03

報告を終える頃には障子の向こうで日が暮れかかっていて、それを不死川が意識の隅で気にしていることに、産屋敷は気付いていた。さらに言えば、気にしている対象が日没そのものではなくミズキのことであるということも。
産屋敷はその穏やかな笑みを深くした。

「実弥、この後少し時間はあるかな?」
「勿論です、何なりと」
「そろそろミズキが起きてくるから、話し相手になってやってくれないか。夕飯を一緒に食べていってほしい」

不死川は自分の下心…にも満たない仄かな他意、を見透かされていた気まずさから僅かに俯き、「御意」とだけ言って当主の気遣いに甘える形をとった。
柱に就任して以来、報告に会議にと本部を訪れることが増え、不死川が何だかんだ理由をつけて日没を目掛けて訪れることの真意に、産屋敷は気付いていた。そしてそれを嬉しく微笑ましく思えばこそ、彼もまたミズキが目を覚まして身支度を整える頃合いを見計らって不死川の用事が済むように、それとなく事を運ぶのだった。

当主の言い付け通りに不死川が客間で待っていると、隠が箱膳をふたつ運んできた。不死川にとっては夕食、ミズキにとっては朝食にあたる。
湯気の立つ料理を眺めているうちに襖の向こうに微かな足音が近付いてきて、不死川は僅かに口角を上げた。急ぐ足音が、嬉しい、楽しい、と物語っている。
それでも一応襖の前で一度止まって膝をつき、そっと声を掛けるのは育ちの良さというものだろう。
不死川に促されて部屋に入ると、ミズキは畏まった態度を解いてにっこりと笑った。

「実弥さん、お久しぶり」
「おォ。お前、澄ましてねェで最初っから気にせず入ってくりゃァいいだろ」
「恥ずかしくない振る舞いが出来るようになりたいの。あまね様に憧れてるんだもん」
「そうかい」

向かい合って食事を口に運ぶミズキを眺めていると、憧れも別段の努力も必要ないと不死川には感じられた。箸の使い方も椀を持つ所作も美しく、やはり育ちの良さを感じたからだ。それでもやはり、義姉を慕う純真な目を不死川は微笑ましく思った。

ミズキは食事をしながら、庭のどの花がそろそろ咲きそうだとか、昨日も屋敷の裏の猫に煮干しをやっただとか、誰それから手紙をもらっただとか、とりとめのないことを楽しそうに話した。不死川はそれを聞くのが好きだった。
ミズキの声を聞いていると、凝り固まった心を解きほぐされているような、優しい真綿にくるまれているような温かい気持ちになることができた。

最初にミズキを紹介された場では、他の柱たちが親戚の子どもでも可愛がるように和気藹々としている様に眉を顰めたものだけれど、今となっては不死川にも彼らの気持ちがありありと分かった。
この娘の喜ぶ顔が見たい、守ってやりたい、望みを叶えてやりたいと思わずにいられないのだ。
ミズキの声は知らぬ間にするりと心の奥に入ってきて、しかし踏み荒らすことはせず、いつの間にか当たり前のように彼女のための特別な場所を作ってしまう。初めの内こそ戸惑うけれど、それを不快に思う人間は彼女を知る中にはいないと不死川は確信していた。

人の死に接したときや鬼を斬ったとき、砂を詰めた麻袋を引き摺るように心が磨り減る感覚がする。いつの間にか袋に穴が空いて砂が流れ出て、その小さな粒のひとつひとつが徐々に失われて、それがすべて無くなったとき自分が人でなくなるような恐怖がひたひたと迫ってくる。
ただミズキを想うとき、例えば任務を終えて夜空の月を見上げたとき、その温かくて柔らかい声や笑顔を思い出すと、心臓を優しく抱かれてるような気持ちになることができる。砂の流失が止まり袋の穴が優しく塞がれて、おかえり、と言われたような気持ちになる。
そこでやっと、不死川は自分の心臓に温かい人間の血を感じることができるのだ。




「それでね、とっても心配してたのだけど、昨日見たら小っちゃな子猫が4匹いたの。こげ茶色の子が1匹と、三毛が3匹。手のひらに乗っちゃうくらいよ、とっても可愛いの」
「へェ…そりゃ母猫は忙しくなるなァ」
「そうなの。あとね、子猫が小さいうちは蛇にいじめられたりするでしょう?だからお兄様の鴉さんにね、護衛をお願いしたの」

不死川は「ふは」と思わず声を上げて笑った。
鬼殺隊当主の鎹鴉を捕まえて子猫の護衛を言い付けるのは、世の中をどれだけ探してもミズキひとりだろう。賢い鴉が気を使ってその任を受ける様を想像してしまえば、誰が笑わずにいられようか。

「俺の鴉にも言っといてやるよォ」
「ありがとう!」

ミズキが嬉しそうに顔を輝かせるのを、不死川は目を細めて見た。
ふたりともが食事を終えたところで、彼は傍らの風呂敷包みを解いて中身をミズキに差し出した。平たく、楕円形で、檸檬色の美しい缶だった。
ミズキは庭の一角で檸檬の木を育てていて、黄色い果実と重なって見えたその缶を、手土産を選ぶ不死川は気付けば手に取っていたのである。
ミズキが受け取りながらきょとんとしているので「やる。食えェ」とぶっきらぼうに付け足した。

「西洋の焼き菓子だとよ」
「あ、クッキー?っていうのかな。嬉しい、見るの初めて!缶も素敵。もらっていいの?」
「やるっつったろォ」
「ありがとう!実弥さんと食べたいなぁ」

ミズキは缶を両手で持って、色々な角度から惚れ惚れと眺めた。ひとしきり眺め終えるとそっと缶を膝に下ろして、不死川のことを正面からじぃっと見つめた。

「だけど実弥さん、今から5分くらいするとね、緊急の応援要請があるの。残念だけど実弥さんは行かなくちゃ」
「…そうか」
「床下から音がするのは罠で、鬼は天井裏にいる。毒の霧を吐くから気を付けてね」
「分かった」

他に伝えておくことはないかと数日前の夢を思い返しているミズキの肩を軽く叩いて、不死川が制した。

「こんだけ情報貰えりゃァ充分だ。戦場なんざそれ以上思い出さなくていい」
「…うん」

不死川は箱膳ふたつを器用に持ち上げると厨へ運び、調理担当の隠に礼を言って耀哉への礼も言付けてからミズキのところへ戻った。
丁度その時、不死川の鴉が障子の外から応援要請を叫んだのだった。

「丁度だな」
「うん」

「いってらしゃい」とミズキは微笑んだけれど、その表情の奥に靄のように不安がわだかまっているのを不死川は見て取った。ミズキが夢の内容を告げたということは、不死川が今回の任務で死なないことは堅いけれど、応援要請を出すほどなのだから既に死傷者は出ているはずだ。雑魚と侮ってかかれば痛い目を見る。
ミズキは先程受け取ったばかりの焼き菓子の缶を、大事そうにずっと抱いていた。

「…片付けたら、夜が明ける前に寄る」
「え、」
「一緒に食うんだろォ」

一拍置いて、ミズキは目を輝かせて何度も頷いた。
その笑顔をしっかり目に焼き付けてから、不死川は夜の中へ駆けていった。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -