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「家の庭にレモンの木があるの。小さい頃スーパーで買ったレモンを切ったら種があってね、お姉ちゃんと一緒に庭に埋めて、毎日水をあげて、もう私の背くらいあるのよ」
「うん」
「まだ実がなったことはないけど愛着持っちゃって、小さい頃からずっとレモンが好き」
「そういやいっつもジュースとか飴とかレモンだなァ」
「レモン味があると選んじゃうの。…ねぇ先生はお酒好き?」
「まァそこそこな。ビールと、ものによっちゃ日本酒も飲む。それより、バレエっていつからやってたんだ」

ベッドに並んで寝転んで、とりとめもなく色々な話をしていた。不死川は中学校までのミズキがどのように生活してきたのかや、食の好み、本は、音楽は、というようなことを知りたがった。

「始めたのは5歳だった、はず?」
「何で曖昧だよ」
「最初はね、私があまりにもお姉ちゃんにくっついて回ってたから、違うことさせてみようって思ったみたいで」
「姉ちゃんなァ…美人だっつってたか」
「そう、とっても綺麗よ。いつかお姉ちゃんが結婚するときにね、私の育てた花をブーケに使ってもらう約束してて。だから1年中お祝い向きの花を育ててるの」
「姉ちゃん想いで偉いなァ」
「お母さんとお姉ちゃんは双子みたいにそっくりなのに、私は全然系統がちがうのよ」
「へェ」
「…好きにならないでね?」
「ハァ?」
「お姉ちゃん、美人だし先生と歳も近いし」

不死川が目を丸く見開いてミズキを見ると、彼女は枕に顔を埋めていた。少し遅れて彼はフハ、と笑って、少し赤いミズキの耳介に触れてくりくりと指で挟み擦った。

「ミズキ、なァ?今なんつったァ?もっかい聞かせてくんねェか?」
「…いじわる」
「他見る余裕ねェよ、この可愛いのをどォやって懐かせようかで手一杯でなァ」

ミズキが僅かに顔を動かして目の端で『本当かしら』というように不死川を見た。

「悪ィ、フザケすぎたな。顔見せてくれェ」

ミズキの顔がもう少し動いて両目が見え、頬が枕に乗った。それでもまだ唇が少し尖っていた。
不死川は「可愛いなァ、ミズキ」と目を細めた。

「煽ててもだめ」
「許してくれよォ」
「…」
「ミズキ、なァ」
「…ふふっ」

尖っていた唇がゆるっと震えて、ミズキが堪えきれずという感じで笑った。彼女がまた枕に顔を埋めて肩を震わせ始めると、不死川は彼女がもう全く怒ってなどいないと気付いた。

「ったくよォ、可愛いのには逆らえねぇって分かってやってんのかねェ」
「だってちょっとシュンとしてるの可愛かった」
「オッサンに可愛いはヤメロ」

ひとしきりふたりで笑った後、不死川はまたミズキの髪を撫でてゆったりと目を細めた。

「しかし県外進学なんざ親父さんはよく許したなァ」
「うん?」
「こんな可愛いのを手元から離したら気が気じゃねェよ」
「さっきから『可愛い』ばっかり」
「可愛い、ミズキ」
「…うれしいけど照れちゃう」

ミズキが目を伏せて少し頬を赤らめたのを見ると、不死川は濁った呻き声の後でまた「可愛い」と漏らした。

「その可愛い末の娘が悪い教師に捕まって手ェ出されちまって、俺が親父ならブッ殺してらァ」
「その場合私に手を出してる先生ってだれなの」
「…考えたくねェ、胸糞悪くなってきた」
「ほらぁ」

今度は不死川が眉間に皺を寄せ、ミズキがからからと笑った。
とにかく、ミズキが卒業したらまず実家に土下座に行くしかねェな、と不死川は結論付けた。そして、先程自分がミズキの父親だった場合を想像した時に彼女の肩を抱いていた(飽くまで想像の中で)冨岡を、週明けにまず殴ろうと理不尽に決心した。

不死川は隣に寝転がるミズキを愛しく眺めた。もう残酷な夢を見ることがなく、陽の光の下を歩けて、不死川を好きだと言い、キスをすると嬉しそうに目を細めるミズキ。これが夢なら醒めないでくれとどこか矛盾したような思いを抱くほど、今彼の隣にあるのは、前世で出会ってから現世で想いを通わせるまでの不死川が切望したものだった。
「ごめんなァ」と言って不死川は彼女の髪を撫でた。「どうして?」とミズキ。

「俺が生徒に手ェ出す悪い教師なせいで、大っぴらに付き合えねェ」

せっかく陽の下を歩けるようになったのに、部屋に隠れてひっそりとしていることを強いている。ミズキの幸せを願うなら身を引いて、歳の近い相手と学生らしい付き合いをさせてやるべきところだろうと不死川は自責していた。
彼女はじぃっと見つめた後、不死川の耳の下辺りに額を擦り寄せた。

「先生が撫でてくれるとね、暗くても怖くないの。先生の匂いがするこの部屋もベッドも大好き。もし先生が同級生とか先輩だったらそれはそれで楽しそうだけど、先生じゃないひとにキスしてほしくない」

不死川はミズキの頭を抱き寄せてその石鹸の香りで胸を満たして、理性ある大人のフリをやめる決心をした。どうせどんなタラレバを持ち出したところで、彼女を諦めることなど自分に出来るはずがないのだから。

「…うん、誰にも触らせねェ、俺以外に許すな」
「うん」
「ミズキ」
「うん」

何度も何度もキスをして、抱き合って眠った。


翌朝起きてからは、他愛もない話をしながらテレビを見たり、ミズキが言い出して一緒に掃除をして布団を干し、映画を1本観た。夕方になってミズキをアパートに送り届けてから自宅へ戻ると、やけに暗く寒々しいような気がした。
初めて恋人の出来たガキか俺はと自嘲しながら適当に早めの夕飯を済ませ、不死川はデスクに向かった。
週明けからの仕事の準備をしてから習慣にしている株価の確認をして彼は大いに驚いた。ミズキの選んだ銘柄が急騰して、ネットニュースに取り上げられるほどだった。
思わず電話で、土曜に買った分の数倍は余裕で戻ってきた旨を伝えると、ミズキは「株ってすごい」と無邪気に笑ったので「スゲェのはお前だ」と言った。
電話を切ってから、不死川は(現世では違うとはいえ)ミズキが産屋敷の一族であることを思い出したのだった。

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