09

新入生向けのオリエンテーションも終わり、真新しい教科書で通常授業が始まった頃、ミズキは授業終わりの不死川に駆け寄った。その場で先日の猫探しの約束を昼休みに取り付けて、ミズキは上機嫌にクラスメイトの輪に帰っていった。
一方で不死川は、前世で失った大切な人が元気に歩いて声を発してその目に自分を映しているという幸福感に、未だ慣れないでいる。結果、溜息の出るような優しい目でミズキの後姿を見守って、第一印象とのギャップで他の生徒たちを驚かせた。

昼食の後、先日ミズキが猫を見かけた場所に待ち合わせて、ミズキはジッパー付きの袋から煮干しを出して探す気満々という様子だったけれど、探すまでもなく彼女がひと声「猫ちゃん」と呼びかけると茂みからこげ茶色の猫が飛び出て来て学校指定のソックスに擦り寄った。
不死川は転生を挟んでの既視感に笑いを零した。以前にもこんなふうに、飼い慣らしてもいない猫が素直に出てくることがあった。当時の柱が全員で探しに出たのに、だ。
ベンチに移動しても、レモンのような黄色い目をしたその猫は素直についてきて、ミズキの足元で煮干しを齧り始めた。

「お前、いつもこんななのかい」
「こんな?」
「猫寄せ」
「そうですねぇ、猫ちゃんには好かれることが多いです。マタタビの生まれ変わりなのかも」
「ふは、マタタビねェ…お前はお前だろうよ」

言ってから不死川は不用意に核心に触れてしまったかと身構えたけれど、ミズキは気付かず嬉しそうに足元の猫を眺めていた。
すぐに煮干しは猫の口に収まり、猫は口の中の欠片を喉へ送るようにむにゃむにゃと口元を動かした後、前足を舐めて顔を洗い始めた。
不死川は久しぶりに聞くミズキの声を反芻して目を細めていた。この声だ、と彼は思った。高揚するようでいて眠くなるようでもあり、落ちるような蕩けるような心地よさをくれる声。ミズキの声だ。
無意識に手が彼女に触ろうとするのをハッとして引っ込めた。

夜の中にしか生きられなかった彼女が、あの日鬼殺隊の本懐のために命を散らした彼女が、今手の届く距離に生きて陽の光を浴び、また声を聴かせてくれているのだ。大切にしなくてはいけない。また会えたら今度こそ望むものを全て与えて、何からも守って、ありったけ甘やかしてやろうと決心してきたのだ、何年も。

「先生?」

呼ばれてから、随分無遠慮にミズキを凝視してしまっていたらしいことに気付き、不死川は微睡みから覚めるように強く瞬きをした。彼が「悪い」と零すとミズキは首を傾げつつそれ以上追求はしなかった。いつの間にか猫を膝に乗せている。
ミズキが猫を揺らさないように気を配りながらポケットから出したスマホを不死川に渡し、「写真撮ってください」と笑った。

「週末にね、両親が来るんです。楽しく生活してますよーって、証拠に」

「へェ」とだけ返事をして不死川はシャッターを押し、ミズキに端末を返してやった。

「…親御さんが来るって、実家出てんのかい」
「はい、県外出身です」

撮ったばかりの写真を確認しながらミズキは事も無げに言った。猫も膝の上で同じ画面を覗き込んで、少し前足を浮かしている。

「何でそうまでしてここ選んだんだ」

不死川の、これは純粋な疑問だった。この学園は飛び抜けた進学校という訳ではなく、独自の取り組みが際立っているということもない。また産屋敷の元で働くことができて不死川は満足しているし良い学校だとも思うけれど、親元を離れて県境を跨ぐほどの有名校だとも思わない。
ミズキは端末をポケットに仕舞って、猫の喉元をすりすりと撫でながら、頭の中で言葉を選ぶ素振りを見せた。ややあって、「笑わない?」と切り出した。笑う訳がない。不死川が頷いて促すとミズキは猫に視線を落としたまま口を開いた。

「中高一貫のところにいたから、そのまま高等部に進むつもりだったんです。でもその、進路希望を出す時期になって、偶然この学校のパンフレットを見た夜に、夢を見て」
「夢…どんな」
「この学校に入る夢。すごく楽しくって、懐かしい夢だったから」
「未来のことが『懐かしい』かい」
「変でしょ?だから笑わない?って聞いたんです」
「笑わねェよ。…ありがとなァ、ここを選んでくれて」

不死川が眩しそうに目を細めると、ミズキは大きな目を丸くして彼を見た。
10代の女の子にありがちな地に足のつかない運命論だと一蹴されると思っていたし、彼女自身でもその運命論と自分の見た夢を切り分けることができないでいたのだ。
それを数回顔を合わせただけの人が、教師とはいえ当たり前に肯定してくれたことが、ミズキには嬉しかった。彼女はにっこりと笑った。

その時ミズキの膝にいた猫がさっと飛び降りた。ミズキが目で追う内に軽やかに走り去って茂みの向こうへ消えてしまい、後には不死川と彼女のふたりだけが残された。
少し寂しいような気持ちがして猫の去った方を眺めているうちに予鈴が鳴って、ミズキは立ち上がった。

「先生、付き合ってくれてありがとう」
「構やしねェよ」
「それじゃあまたね」
「…おォ、またなァ」

ミズキの姿が角を曲がって見えなくなっても、足音が遠のいて聞こえなくなるまで、不死川は彼女の行った方を眺めて微睡むように余韻を得ていた。
ミズキはどんな時も決して『さようなら』と言わない。そのことに、昔も今も随分救われている。
手の届く範囲に、陽の降り注ぐ場所に、彼女がいる。その多幸感に慣れるのには、もう少し時間が掛かりそうだと彼は思った。


教室に戻ったミズキは、どこへ行っていたのかと聞く友人に、不死川先生に会って話をしていたのだと答えた。友人は驚いて「不死川先生って怖くない?」と周りを気にしながら声を抑えて言ったけれど、ミズキは目をぱちくりとさせた。

「全然怖くないよ、とっても優しいよ」

にっこりと笑うミズキに対して友人は不死川が彼女を見送る時の蕩けるような優しい眼差しを思い出し、普段の厳しく冴えた目つきと比較して、『ア、これは、』と鋭い直感を得た。

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