくなった。俺は褒める。できるだけ優しく髪を撫でて、少しだけ笑う。彼女は次第に慣れていった。いいんだ。これで。お前は良くやっている。お前のおかげで大勢の命が救われる。やむを得ない犠牲に罪を感じることはない。彼女は頷く。血に染まった全身を震わせて頷く。何度も何度も何度も。それでいい。お前の大切な家族が、国が、奪われようとしているのだから。守るための殺意を誰が咎めるものか。それに、俺たちだって殺意を向けられている。常に誰かが殺そうと待ち構えている。そんなところで罪に怯えて泣いているやつがいたらどうだ?良いカモだ。敵兵に星一つくれてやるようなもので、あっという間に殺されて踏み躙られておしまいだ。ひとり。ふたり。さんにん。彼女が人を撃つ度に、褒める。よにん。ごにん。ろくにん。弾丸が命を掠め取るその快楽を叩き込む。戦場に同情は必要ない。誰かが戦わなければならない。その犠牲の上にしか平和は成り立たない。
「その子随分目をかけてるみたいだね」
宇佐美が茶化すように話しかける。俺は手を上げて聞いてるとだけ意思表示して何も答えない。
「自分の分身でもつくりたいわけ?」
嫌味ったらしい言い方しかできないのかこいつは。
「銃の扱い方を教えてやれと言われたから教えてるだけだ」
業務的に回答を返す。宇佐美が欲しい答えではないことはわかっていて敢えて私情は一つも口にしない。相手にすると面倒くさい時もある。
「まあ、なんでもいいけど、そんなに適性があるとは思えない」
「…俺もそう思う」
「そのやり方じゃ、すぐ壊れちゃうでしょ」
そう言って宇佐美は銃を構えたまま動かない彼女の頭をガシガシ掴んで、「ほんとに人形みたいになっちゃったね」と言い捨てて立ち去る。
心を壊すことに失敗した人間というのはどうしても空虚な何かになってしまうのか。意思が失せ同じ行動を何度も繰り返してうわのそら。ぼんやり重なる母の姿に、あぁ。と溜息をこぼす。もしもお前が壊れたら、俺がちゃんと楽にしてやる。動かないままの彼女の肩を抱く。彼女の瞳から涙が溢れる。なぜ、罪の意識が消えないのだろうか。その疑問に答えは返ってこない。
2022.06.21 尾形
(953字)
6.宇佐美と尾形を見舞う>>
「なんでそんなにヒャクノスケに突っかかるの」
「別に突っかかってないけど」
「トキシゲ、ヒャクノスケのこと嫌いなの?」
「いや。嫌いとか好きとか、考えたこともない」
医務室の空いたベッドに腰掛けて眠っている百之助の顔を眺める。時折顔を歪めて苦しそうに息を吐く。あぁ、しんどそう。そりゃぁ、そうか。
真冬の北海道の川辺で倒れているのが見つかった時には、助からないかと思った。両顎の骨が折れていて顔はパンパンに膨れ上がって青くなっていたし、川に落ちたらしく雪の上を全身水浸しで転がっていた。腕も折れてぶらぶらだった。
それにしても、一体何があったら顎、両方骨折れる?と思いながら、刺青の囚人を追う最中に何かトラブルに巻き込まれたのには違いなかった。幸い、彼は一命を取り留め、彼の顎もそこそこ大変な外科手術になったものの、医者からもまあ大丈夫、と言われていた。固定のために輪郭を覆うようにぐるぐると包帯が巻かれているのだけ、鬱陶しそうではあったが仕方がない。
まぁ…二階堂も熊に襲われて耳を失ったと聞いたし、何が起きるかわからない。明日は我が身かもしれない。
「そういうお前はどうなの」
「え?」
「ヒャクノスケのこと。悪く思ってないの?」
あぁ、そうだ、なんかそんな問いかけしたな、と自分で振った話題をすっかり忘れ去っていた私は時重の方を見てうーんと考える素振りをする。
「やなやつって思う時もあるけど、嫌いじゃない」
「ほらね、そんなもんだってば」
時重は足を組んでその膝の上に肘を置いて、頬杖をついている。「僕はコイツが篤四郎さんに楯突こうとしてるのが気に食わないだけ」と小さな声で言う。あくまでも、噂だった。なにか良くないことをしでかそうとしている連中がいる、というやつ。
時重はどうやら百之助が怪しいと思っているらしかった。
「でもヒャクノスケだって鶴見さんのお世話になったじゃない。裏切るとは思わないけど」
私も百之助の顔を見る。目を閉じて浅い呼吸を繰り返しながら時折眉を顰めて、う、と小さく呻く。
薬のせいか意識がぼんやりとしていることも多々あるようだったけれど、とにかく今は栄養を摂って安静にしてよく眠れと言うのが言いつけだったので、彼が眠っている間はなんとなく安心する。
時重はまださっきの話題を引きずっていて、僕には分かる、と親指の爪を齧る。
「ねぇ、こうやって、見張りつけてる意味がわかる?」
時重が言う。私は、たしかに、とも思う。
単純に容態が急変したときのために誰かをそばにつけているのかと思っていたけれど、24時間誰かが見張っていなければいけないというのはたしかに不自然だ。
「んー、怪しまれてるのかもね」
「かもじゃない。まだ分からないかな、脳筋女」
「誰が脳筋?」
時重の軽口がなんだかムカついたので頬をつねる。
男なのに柔らかいもち肌が異様に気持ちよくて、一度ぎゅっと引っ張って痛めつけて、あとはふにふにと指で摘んで捏ねる。時重がやめろよと手を払う。わたしは負けじともう片方の手も伸ばして時重の両頬をぐにっとつまむ。少し伸びてうさぎのほっぺみたいでなんか少しかわいかった。
「トキシゲ、うさぎみたい」
「やめろって言ってるの分かんない?」
時重はもう一度私の手を払って、今度は仕返しにわたしの頬を両手でつねる。あんまり優しくないものだから少しだけ涙が滲む。
「痛いっ、いたいって、バカシゲ!」
「なんて?なに?僕にぶん投げてほしいわけ?」
時重の手を掴んで頬から引き剥がしてギリリと音がしそうなほど均衡した力でお互いの手を掴んで睨み合っていると、ごそごそ布団が擦れる音がして、私と時重は一瞬動きを止めて百之助の方を見る。
「よそでやってくれ」
百之助が呆れたような目で私たちを見て呟く。
お互いに一瞬で手を離して同時に百之助の方に近寄り「目覚めた?気分どう?」「痛いとこある?薬飲む?」と同時に聞くので百之助はもっと嫌そうな顔をして「いっぺんに喋るな」と言ってため息を吐く。
「あ。傷が開いた気がする」
「えっ?」
「痛い?」
お前らのせいでな。と嫌味ったらしく言うので思わずしばいてやりたくなるが、重症で動けない百之助を打つのは倫理に反する気がして思いとどまった。
2022.06.15 宇佐美
(1707字)
5.尾形を酒で潰したい(現パロ)>>
お酒の力というのは恐ろしくて、普段理性で縛って抑えているものも、スルスル解けてだだ漏れになってしまうものだ。
肝臓がどんなに強くてどんなに頑張ったって、すぐには分解できないし、血液によって全身をめぐり運ばれてきたアルコールで脳みそが麻痺してしまうのだ。脳みそが麻痺しては身体がいうことを聞かないのは当たり前のことで、だからお酒、飲みすぎると訳わからなくなって理性で抑えてるつもりでも抑え切れてなくて変なこと言ったり千鳥足になったり、大胆になりやすい。
私はそんなことを考えながら、1ミリの隙もないポーカーフェイスの尾形さんを酒で溺れさせてやろうと試みることにして、尾形さんの隣を陣取りホイホイと酒を勧めては飲ませてを繰り返していた。そうこうしてるうちに夜は更けて、白石さんは酔い潰れて大いびきで気持ちよさそうに眠り、杉元さんはなんか管を巻いて尾形さんに突っかかっていたけれど適当にあしらわれて終わった。その杉元さんも遂にうとうとしながら壁に背をもたれて眠り始めたのを確認して、私はもう一度隣で酒を手に持つ尾形さんを見上げる。
「なんだよ」
「………」
なんであんまり変わらないのこのひと。
「まだ飲みます?」
「お前、全然飲めてないんじゃないか?」
みんなに配膳してたろ?と言って尾形さんがなみなみにお酒の入った酒瓶をドンと目の前に置いた。
「注いでやるよ」
「そんな、悪いですよ」
「遠慮すんなって」
尾形さんが私のグラスにお酒を注ぐ。これなんのお酒?日本酒?洋酒?えっ?泡盛?
「おつかれ」
「あ、ありがとうございます」
「やっと二人になれたな」
「えっ…あの」
「お前、俺を潰そうとしてたろ」
「ひっ」
「お前の勧める酒全部飲んでやったんだ。わかってるだろうな?」
「それは、パワハラですかね…?!」
尾形さんが笑顔で私の顔を覗いている。グラスの縁で表面張力が働いて丸く弧を描く泡盛の水面を見ながら、こんなにたくさん注がれた泡盛を見るのは私の人生最初で最後かもしれないと思うのだった。グラスと睨めっこしている隣から、えげつない圧が掛かる。
2022.06.13 尾形・現パロ
(851字)
4.会社員尾形(現パロ)>>
「お前それ…頭バグってんのか?」
「違いますよ」
「カフェイン取り過ぎだろ」
尾形さんが後ろから私のデスクを覗いて言う。
終わらない。仕事が。終わらないのだ。時計の針はもう23時を回っている。
コンビニで買ってきたコーヒーとエナジードリンクを並べて交互に飲みながらパソコンと睨めっこしている私を見て尾形さんは心底引いた顔をしていた。
飲み物の他に眠気覚ましの錠剤と頭痛薬と胃薬を完備している。一日中同じ姿勢をしていると頭も痛くなるし、カフェインをとりすぎると胃の調子も悪くなるのだ。
私が振り返って「バグってんのは会社の方ですよ」と怒っていると、尾形さんはポケットから煙草の箱を取り出して、「お前も行くか?」と聞いた。私は非喫煙者なので断ると、
吸いに行くふりして着いてくりゃいいのに真面目かよ。と溜息を吐かれた。私はそこでようやく気づいて「行きます行きます」と席を立つ。
「タバコ吸うひとは良いですよね、タバコ休憩っていう謎の制度ありますし」
「お前要領悪いんだよ。トイレ行くふりして外出てチョコレートでも食ってろよ」
「見つかったら怒られそうじゃないですか」
喫煙所には誰もいなかった。尾形さんが私に煙平気?と聞くので、平気、と答えると一緒に来いというので一緒に喫煙所の中に入る。
尾形さんは箱の端を指先で叩いて煙草を取り出し口に咥えて火をつける。私がぼーっと見ていると「あぁ」と何かを思い出したようにつぶやいて、私に箱を渡す。
「やるよそれ」
「えっ、ココアシガレット!!」
「それでも咥えとけよ。煙草に見えるだろ」
「さすがにダサくないですかそれ」
私は言いつつも開封して一本食べる。めちゃくちゃ懐かしい。最近見かけないんだよなあこれ。というか、なんでこの人こんな時間まで会社にいるんだろう?
「そいえばなんで会社にいるんですか?尾形さんも仕事終わってない感じですか?」
「なわけあるか」
「え、じゃぁなんで?」
「お前が残業してるの見えたから寄ったんだよ」
「えっ」
「泣きそうな顔でカフェイン貪ってるからかわいそうだと思って」
「尾形さん意外と優し」
「期日に間に合わなくて泣くとこまで見届けてやろうと思ってな」
「めちゃくちゃ意地悪くないですかそれ」
ふうっと尾形さんが煙を吐く。鼻に詰まるような独特のにおいに燻されるような感覚になる。私はココアシガレットをガリと奥歯で噛む。
「あとどのくらいかかりそうなんだ?」
「もう少しでできそうですけど、まだ確認もできてないんですよね」
「午前様だな」
「あぁ、まだ火曜日なのに」
私が項垂れると尾形さんは私の背中をトントンと叩いて、吸い終わった煙草を吸い殻入れに落とした。
「手伝ってやるよ」
「本当ですか?」
「見返りは求めるぜ」
「見返り!」
「これでお前の首が繋がるんだから安いもんだろ」
私は尾形さんの顔を露骨に訝しむように見る。彼はなんだか少しだけ楽しそうに笑っていた。
「何でお返しすればよろしいか?」
「なんだよその言い方」
「怖いんですけど、私にできることにして下さいよ」
「分かってる分かってる」
仕事片付いたら言うから。と言って尾形さんが喫煙所から出て行くので私も後を追って会社のデスクに戻る。空いた隣の席に尾形さんが座って頬杖をつきながら私の仕事の進捗を確認して、手直ししながら進めて行く。センスがいいのか賢いのか、要領よくすいすい進めてしまう尾形さんのことが少しだけ羨ましかった。ほんの1時間半でプレゼン資料が完成して私はようやくサービス残業から解放されて会社を出ることができる。午前は回ってしまったけれど、今から帰ればまだ眠れるし、明日のアポまでに読み込む時間も十分あった。尾形さんありがとう、と何度も心の中で感謝を述べながら、ちゃんと言葉にもして「尾形さんありがとうございます」とペコペコ頭を下げた。尾形さんは「約束忘れてないよな」と言ってニコニコ笑うので少しだけ怖くなって、無茶振り以外で何卒お願いいたしますと深く頭を下げる。後でメール送っておくから確認しとけ。と言って尾形さんは会社の前で通りかかったタクシーを止めて私を乗せる。「気をつけて帰れよ」と言って5000円札を握らせるので、私は慌てて返そうとするけど尾形さんは運転手さんに私の家の最寄りの駅を伝えて、じゃぁ、と立ち去ってしまう。お釣りはちゃんと明日返そう、と心の中で誓いのように呟いて「尾形さんありがとう」とお礼だけ言って、私は大人しく家に帰る。
翌日のプレゼンは無事に成功したし、会社からの評価も上々で、私は直属の上司によくやったと褒められて、つい嬉しくてヘラヘラしながら帰社すると、少し離れたデスクで尾形さんが退屈そうにコーヒーを啜っていたので私は駆け寄って再度お礼を伝える。「大成功でしたしとっても褒められました!ありがとうございます!」尾形さんは当たり前だろとドヤりながらも、良かったな、と言ってくれた。私はそれから封筒に入れた昨日のタクシー代のお釣りを尾形さんへ返して、これもよかったらと、帰りに百貨店で買った小さなチョコレート菓子を渡す。尾形さんは意外とちゃんとしてんだな、と感心したように呟いて、「じゃ、メールの件、頼んだわ」と言ってにやついた。私はメールを確認するのを失念していたので大慌てでデスクに戻ってメールを開いて、「あぁ、あぁ…」と言葉にならない声を漏らして失神しそうになる。それを遠くで見ながら尾形さんが楽しそうに笑っている気配を感じて「やっぱり絶対なんかあると思った」と睨み返すと、尾形さんは舌を出して目を細めて天邪鬼な顔をしていた。
2022.06.11 尾形・現パロ
(2261字)
尾形の超VIP顧客の宴会の余興でストッキング相撲をさせられる夢主と、それを眺めて社長とゲラゲラ笑う尾形。夢主も負けず嫌いなので全力で取り組み優勝。社長の好感度は爆上がりだったそうです。
3.実は硬派な尾形>>
尾形は良くも悪くも、噂の絶えない男だった。
彼女が複数人いるとか、女を誑かしているとか、同性愛者とか上官に色目を使っているだとか、とにかくそういった噂話が俄に広がり、さらに悪趣味な奴らが好き勝手に脚色しては言いふらすので段々と話は大きくなり何が本当で何が嘘なのかもう分からないほどで、私は不愉快な気持ちをずっと抱えていた。どうして何も言い返さないのだろう。なぜ言いたい放題言われてもなお自分を他人に開示しようとしないのかと、不思議で仕方がなかった。尾形のその姿勢がまた火に油を注ぎ、斜に構えていて気に食わないとつつきまわされるのだ。
当の本人は大して気にした様子もなく正午に庭で塩むすびを頬張りながら隣で怒り狂っている私を眺めていた。
「尾形悔しくないの?」
「なにが」
「何がって、あることないことネチネチ言われて」
「あることないことって、どれもねぇよ」
「どれもないならないって言えばいいのに」
尾形が塩むすびをもう一つ食べようと取り出して口を開きかけたので隣で私も口を開ける。尾形はそれを見て少し嫌そうな顔をしながら私の口に塩むすびを丸ごと一つ突っ込む。
「はたしのことひゃないのにむかふく」
「食ってから喋れよ」
尾形は私に最後の塩むすびを譲ったので食べるものがなくなって、仕方なげにお茶を飲んでいる。
私は一口齧って残った塩むすびを半分にして尾形に渡す。尾形は少し考えるような間を置いたけど受け取ってパクリと口に放り込んだ。
「取り合ってる方が面倒臭ぇ」
「でも噂立ちすぎて尾形のことみんなそういう人間だって勘違いしちゃうよ」
「違うんだからいいだろ別に」
「そういうもんかなあ」
「事実と真実ってのは違うもんなんだよ」
「良いこと風に言ってるけど全然そんなんじゃなくない?」
「まあ、表面上の事実を鵜呑みにしてるような奴はこっちからも願い下げだ。選別する手間が省ける」
「前向きだなぁ」
「お前も気をつけた方がいいぜ。目に見えてる事実が真実だとは限らんぞ」
尾形はいつもみたいにははっと笑ってお茶を飲み干す。あ、私の分のお茶、もらうの忘れた。
「ねえ」
「ん」
「尾形本当はどうなの?女の人に興味ある?」
「なんだよその質問。お前もあいつらと一緒か?」
「違うけど、聞いたことないから」
「べつに。人並みだろ」
「人並みって」
「不義理な女は嫌いかな」
不義理。彼のいう不義理というのが何を指すのか掴みきれない私は黙る。尾形は大きな欠伸をしている。
2022.06.09 尾形
(1000字)