27

リリリ、リリリ、リリリ、と聞き慣れたスマホのアラームが鳴って、不死川はベッドサイドを手探りして黙らせた。まだ目を閉じていたいところを睨むようにこじ開けると、カーテンの向こうに朝が来ているらしいのが見えた。
強く瞬きをして眠気を散らし、ざっくり今日一日の仕事を頭の中にリストアップするのが彼の朝のルーティンだった。

頭が半分醒めたところで身体を起こそうと身じろぎすると、下にしていた腕の内側にさらりと柔らかい感触があり、続いて石鹸が香り、彼はもう少しで声をあげるところだったのを寸前で押し殺した。
不死川の肩口に頬を寄せて、ミズキが眠っていた。
やばいやばいやばいまさか思い余って手ェ出したか自分と一気に覚醒を通り越して混乱・渋滞する頭からは先程作ったTODOリストは綺麗に消し飛んで、不死川は必死に眠る前の記憶を手探りした。
そうだ、きっと眠れずひとりで夜を耐えているミズキに電話をかけようか、いやでももし眠っていたらと迷っているところへ彼女からかけてきてくれて、迎えに行って、押問答の末同じ布団に入った。
そこまで思い出して彼は鈍く呻いた。ミズキが「先生がすき」と言って泣いて、そこから回数も覚えていないほどキスをしたことを思い出したのだ。
『手ェ出してんじゃねーか』と頭を抱えたくなると同時に『あんだけキスしといてよく寝たな本当に男か俺は』と謎の不甲斐なさも湧いた。とりあえず男性の生理現象がミズキに伝わらないように下腹部を彼女から離した。

その時、ミズキの瞼が僅かに震えてからゆっくりと開き、至近距離の不死川と目が合った。眠りの世界に片足残していたような目が一気に丸く見開かれ、先程不死川が辿ったのと近い混乱を一巡して、どうやら思いが通じ合ったことに着地したようだった。

「…はよ」

ミズキは返事ができずにこくこくと頷いた。

「寝た、なァ」
「寝、ました」
「…起きるか、とりあえず」

ミズキはまた頷いた。
不死川は起き上がってすぐに彼女に背を向け、「朝飯とか買ってくるから待ってろ」と言い残して洗面所へ向かい、ざばざばと顔を洗ってスマホと財布を引っ掴んで急ぎ玄関から外へ出た。エレベーターを待ちながら電話をかけておにぎりとサンドイッチの二択を選ばせ、かつてない気恥ずかしい気持ちで通話を終えて、朝の冴えた空気の中を頬を緩ませて歩いた。

ミズキは不死川を見送った後、そろそろとベッドから足を下ろしてカーテンを開けた。まだ薄暗いけれど明るくなった部屋をふわふわとした気持ちで見回しているとスマホに着信があり、サンドイッチを選んだ。
不死川と会話をするのに距離を測りかねるというのは初めてのことだった。
しばしぼぅっと部屋を眺めていて、あるときはたと気付いて洗面所と思しきドアをそっと開け、男性物の洗顔料やシェーバーの並ぶ洗面台で顔を洗い口を濯いだ。寝癖やら可笑しいところが一応ないことが鏡で確認できると部屋に戻り、また気持ちがふわふわとし始めてしまうのを落ち着かせようと、日課にしているストレッチを始めたのだった。

不死川は帰宅して小ぢんまりとしたダイニングにコンビニの袋を置くと、一脚しかないダイニングチェアにミズキを座らせ、自分は仕事机からキャスター付きの椅子を連れてきて座った。カシャカシャと包装を解いてそれぞれ朝食にありつきながら、不死川は「あー…」と切り出した。

「体調、悪くねェか」
「ないっ、です…すっきり」
「そか…つーか、原因、俺か、悪い」

ミズキは首を振って、謝罪やらお礼が混じった言葉をごにょごにょと呟いた。その様が不死川にはひどく愛らしく思えて、彼はハハと笑った後ダイニング越しにミズキの頭を撫でた。撫でた手をゆったりと滑らせて彼女の目元に指の甲で柔く触れると、最初驚いていたミズキは喉元を撫でられた猫のように目を細めて彼の手に擦り寄った。

「…俺の恋人、なってくれるか」
「…いいの?」
「逆にここまでしといて付き合わないって男は刺していい」

「刺すって」とミズキは笑った。笑ってもう一度不死川の手に頬を寄せ、「先生の恋人にして」と言った。


食後、コンビニで一緒に買ってきたトラベルセットをミズキに渡して洗面所へ促すと、ミズキはその透明なビニールポーチを手にしばし沈黙した。
気に入らなかったかと危惧して不死川が見ていると、彼女が「先生」と意を決したように言うので思わず「はい」と丁寧語で返事をしてしまった。

「いまさらですけど、彼女とか、いないですよね?」
「……ハ?」
「だから、恋人とか…」
「いやお前が今なったよな…?」

何だこれは逆に遠回しに『やっぱ無し』的な話か、と不死川が混乱して肝を冷やしていると、ミズキはポーチを抱き締めてほぅっと安堵の溜息をついた。

「だって、部屋に女の人のものはない感じだったけど、綺麗に隠してあったらとか…」
「それこそ刺していいぜェ」
「とりあえず刺させるのやめましょうよ」
「そもそも他に女がいたらお前をここに連れ込んでねェし、お化け屋敷や海に付き合ったりもしねェし、捻挫したからって抱き上げて病院やら送り迎えなんざしねェし、やたら頭撫でたり抱き締めたり勝手にキスもしねェし、その他諸々」
「ど、どうもお世話になりまして…」
「自分で言ってて引いたわァ…お前に告発されたら教員としてアウトなんだよ俺ァ」

今までの行いを羅列していると、不死川は胃の辺りがしくしくと痛むような気分がした。多分他の教員が学生に入れあげて同じことをしていると知ったら『正気かよ教師やめちまえ』と思ったに違いないのだ。
ミズキはくすくすと笑って猫のようにするりと不死川に近寄って、鎖骨の辺りに擦り寄った。そうして、「誰にも言わないから、仲良くして」と言った。
不死川は腹を殴られたような呻き声を上げて身体を強張らせた。彼の脳裏にはいつぞや無断でキスをしてからしばらく距離を置いた後で、ミズキに『また前みたいに』と請われた時のことが過っていた。あの時と同じ、この愛らしい少女は自分の心臓を握り潰しに掛かっていると感じた。
不死川が激しい動悸に耐えて打ち震えているとも知らず、ミズキは彼の肩口から無垢な目で見上げて、彼の顎をさりさりと撫でた。

「おひげ」
「…ッ」
「先生にもおひげがあるのね」

この無邪気であどけない言葉が、不死川にはもはや恐ろしかった。この白く柔らかい指先で男に触れるということがどういう危険性を孕んでいるのか、彼女はまるで分かっていない。
この無垢な目をした少女が、夏に見たあの魅惑的な身体を服の下に隠して市井を歩いていると思うと恐ろしくて気が気じゃない。これはもう自分が一生守ってやらなければ、いや元からそのつもりだったけど、と固く決意する彼の意識からは、目下一番道を踏み外しそうなのは自分だということが抜け落ちている。

とにかく彼は震える手でミズキの指先を優しく掴み、「おひげはいいから、顔洗って来い…」と腹の底から捻り出した。
良い子の返事をしてぱたぱたと洗面所へ入っていったミズキを見送ると、彼はその場にしゃがみ込んで両手で顔を覆い、畜生何で今日土曜じゃねェんだよふざけんな、と遣り場の無い憤りをフローリングに吐いたのだった。
ちなみに彼が『おひげ』という言葉を口にしたのは後にも先にもこの一度きりだった。


不死川は日頃自宅で朝食は摂らずに身支度だけをして車に乗り、運転の傍らパンかおにぎりかゼリー飲料を気分で買い食いする。そうしてかなり余裕を持って職場に着き、静かな校内で仕事を済ませるのが性分に合っていた。その生活習慣のおかげで時間に余裕を持ってミズキを一度アパートに送り、制服に着替えてきた彼女を再び乗せて学校の手前で降ろしてやることができた。
珍しく始業前とはいえ遅い時間に出勤した不死川と職員玄関で鉢合わせた宇髄が「お、しーちゃん遅出なんて珍しいじゃねーか、女でも出来た?」と妙に鋭いことを言うので不死川が閉口していると、「え、マジ?…………ミズキ?」と小声で言うので目を逸らして舌打ちをするしかなかった。

「え、ウッソ、とりあえずド派手に殴っていいか」
「勝手にしやがれェ…」

何でよりによって朝イチでこの面倒な男にバレるんだと不死川は天を恨んだけれど、宇髄は冨岡と違って空気は読める男で口外はしないだろうと踏んで納得することにした。

「不死川、ギリギリの出勤か、珍しいな」
「おー聞けよ冨岡、実はコイツさぁ「黙れクソ馬鹿野郎ブッ殺すぞォォォ!!」

不死川の怒号と宇髄の爆笑はミズキの教室にまで届いた。

「うわぁ今日も不死川先生荒ぶってるねぇ」
「んん」
「何かあったのかな?ミズキちゃん知ってる?」
「…う、うーん……?」

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