前世の記憶というよりは『昨日寝る前に何をしていたか』という感覚だった。あまりにも生々しくて、温度や痛みやにおいまで手に取れそうなほどだったからだ。
『昨日寝る前』の俺は、鬼狩りをしていて、強くあらねばと己を鼓舞し、最愛の妻と出合いこの上なく幸せな結婚をし、数か月間のありあまる幸せを享受し、妻を遺して死んだ。死後の記憶も少しある。妻から「次の世でもきっと私を見付けてくださいね」と願われて、その涙を拭ってやることも出来ない無力を噛みしめながら「必ず見付ける!!」と叫んだ声は届いたかどうか。

そこで一度記憶は途切れて、次に『起きた』時には恐らく5歳の頃だったと思うのだが、剣道の稽古を終えて自宅のソファで夕飯を待ちながらアイスを齧っていた。随分唐突に膨大な情報量を思い出したものだから、しばし硬直してしまって、傍らのベビーベッドにすやすや眠っている生後間もない弟が、千寿郎と名付けられたその赤ん坊が、紛れもなく『同じ』千寿郎なのだと分かって涙を堪えることが出来なかった。
ベビーベッドに覆い被さって泣きながら弟に詫び始めた俺を見て、これまた『同じ』両親は俺が記憶を得たことを悟り、せっかく寝ていた赤ん坊を起こして泣かせてしまったことを責めずにいてくれた。ソファの下に落としたアイスは母が片付けてくれた。
同様に、千寿郎も5歳になった頃合いで唐突に俺と同じことを思い出し、記憶の整理が追い付かない混乱の中俺にしがみついて叫んだ。

「兄上、兄上っ!姉上を探してください!ぜったいに見付けてください!そうでないと、こんな、あんまりです!」
「あぁ、必ず見付ける!約束したからな!」

勿論探さない選択肢は微塵も存在しなかったし、千寿郎が記憶を取り戻したこの時には俺は10歳になっていたから、既に子どもの狭い行動範囲なりに目を皿のようにして妻の面影を求めていた。
千寿郎は俺よりも『前』の記憶が長い分、思い出し終えるのに時間を要したし、曖昧な部分も多かった。特に俺の死後のことについては抜けが多く、後に結婚して子も授かったらしいが妻子の顔は思い出せないと話していた。ただその中でもミズキに関する記憶は鮮明で、新たに思い出すたび俺に話して聞かせてくれた。

「姉上は、私の妻が子を授かった時も、いつも助けてくれました。産後に妻の体調が戻るまでも、戻ってからも、いつも明るく穏やかに笑っていて、家のことや赤ん坊の世話まで様々にこなしてくれました」
「うん」
「兄上の遺言を聞いた後は父上もほとんどお酒を手放していましたが、時々思い出したように飲もうとするのを見付けて量を嗜めてくださったり」(父上が気まずそうに目を逸らした)
「そうか」

中々ミズキを見付けられないでいた俺は、千寿郎の話を聞いて彼女に思いを馳せるのが好きだった。
真実彼女を想うなら、遺言で『離縁するから自由に生きてほしい』と伝えて解放してやるべきだったのだろうが、浅ましい執着で「愛している」などと遺して彼女を煉獄家に閉じ込めるような真似をした。後悔はしているが同じ状況に立てばまた俺は「愛している」と言うだろう。つくづく自分の欲深さに呆れるばかりだ。

そんな中、ずっと心の隅で気掛かりだったことを千寿郎に確認してみたことがある。俺が13、千寿郎が8つの時だった。

「千寿郎、その、…何だ、聞きたいことがあるのだが!」
「はい、兄上」
「ミズキは…、………再婚はしなかったのだろうか」

答えを聞くのが恐ろしいあまり千寿郎の顔を見ずに言ったのだったが、少し経っても返事がなく恐る恐る弟の顔を見た。見て、ちょっと後悔した。

「………は?」

本当にこれがあの素直で物腰柔らかな千寿郎であろうかと疑うほどの怒りに満ちた冷たい目だった。弟を怖いと思ったのは前世も含めてこれが初めてだった。

「本気で言ってますか?姉上がどれだけ深く兄上のことを想っていたかまさか疑うわけではありませんよね?それはもちろん姉上は美しいですし未亡人になるには若すぎる身空でしたから言い寄る男は後を絶ちませんでしたが姉上はすべて断って生涯兄上の妻であり続けてくださったのですその辺お分かりですか兄上?」

この時初めて俺は弟に対して「申し訳ない」と頭を下げたのだった。兄として不甲斐なし。
繰り返しになるがこの時俺は13、千寿郎は8つだった。
同時に、成程それで千寿郎が記憶を取り戻して最初の言葉が「絶対に姉上を見付けてください」だったわけか、と納得もしたのだった。

そして高校に入学した俺はついにミズキとの再会を果たすことが出来た。
入学式の体育館で新入生の列に並んで、壁際に並び立つ教職員の列の中にその姿を見た。
新入生だけでもかなりの人数がいたし、在校生はその2倍ほど、保護者、さらに教職員も大所帯とあれば体育館も相応に巨大で、辛うじて顔が判別できる程度の距離だった。それでも全身全霊を以てあれは俺の妻だと確信して喜びに打ち震えた。
そこから、入学式とホームルームを経てミズキの教室へ飛び込んで「俺と結婚してくれ!!」と叫ぶに至るまで、とにかく気が急いて早く早く早くと念じていた記憶しかない。

しかし妻(前世の、と、未来の)よ、奇跡の再会を果たしたというのに、口付けのひとつも許されないとは、あんまりではないか!



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