ソラニンとソルファ(後) 

「お前それマジで言ってんの」と宇髄は言ってから、昨日同じファミレスの同じ席で同じことを言ったのを鮮明に思い出した。何だよコレ2回目の今日とかじゃねぇだろうなと念のためスマホで日付を確認した。良かった、昨日からキッチリ1日進んでいる。
昨日と違う点を挙げるとすれば、テーブルと顔面を並行にしていた煉獄が今日は完全に頬をテーブルに預けて屍と化していること(目が死んでいる)と、時間帯が昼であること、それぐらいである。
本当は朝イチで煉獄から呼び出されたところを眠気に負けて昼まで引き延ばしたものの、ファミレスで落ち合ってみると落武者のようになった煉獄を見た宇髄はせめてもう2時間早く会ってやるべきだったかもしれないと一応反省した。輩な外見に反して宇髄は情に厚い。

偶然昨日と同じ席に案内されて話を聞いてみれば、成程煉獄が屍と化すのも頷ける内容だった。ミズキの『きらい』は煉獄には即死呪文である。
宇髄はテーブルに伏す煉獄をとりあえず写真に撮った。

「まぁ前向きに捉えようぜ。飲み会の男に下心あったのは確定だろうし、撥ねといて正解だろ」

そのままスマホを触りながら宇髄は軽く言った。煉獄はぴくりとも動かない。

「俺はもうだめだ…宇髄後のことは頼んだ、ミズキを守ってくれ…でも絶対触るな」
「お前意外と元気だろ」

宇髄は昨日と同じドリンクバーの気の抜けたコーラを一口飲んだ。彼のスマホから、ぽぽんと間抜けな音がした。

「でもま、良かったんじゃねぇの」
「…何が良いものか。俺に分かるように説明してくれ」
「ゼミの女から電話あった時に笑顔でいってらっしゃいの方が脈無しだと俺は思うね」

煉獄はテーブルに頭を乗せたまま昨日の光景を思い出して、ミズキの台詞を置き換えてみた。
コーヒーに誘ってシャツの裾を握っていた手(可愛いの権化であった)をパッと放して笑顔で『良かったじゃない、いってらっしゃい』。確かにこれは辛い。引き留めてくれお願いだから。

宇髄のスマホからは断続的に『ぽぽん』が鳴っている。

「いやしかし、ミズキは俺をき、きら…」
「嫌いってな」
「その言葉を言うな…!」

煉獄の目が鬼気迫る色を帯び、震える拳がテーブルを叩くと皿同士が接触して硬い音が立った。近隣の視線が集まった。
宇髄が頬杖の上からスマホ画面に視線を落としながら、軽く笑った。

「覚えといて損はないぜ杏くん、女の子の『嫌い』は時々『大好き』と同義だって」
「そうなのか!?」
「ストレートに嫌いのこともあるけどな」
「やめろどっちなんだ、真逆の意味を一単語で兼ねるな!」
「本人に聞きゃいいだろ、さっき呼んだからもうじき来るぜ」

感情の乱高下でぎらぎらとしていた煉獄の目が突然ストンと抜けたようになって、口からも気の抜けた「へ」の一言が零れ落ちた。
その間に宇髄は透明なアクリルの筒から伝票を抜いてさっさと歩いていってしまう。

「ここは払っといてやるから、お前らはちゃんと話せよ」

宇髄がひらひらと手を振って角を曲がって見えなくなってから、煉獄は叫び出したいのを押し殺して手で顔を覆った。
ちょっと待ってくれまだ心の整理がついてないんだそもそもどんな顔をして会えばいい、それに昨日の『嫌い』がストレートに『嫌い』の意味だった場合真剣に死ぬ(確信)どうしてくれるんだ宇髄、と煉獄の頭が混乱を極めている間に、宇髄が曲がっていった角から本当にミズキが現れた。彼女は宇髄の姿を探してキョロキョロと見回す中で煉獄を発見し、昨日なみなみと涙を湛えていた大きな目を丸くして立ち止まった。
にじりとミズキが後ずさって店の出口に視線が向いた瞬間、それまで鬱々と悩んでいた煉獄が脊髄反射のごとき瞬発力で彼女の手を捕まえていた。

「…おは、よう…」
「あぁおはよう、騙すようなことになってすまない。…少し話す時間をくれないか」

ミズキは一瞬手を引こうとしたけれど、彼女の手を掴んでいる煉獄の手の柔らかい力加減に、振り解く選択肢を残している優しさに、頷くことしか出来なかった。
元いた席に向かい合って座ると、丁度店員がやってきて空いた皿を下げつつミズキに注文を聞くので、彼女は一瞬迷ってドリンクバーを頼んだ。

しばらく沈黙が続いた後に話し始めがかち合って煉獄が譲った。

「あ、あの、昨日…ごめんなさい、言い過ぎだった、です…迎えに来てくれたのに」
「いや…こちらこそ、自分が余程のことをしたと思って考えたんだが…すまない、答えは出ていないんだ」

相手の出方を探り合いながらの会話はすぐに気まずく途切れ、煉獄はどう切り出したものか考えあぐねて「何か飲むか、取って来る」と逃げを打った。
するとミズキが腰を浮かせた煉獄の手にテーブルの上で触れた。

「やっ…いかないで、」
「うっうん!?」
「…って、言いたかった、の」
「…?」
「昨日も…」

ミズキは煉獄が座り直すとするすると手を引っ込めて俯いてしまった。
煉獄の頭の隅で『笑顔でいってらっしゃいの方が脈無しだと俺は思うね』という宇髄の声が小さく響いて、心臓が温かく脈打つような気分がした。
ミズキは眉尻を下げ頬を赤らめて落ち着かなげに視線を泳がせている。煉獄にはその滑らかな頬に絹のような素直な黒髪が掛かるのが、長い睫毛がふるふると震える様が、堪らなく愛らしく思えた。
今度は煉獄が、テーブルの上で凍える子犬のように縮こまっていたミズキの手に触れた。小さく柔らかな手はぴくりと緊張し、煉獄はそれを温めるように包んだ。

「…行ってほしくなかったのか、俺に」

こくん、とミズキの頷き。

「何故?」
「…」
「教えてほしい」
「…だって、」
「うん」
「………可愛い子がいるって言ってた」
「うん?」
「私の部屋に入るのは嫌なのに、可愛い人とお酒飲みにいくの…って、思って」

煉獄はミズキの手に重ねた自分の手に力を入れすぎないように意識した。次に、小さく震える可愛い手を、優しくすりすりと撫でた。

「昨日行かなかったし、行きたいとも思わん」
「…ほんと?」
「本当だ。あと、ミズキより可愛い子を俺は知らない」
「…ぇ、う?」
「やっと顔を見せてくれたな」

ミズキが思わず顔を上げて見た煉獄の顔は、愛しげにまなじりが下がり口元は幸せそうに緩んで、快活に笑ういつもの彼とはすぐに結び付かない。

彼はこんな顔をする人だったろうかとミズキは過去を振り返ってみて、思えば意外にも煉獄はいつもこんな愛しそうな表情でミズキを見てばかりだった。変わったのは、今まで煉獄は自分を女としては見てくれないと思い込んでいた自分の方だ。
煉獄は目の中に少しの熱っぽさを覗かせた。

「今までずっと本心を隠してきた。言えば怖がらせてしまうと思っていたから…ただミズキが聞いてくれるのなら、全て打ち明けてもいいだろうか」

ミズキが小さく頷いた後「私の部屋でコーヒーを飲んでくれるなら」と零すと、煉獄は機嫌のいい猫のように目を細めた。

それから結局ドリンクバーを利用しないまま清算してミズキの部屋へ移動し、昨日断ったコーヒーを飲みながら煉獄は彼女が真っ赤になって耳を塞いでしまうまで思いの丈を伝え続けたのだった。
煉獄は宇髄が何と言ってミズキを呼び出したものか気になって尋ねてみると、彼女は宇髄とのトーク画面を開いて渡した。ファミレスのテーブルに伏せた煉獄の写真と共に『さっき煉獄に会ったら落武者してたんだけどもしかしてフッた?』から始まっていた。
驚くべきは宇髄が適当に出した酒席での会話の例がほぼ忠実に再現されていたらしいことで、宇髄は『俺占い師とかやったら流行るんじゃね?』と締め括っていた。

今まで好きの一言も言い出せないでいたのが嘘のように、煉獄は取り戻すようにミズキを抱き締めて髪を頬を背中を撫で続けて、彼女の方も照れながら幸せそうにそれを受け入れた。肝心なところで意思疎通していなかっただけで、元々が宇髄に言わせれば『距離感が派手に狂った』ふたりである。
上機嫌にミズキを撫でていた煉獄のポケットの中でメッセージ受信の音がして、彼女がキッチンへ立っている間に確認すると宇髄からだった。

(ミズキにちょっかい出そうとした男の鞄から眠剤と結束バンドでてきたけど、どーする?)

頭がスッと冷え、煉獄は立ち上がった。

「ミズキすまない、宇髄から用事で呼ばれたから少し出てくる。夕飯までには戻るから、何か買って来ようか?」
「そうなの?一緒に買い物したいなぁ…スーパーに待ち合わせしよっか」
「それなら一度戻るから一緒に行こう。ひとりで歩かせたくない」

至極にこやかに煉獄は玄関まで移動し、見送りに寄ってきたミズキをもう一度抱き締めた。

「では行ってくる!女性には会わないから安心してくれ」
「女の人に一切会っちゃダメっていうんじゃないんだから…」
「ははは、俺が言いたいだけだ!ヤキモチを焼かれたのが嬉しくてな」
「もう、はやく行って!」

蕩けそうに上機嫌な様子で煉獄は玄関を出ると、瞬きの間に表情を無くして宇髄に連絡を入れた。

「宇髄か、今から向かうから場所を送ってくれ。全く君の占いはよく当たるな。恩に着る」


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