任務を終えた後の朝焼けに一羽の鴉を見付けて、杏寿郎は口元を緩めた。
彼を含め隊士に怪我人は出たものの、山奥ということもあって周辺住民の被害は無かった。隠の事後処理も滞りなく終わる見通しの立ったところへ鴉がスルリと降りてきて杏寿郎の差し出した腕にとまった。その脚に結びつけられた紙を解いて杏寿郎が鴉の頭をひと撫ですると、鴉は誇らしげに一声鳴いて飛び立ち、今度は近くの枝にとまった。

杏寿郎は細く折り畳まれた手紙を丁寧に開き、待ちきれずその場で読み始めた。
三々五々撤収を始めていた他の隊士や隠たちがその様を見てヒソヒソと耳打ちを始めた。最近炎柱に帯同した隊士や隠からまことしやかに広まっている噂話を「ほらやっぱり」と補強しているのだ。「炎柱様は誰かと恋文を交わしている」と。


―――先日なほちゃんたちと一緒におはぎを作りました。ちょうど出来上がったところへ冨岡様がいらっしゃって、おはぎをじぃっとご覧になるものですから、おひとついかがですかときよちゃんがお声掛けしたのですけれど、「俺はいいが、友人にひとつもらってもいいだろうか」とお持ち帰りになりました。私のことも気にかけてくださいましたし、冨岡様はとてもお優しい方なのですね―――

杏寿郎は手紙の内容に頬を緩めた。初めて会ったときには小鳥の餌と見紛うような少量の食事で充分と言っていた彼女が、元気な童女3人とおはぎを作る光景を想像すると心の和むものがあった。
手紙にはおはぎを食べたとは書いていないものの、まるきり口にしなかったということもないだろうし、少しずつ食欲が戻ってきているのかもしれない。何より、和気藹々とした輪の中に彼女が身を置いている様子が杏寿郎には嬉しかった。

千寿郎の提案でミズキに手紙を送って以来数往復している。最初こそミズキは忙しい柱が自分のために時間を割くことに恐縮していたけれど、杏寿郎に押し切られるかたちで文通は続き、徐々に日々の他愛ないことや素直な気持ちを伝えてくれるようになっていた。

―――蝶屋敷に置いていただいて2ヶ月ほどになります。しのぶ様のお心遣いで、今度の木曜日にお休みをいただくことになりました―――

「ム!」と杏寿郎は口を引き結んで声を上げた。次の木曜日というと、緊急の招集がなければ彼も非番の日であった。それならば、ミズキの食欲も以前よりは戻っているようだし自分の馴染みの店にでも連れ出してみようか、と彼は心を弾ませた。
続いてふと血の滲む自分の脇腹を見た。正直いつもならばわざわざ蝶屋敷に治療を求めるほどの傷ではないけれど、彼は目を爛々と朝日に輝かせてしばし考え、手紙を丁寧に畳むと懐へ仕舞った。
そして手近な隊士たちに自分は蝶屋敷へ向かう旨と労いの言葉を伝えると、足取り軽くその場を去って行った。

その場にいた隊士たちは噂話を訂正した。「炎柱は蝶屋敷の誰かと恋文を交わしている」と。そして別件で出回っていた「最近蝶屋敷に見目麗しい娘が住み込みで入った」という噂話と結びついていく。



「毎度のことだが朝早くにすまない!」
「夜通しの任務ですから仕方のないことです」

杏寿郎の脇腹の傷を消毒していたアオイは一応不敬にならないように返事をしつつも、迷惑そうに目を細めた。柱相手と気を張っているところへ、頭上から大声を注がれては堪ったものではない。何より『充分元気じゃねーか』という気分になるのも仕方のない話である。
勿論しのぶも、わざわざ蝶屋敷へ来るほどの傷でないことは服の上から分かっていた。ついでに彼の本当の目当ても。だから、処置を施すアオイを横目に書き物を続けていた手を一度止めて、杏寿郎に向けてニコリと静かに笑ってみせた。

「煉獄さん、再三申し上げますが蝶屋敷は大声禁止です。規則をお守りいただけない方にはミズキさんは会わせられませんよ」

杏寿郎は突然の大きな音に驚いた野生動物のように硬直した。『何故それを』という顔をしているのを見てアオイは『逆にバレてないと何故思った』と呆れた。
それきり口を縫われたように静かになった杏寿郎にこれ幸いと包帯を巻き終え、アオイはさっさと処置室を後にした。入院患者たちの朝食は配り終えているから、働く側の賄いを用意しに行ったのである。無論、『多分この人今日も食べてくだろうな』との推測に基づいている。

「煉獄さん、何も黙ってろと言ったのではありませんよ。さて、今日も朝食を召し上がるでしょう。静かにしていられたら食後に2人にしてあげますから、昨晩来ていた鴉の続きをお話なさったらいかがです?」
「よもや…」

掌の上で起こったようにすべて把握されている。杏寿郎は脇腹にパックリ穴の開いてしまったワイシャツを着直しながら、気恥ずかしさから改めて口を噤んだ。


『お誘いいただいてとても嬉しいのですけれど、その日は自宅へ片付けに行こうと思っているのです』

朝食後、杏寿郎の誘いに対してミズキはこのように返事をした。彼は断られたことを残念に思うより、それも当然と納得した。
隠の部隊が屋敷の片付けを済ませていることは杏寿郎もしのぶから聞かされていたけれど、それでも自宅の状態が気にかかるのは当然のことだ。
ミズキは続けて綴った。

『先日隠の方から両親の遺骨を受け取りました。墓に納めたいのです』

ミズキに示された文面を見て杏寿郎は優しくうんうんと頷いた。

「ミズキさんさえ嫌でなければ俺も行ってもいいだろうか!」

突然の申し出にミズキは目を丸くして首を振った。彼女の手元で『せっかくのお休みを』と途中まで綴られたところで杏寿郎の大きな手が万年筆を持つミズキの手をそっと押さえた。

「俺がそうしたい!が、ミズキさんが嫌であれば無理強いはしない。どうだろうか」

ミズキは杏寿郎の爛々と輝く目を見つめて考え、ふっと口元を緩めた。そして『心強いです。本当にありがとうございます』と書いて見せた。
杏寿郎はにっこりと満足げに笑って、「ウム!」と言った。

「それでは、当日巳三つ時に迎えに来よう!楽しみ…と言っては不謹慎だな。体力には自信がある、役立てるよう努めよう!」

深く頭を下げたミズキの肩を優しく叩いて杏寿郎は去っていった。ミズキは彼の去った方向を、姿が見えなくなった後もしばらくぽぅっと見つめていた。



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