32

冬休みを迎え、学生の姿が校内から消えた。ミズキも今回は実家へ帰っていった。
3年生の受験を目前に控えて教師陣の緊張感は高い状態が続いていたけれど、やはり3年生のクラスを担任・副担任している教師と他では度合いが違い、不死川は比較的穏やかな年末を迎えようとしていた。
そんな折、不死川はかねてより心積もりしていたことを実行すべく、学長室を訪ねた。迎えた産屋敷は相変わらずの穏やかな笑顔だった。

話を終え、学長室へ最後にもう一度深く頭を下げて退室した不死川は、廊下を歩きながら深く長く息を吐いてどうにか感情を整えた。
ミズキと付き合っていく上で産屋敷には報告しておくのが筋だと真面目な不死川は考えたのだ。入室早々床に膝をついて、柱合会議さながら頭を下げた不死川に対して、産屋敷は立ち上がるように促した。不死川がミズキとのことを打ち明けて許しを請うまでもなく、産屋敷は最初から全て察しているかのようだった。

「現世では血の繋がりはないけれど、ミズキのことは変わらず大切に思っている。敢えて兄として私からもお願いするよ、あの子を幸せにしてやってほしい」と頭を下げた産屋敷に対し、不死川は2分ほど声を出すことが出来なかった。長い沈黙の末にようやく「ありがとうございます」と絞り出して、退室するに至ったのである。





「あのね、先生ごめんなさい、謝らなくちゃいけないことがあるの」

その夜、隣県の実家にいるミズキと電話を繋げていると、おずおずと彼女が切り出した。どうしたと不死川が尋ねると、姉に不死川との関係を悟られてしまったのだという。

「でもね、『無事に卒業出来るようにだけお気を付けなさいね』って」
「…随分寛容な姉ちゃんだなァ」
「私が高校受験したいって言ったときもお父さんを説得してくれたの」
「マジか、恩人じゃねェか」

家族に露呈したということで不死川の脳内では瞬時に、激高する父親や親元へ連れ戻されるミズキの映像が駆け巡ったけれど、事態は都合の良い方へ想定外だった。

「後ろ暗い思いさせてごめんなァ、卒業まで辛抱してくれるかい」
「先生、だいすき」
「…嬉しいけどよォ、今の一言親父さんに聞かれたらアウトだからな」
「ふふ、気を付ける」

年明けにミズキがアパートに戻ったら、少し遠い神社へ一緒に初詣をする約束をして通話を終えた。デスクチェアでその通話をしていた不死川は座ったまま抽斗からレターパッドを出し、白く事務的な罫線だけのそれにミズキの姉へ宛てた礼状をしたためたのだった。





白い息を車の外に残してミズキが助手席に座り、少し他人行儀な新年の挨拶を交わしてふたりで笑った。そのまま不死川は校区の外まで車を走らせ、有名でもなければ大きくもない地域の神社に一緒に初詣をした。
ミズキは何度か「先生」と呼びかけて止めることを繰り返しつつ、不死川と距離をあけずに連れ立って歩けることを喜んでにこにこと笑った。
不死川はそんなミズキをいじらしく可愛く思いつつも、まるで不倫関係のように人目を避けなければいけないことにやはり罪悪感を覚えた。
もうじきミズキは2年生に上がる。あと2年と少し。それが終わればミズキとの関係を隠す必要が無くなると思えば長く感じ、進学先によっては遠距離恋愛になるかもしれないと思えば短くも感じる。
とにかく今は関係を露見しないことで消極的にミズキを守るしかないのだと不死川は彼女に微笑みかける心の内で改めて決心した。

食料品の買い出しも済ませて不死川の部屋へ戻っると、背後でドアが閉まった途端、ミズキが靴も脱がず振り返って彼の首に抱き着いた。

「先生、先生、会いたかった、だいすき、ごめんなさい、だいすき」

不死川の手から買い物袋が落ちて、彼の手はミズキの背中に回った。

そもそも教え子に手を出すなという正論をひとまず伏せても、年上である自分の方がミズキに諭してやるべきだと不死川は自覚していた。たった1週間と少し会わなかっただけだろう、と。
頭の中でその二次的な正論が鳴るのを、不死川は膜一枚隔てて聞くような気分でいた。『駄目だ』とその正論は言うのに、腕は勝手にミズキを抱き締めて、感触を確かめるように何度も髪を梳いていた。
「俺も会いたかった」なんて、言ってはいけないのに。若く純真な彼女を焚き付けるようなことをしてはいけないのに。気付けば心のままが口から出て、柔らかくて甘いその唇に喰い付いていた。

それから5分なのか30分なのか本人たちには分からない長さの時間キスをしてから、ようやく靴を脱いで部屋に上がった。どことなく気恥ずかしい雰囲気になってミズキを先に部屋に遣り、不死川は買い物袋の中身をやっと冷蔵庫にしまい、電気ケトルに湯を仕掛けた。
寒々しい部屋に暖房を入れ、コートを脱いでミズキのものと一緒にクローゼットに掛けていると湯の沸いた音がして、マグカップにインスタントコーヒーとレモネードを淹れてローテーブルへ。
ソファのミズキは、気恥ずかしさが続いて目を泳がせている。その足元に不死川が腰を下ろすと、彼女は不思議がってようやく彼の顔を見た。

「ミズキ」

呼んで、不死川はミズキの手を取った。
白く細い指先をすりと撫でて、「聞いてくれるか」と彼が真剣な目で見上げると、ミズキは小さく頷いた。

「…結論から言うとな、お前とセックスがしたい」

余りにも飾り気のないあけすけな発言に、ミズキは照れるよりもぽかんとしてしまった。
不死川はミズキの指先を握ったままだ。

「勿論避妊は確実にする。嫌だとか怖いとか、マイナスの印象があればいくらでも待つ。断ったからって俺がお前を嫌うとか他を向くとか、そういうのは有り得ねェことは覚えといてくれ。
『大事にするっつっといて何考えてんだクソ野郎』って思ったならそれは全面的に正しい。
決断をミズキに投げるつもりは微塵もねェが、お前の拒否権は全てに優先する。俺はテメェの性衝動ぐらい始末出来るし、ミズキの嫌がることは死んでもしたくねェ。
その上で改めて、俺はミズキを抱きたいと思ってる。ミズキはどう思う」

徐々に暖房の効いてきた部屋で、ミズキは少し泣きそうになっていた。
経験のない自分だから、適当に耳触りのいい言葉でなし崩しにすることも出来ただろうに。断り難い流れにして言質を取ることだって出来ただろうに。
ミズキの気持ちを押し殺さないように、誘導しないように、念入りに逃げ道を残している。
耳触りのいい言葉で誤魔化さず、敢えて実際的で飾り気のない言葉を選んだことも分かる。
どこまでも誠実で、優しくて、少し不器用な人だ。
ミズキは握られていた指先を優しく握り返して、ふんわりと微笑んだ。

「してください」
「…いいのか」
「先生にだったらしてほしいから」
「…繰り返すけどよォ、俺の性欲よりお前の気持ちのが遥かに優先度が高ェんだ、早まるな」
「不思議だけど、ぜんぜん怖くないの。先生だからね、きっと」

「だから、して」とミズキが言うと、不死川は俯いて彼女の手の甲に額を押し当てた。
「ありがとう、大事にする」という彼の声が、ミズキの膝の上に落ちた。


それからミズキが拍子抜けするほど普段通りにふたりで夕飯の支度をして食べ、ふたりとも風呂を済ませたところで、ベッドに向き合って座って不死川がまた深刻な顔をした。

「確認しとくがミズキ」
「はい」
「初めてだよな」
「はい」
「…だよな」

不死川は感動と緊張を同時に噛み締めた。
誰も触ったことのないミズキの服の下に今から触るのだ。

「…自分で触ったりは?」
「?なにを?」
「ウン…分かったァ…」
「ふぅん…?」

誰も、改め、本人を含め誰も、だ。
更に言うなら恐らく前世もあわせて、初めて。

「ミズキ」
「はい」
「差し当たり慣らすことから始めるから、…そうだな、マッサージだとでも思えェ。少しでも嫌と思ったら俺の手ェ叩け。あと、お前の姉ちゃん宛に手紙書いたから、明日にでも姉ちゃんのアパートに送ってもらえるか」
「?はい」

『何で今その話?』という具合にミズキは首を傾げた。その気持ちは不死川にもよく分かったけれど、どうしても今必要だったのだ。頭の一角に冷静さを保つための楔として。

そうして不死川はミズキの頬に手を添え、初めてキスをする少年のようにおずおずと唇を寄せた。

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