「わかんないよ、そんなの」

 今にも泣き出しそうな顔をした彼女は、小さな声でそう言ってオレを突き放した。何で、そんなこと聞くの。うつ向いたまま彼女はポツリと言葉を続けた。夏の夜は蒸し暑い空気が辺りを包んでおり、ただ立っているだけなのに背中に汗が伝う。彼女の頬を伝った滴も、暑さから溢れ落ちた汗だったらいいのになんて思った。彼女が泣いてるのは一目瞭然だった。華奢な肩が微かに震えていた。
 彼女が泣く理由がオレには分からない。いつもみたいにへらへら笑って、何を今更と彼女は言うと思っていたのだ。ただの幼馴染みじゃないことは最早暗黙の了解だと思っていたし、わざわざこの関係に名前を与えることもないと勝手に決めつけていた。マネージャーの言葉に焦って思わず言ってしまったけど、きっと彼女なら笑い飛ばしてくれると期待していた。そしたらオレも何でもねぇよって冗談っぽく言えた。このままの関係を保っていられた。あぁ、そうか。つまりは彼女に逃げ道を用意して欲しかったのだ。溢れてしまった言葉は、自分ではもう無かったことには出来ない。だから、彼女に無かったことにして欲しかったのだ。
 彼女は泣いている。オレが意気地無しなせいで彼女を泣かせている。今まで何とも無いように振る舞ってただけで、彼女はこの関係を明らかにさせたかったのだろうか。伸ばした手は、パシリと振り払われた。

「曖昧なままにして、分からなくさせてるのはロヴィじゃんか」

 返す言葉が見つからない。全くもってその通りだった。曖昧なままの関係が心地よくて、それを壊さないように敢えて言及することを避けてきた。彼女もこのままでいいと思っている、なんてオレの思い込み。気の弱い彼女が現状が壊れてしまうことを恐れず、二人の曖昧さを明らかにすることなど出来る訳がなかったのだ。踵を返して家に戻って行く彼女を引き留めることも、追いかけることも出来なかった。ただ、離れていく背中を見ていた。距離が離れていく。目に見える距離じゃなくて、今まで培ってきたオレと彼女の間にある距離が離れていくのを感じていた。彼女に拒絶されたのはこれが初めてだった。

 また言葉を交わすことも、顔を合わせることもなくなってしまった。ただ今回は彼女が一方的にオレを避けている。電話もメールも反応がない。お向かいさんなのに、気持ち悪いくらい一度も出掛けるところにあったことがない。彼女に避けられること自体が初めてで、流石に堪えるものがあった。携帯なんかに頼らず、もう直接会いに行ってしまえばいい。そう分かってるのに行動に移せないでいるのは、手を振り払われたあの時に味わった拒絶を再び向けられることが怖いから。どうせ弱虫だよ。音にならない悪態をつく。課題のテキストを埋めていく手を止めて、温い風が吹き込む自室の窓から、向かい側にある彼女の部屋の窓を見る。レースのカーテンが引かれていた。小さく舌打ちをしてしまった。
 机の隅に置かれた卓上カレンダーの日付は、早いもので8月の中旬から下旬に差し掛かろとしていた。鬱陶しい蝉の声さえ遠ざかっていく。夏休みの終わりが目の前まで迫って来ている。そして、彼女が寮に戻る日も一緒に近付いて来やがる。また当分の間、彼女と顔を合わせられなくなる日々が続くのだ。
 自分に残されたチャンスは後どれくらい?

 幼馴染みと言う関係は時に厄介なものであり、またある時はとても便利なものである。まるで我が家のように当たり前に彼女の家に上がり、おばさんへの挨拶もそこそこに階段をのぼっていく。彼女の部屋を訪れるのは何ヶ月ぶりだろう。見慣れたドアをなかなかノック出来ないでいる自分が情けなかった。普段はノックはおろか声すらかけずにドアを開けると言うのに。意を決して戸を叩く。コンコンと言う、自分に似合わない何とも控え目なノックの音がする。オレを見た瞬間、閉められでもしたら流石にもう立ち直れない。

「あ、えと、」
「…久しぶり」

 大きく見開かれた瞳は次第にうるみ、泣きそうになりながら彼女はあたふたと言葉を探していた。相変わらずな姿に、いつかのように緊張がほぐれていく。先ずは閉め出されないで済んだことに、内心ホッと息をつく。

「5分で着替えろ。出掛けるぞ」
「え、でも、何処に?」
「いいから早くしろよ」

 あぁ、これがいつものテンポで、いつもの二人だと思った。バカみたいに安堵した。言われるがまま着替えを済ませた彼女の手を掴み、彼女の家を後にする。まだ少し残る気まずさに口を閉ざしつつも、掴んだ手は離さずに彼女の前を歩いて行く。行き先は懐かしい祭囃子が聴こえてくる場所。余計なことは何も考えず、ただ当たり前に一緒にいたあの頃のように。けれど、あの頃とは違って明確な理由で傍に居て欲しいから、弱虫な自分を叱咤して繋いだ手を離すまいと力を込める。何かしらのきっかけが欲しかった。変革を起こすその何かを待ち続けて、気付いたら互いの道を歩み始めて離ればなれなんて笑ってしまう。受け身になって馬鹿正直に待っていたって何も起こってはくれないと知った。だから、変える為の一歩を踏み出した。未だに肌にまとわりつく蒸し暑さの名残と、綺麗に晴れた夜空に浮かぶ星が無駄に過ごした日々を思い起こさせて、過去の自分自身に無性に腹が立った。時間よ、止まれ。そうすれば彼女はこの手からすり抜けていくことはないから。なんて、そんな女々しいことを思ってしまうくらい彼女が好きなのだと、オレはいよいよ認める時が来たのだ。


やっと素直になれたからで、

馬鹿だと笑えばいいさ






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