08

物心ついた頃から不死川実弥には前世の記憶があった。実際にはそれより幼い頃から、さらに言えば生まれた瞬間から途切れることなく、前世の記憶を保っていたのだけれど、物心つく頃になってようやくその記憶の内容を『飲み込むことができた』というところだった。幼さゆえに前世と現世の区別が曖昧な頃には、しばしば周囲の大人を困惑させるほどだった。

彼が目を閉じるといつでも瞼の裏にはある少女の笑顔が鮮明に焼き付いていて、触れられそうなほど鮮やかだった。

「ミズキ」

不死川はよく、昼下がりの穏やかな風を感じると、少女の名前を呟いて風に乗せた。するといつでも鈴を転がすような彼女の声が耳元で「それじゃあまたね」と言うような気がした。

彼が高校を卒業して大学に進学し、教員免許を取得し、数学教師として働き始める頃には色々と奇跡の再会を果たしていた。
まず就職先の学長は産屋敷耀哉だったし、周囲には柱がほとんど揃っていた。記憶のある者、ない者、曖昧な者と色々だった。

そんな折、記憶のある面々が学長室に呼ばれ、待ち侘びた知らせを得た。

「見付かったよ」

前世と変わらぬ穏やかな笑顔で耀哉が1枚の書類を不死川に差し出した。入学願書だった。
書類の右肩に貼られた写真は、長らく求め続けた彼女そのものだった。不死川の手が震えた。横から覗き込む宇髄や煉獄、冨岡の呼吸も震える気配があった。

「堪えきれずに事務連絡にかこつけて電話をしてしまったのだけどね、ミズキは前世のことを覚えていないようだった。残念だけれど…思い出すも出さないも、自然に任せようと思っているよ」

産屋敷は目を閉じて、前世の妹に想いを馳せた。

「声もそのものだった。待ち侘びた…ミズキが、逢いに来てくれたよ」





待ちに待った入学式の日、陽の光の降り注ぐ中を歩くミズキの姿を見て、泣くまいと決心していたのに涙を堪えきれなかったのはひとりではなかった。卒業式ならいざ知らず、入学式で教員が泣くか?と事情を知らない人間は訝しんだけれど、学長までもが涙ぐんでいるのを見れば何も言えなかった。

不死川は式の後で教室に移動する生徒たちの群れから少し外れているミズキを見付けて、堪えきれず平静を装って声を掛けた。

「何してんだ」

振り向いた大きな目が不死川を映すと、無理矢理に抑え込んだ涙がまた溢れそうになるので奥歯が割れそうなほど食いしばった。

「あのね先生、猫ちゃんがいたんです。ごめんなさい、すぐ教室に行きます」
「…そうか」

不死川が彼女の頭に手を乗せると、多少なり叱られると構えていた大きな目はぱちくりとした。

「また時間のあるときに一緒に探してやる。煮干しでも持ってきゃいいだろォ」

彼の手の下でミズキが嬉しそうに朗らかに笑んだ。

「ありがとう先生、それじゃあまたね」
「…あぁ、また、なァ」

この感動を、何と表そう。
ミズキが生徒の群れに戻っていった後、人目のないその場所で不死川は自身の右の手指を愛しげに眺めた。

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