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何だか少し苦しい、という感覚の中でミズキは目を覚まして、目を開けた時点では目の前が暗くて夜も明けない内に起きてしまったのかと思ったほどだった。
覚醒するに伴って分かったことには、目の前が暗いのは不死川の黒いTシャツのせいで、少し苦しいのは強く抱き締められているせいだった。そういえば昨晩はいつの間に寝入ってしまったのか全く覚えていない。夕方のニュースで言っていた100年に一度の月を見ようと思っていたのに。
ミズキがごそごそと上ずって顔を見ると、不死川の目元に涙の痕を見付けた。
ここ最近彼が時折思い悩んでいることがこの涙の原因なのだろうか、とミズキは考えた。彼の目元にそっと指先を寄せて痕を撫でると、少しざらざらとした。
その時不死川の目元が僅かに震え、ゆっくりとその紫色の目が現れた。

「…おはよう?」

緊張気味にミズキが言うと不死川の目が突然見開かれ、彼の両腕が再びぎゅぅっと痛いほどミズキを抱き締めた。

「いたい」
「ミズキ、ミズキなんだなァ、お前」
「? そうよ、どうしたの?」
「話してェことがあるんだ」

まさか何か悪いことだろうかと身構えるミズキをそっと解放し、不死川は待ちきれない様子で勢いよく身体を起こした。

「まず朝飯だなァ…食いながら話す。あー、その前に」
「うん?」
「愛してる」

通り魔的にらしくない告白をしてミズキの頭を撫でてからベッドを降りた不死川は、至極上機嫌にキッチンへ入っていった。ここ最近の悩みが嘘のように吹っ切れた様子の後姿を見ながら、ミズキはしばらく目をぱちくりとさせた。


普段自分が喋るよりもミズキの話に相槌を打つことを好む不死川が、今日に限っては朝食の席で色々なことをミズキに話して聞かせた。
自分には前世の記憶があること。(詳細は曖昧だと言って伏せた)
前世でも自分とミズキの間には縁があったこと。
生まれ変わってからずっと探してきたこと。
入学してきて初めて会ったときの喜び。
昨晩の通り雨の間に『ミズキ』と話したこと。
身に覚えのない通話履歴を示されるまでもなく、その話は実にすんなりとミズキに染み込んだ。

「まァ突拍子もない話なんで信じろたァ言えねェが」
「ぜんぶ信じます」
「そか…まァ、ンなわけで、昔の恋人と比べてるも何もお前のことしか考えてねェからな」

自分の勘繰りを言い当てられたミズキは動揺した。何故それを知っているのかと問えば、不死川は嬉しそうに「昨日お前から聞いた」と答えたのだった。
不死川がかつてないほど晴れ晴れとした表情をしているのを見ながら、ミズキはずっと心の隅にあった引っ掛かりの答え合わせをしているような気持ちがした。学園のパンフレットを見た夜の夢のことや、その夢を懐かしく感じたこと。何より、不死川の自分を見る目の優しさに前世という裏打ちがあると知れば、今更それを取り除いて考えることは出来ないほど馴染んで感じられた。

「きっと前世の私も、実弥さんのことが大好きだったのね」
「…」
「何となく分かる…って嘘っぽいかな?でもずっとね、どうして実弥さんのこと好きになったのか不思議だったの。だって先生だから、だめなのに」

恋をする相手に教師を選んでしまったことについて罪悪感を覚える中で、動機を考えたことがあった。何故同級生や先輩でなかったのか。まさか自分に火遊び願望があったのだろうかとも疑ったけれども、自らの恋の動機としてミズキにはどうしても馴染まなかった。規則に抗って教師と恋愛してみたかったのではない。それでも現に息をするように不死川に恋をして、その温かい手に触れてほしいと思った。
それは前世からの自分の望みだったのだと思うと、水が流れ落ちるようにすんなりと納得したのだった。
きっと前世と今の自分は不可分のものなのだ。まるで、

「ひとつのまぁるいレモンみたいに」

声に出すつもりのなかった呟きを口にしてしまってから、ミズキは少し発言が唐突に過ぎただろうかと不死川を見た。彼は目を丸くしてミズキをしばらく凝視していて、それから「ふは、」と泣きそうに笑った。

「そォだなァ、レモンだ。ひとつの、まぁるい」
「実弥さん泣いてるの?」
「嬉しいだけだ。なァあと、呼び方ァ…お誘いなら喜んで応えるぜェ」
「えっ、あ、ちがっなんだか自然に…」
「自然になァ、そうだ、お前はそう呼ぶよ」

テーブルの上でミズキの手を握り、不死川があまりにも愛しそうに言うので、ミズキは少し苦笑いをした。
「ちょっと妬けちゃう」と彼女が言うと、不死川は表情を落っことしたようにぽかんとして、立ち上がってミズキの手を引いて立たせた。

「妬くも何もお前のことだがなァ…そんな可愛い嫉妬されて、お誘いに応えなきゃ男じゃねェ。俺がどんだけお前を好きか、好い機会だから身体に教え込んでやるよォ」
「ちょっと、いまっ、朝!」
「そォだな、時間に余裕があるってイイなァ」
「そういう意味じゃないったら…」
「あ、そういやもう1個。姉ちゃんの名前、なんてんだァ?」
「お姉ちゃん?どうして?」
「昨日お前から『聞いてみろ』って言われた」
「ふぅん…?あまね、よ」
「ハ?」
「だから、あまね」

不死川は握ったままだったミズキの手を引いてきつく抱き締めた。また泣きそうな声で笑い、理由が分からないで首を傾げたミズキの髪や背中を何度も撫でた。

「成程なァ、そりゃ美人だろうよ!兄貴想いだなァミズキ、いい子だ!最高だ!」
「えぇ?私、お姉ちゃんひとりだけよ?」
「うん、うん、そうだなァ」

ミズキは不死川がここまで声を上げて笑うところを初めて見た。この様子だと姉も前世で縁のあった人なのだろうかと思ったけれど、深く問うのはひとまずやめておいた。きっとゆくゆく教えてくれる。とにかく今は、不死川がいっそ無邪気なほど嬉しそうに笑うのが彼女には嬉しかった。

不死川の背中に手を回し、大好きな彼の匂いで肺を満たした。「実弥さん、だいすき」と呟いた後になって何故今脈絡もなく口から出たのだろうと不思議に思ったけれど、自分の中にいるもうひとりの自分が後押しをしてくれたように感じた。
不死川はミズキの髪を撫でていた手をぴたりと止めた。

「…そうだなァ、今は目の前のお前のこと可愛がってやらなきゃなァ」

ミズキは咄嗟に羞恥心から否定しようとして、やめた。

「…うん、実弥さんの手でたくさん触ってほしい。キスして、好きって言ってほしい。実弥さんがだいすき」

するすると心臓から言葉が流れ出た。
ひとつのまぁるいレモン、不可分の自分自身、心の底からの望み。
不死川はミズキの頬に手を添えてキスをした。いつも通り、始める時には、そっと押すようなキスをする。

「ミズキ、会いに来てくれてありがとうなァ。もう二度と独りにしねェ、どこにでも連れて行く。好きだ、どうしようもねェぐらい、ずっと前から」

ミズキは不死川の目をじぃっと見つめて、唐突にぽろりと涙を零した。一粒零れると後から後からこみ上げて、拭ってやる不死川の指を濡らした。「どうした」と彼が優しく尋ねた。

「わかんない、なんだか私ずっと誰かに、ううん、実弥さんに、そう言ってほしかったの」

不死川はミズキの涙を彼の胸に押し付けて、繰り返し髪を撫でた。

「待たせてごめんなァ、ミズキ、迎えに来たぞ」

この光のような手を握ってどこへでも行こう。
一緒なら、恐れるものなどもうなにもない。

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