07

鴉が「産屋敷邸襲撃」を叫んだ瞬間全身に悪寒が走り、不死川は全速力で駆けた。

数日前から嫌な予感はしていた。普段鬼の情報を除いて夢のことを洩らさないミズキから、右の人差し指と中指を重点的に守る手甲を受け取った時から。つまり近い内にこの2本の指を酷く損傷あるいは欠損するような戦いが起こるということだとはすぐに察しがついた。

心の中で『間に合え』と叫びながら木々の間を縫って駆け、記憶の通りに静かな産屋敷邸が見えて不死川が一瞬安堵した瞬間、轟音と爆風と熱波が彼を押し戻した。
強烈な火薬と血と肉の焼け付く臭いが押し寄せ、熱風が気持ち悪く肌を撫でた。
不死川は平手で一度脚を打って刀を手に走った。

酷く損壊した屋敷の瓦礫の上に、身体を何本もの巨大な黒い棘に貫かれた男の姿がある。近くに悲鳴嶼の気配。男の身体は火が燃え広がるのを逆回しに見ているようにみるみる修復されていく。間違いなく鬼。
悲鳴嶼がそれを「無惨だ」と叫んだ。途端に目の前が赤く染まるほどの恨みと怒りに血が沸いて刀を強く握った。
その仇に斬りかからんとした瞬間、足元に何棟もの邸を継ぎ接ぎしたような奇妙な城が出現してぽっかりと暗い暗い口を開け、内蔵の浮くような不快と共に不死川はその城に飲み込まれて落ちていった。
無惨の姿を視界から失う寸前にしっかりと目に焼き付け、歯を食いしばって頭を切り替え着地に備えた。降りた先は驚く程静かな畳の間だった。耳に刺さるほどの静寂の中で実弥は畳の上に座り、右の手甲に触れた。

『実弥さん、これをずっと着けていてね。お願いね、約束よ』

あまりに何度も念を押すので「分かった分かった」と宥めて不死川が手甲を身に着けると、ミズキは充足したように笑ったのだ。
不死川がその笑顔を瞼の裏に焼き付けて再び目を開けると、忍び寄った鬼が突然牙を剥いて猛攻した。瞬きの間にその頸を刎ね飛ばして彼はゆらりと立ち上がり、流れる涙を拭いもせず刀を握る手に力を込めた。

「次から次に湧く、塵共…かかって来いやァ…皆殺しにしてやる」







不死川は目を開けた時、ぼんやりと天井を眺めながらしばらく何が起きたのか掴めないでいた。ただ身体中が痛むような、ひどく眠いような、腹が減ったような、そうでもないような、不思議で掴みどころのない気分だった。
しばらく窓辺で風に膨らむカーテンの揺れるのを眺めていると順を追って波が被るように記憶が迫ってきた。
産屋敷邸の爆発、鬼舞辻無惨の姿、継ぎ接ぎの城、大量の鬼、上弦の壱、玄弥、血、再び鬼舞辻無惨、死闘、死闘、家族とクソ親父の姿、朝日、全て終わった。
不死川はベッドに横になったまま右手を眼前に持ってきた。手指はすべて健在だ。上弦の壱と対峙する中で、ミズキが見たのはこの場面だったのかと思う瞬間があった。
視線を滑らせると、指を守ってくれた手甲が小机に置いてあった。
目を閉じると、瞼に焼き付けたミズキの笑顔が、手を触れられそうなくらいに鮮明に蘇った。

「ありがとなァ…しかし、形見の品ぐらい遺していけや阿呆がァ…」

昼下がりの穏やかな風が頬を撫でた。
ミズキとの思い出はいつだって夜の中にあったというのに、不死川が彼女のことを思い出す時にはいつも、こんなふうに穏やかな昼下がりの風の肌触りが伴っていた。

その時部屋を覗き込んだ誰かが不死川の目の開いているのを発見して駆け寄ってきた。口布を外しているが隠のようだった。

「風柱様、お気付きですか!」
「俺ァ何日寝てた」
「3日です。すぐ医師を呼びますのでお待ちを。…と、その前に、ミズキ様からのお手紙です」
「は、」

弾かれたように上体を起こすと腹部の傷が激しく痛んだけれど、不死川はその隠の男が懐から出した手紙を凝視してすぐに手を伸ばした。受け取って宛名を見ると確かに見慣れたミズキの筆跡だった。

「今医師を呼んで参ります」
「…いや、ちっとひとりにしてくれ。静かに読みてェ」
「ですが」
「今更急に死にゃしねェよ…頼む」
「…承知しました。30分後に参ります」

隠の男が部屋を出ると不死川は静かに封を切った。

―――実弥さん、死なないでいてくれてありがとう。私はただそのことが嬉しい。
つい今しがた、初めて自分のことを夢に見ました。元よりお兄様と運命を共にするつもりだったので、あまり驚いていません。ただそのときが来たのだと知ることができてよかった。

大切な人が死んでしまう辛さも残される辛さも分かっているけれど、やっぱり、実弥さんが生きている未来を見ることができて、私はとても嬉しい。
手甲はきちんと役に立ちましたか?私は刀を持って戦ったことがないし、ましてや上弦だなんて、どれだけのものがあれば指を守れるのか想像もできなくって、隠の防具係の方にずいぶん無茶な注文をして困らせてしまいました。

実弥さんは今までたくさんのものを奪われてきて、たくさん涙を流して、あんまりにも不公平です。私がいった先で神さまに会うことがあったらたっぷり文句を言っておきます。
だから実弥さんは、これから、うんとうんと幸せになってね。美味しいものを食べるだとか、気楽に旅行をするだとか、カブトムシを育てるのもいいし、これからは実弥さんが身体を張って守らなくっても誰も鬼に殺されたりしないんだもの。
思い付く限りの楽しいことをすべてやってしまうまで、こちらに来ちゃいけませんからね。

最後に、実弥さんに「形見の品ぐらい遺していけ」って怒られる夢を見たので、いくつか身の回りのものをお菓子の缶に入れて、匡近さんのお墓の前に埋めてきました。
以前に実弥さんが西洋の焼き菓子を買ってきてくれたときの、きれいな檸檬色の缶です。私の宝物なの。
最後の最後に、実弥さん、めいっぱい幸せになってね。約束ですよ。
それじゃあまたね―――

30分後に隠が医師を連れて病室に戻ると、ベッドはもぬけの殻で、優しい風にカーテンが心地よく膨らんで揺れていた。

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