ひみつのはなし 

「不死川係長ぉ、お電話ですー」と間延びした新人の声に軽くイラっとした。

「誰からか言えっつってんだろォがいつも」

キリのいいところまでキーボードを叩いてから視線を上げると新人の男が「えーと医務室?のソウマさん?」と要らん語尾上がり調。それを最初に言えつーか早く回せ!
軽くイラっとしたのとかもうどうでもいい。本当にどうでもいい。電話機の画面に『医務室』が表示されるとニヤケないよう顔を引き締めて受話器を取った。

「はい、不死川です」
「お忙しいところすみません、医務室のソウマです。不死川さん、えっと3分くらい、よろしいですか?」

こちらこそ5分待ってくれれば2時間空ける…と言いたいぐらいの気概なんだが。
産業保健師の彼女は器量良し・気立て良しで有名である。この電話を回してきた新人のガキも、最初の健診後面談を経験すればさっきみたいないい加減を寄せ集めたような対応はしなくなるだろう。
顧客のイヤミとか上司の無茶な要求を届けてくれることの多い受話器だが、今日は癒しの塊みたいな声が流れてくる。お前(受話器)やれば出来んじゃねェかと褒めてやりたい。

「今度の健康診断の日程調整をさせてください。7月5日から16日までで、お時間の都合がつきそうな日はありますか?」
「確認します、このまま待ってもらえますか」
「もちろん」

正直この声にだったらクレーム対応も悪くない。…いや、罵られたら立ち直るのに2週間ぐらい掛かりそうだから考えないでおく。
受話器を肩に挟んでスマホのスケジュールアプリを立ち上げて希望日を2日挙げた。
「日程が決まったらまたご連絡しますね」と言う電話越しの声色に、対面もしてないのに律儀に微笑んでいそうだと思った。
そのまま、自費で追加できる検査項目を案内されるたび「じゃあそれも」と頷き続けて、気付けば健診が結構高い買い物になっていた。

後日決まった健診の日程をまた電話で知らせてくれた際、最後にソウマさんが念を押した。

「それじゃぁ、当日は忘れず病院に行ってくださいね。忘れちゃだめですからね」
「もちろんです」

どんな重大案件が入ろうが突っ撥ねる覚悟である。彼女の手を煩わせてなるものか。

「ふふ、不死川さんなら大丈夫ですよね。ときどき当日になって忘れてすっぽかしちゃう人がいるので」

そんな迷惑な奴は殺せ。




あれこれ自費オプションを追加したせいでやたら時間を取られた健診を終え、ひと月ほどで返ってきた検査結果の用紙を持って医務室へ入った。
福利厚生の一環で、毎年健診結果を受け取ると産業保健師との面談が待っているのだ。入社当初は定年間際の女性が務めていて、淡々と過ぎていくイベントとしか思っていなかったものが、ソウマさんの就任からはこの日を待ち望んでいた。
合法的に医務室でふたりきりになれるって素晴らしい。いや別に行きゃいいんだが普段から。

「まずは健診お疲れさまでした。メニューたくさんで疲れちゃいました?」
「いえ、自分で希望したやつですから」
「日頃から把握するのは良いことです。じゃぁ、結果を拝見しますね」

検査結果をざっと見回してソウマさんがにっこりと笑った。

「とっても優秀ですね!なぁんにも言うことないです、お手本みたいに綺麗な数字」

多少どこか悪い方が長く話せるだろうかという不謹慎は滅殺。

「血液もきれいだし、他もいい数字ですね。男性社員の方だとね、大抵この1sぶんの脂肪サンプルを見せながら…」

ずりずりとデスクの上の薄黄色い脂肪サンプルとやらを、ソウマさんが引き寄せてペチペチと叩いた。

「ほら、1sだけでこんなにですよー?これがお腹にたくさんくっついてるんですからねーって脅すんですけど」
「メタボ検診ですか」
「そう、そう。だけど皆さん揚げ物とかラーメンはやめられないみたいです。気持ちは分かりますけどね」

食った分動けと思うところだが、周りのメタボ腹を見ればそれも無理そうな話だ。

「不死川さんは鍛えてらっしゃるんですか?」
「ジムにはたまに」
「健康診断の優等生です!かっこいい身体だから是非維持してくださいね」

社交辞令とは分かりつつ『かっこいい』の一言を噛みしめた。これでまたしばらく頑張れる。客のクレームにも上司の理不尽にも耐える。
顔には出さずに感動しつつ、自分の頭に思い浮かんだ返事がどれもセクハラまがいのものだったので結果的に黙るしかなかった。
ただこのまま黙っていると、問題なし・面談終わり、ということに陥る。俺の癒しが終わる。

「…ソウマさんには我慢できない好物がありますか?」

口をついて出た場繋ぎの言葉に、もうちょいマシな質問は無かったのか自分とは思ったが、言ったものは戻せない。彼女は少し意外そうに目を丸くした後、秘密を打ち明けるように声を小さくして言った。

「甘いものが我慢できないんです、私。だから本当は揚げ物とラーメンをやめなさいなんて人に言っちゃだめなんですけどね」

「秘密ですよ」と言って笑う彼女の愛らしさたるや。

「俺も甘党です」
「えっ意外!こんなにスリムなのに」
「食った分動くことにしてるんで…和菓子に目が無くて」
「私も和菓子大好きです。お抹茶も好き」
「今度一緒にどうですか」

いわゆる、乗り掛かった舟、というやつ。
彼女はまた目を丸くして俺を見て、意図を掴みかねているようだった。

「デートの誘いです、これは」

緊張した様子の瞬きが数回あって、みるみる顔が赤くなって、唇が少しためらう動きを見せた後、彼女は「…今は仕事中なので、定時後に忘れずもう一回お誘いいただけますか?」と言った。

「それは…期待しても?」
「期待してるのは、私のほうです」

恥ずかしそうに笑う彼女から個人的な連絡先を得て自席に戻った俺を見て、新人がビクッと肩を揺らした。かつてなく上機嫌な自覚はあった。

それから何度かあちこちの和菓子屋にふたりで出掛けて、お互いの部屋にも行き来する間柄になって、会社員と産業保健師の関係では知り得なかったことを色々知ることが出来た。
菓子だけじゃなく酒も甘いのが好きだとか、朝が苦手で中々起きられないだとか、二の腕が本人曰く『過剰にふくよか』なのを気にしているだとか。
俺としてはもっと食えと思うほど細いし、抱き締めると柔らかくて甘い匂いがして好みど真ん中なんだが、そう言って甘いものを与えようとすると「私ばっかり太らせる気なの」と怒るのがまた可愛い。
「それなら食った分一緒に運動しようぜェ」という俺のセクハラまがいの発言に赤くなったミズキを見るのが最近の一番の癒しだというのは、秘密の話だ。


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