13

「わーミズキちゃん身体柔らかっ!」
「もっと押してもだいじょぶ」
「おおおー!」

体育の準備体操でペアになった友人は感嘆した。長座体前屈をするミズキは、本が閉じるようにぴったりふたつ折りになっている。
準備体操を終えてハーフパンツの砂をパタパタと叩きながら立ち上がると、友人が「あ、不死川先生だ」と校舎の窓を指さした。ミズキが指された窓を見ると、知った後ろ姿が窓に寄り掛かっているのが見えた。

「練習問題を解いてごらんの時間だねきっと」

ミズキはほわほわと柔らかく笑ったけれど、友人は「そんな優しい表現じゃないて」と首を振った。

「今教えてやったんだから出来て当然だよなァ?の時間だよ正しくは」
「えぇー?」

笑うミズキの顔を見て友人は『ア、だめだこれ通じてないわ、しかし可愛いな』と無表情の内に悶えていた。そうしていると体育教員の冨岡から集合が掛かり、チームに別れてバレーボールの試合が始まったのだった。



「危ない」と悲鳴が上がってミズキが振り向いた時には既にボールが間近に迫っており、咄嗟に身体を捻って腕でボールを逸らし尻餅をついた。
へたり込んだまま息を長く吐き出すと、一拍遅れて動悸がうるさく響いて冷や汗が噴き出た。
「大丈夫!?」と駆け寄った友人にミズキが返事をしてから立ち上がろうとした時、彼女の顔がぎゅっと歪んだ。

「足を捻ったか」
「冨岡先生」
「少し触るぞ」

冨岡がミズキの足首を確かめると小さく呻き声が上がり、冨岡の眉根が寄った。

「保健室だな。お前たちは着替えて教室に戻れ」

冨岡はミズキの腕を自身の肩に掛けさせて背中側に回した。ミズキは肩を借りて立ち上がるつもりで無事な方の脚に力を入れたけれど、気付けば膝裏にも腕が入って軽々と抱き上げられていた。
周囲の主に女子から黄色い悲鳴が上がった。
ミズキは驚きから立ち直って自分で歩くと抗議しようとするも、さっさと矢のように走り始めてしまった冨岡の首に掴まって悲鳴を堪えることしか出来なかった。

保健室に着くと校医は不在で、放心状態のミズキはパイプ椅子に降ろされた。冨岡は彼女にソックスを脱ぐように言ってからテープを手に戻ってきて向かい合わせの椅子に掛けた。

「俺の膝に足を乗せられるか」

表情のひとつも崩さずに冨岡は言ったけれど、今度こそさすがにミズキは抵抗した。相手からの指示とはいえ教師の膝に足を乗せるのは足蹴にするようで気が引けたし、何より恥ずかしい。
ミズキが動かないでいるのに冨岡は理由が分からないようで、「どうした、早くしろ」と屈んで彼女の足首を掴んだ。

「いっいやっ、せんせ、待っ」
「動くな巻き難い」

その時保健室の戸が勢いよく開けられ、ふたりがそちらを見ると鬼気迫る表情の不死川だった。
不死川は状況を見て瞬時にコメカミに青筋を立て、カツカツと保健室に踏み入って最短距離で冨岡に勢いそのまま殴り掛かった。勿論本気でないことは見て取れたけれど、ミズキは小さく悲鳴を上げた。彼女の足を解放した手で冨岡がその拳をいなすと不死川が「冨岡ァテメェ何してやがる」と低く唸った。

「セクハラで訴えて勝つぞクソがァ」
「俺はセクハラしてない」
「供述はサツに聞いてもらえ」
「心外!」

痺れを切らした不死川は冨岡の襟首を引っ掴み、人ひとりスマブラできるその腕力でもって冨岡を廊下にかなり雑に放り出してピシャンと戸を閉めた。
彼は忌々しそうに重く息を吐くと、ミズキに向き直って「大丈夫かァ?」と表情を緩めた。

「大丈夫です…あの、先生授業は…?」
「…自習」
「それ先生の方が大丈夫じゃないです」
「いーから足、テーピングすんぞ」

不死川はテープを取るとミズキの前に膝をつき、彼女の足を壊れ物のようにそっと持ち上げた。
小さく丸い爪が並んだつま先や白く細い足首に、不死川は壊れやしないかと恐ろしいような気分がした。
前世では足袋と着物の裾の間に稀に覗く足首が目にする精々だったし、それより上など見る機会があるはずもなかった。それに片想いのまま恋仲にも至らなかったので素肌などほとんど見ていない。
『こんな小さかったのか』と指に力を入れることすら躊躇われた。
しかし手を止めたままでは事が進まないし、校医が戻れば『何で数学の貴方が処置していらっしゃるんですか』と正論を吐かれるのが関の山、結果、彼は内心の動揺を強靭な精神で押し隠して極めてテキパキと捻挫の足にテーピングを施し、最後にじゃきんと鋏で絶った。

「痛むか?」

不死川が顔を上げると、ミズキは首を振った。
「あのね、先生」と彼女が言う間に立ち上がって不死川はテープを机に置いた。

「どうしていつも助けてくれるの?」
「…『いつも』かねェ」
「おはぎちゃんを一緒に探してくれたし、足にテーピングしてくれたし」
「2回だな」
「授業中断してまで来てくれたの、どうして?」
「…他に任せたくなかっただけだ」

何が『だけ』なのか、何故任せたくないのかミズキは聞こうとしたけれど、遮るように保健室の戸が開いて友人がミズキの制服を持って来たために機会は失われた。
ミズキはお礼を言って恐る恐る床に踵をつけ、違和感はあれど手摺を頼れば歩ける実感を持った。一度カーテンで仕切られたベッドに引っ込んで着替えてから時計を見ると、あと10分程度で授業が終わる頃合いだった。

「じゃあ、教室に戻ります。先生ありがと」
「痛まねェのはいいが放課後医者は行くからな」

「えっ」とミズキは不死川を見た。これはまさか付き添ってくれるつもりなのだろうかと遠慮に迷っていると、ミズキよりもずっと正確に不死川の心情を酌んだ友人が「念のため病院は行った方がいいよ、冨岡先生チャリだし車で連れてってもらえる方がいいじゃん」と非常に的確なアシストを打った。

「放課後職員室まで来られるかい」
「でも、」
「教室から運んでもいいけどよォ」
「いっ行きますっ」

不死川はミズキの頭に手を置いて「ん、いい子」と笑った。
保健室の前で手を振って別れると、友人がポソっと「…すっご」と呟いた。

「うん?先生すごく優しいよね」
「ウン…あんたも充分スゴイよ…」
「うん?」


放課後、不死川の車で病院へ連行され、ミズキは結果的に特段の処置不要とのお墨付きを得た。
ゆっくり手摺を頼りながらなら歩いても構わないし、激しい運動を控えつつ様子を見て2週間を目処に通常の生活に戻れるだろうとのことだった。

「あの、だからね先生、運んでもらわなくって大丈夫です」
「怪我人は黙って大人しくしてろォ」

そもそも学校では無事な片足で跳ねたりはしつつも自分で歩いて車にも乗ったというのに、病院の駐車場に着いてからというもの、ミズキはほぼ地面を踏まなかった。まさか教師の膝に乗って診察を受ける日が来ようとは思っていなかった。
病院を出ても当然のようにミズキを片腕で抱いたまま不死川は歩いて助手席のドアを開け、極めて滑らかに丁寧にミズキを座席に降ろした。
明日から2週間の登下校も車に乗るように説き伏せられてミズキがとうとう頷いたところで彼女のアパートの下に着き、不死川はまた彼女を抱き上げて鞄を腕に引っ掛けて軽々と歩いた。

「…こんなの2週間も続いたら、私何もできないひとになっちゃう」
「ならねェだろ。…これぐらいさせろ」
「どうして?」
「気にすんな、ほら鍵」

ミズキが鍵を開けると、不死川がドアを開けて靴のまま玄関にしゃがみ込んで彼女を床に降ろした。
結局学校で車に乗ってからほぼ地を踏まないまま帰宅してしまった。まさか全生徒にここまで手厚くしないだろうとはさすがにミズキにも分かったけれど、しかしそれなら何故というところは分からなかった。
床に座って、玄関にしゃがんだ不死川と至近距離で顔を合わせていると、彼の目が切ない色を帯びているように思われて余計に分からない。

「スマホ出せ」と言われてミズキはハッとして、鞄を探って不死川に渡した。彼が手早く番号を打ち込んで発信すると不死川のポケットで着信音が鳴り、ミズキの元へ端末が返された。

「番号登録しとけよォ、何かあったらすぐ呼べ」
「あ、…はい、」
「どーした、大丈夫かァ?」

不死川がミズキの顔を覗き込むと、彼女はまた『どうして』を重ねようとして、迷った末に止めた。

「…うん、先生ありがと」
「お、素直んなったな」
「思いっきり甘えることにしたの」
「…ん、いい子」

ミズキがふんわり笑うと、不死川は蕩けるように優しく目を細めて彼女の頭を撫で、「鍵掛けとけよ、おやすみ」と言い残して帰っていった。

翌朝から不死川は本当にミズキを送り迎えした。
ミズキはせめてものお礼にと弁当を渡して、その期間不死川は目に見えて機嫌が良かった。
以前スマブラされた生徒が授業中にスマホを触っていた時でさえ、デコピンで済まされたほどだった。

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