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年末年始の休みが明けて数日、クラスのトークルームにぽいと放り込まれたその写真をミズキが見たのは、放課後になってからだった。同時にその写真を見た友人たちは咄嗟にミズキの顔色を窺ったけれど、表立って話題に上げることも出来ずに口を半端に動かしただけだった。

「なんだか、大人って、かんじね」

辛うじてミズキはそれだけ口に出して、へらっと笑って、教室を出た。鞄の中に猫の餌を持っていたのでいつものベンチに立ち寄って呼び寄せ、袋から煮干しを出して与え、艶々とした毛並みをひと撫でした。

「ごめんねおはぎちゃん、今日は先に帰るね。おやすみ」

我関せずとしゃくしゃく口を動かす猫を残してミズキはその場を立ち去った。

ミズキは無心で帰路を急ぎ、自宅の玄関に駆け込んだところでやっと深く息を吐いた。精神衛生上良くないとは思いつつ、トークルームに投下された写真を見直すも、やはり最初に見た通りだった。
『サネミンとカナエ先生が高めのジュエリーショップから出てきた』と一言添えられていた。写真も正にその通り。紙袋を持っている様子はないけれど、店の戸口で店員が頭を下げているのも写っているから、店頭在庫でなくオーダー品を買ったのだろう。

写真を見て即座に浮気だと責め立てるのは尚早だろうとは分かっていた。あれだけとろけるほど大切にされておいて、弄ばれたとも思わない。それでも、むしろグレーな状況だからこそ、怒るわけにもいかず傷付くことが正しいのかも分からず、ミズキは遣り場のない感情に戸惑った。
何か事情があったと信じたい。母の日の贈り物を買いに行っただとか。随分早いけれど。
ミズキはひとまず画面を閉じて、カーテンを閉じ手を洗い部屋着に着替えベッドに腰掛けて膝を抱いた。どうしても心が波立つのを収められず、端末の画面に大好きな名前を呼び出して耳に当てた。
忙しい時間かとも思ったけれど、幸い相手は数コールの内に電話に出てくれた。

「はい」
「ごめんね、いまちょっと大丈夫…?」
「もちろん」
「…お姉ちゃぁぁん」

年末年始には一緒に過ごしたというのに随分久しいような気持ちになって、大好きな姉の声に安心し、ミズキは時折しゃくり上げながら姉に事情を話して聞かせた。
姉は静かに相槌を打ちながら聞き、一通りの説明が終わると優しく笑った。声を発しなくてもミズキには電話口の姉が笑ったことが分かったし、頭を撫でられたような心地がした。

「腹立たしいのか悲しいのか悔しいのか寂しいのか、自分でも整理がつかなくて苦しいでしょう」
「うん」
「彼を信用できなくなってしまった?」
「…それは、違う、けど」
「断片的でも滅裂でも構わないから、思うことを話して頂戴」

姉の声に促されてミズキは内省し、とつとつと話し始めた。
写真を見て素直にお似合いだと思ったこと。
宝飾品店に一緒に行くのは自分には絶対に出来ないことで、悲しいこと。
事情があるなら話してほしかったこと。
一緒にいるところを写真に撮られても誰も立場を失ったりしない対等が羨ましいこと。

「貴女の気持ちはとても自然なものよ、自分を責める必要はないことは覚えておいてね。ただ関係を隠していなきゃならないのは初めから、貴女も分かっていたでしょう」
「うん」
「私は、不死川さんが貴女に不義を働くとは思わない。彼の手紙を送ってくれたでしょう、内容は見た?」
「ううん、見るなって言われたから」
「それは恥ずかしいでしょうね、貴女に見られるのは」
「ふぅん…?」
「写真を送ってあげるから読んでご覧なさい。きっと安心する」
「うん?」
「辛いことがあったときに気持ちを整理して言葉にできるのは立派なことよ。後は時間が経てば立場が変わってひとりでに解決するから、胸を張っていらっしゃい」
「うん…ありがと、お姉ちゃん」

相変わらず、大学生らしからぬ落ち着いた姉だとミズキは思った。眠れない夜に同じ布団にくるまって寝たときのように、安心して凪いだ気持ちになることが出来た。
しばらくの後に姉から送られてきた写真を拡大しながら全文を読み、ミズキはゆるゆると口角を上げた。姉にお礼のメッセージを入れると端末の電源を落とした。
すぐに完璧に気持ちを整理して落ち着くことは難しいけれど、これも時間が解決してくれる。とにかく今日は早く家事や宿題を済ませて、温かい布団にくるまって眠りたかった。きっと姉の思い出が傍にいてくれる。

翌日はいくぶんすっきりと落ち着いた気持ちで登校したものの、不死川の数学のコマがない曜日なこともあって話すキッカケもないまま、流れるように放課後を迎えてしまった。そもそも顔を合わせたところで、写真の件を追求するのか見なかったことにするのかすら自分の中で定まっていない。
週末になればまた不死川の部屋へ行くだろうし、その時に気が向けば話してみるし向かなければ水に流すくらいのつもりでいた方が心が穏やかかしら、とミズキは思い始めていた。何にせよ、子どもの癇癪で責め立てることはしたくなかった。
ミズキが鞄に荷物をまとめているところへ、隣のクラスの男子生徒が声を掛けた。聞けば、不死川が呼んでいるという。想定外に話す機会を得てしまい少し緊張したけれど、もしかすると彼の方から事情を話してくれるかもしれないともミズキは思った。

「ありがとう、職員室に行ったらいい?」
「あーいや、ちょっと場所説明しにくいから案内する」
「?ありがとう」

少々不思議に思いながらも、ミズキは男子生徒の背中を追った。不死川にこの懸案についてどう切り出そうかと頭を悩ませながら。





不死川は『スマホにカメラなんざ付いてんじゃねェよクソ』と本気で思った。
同僚の胡蝶カナエと宝飾品店から出るところを写真に取られ、生徒等の間で出回っているらしいことを、今朝方教務主任からチクリと刺されたのである。
昨日、いつもミズキが猫に餌をやる時間にその場所を通りがかってみると、猫だけがいて煮干しを齧っていた。餌を出すだけ出してミズキは帰ったのだろうか、珍しい、と思った。ふと気に掛かって夜電話を掛けてみると電源が入っていないアナウンスで、気掛かりに拍車が掛かった。
そうして今日になって朝一番に教務主任からイヤミの一刺しである。昨日からの気掛かりについて事情が繋がったと同時に、彼は文明の利器を恨んだ。
ミズキに対して『セックスがしたい』と申し入れて以降、なるべく丁寧に彼女の身体を慣らしてきていたこのタイミングで、浮気を疑われかねない横槍である。最悪だ。これでミズキとの関係に悪いことが起こったら全生徒のスマホを片っ端から叩き割ってやらなければ気が済まない。否、叩き割っても許さない。
そんな日に限ってあれこれと雑事に時間を取られ、放課後になってやっとミズキのクラスへ出向くと、彼女とよく連れ立っている女子生徒3人が不死川の顔を見て声を上げた。

「先生、え、何で?ミズキちゃんは?」
「ハァ?」

事情を聞いた不死川は舌を打って走ったのだった。



当然ながらミズキの行き着いた先に不死川はおらず、男子生徒からの思い詰めた告白が待っていた。二つ返事で「付き合ってる人がいるから」とお断りしたのだけれど、相手は食い下がった。どこの誰か、この学校の人間なのか、上手くいっているのか、と要らぬ世話も甚だしいことを聞かれてミズキは困った。
ただ、「だって指輪とかもしてないし」と言われた時には、まだ塞がりきらない傷を抉られて閉口した。そもそも学校でアクセサリーなんて着けないという正論も出て来ないくらいに。

「付き合ってる人って本当にいるの?」

いる、と言い返せなかった。それにそんなことも関係なくあなたとは付き合わない、とも。
唇を噛んで俯いてしまったミズキに付け入る余地を見て、男子生徒は彼女へ手を伸ばした。ずっと憧れていたこの子を抱き締めたらどんな匂いがするだろうかと喉を鳴らした。
そして彼にとっては残念ながら、その手がミズキに触れることはなかった。鬼の形相の不死川がその腕を掴んで捻り上げたからであった。

男子生徒が不死川に半ば放り投げられる形で退場した後、「ここじゃ寒ィだろ」と不死川はミズキを準備室へ誘った。ミズキはまだ先程の男子生徒に波風立てられた余韻で心がざわざわとしていたし、懸案のことを切り出そうにも話し方が分からず、大人しく不死川について歩いた。
暖房の効いた準備室へ入った途端、廊下から死角になる位置で不死川はミズキを抱き締めて髪に頬を寄せ、「弁解させてくれ」と請うた。

胡蝶カナエは前世の記憶こそないものの、霊感があるのか何なのか、時折全て知っているかのような発言をする。年明け早々職員室で顔を合わせるなり、「1年生のあの綺麗な子、不死川くんと随分ご縁が深いみたいね〜。袖すり合わすも他生の縁って言うじゃない?」と妙に勘繰らせる発言をした。
口止めをするまでもなく口外しないと本人が言うのでひとまず安心したところで、かねてから考えていたことについて女性の意見を取り入れるべく、不死川はカナエに宝飾品店への同行を依頼したのだった。
この事情を、前世云々のことは省いて彼はミズキに話して聞かせた。

「…結局、何を買ったんです?」
「指輪」

「ここに」と言って不死川はミズキの手を取って薬指を撫でた。
「わたしに、」とミズキは声を詰まらせた。

「クソ、格好つかねェな」
「…」
「不安にさせて悪かった。とにかく浮気の類じゃねェって分かってくれ、冗談じゃねェ」

確かに、恋人に指輪を買ったのを浮気と誤解されて破局するなんて冗談じゃないだろう。ミズキは泣きたいような笑いたいような綯い交ぜの気持ちになって、ただ肩を少し揺らした。
「先生、間違ってます」と彼女は言った。

「どんな指輪を買ってくれたのか分からないけど、綺麗な石がついてなくっても、縁日のおもちゃでも、キーホルダーの輪っかでも、先生がくれたら大事にする」
「…」
「ただ一緒にお店には行けないから、すごく羨ましくて、寂しかったの」
「…ごめんなァ」

不死川は抱き締める腕を強くして、ミズキの髪を撫でた。そうだ、何故忘れていたのだろう、と彼は悔いた。ミズキを置いていく残酷を。彼女はいつだって、ひとり残されることを悲しんできたのに。

「…昨日ちゃんと寝られたか?猫のとこにいねェし、夜にはスマホの電源入ってねェし」
「…電話くれたの?」
「8時ぐらいだったか」
「お姉ちゃんに電話してその後切っちゃったの。ちゃんと寝たよ」

ミズキが不死川とのことを相談出来る相手は他にいない。彼女の姉に露見してしまったことは、結果的に良かったのかもしれないと不死川は思った。姉との会話で落ち着くことが出来たのだろう。これはいよいよ姉に菓子折りでも送るべきかと考えたところで、ひとつ気に掛かる部分に気が付いた。「なァ、ミズキ」と抱き締めた腕の中へ呼び掛けると、彼女は顔を上げた。

「…手紙読んだか」

ミズキがぴくりと強張って目を逸らしたことがそれ即ち答えだった。

「読むなっつったろォ…」
「ごめんなさい、でも嬉しかったぁ」
「いよいよ格好つかねぇじゃねェか、忘れろ」

不死川は低く唸ったけれど、その腕の中でミズキは嬉しそうに笑った。

「…週末、どっか行こうぜェ」
「うん」
「…許してくれるか」
「怒ってないよ」
「寂しかったんだろ」
「うん」
「どっか遠く行こう、知り合いのいねェとこ」
「うん」

ミズキは不死川の肩口に擦り寄って、喉を鳴らす猫のように機嫌よく笑った。
その髪を梳きながら、不死川はようやく安堵の息を吐いたのだった。

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