交流試合の当日、2階席を見上げると手を振る千寿郎が見え、その隣にはミズキの姿があった。

「ミズキさん、私は書道教室をしていますから、杏寿郎や千寿郎と一緒のところを他人から不思議に思われたときには、書道教室の馴染みで家族ぐるみの付き合いだと仰ってくださいね」と初対面で言っていた母上の先見の明には感服するばかりだ。
千寿郎に手を振り返しミズキを見ると微笑み返してくれ、手摺の上で彼女の手が覚えのある指文字を作った。俺は緩んだ口元を手で覆い隠した。

前世では剣を命懸けの生業にしていた身であるし、冨岡の太刀筋と比べれば止まって見えるも同然とあって、残り1試合を残すところまで勝ち進んだ。昼を挟んで最終試合となる。
観覧時間も長くなってきたがミズキは退屈していないだろうかと見上げたところへ、横から声が掛かった。くだんの新入マネージャーであった。
俺が自分の鞄の上に置いていたタオルをわざわざ持ってきてくれたようで、礼を言って受け取った。

「ご家族がいらしてるんですか?」
「あぁ!あの俺と同じような髪をしているのが弟だ!」
「よく似てらっしゃいますね」
「よく言われる!」
「隣は…英語の先生ですよね。どうして一緒に?」

内心母上に感謝しながら書道教室のくだりを説明すると、マネージャーは2階席を見たまま「…そうですか」と抑揚のない声で言った。
もうじき昼になるし、ミズキが弁当を作ってくれると聞いているから、正直なところ俺は早くあの2階席へ行きたいばかりだった。そしてまさかとは思うが、いつも何かと俺について回るこのマネージャーに、今回ばかりはついて来てくれるなとの牽制を打った。

「もうじき昼になる!俺は家族と食べるから、君もどこかで好きに食べるといい!」

ややあってマネージャーはまた抑揚のない声で「そうですか」と言った。


昼になり意気揚々2階席へ上がったのだったが、いつもよりさらに眉尻を下げた千寿郎ひとりが座って待っていた。

「千寿郎、ミズキはどうした?」
「それが…姉上は急に仕事の呼び出しがあったからと行ってしまって…。お弁当はふたりで食べてほしいと」

残念だが仕事ならば致し方ない。
残念がる千寿郎を励ましながら弁当はふたりで美味しくいただき、ミズキにメッセージを作った。本来スマホの入力は不得手だが、仕事の呼び出しとあれば電話は迷惑になりかねない。

(弁当をありがとう、美味しくいただいた!そちらは食事に困っていないだろうか?)
(急なことでごめんなさい、こちらのことはお気になさらないで。午後も戻れそうにないので、後で勝ったお話を聞かせてくださいね)

ミズキに情けない報告をする羽目にならぬようにと集中し、午後の最終試合も無事勝利を収めたのだった。





正直そろそろ、苛立ってきていた。

「先生、質問があるのだが準備室に行っても構わないだろうか!」
「ごめんね煉獄くん、時間がないからここで聞いてもいいかな?」

ミズキは以前なら、書籍や資料の揃った準備室で仕事をすることを好んでいて、俺はそこへ行って、物陰でこっそり彼女にキスをするのがとても好きだった。
新年度に入ってからあのマネージャーがやたらに俺について回るので準備室を訪れるのが難しくなっていた部分はあるにせよ、最近はそもそもミズキが職員室にいることが多く、個人的な言葉を交わすことが難しい状況が続いていた。
勿論ここはミズキにとって職場であるし、仕事上の都合が優先されるのは前提だ。ただ、準備室から職員室までわざわざ資料を持ち出しているのを見掛けてしまえば、どんな事情があるものかと考えもした。
加えて、

「煉獄先輩、こんにちは!」
「…あぁ、こんにちは」

マネージャーがいかなる時も一切の遠慮なく話しかけてくる。
元よりヒヨコか何かのように俺について回っていたが、ここ最近特に著しい。しかも俺がミズキに質問と称して話しかけていると決まって背後から寄ってくるのだから苛立ちもする。ミズキの方もこのマネージャーが来るとニコリとひとつ挨拶を残して去ってしまって、そうなれば呼び戻すことも出来ない。強制終了をくらうわけだ。
しかもこのマネージャーがミズキの挨拶には返事もしないから、そこも腹立たしい。

「君、先生の挨拶には返事をするべきだ」
「しましたよ?声が小さかったかなぁ」
「…それは失礼した」

ミズキとの時間を奪われ、そそくさとその場を後にした俺は持て余した昼休みの残りを教室で潰すのが常だった。

勿論事情を尋ねはした。とある週末、ミズキの部屋で。
だが彼女がいつも通り穏やかに笑って「先輩に質問しながら仕事ができるから、職員室の方がいいんです」と言えば、俺にそれ以上の追求は許されなかった。
キスをしようとしたら、風邪気味だからと断られた。

そういう理由で、俺は隠しようもなく苛立っていた。
冷静にならなければと頭の隅で思いはすれど、圧倒的に絶望的にミズキが足りていない。前世と現世で40年余をひとりで耐えたミズキとは比べるべくもないが、それでも自らのこの苛立ちは認めざるを得ない大きさと濃さをしていた。

そんな折、ひとつの事実が明らかになる出来事があった。
くだんのマネージャーが俺の背中に呼び掛ける際、確かに『炎柱』と言いかけて慌てて口を噤んだのだ。俺が振り向くと彼女は『しまった』という顔をしていて、手招きして人の多い場所を離れた。

「何だ、君も鬼殺隊の人間だったのか!」
「…はい、炎柱様」
「その呼び方はやめてくれ。そうか、それでやたらと俺に構っていたのだな!もう上官ではないのだから、付き従う必要もないだろう」
「いえ、私は…っ」
「折角平和な世に生を受けたのだ、存分に享受する権利が君にもある」

数か月に渡る疑問のひとつが解けたことは僥倖だった。かつての同志が同じように平和な世を生きているというのは喜ばしい知らせであり、少々邪険にして悪かったとも思った。
ただ彼女の方は前世の同志に再会できた喜びを感じている風ではない。どちらかと言えば悪事が露呈したかのように目を泳がせていた。彼女は「蟲柱様は」と小さく零した。

「ん?胡蝶か!胡蝶とは現世では会っていないな。すまない!」
「い、いえ」

そこで初めて安心したように彼女は笑ったのだった。
一瞬、前世の記憶を持つ相手であればミズキとのことを打ち明けて黙認を乞うことも頭を過ったのだが、交流試合で『何故英語の先生が弟と一緒に?』と聞いてきたぐらいだからミズキと面識はなかったのだろうし、話すことはしないでおいた。


ひとつ疑問が解けたとはいえそれで状況が好転することは残念ながらなく、俺の背後にはかつての部下、ミズキとの時間は相変わらず取れない。しかも、ミズキは徐々に浮かない顔でいることが増え、少し痩せたようにも感じる。もっと悪いことに、週末も仕事の用事があるからと部屋に行くことすら断られることが続いた。明らかに妙だった。

理由を尋ねても笑顔で首を振る様を見てはそれ以上の詰問も憚られ、それならば自分で探るしかあるまいと決心した矢先だった。
昼休みに職員室を出て人気のない方へ向かうミズキの背中を見付けて静かに追っていくと、彼女は焼却炉の近くに転がっていた一斗缶に不透明な袋の中身をあけて、ポケットから取り出したライターで火をつけた。
灰色の煙が上り始めた一斗缶をミズキの肩越しに覗き込むと、彼女は悲鳴を上げて飛び退いた。

「杏寿郎さまっ」
「すまない、驚かせてしまったな。何を始末しているものか気になったので見させてもらったのだが、成程これは燃やしてしまわなくてはなるまい!」

ミズキは目を泳がせた後、首を振った。

「お戻りになってください、人に見られてしまったら…」
「事情を知らない誰かに今見られることよりも、誰がこの写真をミズキに送り付けたかという方が問題だ。気付くのが遅くなって悪かった」

一斗缶の中では、俺とミズキの写真がそろそろ燃え尽きる頃合いだった。第三者に見られると少々まずい事態を招く程度には、親密な様がよく写っていた。
これではミズキが浮かない顔になり、思い詰めて痩せ、俺を遠ざけるのも無理はない。若干居直りのきらいもあるが、この写真の送り手には目にもの見せてやらねば気が済まぬ。

「…ということだ!君!そろそろ出てきてはくれまいか!」

突然俺が声を張り上げたのでミズキが肩を跳ねさせた。
ミズキの背中を追っている最中から自分の背後に尾行の気配は感じていて、この状況で俺をつける人間があるとすれば一斗缶の中身と関連があると考える方が自然であった。建物の影から出てきたのはやはりと言うか、かつての部下、今は剣道部のマネージャーをしている女だった。ミズキが怯んだ。

「すべて推測で話をするから、違った場合は後で詫びよう!最初に違和感を覚えたのは君が胡蝶のことを聞いてきた時だったな。現世で再会を望んでいるという様子ではないように見受けられた。もしも胡蝶が俺や君と同様に記憶を保って現世に生きていたら、再会して顔を見られたら、まずいことでもあるのだろうか?」

女は口を閉じたまま、顔から血の気が引いた様子だ。

「君を疑い始めてみると、胡蝶のこと以外でも不審な点はあった。まずミズキに対してのみ明らかに態度が悪かった。特定の先生と馬が合わないというのは有り得ることだが、その割に君はミズキの周りにいることが多かった。俺を捕まえるならそこが有効だと良く知っていたものだ」

女とミズキは顔見知りで無かったのだろうと最初推測したが、そうではなかった。

「俺には生まれ変わった今でもまだ腹に据えかねていることがひとつある。前世で胡蝶から聞いただけで相手には会うことが叶わなかったが…ミズキの声が戻る前に、傷の手当をさせながら、俺のミズキへの想いは単なる同情だと吹き込み文字を踏み躙った輩があったようだ」

相対する機会があればどうしてくれようかと怒りを滾らせたものだ。

「さて改めて君に問うが…俺の妻に何をした?」

女は走り去ったまま戻って来なかった。以来姿を見ないので後日冨岡に確認したところによると、急な転校だと聞いた。



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