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ミズキの捻挫についてひとつの目安として提示された2週間の最終日、学園では中高合同の球技大会が催された。
そもそも捻挫は2週間を区切りに急に治るものではないし、正直なところミズキは既に平気で歩いていたから、当たり前に大会に参加するつもりでいた。
しかし大会前日の下校の車で不死川は当然の顔で「お前明日は座ってろよ」と言った。
いつの間にか担任やクラスメイトにまで話は回っており、あれよあれよという間に会場の体育館の壁際に用意されたパイプ椅子にちょこんと座ることになったのだった。

「オラ機嫌直せェ」
「機嫌が悪いんじゃないです、解せないのです」
「バレーは激しい運動に引っ掛かるだろォ」
「先生は過保護なんです。さっき宇髄先生にヒーヒー笑われましたよ」
「アー殴っといてやるから」
「殴っちゃだめです」

むっと目元を厳しくしたミズキの頭を不死川の大きな手がぽんぽんと宥め、「冷房きついからな、羽織ってろよォ」とジャージの上をミズキの肩に掛けてから不死川は離れていった。
ミズキは上着に腕を通してずいぶん余る袖からやっと手を出して、ファスナーを上まで閉じて、スンと鼻を鳴らした。

「先生の匂い」

彼女の呟きは騒がしい会場の中で誰にも聞かれなかった。



「ひとりで暇じゃない?」と言われてミズキが顔を上げると、隣のクラスの男子生徒だった。
実際のところほぼ全快なのにノンビリ座っている罪悪感はあったけれど、クラスメイトの試合を応援したり、軽いアンダーハンドサーブで壁を凹ませる不死川やバレーのコートで何故か騎馬戦を始めようとする煉獄を見ているのは飽きなかった。
そのことを伝えても「話し相手になるよ」と近くの壁に凭れて彼が何やら話し始めるので、『誰かと話したかったのかな』程度にミズキは相槌を打った。
相槌の合間にふと視線を感じてミズキが喋り続けている彼の遠く向こうを見ると、中等部のジャージを着た髪の長い男の子と視線が交わった。
男の子が何やら驚いた顔をしていたような気がして不思議に思いつつ、相槌のために隣の彼に目を戻していると、ふっとミズキは顔に影が掛かるのを感じて見上げた。ついさっき辛うじて顔を識別出来る距離にいたはずの、長髪の男の子が息のひとつも乱さずに立ってミズキを見下ろしていた。
少年の髪は黒髪だけれど毛先にかけて水色に変化していて、瞳も同じく澄んだ水色をしている。その美しい双眸が、やはり驚きをもってミズキを見ていた。

「君、もう行っていいよ」

少年が先程までミズキに話していた彼を一瞥して気怠げに目を細めた。彼は当然食ってかかったけれど、「時間が惜しいから煩わせないでくれない」と言う少年の言い知れない静かな迫力に圧されて渋々退散していった。

「ミズキ、久しぶり」
「え…?」
「不死川さんとか煉獄さんとかは赴任してきてすぐ遠目に気付いてたけど、あの人達も意地が悪いよね。ミズキがいるなら教えてくれればいいのに」
「あの、ごめんね、私会ったことがある…?」

ミズキが椅子に掛けたまま少年を窺うと、彼は小さく目を見開いてまた驚きを表した。
「まさかね」と彼は溜息をついて前髪をくしゃっとかき上げた。

「僕が覚えてるのに今度はミズキが忘れてるわけ」
「ごめんね、思い出せなくって…どこで会ったか教えて?」

こんな綺麗な少年に会ったことがあればまず記憶に残っているはずなのに、とミズキは頭を悩ませた。知人を忘れる無礼を払拭したく記憶を探っても、この少年のことがどうしても思い当たらない。
少年は額から手を下ろしてミズキの手を取り、ニッと薄く笑った。

「二度と忘れないで、僕は時透無一郎。名前で呼んでいいよ、ミズキだからね」
「無一郎くん…」
「そう、いい子だね」

中学生に『いい子』呼ばわりされてしまったけれど、先程クラスメイトを追っ払った時とは打って変わって無邪気に嬉しそうに笑われてしまえばミズキは不思議に抵抗なく受け入れてしまった。
無一郎は愛し子を見るように目を細めた。

「ミズキの声だ」
「うん?」
「ずっと聞きたかった」

瞬きひとつの間に無一郎の顔が眼前に寄って唇に柔らかなものが触れた。ミズキは目を閉じる間もなかったために無一郎の美しく揃った睫毛を数cmの距離で呆然と見ていて、周囲から好奇の悲鳴が上がったところでようやく事態に気付いた。

「時透ォ!!」

無一郎がひらりと身を躱すと、直前まで彼のいた場所を不死川の拳が裂いていった。

「不死川さんも久しぶり」
「テメェ何したか分かってんのかァ!?」
「その様子じゃ二の足踏んでるんでしょ?僕は違うってだけ」

不死川が音の聞こえそうなほど歯噛みしているところへ、「無一郎お前何やってんだ」と新たな声が駆け寄ってきた。見ると無一郎と鏡のように同じ容姿の少年で、無一郎は「兄さん」と言った。
駆けてきた少年は無一郎の頭を押さえ付けてミズキに向かって下げさせ、自分は不死川に頭を下げてから無一郎の腕を引いてずるずると連れ去った。

周囲はざわざわと好奇の視線を投げ掛けてきており、不死川は舌を打って呆然としたままのミズキの肩を抱いて立たせ、足早に体育館を出た。
そのまま前のめりに苛立った足取りで校内を進んで数学準備室に至り、ピシャンと戸を閉めてミズキを椅子に座らせた。
彼女は相変わらず呆然としている。

「悪かった」
「…?」
「歩かせた。足は痛くねェか」
「あ…それはもう、ぜんぜん…」
「そか」

不死川はミズキに背を向けた。
その背中にミズキは「先生」と呼び掛けた。

「無一郎くんのこと、知ってるの?」
「…考えるな、さっきのは事故みてェなモンだ。担任に下校許可取ってくっからここで待ってろ」
「事故…」

そこでミズキは先程の衝撃的な出来事を思い出した。「キスした」と彼女はぽんと落とすように言った。

「はじめてでした」
「…」
「なんていうか、びっくり、してて…」
「…」
「少し、悲しいような気が、します」

ミズキの目からぽろぽろと涙が落ちて、不死川の貸したジャージに染みを作った。
勢いが付いてしゃくり上げて泣き始めると、ミズキは突然温かいものにくるまれて、不死川の手が頭を撫でているので抱き締められていることに気が付いた。目の前の黒いTシャツにも涙の染みが出来た。不死川が「クソ」と吐き捨てた。
不死川の温かさがふと離れたと思うと大きな手がミズキの目元を覆い隠し、彼女が戸惑っている間に唇に柔らかいものが押し当てられてすぐに離れていった。「ミズキ」と不死川の声が言った。

「忘れろ」

目元を覆っていた大きな手が離れた時には不死川はもう背を向けていて、戸を開けて出て行ってしまった。
ミズキは驚きのあまりすっかり涙も止まってしまい、呆然として不死川の去った後の戸を眺めていた。
大きな手が目元を覆い隠していたけれど、ミズキは指の隙間から眼前間近に不死川の顔を見た。『忘れろ』というのが何を指すのかは、分からないままだった。

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