12

ミズキが花を抱えて音楽室を訪れると音楽の教師は不在にしていて、その代わり目に付くグランドピアノの上に白い陶器の花瓶と、花瓶の下にメモ書きが挟まれていた。
『用事で不在にします、頼んだ花はこの花瓶に』との書置きを受けて、ミズキは花瓶を連れて手洗い場へ引き返した。
花瓶に収まった花を持って彼女が再び音楽室に入ると、出た時にはいなかった人物がそこにいた。「宇髄先生」と呼ぶとその大男が振り向いた。

「おー、何してんの?」
「園芸部で育てたお花が見頃だって話したら、音楽室に飾りたいって」

宇髄は「ほー」と興味があるのかないのか掴めない声色の返事をしつつも、眩しそうに目を細めてミズキを見た。

「宇随先生は?」
「何か楽器描きてぇなと思って物色しに」
「物色!」

ミズキは花瓶を棚の上に置いながらカラカラと笑ったけれど、実際のところ宇髄は無断で備品を持って行ってしまうことが多々あるので物色という言葉は非常に的確なのだ。
宇髄は鍵盤の蓋を開けてポーンと一音鳴らした。

「先生、ピアノ弾けるの?」

わくわくと目を輝かせたミズキを「派手に当然だろ」と指で招いて、宇髄はピアノに添えられた黒い合皮のスツールに座った。彼はふと悪い笑い方をして大きく脚を開き、「近くで見る?」と脚の間を指差してミズキを見た。
『さすがに警戒するよな』とダメ元でじゃれたつもりだった宇髄は、結果的にすんなり自分の脚の間に座って機嫌よくニコニコし始めたミズキに対して心底面食らうことになった。

「お前ほんと心配なるわ…」
「どうして?」
「飴あげるって言われても知らないオッサンについてっちゃダメなんだからな?」
「まさかぁ、小さい子じゃないんですよ」

ミズキはまたからからと笑ったけれど、『飴をあげるからおいで』と『ピアノを弾いてあげるから脚の間に座って』がほぼ同一だということには気付いていない。
ちょこんと足を揃えて座る猫のような少女を顎の下に囲い、宇髄は頭痛を感じた。
普段常識を弁えろとか色々小言を受けるのは自分の方だというのに、相対的に自分が常識を説く破目になるとは想定したことがなかったのだ。
宇髄がその大きな手で額を覆いつつ自分のコメカミを挟むように揉んでいると、顎の下からきらきらと輝く催促の目が彼を見て、仕方がないと気分を切り替えた。

「お堅いのはヤメて、流行りのポップスでも弾いてやるよ」

宇髄の手がその大きさに見合わない繊細さで鍵盤の上を滑り始めると、ミズキは息を飲み感嘆して頬を紅潮させた。

「すごいすごい、この曲すき!」
「歌って」

街を歩けば避けて通れないほどあちこちから流れてくる美しい楽曲の前奏を終えたところで、宇髄は主旋律の音量を控えめにして、顎でミズキの頭頂部を小突いて歌を促した。
ミズキは目の前で美しく鍵盤の上を踊る指の動きに見惚れて歌うのを忘れていたけれど、頭を小突かれてはたと気付いてピアノの旋律に沿って歌い始めた。

ミズキが歌うのを聴くと宇髄は手元が疎かになりかけて慌てて気を引き締めた。前世から、ミズキの声は特別だった。聴く者を高揚させるのは兄の耀哉と同様だけれど、女性であることもあってミズキの声はより柔らかく、安らぎを与える声だった。
そのミズキの声が高く低く楽しげに歌うのを間近に聴いて、喉元がひくつくのを感じた。もう何もかも放り出して、ただこの声を聞いていたかった。
それでも宇髄は訓練されたその両手で鍵盤を叩き続け、ミスなくその曲を弾き終えた。最後の一音の余韻が消えると、ミズキは手を打ってはしゃいだ。

「すごい、先生上手!」
「まぁな、敬え」
「どうして音楽の先生じゃないの?」

宇髄の懐からミズキが振り返ってきらきらと輝く目で見上げると、その笑顔が前世の彼女と鮮明に被って見えて、宇髄はまた喉がひくつくのを感じた。
声を震わせずに会話をするのが難しくなってしまって、宇髄はミズキの頭をがしがしと少し乱暴に掻き混ぜて「また弾いてやるよ」と誤魔化した。
長い脚を大きく上げて椅子から退き、ひらひらと手を振って宇髄は音楽室を出ていった。

その姿が見えなくなってからミズキは、結局宇髄が何の楽器も持たずに行ってしまったことに気が付いた。




ミズキが教室へ戻るのに歩いていると廊下の角で不死川と偶然に合流し、連れ立って歩きながら彼女は今しがたの宇髄のピアノについて興奮冷めやらぬ様子で話して聞かせた。

「本当に上手だったの。どうして音楽の担当じゃないのかな、先生理由を知らない?」
「知らねェなァ。ま、楽しかったなら良かったじゃねェか」
「うん、手がね、すごーく綺麗に動くの。近くで見られて楽しかった」

ミズキは腰の高さに両手を上げて鍵盤を叩く仕草をした。その再現の様子に不死川はふと疑問を持ち、「…隣に立って見たのか?」と問うてみた。
ミズキの再現の仕草を見ると、宇髄の両手が彼女の両側にあったように感じてのことだった。

「宇髄先生が脚の間に座らせてくれてね、目の前で見たの。こんなに近くで見たの初めて」

興奮が続いているミズキの頭をぽんぽんと不死川が撫でた。

「…良かったなァ、ただちっと近付きすぎだ。宇髄は人の子を取って食っちまうからあんま寄るんじゃねェぞ」
「えぇー?あんなにピアノ上手なのに」
「獲物を誘き寄せる餌だそりゃァ」

その後二言三言交わして不死川は「忘れ物だ」と引き返していった。
行き先が美術室だとはミズキは気付かない。

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