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振り向いたミズキを見た瞬間に、不死川は煉獄の「泣かないようにな」という妙な忠告の意図を理解することが出来た。
藤紫の着物を身に着けた彼女は、驚くほど前世の彼女そのものだった。そもそも本人なのだから当然といえば当然なのだけれど、同じ視界の中に賑やかな文化祭の風景がなければ、ミズキが「先生」と呼ぶのでなければ、『どちら』か分からなくなってしまうくらいに。
不死川は噛みしめた奥歯を離さないようにしたまま、ようやく「着物」とだけ言った。

「母、姉、私の順でお下がりです。一番好きな色なの」
「…あァ、よく似合うなァ」

ほとんど同じ着物を、前世のミズキも好んで身に着けていた。不死川の言う「よく似合う」は彼が前世から思っていることに違いなかった。
その藤紫の着物はミズキの身体にぴったりと心地良く馴染んでいて、他の生徒らを見た時のような『着られている』という不慣れな感じは受けなかった。
不死川がいつも通りに頭を撫でてやると、ミズキは嬉しそうに笑った。

「そういや、おにぎりありがとなァ」
「あ、温かいうちに食べられました?」
「煉獄が丁度入れ違いだとよ。美味かったけどな、デケェよ丼飯かと思ったわ」
「日頃の感謝の大きさですぅ」

ミズキがいたずらっぽく歯を見せると、不死川は一度降ろした手をピクリとさせて、やはり抑えた。ミズキと話していると、絶えず撫でたり頬に触れたりしたくなってしまうことが多々ある。今でさえ触り過ぎの自覚があるほどだ。

ふと周囲を見ると、雑踏の中で立ち話をしているせいで、ミズキのことをちらと見ていく人間が後を絶たない。彼女の容姿は普段の制服であろうと和服であろうと、人目を惹く。
不死川が「落ち着かねェな、場所変えるか」と言ったのはつまり数学準備室への誘いだったのだけれど、ミズキは少し迷う素振りを見せた。断られることを想定していなかった不死川は少々動揺した。

「あのね、先生」
「お、おォ…」
「お願いがあって、ずっと探してて」
「俺を?」
「うん、あのね、えっと」

ミズキは珍しく随分言い淀んでいて、余程のことなのだろうかと不死川も身構えた。彼女が口元に手で囲いを作る仕草を見せたので耳を貸してやると、ミズキは小さな声で「お化け屋敷に一緒にいってほしいの」と言った。

「……ハ?」
「だから、お化け屋敷」
「………」
「だめ?」
「……………ブハッ」

不死川が笑うとミズキは憤慨した。恥を忍んでお願いしたのに、というところである。
不死川はつい今し方涙を噛み殺した口元を今度は笑わないように食いしばって、ミズキの頭をぽんぽんと撫でて宥めた。全く今日は感情が忙しい。

「悪ィ悪ィ、何だってンなとこ行きてェんだよ?」
「園芸部の友達と話してるときにね、何をやるのか知らないのに行く約束しちゃって」
「お化けが怖ェのにな」
「お化けが怖いんじゃないですよ?」
「へェヘェ」
「あっ信じてない、本当ですからね?もちろん積極的に好きじゃないけど」
「何が嫌なんだよ」
「暗いのがきらい。何だかずぅっとひとりぼっちでいなきゃいけないような気がするから」

また感情の針が大きく振れて不死川は胸の詰まる思いがした。真夏と真冬を扉一枚隔てて行き来しているようだった。
「分かった、一緒に行ってやっから」と彼が言うと、ミズキは安心して笑った。

「しかしよォ、暗いのが怖いとなると夜寝る時どうしてんだァ?」
「豆電球残すとか、ベッドの近くに小ちゃいライトも置いてます。実家でお姉ちゃんがいたころは一緒に寝てました」
「姉ちゃんねェ…お前の姉ちゃんなら美人だろうなァ」

お化け屋敷開催中の教室まで話しながら歩く中、不死川は和服でいつもより歩みの遅いミズキに合わせる分、ゆったりと彼女の声に耳を傾けた。
ミズキは姉が大好きなようで、いかに美人かを嬉々として語っている。ミズキと美しい(らしい)姉が同じ布団にくるまって眠る様はさぞ心温まる光景だろうと思った。

そうこうしている内におどろおどろしい装飾と暗幕の目立つお化け屋敷に到着した。ミズキが友人に挨拶をして、ひとしきり写真を撮ったりはしゃぎ終えると待合に通されて並んで座った。
待合スペースも暗幕で窓を塞いであり、廊下からの光が入るとはいえ薄暗く、不死川はミズキの緊張が高まるのを察知した。

「大丈夫かァ?来る約束は果たしたし、理由話せば…」
「大丈夫、ひとが一緒にいてくれたらそんなに怖くない、はず?」
「自信ねェじゃねぇか。入る前に目ェ慣らすか?」

横並びの椅子でお互い半身になって斜めに向かい合い、不死川は掌でミズキの目を覆った。覆ってから、これでは準備室で彼女にキスをしたときと同じだと気付いた。
掌の下でミズキがかぁっと顔を赤らめたので不死川は慌てて手を引き、「…わり」とだけ零した。
何とも居心地の悪い空気が立ち込めたところで案内の生徒が顔を出し、戸惑っているうちに暗幕を潜って真っ暗な中へ踏み入った。

暗闇の中に入るとミズキは目を塞ぐように不死川の肩に額を押し付け、彼のシャツを握った。彼はミズキの手をシャツから剥がし、その冷えた指に彼の温かい指を深く絡ませて握った。

「大丈夫か?出たかったら言え」
「へいき、先生の匂いがするから」

ウッと不死川は鳩尾を殴られたように身体を強張らせた。暗い中でも朧げに分かるミズキの表情が『どうしたの』と言うようで、「何でもねェ、歩けるか?」と空いた手で撫でてやった。
足元に布で光量を抑えた照明が置かれているせいで、道順を見ることが出来た。ゆっくりと歩き出し、パネルで迷路のように作られた道を進んだ。一度血みどろの化粧をした男子生徒が呻き声を上げて現れた際にミズキがビクッと震え、不死川が「コイツをビビらすんじゃねェよ…」と地を這う声で諭すと、以後不穏なものは現れなかった。
もうじき出口というところで、ごく小さな音で童女の歌う手鞠歌が聞こえてきた。恐らく演出の一環として、壁の裏でCDでも流しているのだ。暗い中に微かに響くあどけない声は、ひやりとした恐ろしさを掻き立てた。それまで不死川の腕に身を寄せていたミズキが身体を離して歌に耳を澄ませた。

ーーーひとつとや 一夜明くれば 賑やかで賑やかで お飾り立てたり 松飾り松飾りーーー

ミズキは夢中になってその歌に聞き耳を立てている。不死川はその様子に不安を覚え、ミズキの肩を抱いて半ば強引に出口へ連れて出た。
彼が何度か呼び掛けると、ようやくミズキは意識を取り戻したように返事をした。

「大丈夫か、ちっと休むか?」
「大丈夫、先生ありがと」

にっこり笑ったミズキは一見普段通りだったけれど、不死川には髪ひとすじほどの不安が残った。それでも、ミズキがクラスのブースに戻ると言えば彼に与えられた選択肢は見送ることだけだった。

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