今回の任務では汽車に乗るのだと話す杏寿郎を笑顔で送り出して、いつも通り千寿郎と一緒に炊事や掃除をして過ごしていたところへ一羽の鴉が来て、彼の訃報を叫んだ。
ミズキはただ一言「うそ」と呟いて気を失った。

次に彼女が目を覚ましたときには、隠達の手によって既に杏寿郎の亡骸が運び込まれていて、ミズキは夫に縋り付いて慟哭した。つい昨日頬に触れたのと同じ手と思われないほど、冷たくなっていた。
泣いて、泣いて、泣いて、身体中の水が尽きてしまった頃、気付けばミズキは声を失っていた。

それでも現実的な用務は待ってくれず、ミズキは茫然とした頭のまま、身振り手振りで千寿郎に詫びて、通夜や葬儀の手配に奔走した。後になってみるとミズキはこの数日のことをほとんど覚えていない。ただ、しのぶが訃報を聞いてすぐに都合をつけて煉獄家を訪れてくれ、様々に手助けをしてくれたことがとにかく有難かったことは覚えている。
数ヶ月前まで日々使っていた手帳と万年筆を渡され、ふわふわとした不思議な感覚でミズキはそれを眺めた。

葬儀が終わった翌日、煉獄家の門を叩く手があった。義勇だった。
仏壇に手を合わせ、葬儀に間に合わなかったことを詫びた後で彼はミズキと向かい合って座ったけれど、義勇は彼女が一向に口を開かないことに気付いて『まさか』という思いで彼女の目を見た。ミズキは憔悴した顔で笑って、懐から手帳と万年筆を出してさらさらと書き付けた。

『鬼にとられてしまいました』

義勇は膝の上で、手のひらに爪が食い込むほど固く握りしめて口元を引き結び、しばらく経ってからただ一言「そうか」とだけ呟いた。その後義勇は彼自身が声を無くしたかのように黙っていて、ただ最後に玄関で見送るミズキに「すまない」と言って頭を下げて帰っていった。
義勇の姿が見えなくなるまで見送った後にミズキが振り返ると、柱の陰から千寿郎が不安そうに顔を覗かせていて、ミズキが首を傾げて見せると駆け寄ってきて彼女の袖に縋りついた。

「姉上、いかないで」

若い未亡人になってしまったミズキが煉獄家を去ることを、千寿郎が何より恐れていることに思い至って、ミズキは柔らかく微笑んで見せた。夫と同じ色や手触りをした髪をふわふわと撫でて、ミズキはまた手帳に言葉を書き綴った。

『私はどこにもいきませんよ。杏寿郎さまの妻ですから』

尤も、綴り終える頃には手が震えて文字がのたくって、手帳を覗き込む千寿郎とミズキは玄関で抱き合って泣いた。

それから、打ち沈んでいつつも波風のない平らな日々がいくらか続いて、ミズキは毎日杏寿郎の手紙を読み返して涙を流しながらも、部屋の外では努めて穏やかに振舞った。相変わらず声は戻らなかったけれど、馴染みの手帳で筆談をしていると、蝶屋敷で杏寿郎の訪れるのを待っていた頃と何が違うのだろうとも感じた。それはある種の現実逃避に違いない自覚はあったけれども、ミズキには必要なことだった。

そこへある時また、煉獄家の門を叩く人があった。
鬼殺隊の隊服の上に緑と黒の市松模様の羽織を着た少年で、歩いてきただけでも息は乱れ顔面蒼白で、額に汗が滲んでいた。少年は竈門炭治郎と名乗った。
庭先を掃除していた千寿郎が出迎えたので、ミズキが来客に気付いたのはかなり大きな物音と怒鳴り声が聞こえた時だった。杏寿郎の死に暴言を吐いた槇寿郎にその客人が頭突きをかましたらしいことを、ミズキは千寿郎から聞いてあんぐりと口を開けた。

ミズキが炭治郎にお茶を出すと、彼はお礼を言ってからスンと鼻を鳴らした。

「杏寿郎さんの奥様ですか?」

ミズキが頷いて手帳を取り出そうとする横で、千寿郎が筆談の必要なことを口添えた。

「杏寿郎さんから、お父上と千寿郎さんとミズキさんへの言葉を預かりましたので…お伝えに参りました」

真っ直ぐな目をした炭治郎の口から語られた言葉を、ミズキは大切に受け取って胸の内に仕舞った。

千寿郎と相談して、帰りがけの炭治郎へ杏寿郎の刀の鍔を託した。きっとそれを、杏寿郎が望むだろうと思ったから。
炭治郎の帰った後で、ミズキは離れの私室へ行って文箱から杏寿郎の手紙を出した。何度も読み返した手紙はくたびれていて、くったりと折れ曲がらないようにミズキは手のひらで抱くようにそれを広げた。その時、ふと背中や肩に人の手の温かさと重みを感じたような気がしてミズキは顔を上げた。

「愛している」

耳元で確かに杏寿郎の声がした。間違いなく肩を抱かれている感覚があった。
そしてこの一言はつい先程炭治郎から受け取った遺言と相違なかった。

「杏寿郎さま」

ミズキの口から夫の名前が零れ落ちた。頬を次々温かい涙が伝った。
彼女は手紙を胸に抱いてしばらく泣いた後、手の甲で涙を拭いて笑った。

「いけませんね、杏寿郎さまの声を読むだなんて言っておいて、私がこんな泣き虫では」

温かい感覚は両肩と背中に回り、正面から抱き締められていることが分かった。夫の髪が頬をくすぐるような気さえした。

「杏寿郎さま、私、がんばりますから。拾っていただいた命を最期までちゃんと生きますから、だから終わったら、次の世でもきっと、私を見付けてくださいね」

霧が散るようにふっと温かさが去ってしまった後も、ミズキはしばらく手紙を抱いて『愛している』と言った夫の声を噛みしめていた。
それから手紙を丁寧に畳むと文箱に戻し、部屋を出ると千寿郎を見付けて駆け寄った。

「千寿郎くん!心配かけてごめんね、もう大丈夫だから。あのね、羊羹があるから、お茶を淹れておやつにしましょう。お父様も一緒に」



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