除毒 

※若干の暴力表現、嘔吐描写があります。



不死川には同期というものがひとりしかいない。最終選別不作の年だったのだろう。そのたったひとりの同期というのが何と女で、年下で、小柄で、とにかくおよそ鬼狩りになどなりそうにない容姿であったものだから、彼女の顔と名前が覚えるつもりもないのに頭に入り込んでしまったのは無理からぬ話だった。
ソウマミズキといって、筋力で男に劣る分を柔軟性や重心制御の巧さで補っていて、強かった。
不死川には敵わないとはいえ実力は近く、同期ということもあってか合同任務が多かったし、不死川が柱に就任した後もそれは変わらなかった。
一度ミズキが、不死川の柱就任後初めて対面した時に「風柱様」と呼ぶと彼は鼻梁に皺を寄せて、「今更畏まってんじゃねェ、今迄通りに呼べやァ」と言ったのだった。

最終選別の後でミズキが「幼い男の子の姿をした鬼を見たことがある?」と聞いてきたことが、長年不死川の心の隅に引っ掛かっていた。残念ながら、数も覚えていないほど鬼を斬って柱になった今になっても、不死川は彼女の言う条件に合う鬼を見たことも斬ったこともなかった。

ふたりは3週間ぶりに任務で顔を合わせ、無事にその任務を終えた。とりあえず最寄りの藤の家に世話になろうと並んで歩きながら、不死川はふと隣のミズキを盗み見た。
最終選別の時には幼い子どもであったのが、いつの間にかすっきりとした鼻筋や艶々とした唇や長い睫毛が人目を引く女になっていた。他の隊士や隠の男達が綺麗だの何だのと噂をしているのが不死川の耳に入ったこともある。
噂を聞いた時には『頭が間抜けか、浮かれてっと死ぬぞ』と悪態をついたものだけれど、不死川は今になって内心では彼等と同じことを思っていると認めざるを得なくなったのだった。

「…不死川?」

気付けばミズキの心配そうな目が不死川を見上げていた。
ここで素直に『綺麗だと思って見てた』などと言える性格でない不死川は、誤魔化して前を向いた。
丁度その時不死川の鴉がふたりのところへスイと降りてきて、『北へ向カエ』を皮切りに指令を叫び始めた。となると温かい風呂と寝床はお預けかと不死川が指示された方角へ足を向けた時には、既にミズキが弾かれたように走り出していた。
豆粒ほどの大きさまで遠のいたミズキの背に「待て」と叫び追いながら不死川は思い至った。
鴉はさっき、「鬼ハ男児ノ姿、十歳程度」と言った。

平素『速すぎて見えない』とまで言われる不死川だけれど、この時のミズキには追い付けなかった。不死川は舌を打ってひたすらにミズキを追った。
冷静さを欠いた状態で単騎会敵するのはまずい。そもそも俺に来た任務だぞ勝手な真似すんなァ!と内心で吠えて不死川は走った。

結果的に、不死川は間に合わなかった。彼がミズキの後姿を発見した時、彼女は座り込んで背中を丸めていた。負傷したかと不死川が急ぎ駆け寄ってみると、ミズキは膝に鬼の首を抱いていた。あどけなさの残るかんばせの生首はボロボロと崩れ始めていて、今際の際に人の心を取り戻した目には涙が浮かんでいた。
「ミズキ」と鬼の口が言った。
「にいさん」とミズキの口が言った。

「遅くなってごめんね」との妹の言葉を聞き届けて、最後のひとひらがミズキの手のひらの上で翻って消えた。

「…帰るぞ」

不死川が横からミズキの肩を抱いた。
上官に来た任務を横取りしただとか、待機命令を無視しただとか、いわゆる真っ当な説教を垂れるつもりは不死川にはなかった。生い立ちを詮索するつもりもなかった。ただミズキに、早く温かい風呂や食事や寝床を与えてやりたかった。
心を整理するには、まず身体を休ませ整えなければ。
けれど意外にも、顔を上げたミズキは穏やかな笑顔で不死川を見上げた。月明かりに照らされてよく見えた。

「不死川、待機命令無視してごめんね」
「…おォ。で、帰るぞ」
「藤の家ね、行こっか。ちょっと先に行っててくれる?大丈夫、今回負傷もないし」

「ね」と念押しされれば、不死川には強引にミズキを歩かせることが出来なかった。鬼とはいえ身内を殺した後でどんな気分になるか、彼には分かったから。他人からの慰めなど届かないのだ。
解決策として、不死川はその場を立ち去って気配を消し、物陰からミズキを見守ることを選んだ。
心ここに在らずの状態では予期せぬ鬼の急襲に対応出来ない可能性があるし、何より放っておきたくなかった。
不死川の気配が遠ざかったことを確かめたミズキは、相変わらず穏やかな笑顔で懐から何かを取り出した。何だか、特別な贈り物をワクワクしながら開ける子どものような様子だった。手のひらの上に出した小さな何かをにっこりと笑って眺めた後、ミズキは指先で『それ』を摘み上げ、口に入れ右頬の内側辺りでガリッと噛んだ。

瞬間、不死川は物陰から飛び出してミズキに急行した。

「テメェ今何を含んだァ!!」
「し、な…っ!?」

ミズキの喉がこくりと動いたのを見ると不死川は舌打ちをして彼女の鳩尾を強かに殴った。拳は突然の攻撃に対応出来なかったミズキの腹にめり込み、彼女は身体をふたつに折って背中を震わせ、胃の内容物を地面に吐瀉した。元々最後の食事から長時間を隔てていたから胃液ばかりのその中に先程の丸薬が砕けて混じっているのを見て、ミズキは腹を手で庇ったまま片手を薬に伸ばそうとした。
不死川はミズキの脇に腕を入れて半ば抱えるように立たせ、近くに流れる小川へ駆け寄って、手のひらに掬った水を彼女の口に流し込んだ。

「飲むな、吐けッ!」

背中を叩かれてミズキが口中の水を吐き出すと、不死川が彼女の頬を引っ掴んで朦朧として半開きの唇に噛み付いた。そのままぬるりと舌を差し入れて歯の窪みに僅かに残る苦味を確かめると一度離れてペッと唾を吐き、また舌先で苦味の欠片を掬って吐き捨てるのを数回繰り返した頃にはミズキは気を失っていた。
不死川は脈や呼吸を確かめるとミズキを担ぎ、遥か遠い蝶屋敷へ向け走った。




ミズキが目を開けると白い天井を背景に胡蝶しのぶが覗き込んでいて、可憐な笑顔を浮かべていた。

「もしもーし、聞こえますかー?」
「…はい、蟲柱様」
「何があったか覚えていますか?」

問いかけに促されてミズキは回顧した。彼女がしばらくぼんやりと天井を眺め、順々に出来事を思い出すのを、しのぶは長い時間じぃっと待っていた。
その内に一通りのことを思い出したミズキがやんわりと口を開いた。

「…不死川に暴行されました」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねェよ」

戸の陰から現れた不死川は、狼が唸るような顔をしていた。

「あら、でも間違っていませんよね?不死川さん、腹部の痣をご覧になります?」
「…悪かったよォ」
「ですが、急を要する事態だったことには違いないでしょうね。懐に残っていた丸薬を調べましたが…よく手に入れましたね、こんな高純度の毒薬、大したものです」
「…」
「服毒直後に不死川さんが吐かせたそうで、何よりです。身体に異常は無いようですが、異変を感じたら人を呼んでくださいね。解毒剤は用意してありますから」

笑顔を崩すことなくしのぶはベッドを離れ、「あ、そうそう」と少しわざとらしく付け加えた。

「不死川さんが貴女をここへ担ぎ込んだとき、それはそれは見たこともないような必死の形相だったんですよ?自分の怪我では呼んだって蝶屋敷に来ないこの人が」
「ウルセェぞ胡蝶」
「はいはい、お邪魔なので退散しましょうね。さっさと大好きって言っちゃってください」
「ウルッセェ!」

カラカラと笑って蝶のように軽やかにしのぶが去ると、不死川が舌打ちをしてばりばりと髪を掻いた。
にわかに静かになった病室の中で、ミズキは不死川の白い羽織や手元を見ていた。所々に汚れがあった。

「…不死川、お風呂入ってないの?」
「ア?…当たり前だろが、死にたがりをひとりにしておけねェからな」
「見張りなんて柱が直々にしなくても」
「そんじゃお前をベッドに括り付けて行くかねェ」
「死なないってば…2人の柱の手を煩わせておいてさ」
「そりゃ何より」

不死川は薄く笑ったけれど、ミズキの方は鎧戸を閉めるようにしっかりと目を閉じた。
不死川がぽつりと「お前、これからどォすんだ」と問い掛けたのにも、「んー…」と返事未満の声が漏れただけだった。

「決めらんねェなら選べ。俺の継子になるか、鬼狩り辞めて俺ん家に住むか」

数秒間の沈黙の後、さすがにミズキも目を開けて不死川を見た。この男が冗談を言うような人間でないことは重々承知しているところであって、現にその表情は至って真面目である。

「…呼吸の流派違うと思うんですけど」
「テメェが師範に合わせりゃ済むだろうが」
「そんな無茶な」
「ならもう一方の選択肢があるぜ」
「飯炊きかぁ」
「俺ァ自分で出来るから女中は要らねェ」

また数秒間沈黙の内にミズキは溢れかえる情報を整理して、少し笑った。腹が痛んだ。

「あー殴られたとこ痛ーい」
「悪かったっつってんだろォ…責任は取る」
「言い方可愛くないからだめ」
「可愛さを求めんな」
「好きって言ってくれたら考えてあげなくもないかもしれない」
「可能性小っせェなァおい」

『で?』という具合にミズキの目が不死川を見上げた。不死川は眉間に皺を寄せて目を泳がせた後、指先でミズキの目元の髪を耳の方へ流しながら、「好きだ」と呟いた。

「にいさーん私お嫁に行くみたーい」
「嫁にもらうぜ義兄さんよォ」

天井に向かってふたりで言って、その後笑った。


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