25

文化祭の後週末を挟み日常が戻ってきた月曜日、お祭り気分を引き摺っている者も何人かいたし、そこへもってきて日差しの温かい日とあって、授業中にウトウトとする生徒はひとりではなかった。
不死川は板書してチョークを置き、教科書を片手に振り返って、一瞬呆けてしまった。ミズキの目が、花に止まった蝶が羽をゆるゆると動かすように、眠そうに瞬きをしていたからだった。
珍しいこともあるもんだ、と破顔しそうになるのを堪えつつ、板書の内容を口頭で補足しながら机の間を歩き、通りざまにトントンとミズキの机を指で打った。
ミズキはハッとして目を擦り、シャープペンシルを握り直したのだった。

しかしその5分後、次に不死川がミズキを見た時、彼女の瞼はすっかり閉じられて首が傾いていた。かつてない事態に不死川は『余程の夜更かしでもしたか?』としばらく凝視してしまった。

周りの生徒は肝を冷やした。不死川の居眠りやスマホに対する厳しさは有名で、スマブラ事件は言わずもがな、チョークが頭骨を突き破る勢いで眉間に命中しただとかアイアンクロウで廊下に放り出されただとか、恐ろしい噂は絶えない。まさか女子にそこまでしないだろうとは全員思いつつも、隣の席の女子生徒はミズキの腕を揺すった。
これでさすがに起きるだろうと誰もが思っていたけれど、ミズキの身体はぐらりと大きく傾き始め、不死川は驚き彼女の傍へ駆け付けて床に落ちる寸前のところで抱き留めたのだった。

「っぶねェ…おい、さすがにシャレになんねェぞ、起きろ」

周囲の生徒らも心配して覗き込んだけれど、ミズキは不死川の胸に寄り掛かってスウスウ眠っている。彼が何度か「おい」と腕を叩いても、目を覚ます気配はない。
明らかにただの居眠りというレベルではなく、不死川は一抹の不安を抱いた。

「…お前ら教科書の練習問題解いてろ、すぐ戻る」

不死川はミズキを抱き上げて急ぎ教室を出、保健室へ駆け込んだ。
校医は駆け込んできた組み合わせを目にすると驚き、取り急ぎベッドへ案内した。不死川はこの校医のことを詳しくは知らないけれど、学長から前世では無惨討伐の立役者と聞いている。ミズキをベッドに寝かせると不死川は「他に人はいるか」と小声で尋ね、珠世の「いいえ」を聞くと声を抑えるのを止めた。

「…ミズキの前世のことは?」
「学長から伺っています」

不死川が先程の教室での出来事を話して聞かせると、珠世は美しい目元をミズキの寝顔に注いだ。

「考え過ぎであってほしいとこだが、ただの居眠りたァ思えねェ」
「…そうですね。見たところ眼球運動がありますからレム睡眠…つまり浅い眠りということになります。その状態で声を掛けられ身体を揺すられて覚醒しないのはよくあることではありません」
「レム睡眠っていや確か、」
「夢を見ている状態ということです」

『夢』という言葉が鉛のように不死川の胃の底に落ちた。教師をしていれば度々接する言葉だけれど、眠るミズキを前にして不死川にとって帯びる意味は全く異なっていた。

「睡眠発作の既往がある生徒がいるとは聞いていません。
…ですが、お陰様で鬼の始祖は滅びましたから、この眠りを産屋敷一族の呪いと捉えるのは尚早かと」
「つまり?」
「一族の呪いという筋を否定したばかりですが、前世の影響は否定できません。…ストレスや不安を受けたとき、症状の現れ方は人それぞれです。その人の弱い部分に、痛みや異常になって現れます。ミズキさんの場合は、あるいは、」
「睡眠障害として出た、と」
「飽くまで可能性ですが」
「ストレス、不安、ねェ…」

不死川の頭には、暗闇が怖いと言っていたミズキの顔が蘇った。『何だかずぅっとひとりぼっちでいなきゃいけないような気がするから』とミズキは言っていた。無意識下の前世の影響という言葉は、違和感なく不死川の腑に落ちた。
不死川は手を伸ばしてミズキの頬を指の背ですり、と撫でた。

「目覚めるまで待ってやりてェが授業がある。また様子見に来るが、それまでに起きたら俺んとこに顔出せって伝えてもらえるか」
「えぇ、傍にいたいのに渋々戻られたとお伝えしましょうね」
「…おい」
「あら、違いますか?」

珠世の楽しげな目から不死川は顔を逸らして舌を打った。

「解決しようと意気込み過ぎないことも大切ですよ」
「…難しいこと言いやがる」

不死川はミズキの寝顔を見つめてから保健室を後にした。
結局彼が保健室を出てから10分少々で目を覚ましたことを、授業が終わる頃に戻ってきたミズキの口から平謝りと共に不死川は聞いたのだった。

「本当にごめんなさい、恥ずかしい」
「構わねェから気にすんな。…なァ、寝てる間何か夢は見たか?」

「夢ですか」と言ってミズキは記憶を探るように口元に指をあてた。

「…手毬歌が」
「うん?」
「先生とお化け屋敷に行ったとき、最後に聞こえたのと一緒の…聞こえてた気がします」
「…そか」
「自分で思ってるより怖かったのかな」

恥ずかしそうに笑ってその後も謝るミズキの頭を撫でて、不死川はひとまず職員室へ戻っていった。





深夜12時半を回ったところで、ミズキは諦めて身体を起こした。ベッドに入ってから丁度1時間だった。
全く眠気が訪れてくれず目は冴えるばかりで、心細さと寂しさに潰れそうになってくる。
ベッドから降り、ローテーブルに伏せていたスマホを手に取った。
暗い部屋の中で、『何かあったら呼べ』と言ってくれた不死川の番号を表示して、しかし発信することは出来ずに画面を消した。どう考えても時間的に非常識だし、迷惑すぎる。

不死川のことを好きだという自覚が誤魔化していられない大きさにまで膨らんできていることに、ミズキは戸惑い怯えていた。伝えても困らせてしまうだけだと分かっていて、それでも何かの拍子に打ち明けてしまいそうで恐ろしかった。
何故教師に恋なんてしてしまったのだろうと自分を責めた。学生相手なら、想いが実るかどうかは別として相手を困らせることはなかっただろうに。
それに、何故不死川なのだろうと彼女は自分で整理できずにいた。優しくされたからという単純な理由なら、宇髄や煉獄だって優しい。無一郎や錆兎だって、他の同級生たちだって優しい。ただ、不死川には最初に会ったときから妙な既視感があって、一目惚れでもしたかのように最初から好意を抱いた。何だか自分ではないような気分になって、それも恐ろしかった。
戸惑いと恐れの内に、気付けば眠れなくなっていた。

甘えちゃだめ、と彼女はベッドに座って膝を抱いた。立てた膝の上でもう一度不死川の番号を表示して、顔を思い出して安心を得ようと試みた。温かい手、落ち着く匂い、心の凪ぐ声。
それでも心の状態は変わらず、迷いに迷った末、3コールで切ろうと決めて発信した。

「もしもし」
「…先生、はやい」
「お前は遅ェよ」
「それは本当、ごめんなさい…あの、もう切ります」
「待て待て違う。眠れねェんだろ、もっと迷わず電話して来いってんだよォ」

スマホを手に待っていたかのような速さで応答を得て、驚いたのはミズキの方だった。
不死川の声に安心して「先生」と呼ぶと、彼は優しい声で応えた。電話の向こうで彼がどんな顔をしているのか、ミズキは分かるような気がした。

「先生、ありがと」
「…寂しいなら会うか?」
「え?」
「迎えに行くから部屋で待て。降りて待つなよォ」
「え、えぇ?せんせ、」

ミズキに最後まで言わせず電話は切れて、電話帳の不死川の名前が再び表示された。
「うそぉ」とミズキは呟いて思わず通話履歴を確認した。確かについ今し方不死川と通話した履歴があった。
状況が掴めず無駄に部屋を見回してしまいながら、ひとまずパジャマから着替えた方がいい…?と考えているところへ不死川から着信があった。

「はっはいっ」
「言い忘れ。着替えようとか考えんな、目ェ覚めちまうばっかりだからな」
「あの、ほんとに…?」
「おォ、じゃ今から出るから10分ぐらいな」

また電話は切れ、ミズキは慌てて部屋を明るくした。着替えるなとは言われたけれど、パジャマで会うのは恥が勝つ。せめて見せられる部屋着に、と急いで着替えたところで本当にインターホンが鳴り、共通エントランスを開錠するとやがて足音が近付いてきて、今度はベルでなくドアが控えめに叩かれた。
ミズキがゆっくりドアを開けると、本当に不死川が立っていた。

「こん、ばんは…」
「おォ。鍵とスマホだけ持て、行くぞォ」
「えっ、はい…?」

言われるままミズキが鍵とスマホをポケットに持って靴を履くと、不死川が彼女を上着でくるんだ。
部屋を出て彼の背中を追って、ひんやりとする夜の空気を抜けてよく知る車に乗り込んだ。

「先生、どこか行くの?」
「嫌でなけりゃ俺ん家」
「えっ!?」
「どうする」

運転席の不死川は優しい顔をしていた。ミズキは動揺や混乱から抜けきることは出来ないまま、それでもあまり迷うことはなかった。

「いやじゃないです…連れてって」
「ん、いい子」

不死川がハザードランプを消して車を出した。

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