03


 噂の幽霊屋敷を目指して歩くこと20分。周りを見渡せば木、木、草、木、蜘蛛の巣、そして木。それなりの高さまで登ってきたはずなのに、いつまで経っても代わり映えのない風景に思わず溜め息が溢れる。
 ふと耳に入った運動部のものらしき掛け声に振り返ると、校庭のあちらこちらに散らばる生徒達は小さくなっていた。部活動に励む生徒達に対する「ああ、頑張っているな」という思いと、未だに見えない屋敷に対する「まだ着かないのか」という二つの思いが同時に湧き出てくる。
 いや、ここまで来たんだぞ弥生。ここで引き下がってどうする。日直の仕事を引き受けてくれた大槻に、土産話の一つや二つ、くれてやらないなんてことは絶対にできない。
 自分で自分を奮い立たせ、気を取り直してまた一歩、二歩と歩みを進める。たまにひらひらと飛んで行く蝶々に目を奪われながらも、私は少しずつ山を登っていく。
 ――これで幽霊屋敷自体が実は幻覚でした、なんてこと、ないだろうな。
 進んでも進んでも見えない幽霊屋敷に、そんな疑問を抱き始める。いや、そんなの笑い話にもならないぞ。


「ほんと、幽霊屋敷って、あるのかな……」


 山登りに疲れ果てて息切れをする中、思わず口に出た言葉。次の足を前に出そうと顔を上げると、視界が、見覚えのある赤い屋根を捉えた。

 ――赤い屋根、幽霊屋敷、ここだ。

 脳がそう認識すると、先ほどの疲れが嘘のように吹き飛んだ。一歩進む毎に重くなっていた足は、赤い屋根の方向へどんどん進んでいく。歩いて、早歩きになって、ついには走り出していた。心の隅で子供か、なんて自嘲する言葉が浮かんでは消える。
 今の私は誰にも、自分でも止められない好奇心で溢れていた。
 無我夢中で走っていると、その屋敷の全体は、すぐに視界に収まる。足を止めて「落ち着け」と自分に言い聞かせ、息を整えてから、私は改めて屋敷に目を向けた。


「……はあ」


 校舎の三階からもちらりと見えていた赤い屋根は、全て赤い煉瓦でできていて。木々で隠れて見えなかった屋敷の全貌は、白い煉瓦を基調とした、西洋風の大きな屋敷だった。所々黒ずんでいたり、小さなヒビが入っていたり、ツタが壁を這っていたりして、それがまた《THE・幽霊屋敷》の雰囲気を醸し出している。
 まるで外国に来てしまったのかと錯覚するような、この辺りでは見られない西洋風の屋敷に、思わず溜め息に似た感嘆の言葉が溢れた。
 古い屋敷、しかも幽霊屋敷だなんて言われてるところがこんな屋敷だったなんて、想像してもいなかった。幽霊というより、普通に人でも住んでいるんじゃないのか。


「って、そんなこと考えてる場合じゃない」


 そうだ。本題はこの屋敷の中。今まで何人かの生徒がこの屋敷に出入りしているが、何も見なかったと言う人もいれば、大槻の話の通り何かを見たと言う人もいる。
 ちなみに私は、霊感なんてものは絶対にない。あったらこの15年、幽霊や妖怪なんて奇怪な存在を何度か目にしていてもいいはずだ。小さい頃に度胸試しで入った、幽霊が出ると有名なトンネルでも何もなかったし――というか、そんな私がここに来て意味があったのだろうか。大槻の奴、人選を間違えてないか。
 一度考え出すと大槻に対して様々な疑問が出てくるが――まあ、ここまで来てしまったからには中に入るしかない。霊感があろうがなかろうが、私の冒険心は早く中に入りたいと叫んでいる。そう、私は欲望に忠実な人間なのだ。


「お邪魔します」


 人がいるか幽霊がいるか分からない屋敷だが、外観がこんなに立派な家だ。無言で立ち入るのはなんだか気が引けるので、誰に対してというわけではないが、一応扉を二回叩き、挨拶をして扉のノブに手をかける。扉は大きな両開きのもので、私は右側の扉のノブをそっと回した。扉を手前に引くと、ぎいっと鈍く重い音が屋敷の中に響く。
 中は薄暗く、窓から差し込む日の光だけが屋敷の中を照らしていた。その日の光を頼りに、外から中の様子を一つひとつ確認する。
 まずは玄関ホール。最初に目に入ったのは、屋敷の中央に堂々と佇む、赤い絨毯が敷かれた大きな階段だ。外から見た通りこの屋敷は二階建てだったらしく、その階段を上がった先は道が左右に分けられている。ぱっと見、上の階にはいくつもの部屋があることが見受けられる。
 再びホールに視線を戻すと、頭上には灯りが点けられていないにも関わらず、日の光が反射してきらきらと光る大きなシャンデリアがぶら下がっていた。そしてホールの床一面には、階段に敷かれたものと同じ、赤い絨毯がきっちりと敷かれている。更にその上には、黒を基調とした机や椅子があちこちに置かれていて、まるでこのホール全体が一つの芸術作品なのだと思わせられるほど幻想的な雰囲気を持っていた。

 ――これは、誰かが住んでいてもおかしくはない。それが人か幽霊かなんて、分からないけど。

 一通り中を覗いて、不審なものがないことを確認した私は、やっと屋敷の中に足を踏み入れる。外で見ているのと中に入るのとでは、話が全く違くて、実際に中に入ってみるとこの空間が持つ雰囲気にぐっと飲み込まれる。まるで絵画の中の世界に引きずり込まれたような、そんな感覚に陥った。
 ここが幽霊屋敷だということをすっかり忘れてしまうくらい、私は純粋に、この屋敷に惹かれていた。


「うわあ、自分が金持ちだったらこんな感じの屋敷に住みてえ!」


 思わず声に出てしまうほど、この屋敷に惹かれていた。
 ここに自分以外誰もいなくて良かったと、心の底から安心した。


「いやあ、でもこんなに広い屋敷はやめといた方がいいよ、ほんと」
「うわ誰かいたー!」


 独り言に返答があってつい大声を上げる。独り言ばりばり聞かれてた。安心した数秒前の私に安心するなと伝えに行きたい。
 突然聞こえてきた声に、驚きよりも先に恥ずかしさがどっと溢れる。
 というより、私の他に人、来てたのか? ずっと一人だと思って油断してた。これは恥ずかしい。


「ははっ、そんなに驚いた? ずっといたんだけどね、君が中に入ってきた時から」
「今見た全ての記憶を今すぐに抹消してください!」


 溢れてくる羞恥心を振り払い、声がする方へ勢いよく振り向いて必死に訴える。するとそこには、一つの人影があった。その人は階段を上がった先にいて、薄暗くて顔はよく見えないが、その声色から男性であることは分かる。多分、年齢もそんなに違わない。もしかすると、幽霊屋敷の噂を聞いてやって来た同じ御蔵学園の生徒なのかもしれない。
 顔も見えぬ相手は何がそんなに面白かったのか、くつくつと密かに笑いを堪えていた。おい、聞こえてないと思っているかもしれないが、聞こえているぞ。
 その男性は、笑いが収まると「ごめんごめん」と謝罪の言葉を口にしながら、階段を使ってホールへと下りてくる。しかし不思議なことに、階段を下りているのにも関わらず、靴音が全く聞こえないのだ。

 ――まさか、これが幽霊だというのだろうか。

 経験したことのない目の前の出来事に、期待と好奇心で胸がいっぱいになる。
 この15年、霊的存在に全く出会うことができなかった私も、ついに心霊体験をすることになるのか。
 これで大槻への土産話にもなるということで、心底わくわくしていた私の目の前に、その声の主は現れた。
 そこにいたのは、やっぱり男性で。紺色の髪を靡かせる男性は、御蔵学園指定のワイシャツと黒ズボンを身に纏い、そのワイシャツの上に羽織を着ていて、そして――彼は、裸足だった。


「裏切られた……っ!」


 幽霊だと少しでも信じてしまった自分が情けない。
 いや、それよりも、今問題なのは目の前の男性の姿格好だ。そのワイシャツと黒ズボンは、間違いなく現在の御蔵学園高等部のもの。つまり、この人は私の先輩であることが分かる。
 でも、二つだけ理解に苦しむものがある。それは、ワイシャツの上に着られた羽織と靴も靴下も履かれていない足だ。この現代に、制服姿に羽織を肩にかけて裸足で彷徨く高校生がどこにいる。ここにいた。


「え? 何? 俺、君の期待でも裏切っちゃった?」
「まあ、ええ、はい、そんなところです……」


 見るからに不審な男性――不審な先輩は、「また悪いことしたなあ」と小さく呟いて苦笑する。こうして見るとごく普通の先輩に見えるが、どうしてもその羽織と裸足に目がいってしまい、なんだか胡散臭さを感じる。
 この先輩は一体、何者なんだろうか。
 そういえば、オカルト部なんて部活があると大槻に聞いたことがある。もしかして、オカルト部の人とか、なのだろうか。いや、それじゃなきゃなんだって言うんだ、この先輩。
 まじまじと目の前に立つ先輩を観察してみる。その紺色の髪は、恐らくしばらく手入れされていないのか、肩につくくらい伸びきっていて、まるで寝癖をそのまま放っておいたようにボサボサだ。顔立ちは大槻ほどではないが、男性にしては目がぱっちりしていて女顔――中性的な感じ、と言ったところだろうか。身長は多分、170cm以上はあるだろう。
 うん、顔だけ見れば普通の人だ。顔だけ見れば。
 無言でじっと見つめる私に気づいた先輩は、右手を首元に持っていくと、少し困ったような表情を浮かべる。


「えーっと、……俺の顔に何かついてる?」
「ああ、いや、そういうわけじゃなくて……その、先輩、ですよね?」
「んー、うん、そうだね。君が中等部なら、俺は先輩だよ」


 確認するように聞いてみると、先輩はへらりと柔和に笑った。
 ――うん、多分、普通にいい先輩なんだろうとは思うけど、なんだかな。
 先輩に対するなんとも言い難い不信感を拭えずにいると、先輩は「あっ」と思い出したように声を上げる。


「そう言えば名前、聞いてなかった。俺は月夜里誠十郎、高等部一年だよ。君は?」
「中等部三年の佐倉弥生、です」
「そう、弥生ちゃん。ところで、弥生ちゃんはなんでここに?」


 お互いの自己紹介を済ませると「やましたせいじゅうろう」と名乗った先輩は、素朴な疑問なのか、首を傾げて私に問う。
 そこで私も首を傾げた。なんでここに、と聞かれても、それはここが幽霊屋敷なんて言われる怪談スポットだからだ。心霊体験をすること以外に、ここに訪れる人なんているのだろうか。
 それともこの先輩、まさかこの屋敷の噂を知らない? いや、でも御蔵学園の生徒なら、嫌でも知ってると思うんだけど……。


「いや、なんでって、それはここが幽霊が出る古い屋敷なんて言われてるところだから……」
「へ? 幽霊が出る古い屋敷? いや、ここ俺の家だよ?」


 ――この先輩が今、なんて言ったのか、私は自分の耳を疑った。
 今、目の前にいる先輩は、なんて言った? 俺の家? いや、そんなはずはない。確かに、誰かが住んでいてもおかしくはないとは思った。思ったけど。
 もしやからかっているのではないかと、ちらりと先輩の表情を伺ってみる。彼の表情は真面目で、とてもからかっているようには見えなかった。
 私は恐る恐る、もう一度先輩の言葉を聞き出す。


「……ワンモア」
「ここ、俺の家だよ」


 どうやらこの先輩は、先ほどの返答を変える気は更々ないようだ。
 これは一体、どうしたものか。
 考え出すと頭が痛くなってきて、これ以上考えてはいけないと直感した私は、思考することを諦めた。


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