車の中で隠れてキスをしよう 

※ナチュラルに付き合っているキメ学煉獄先生と一人暮らしの受験生
※真冬の話



高校3年生の秋から冬といえば、人生でもっとも勉強する時期のひとつ、きっと。学校に行って、帰って、勉強して、少し家事をして、また勉強して、お風呂に入って、寝る。週末も籠りっきりで勉強、インフルエンザに気を付ける。たまに気晴らしにかまどベーカリーに行く。バイトも辞めてしまったから、意識しないと家から出ない。
模試ではA判定が出てるからまだ心を保ててるけど、なるほどこれがノイローゼの入口かと思うこともある。
とにかくとにかく何かが辛くなってしまって、寂しくて、土曜日の夕方、話す内容も決めないまま杏寿郎さんに電話を掛けてしまった。
呼び出し音数回のあとに聞こえた温かい声に涙が出そうになった。

「どうした?珍しいな」
「…ごめんなさい、用事があったんじゃないんです。ただちょっと、」
「うん?」
「…歴史の勉強したくなりました」

歴史の勉強というのは隠語で、『勉強が辛くなってきたから息抜きしたいです』ということ。
杏寿郎さんは咎めることなく(担任の先生なのに)、そうか、とだけ言ってくれた。

「映画でも観に行くか!」

スピーカーから伝わる杏寿郎さんの声は明るさと温かさを持っている気がする。春の風みたいに。
無言で頷いてから、そうだ電話だったと思い直して「いきたいです」と言った。
今から迎えに来てくれると言うので、支度のことが気になって焦った返事をしたら、「すまない、俺が君に会いたくて気が急いてしまった!」と。電話を耳に当てたままその場にしゃがみ込んで膝に額を押し当てた。ああもう好き!「どうした?」じゃないですもう!

二言三言交わして電話を切ってからは大急ぎで身支度をして、小さな鞄ひとつ持って玄関を飛び出した。勉強道具を持たないで外に出るって、何て軽やかなんだろう。もうすぐ陽が沈む。
アパートの下で待っていると、ほどなくして杏寿郎さんのクラウンがするりと着いた。助手席にお邪魔すると杏寿郎さんは頭を撫でてくれた。

「着いたら電話を鳴らすから部屋で待つように言ったろう」
「早く会いたくって」
「冷えている」
「すぐ温かくなります」

杏寿郎さんは困ったように笑うともう一度私の頭を撫でて、前を向いた。車がすぅっと前に進み始めて、身体が心地よくシートに沈んだ。
助手席から杏寿郎さんの横顔だとかハンドルを握る手や腕を好きに眺めた。いつも話すときには正面から目を見てくれる人だから、横顔をじぃっと見られる機会は意外に少ない。だから、杏寿郎さんの助手席に乗るのは、とても好き。

「杏寿郎さんは運転が上手ね」
「そうだろうか?」
「バスとかタクシーみたいに身体が揺れないもん」
「君を乗せる時には、昼寝中の子猫を乗せたつもりで運転しているからな」

思わず私が黙ると杏寿郎さんは「だから他の助手席になんて乗るんじゃないぞ」と重ねた。
ずるい。おとなってずるい。
「少し早いが夕飯にしよう」と言われるまま、どうしようもなく浮足立ってしまった私は心地いいクラウンに乗って滑っていった。
学校関係の人を気にしなくていいくらいの、校区から離れたお店でご飯を食べて、それからまた車に乗って走った。この方向に映画館なんてあったっけ、と思いつつ、だけどこのまま走っているだけでも構わなかった。
道すがら一度停まったと思うと、自動販売機で飲み物を買って手渡してくれて、またすぐに走り始めた。いつも私が好んで飲むミルクティーは温かくて、膝に乗せると心地よかった。
車はやがて海浜公園に入っていって杏寿郎さんは駐車場の料金所みたいなところへ車をつけて窓からチケットを渡し、そのままたくさんの車が同じ方向を向いて互い違いに並んでいる中に加わった。フロントガラスから見える向こうには巨大なスクリーンが立っている。

「ドライブインシアターっていうやつですか?初めて」
「観たい映画があったならすまない。でも人目を気にせずに済む」
「わくわくします!連れて来てくれてありがとう」

スクリーンの背後は暗い海と夜空だった。日の名残りももうない。たくさん並んだ車から漏れる明かりと遠い街灯だけが光源で、ひっそりとしていて、だけど車の中にはそれぞれ楽しげな空気が詰まっている。シートベルトを解いた。
初めて接する雰囲気に私がきょろきょろ見回していると、杏寿郎さんが横から私の頬を捕まえてキスをした。

「こういうことも出来てしまう」

暗いから顔が赤いのはバレてないと思いたいけど、頬の熱いのは掌にバレてしまっただろうな。
さっきまで興味を引かれていた周りの雰囲気だとか、何の映画だろうとか、そういうことはもうどうでもよくなってしまった。

「もういっかいしてください」

すぐにもういっかい、今度は唇が柔く食むように組み合わさった。そのまましばらく唇同士くっついたままでいて、離れていってしまいそうな動きを感じたときには私の方から身を乗り出して最後にもう一回キスをした。
ちゅ、と柔らかさと水分を含んだ音を残して唇が離れると、杏寿郎さんの目の中に自分を見付けられるくらいの距離に顔があって、なんだか頭に温めた蜂蜜でも流し込まれたような気持ちになって、ぼうっと至近距離の目を見つめていた。

唐突に大きな手が目の前の杏寿郎さんの頬をバチン!!と強かに打って、私はけたたましい目覚まし時計に起こされたみたいにハッと我に返った。何事かと思ったら、杏寿郎さんは強烈なセルフビンタをしたようだった。
私が驚きのあまり狼狽えていると、杏寿郎さんは「すまない!」といつもの溌剌とした声で放った。何が何だかさっぱりわからない。

「危うく手を出してしまうところだった!」

なるほど。
真面目な杏寿郎さんらしく、私が卒業するまでは絶対に手を出さないことを告白と一緒に宣言されたのはもう随分前のことで、彼はそれを一本気に守ってくれている。
もちろん、平日毎日教室で顔を合わせる先生・生徒の間柄上正しいことだしありがたいけど、我慢できなくなってくれたりしないのかなぁって、悪いことを思ったりもする。
それが、こんなに(強烈なビンタが必要なくらい)強固に我慢してくれているとは。

私はビンタされた方の杏寿郎さんの頬に手を伸ばした。ぼぅっと熱を持っている。

「痛そう」
「痛いくらいでなければ!」
「我慢してくれてるんですね」
「当然だ」
「つらい?」
「正直つらい。ミズキはたまらなく愛いから」
「大好きです」

助手席から身を乗り出して杏寿郎さんの上半身に抱き着いて、熱を持った頬に自分の頬をくっつけた。杏寿郎さんの手は少し迷ったあとで私の背中に回った。
視界の端では大きなスクリーンで映画が始まっていたけれど、あんまり観る気もしなかった。せっかく連れて来てもらったのに申し訳ないとは思うのだけど、こうして家の外で抱き合ったりできる機会は少ないから。
卒業まであと数か月。短いようで、とても長い。だけど、誰からも文句を言われないように杏寿郎さんが守ってくれる道を私から外れることはしちゃいけない。

「先生、私がんばるから、あとちょっとがんばるから」
「うん」
「卒業して、杏寿郎さんの生徒じゃなくなったらね、」
「うん」
「…えっちなこと教えてくれる?」

びしっと杏寿郎さんが硬直して数秒経って、おもむろに私の背中にあった手が離れていったので見てみれば、ぎゅっと拳を握り込んでいた。
ごめんなさい、落ち着きましょう、グーはだめです、血が出ますきっと。


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