12


「佐倉さあん。《変わり者》の先輩ってどこにいるのさあ」


 じゃあね、また明日。という別れの挨拶が飛び交う教室で、筆記用具やノートを鞄の中に詰め込んでいた放課後のこと。
 昼休みから掃除の時間まで爆睡していた大槻が、寝ぼけ眼を擦りながら体ごと私の方を向いて、人の机に両肘を乗せて項垂れてきた。
 学校生活の約半日を先輩探しに費やしたせいか、大槻はどこか気怠そうな雰囲気を漂わせている。取材のために姿のない人を探すのは、私が思っている以上に手間で疲労困憊する程なのだろう。
 まあ、私も待ち合わせなどの約束もなしに先輩を探せなんて言われたら、そう簡単に見つけられる気がしない。なんせ、神出鬼没な人なのだから。


「いや、どこにって言われても……私も会おうと思って会ったことはないし、分からないよ」
「さすが《変わり者》だなんて言われるだけのことはあるよ……いるはずなのにいないなんて、幽霊みたいだ」


 うん、まあ、普通の人間でないことは、確かなのだけど。
 「いっそ家に突撃しちゃうっていうのはどうかな」なんて口にする大槻に、「やめた方がいいよ」とだけ言っておいた。シロとクロが屋敷を訪れた人に何をしでかすか分からないし、なんと言うか……大槻はシロに遊ばれそうな感じがする。いや、シロからすれば、一緒に遊ぼうとしているんだろうけど。

 そこでふと、時計に視線を向けて現在の時刻を確認し、いけない、と鞄を手にする。
 もうそろそろ行かなくては、彼のことを待たせてしまう。


「あれ? 佐倉さん、もう帰っちゃうの?」
「うん。晩ご飯と明日の買い物して帰らなきゃ」


 大槻の問いにそう答えて教室を出ようとすると、「佐倉さん、またね!」と無邪気に手を振られた。それに小さく手を振り返して、少し急ぎ足で昇降口へ向かう。
 上靴と外靴を履き替え、校庭で部活動に励む運動部の掛け声を聞きながら校門を目指して歩く。
 もう少しで校門、というところで、私の視界に見覚えのある背中が映った。
 《御蔵学園野球部》と書かれた白いユニフォームを身に纏い、蛇口からどばどばと流れ出る水で黒い短髪を濡らしていた彼は、私の姿を見つけると水を止め、


「佐倉」


 と、頭から顔に伝う水を手で拭いながら名前を呼んだ。
 松葉先輩と同じくらいか、下手すれば彼よりも背が高く、正に運動部といった感じのガタイのいいこの男子生徒は、同じクラスの真田朝彦と言う。ちなみに出席番号は私の二つ後ろで、授業中、奴のいびきがよく聞こえてくる。
 幼馴染み、なんてものではないけど、朝彦とは小学校からちょくちょく同じクラスになったり通学路が一緒だったりで、そんなに遊んだり話したりする仲ではないけど、普通よりはそれなりに仲は良い方だと思う。


「今日はいつもより早いな」
「ああ、ちょっと買い物して行くから」
「そうか。それじゃあ、俺も部活に戻る」
「うん、じゃあ。お疲れ」


 他愛ない短い会話を交わし、朝彦は野球部の輪に戻り、私は再び校門の方へ歩き出す。
 周りから見れば、それで仲が良い方なのかって言いたくなるような会話だけど、今の数秒でよく喋った方だ。朝彦が。
 奴は昔からとにかく寡黙で、教科書の音読でしか声を聞いたことがないなんていう人は沢山いる。仲が良い男友達と話す時も、基本的に朝彦が黙って話を聞いている感じだ。

 校門を抜けると、大きな時計がまず視界に入る。そして次に――その時計の下で錫杖を右手に、薄っぺらいスクールバッグを左肩にぶら下げた松葉先輩に目がいった。
 あの派手な金髪だけでも目立つというのに、身の丈程の錫杖を人目も気にせずに持ち歩いているものだから、不審者レベルでかなり、悪い意味でめちゃくちゃ目立っている。でも、本人はあんなに堂々としているから、いっそ清々しい。
 松葉先輩は校門から出てきた私に気づくと、錫杖を持ったまま右手を突き出し眉間に皺を寄せた。
 そして、一言。


「遅せえ!」


 松葉先輩がそう言い終わると同時に、まるで「その通りだ」とでも言うように錫杖がしゃりん、と音を鳴らす。
 遅い、と言われても、これでも急いで来た方……いや、ちょっと、寄り道はあったけど。大槻とか朝彦とか。


「すみません。少し、クラスメイトと話してて……」
「謝んのはいい! 早く行くぞ! 卵がなくなっちまう!」
「あ、はっ、はい」


 走るように大股ですたすたと歩き出す松葉先輩を追うように、小走りに彼の後ろをついて行く。

 何故、私と松葉先輩が放課後に待ち合わせをして、行動を共にしているのかというと――先輩と松葉先輩が和解した、昼休みのことだ。
 二人が言い争い(松葉先輩の一方的なもの)を終えてから、昨日の大根、というか味噌汁の話を聞くと、ここ最近は松葉先輩が晩ご飯を作っているらしい。お父さんがぎっくり腰だから代わりに、というのは分かるけど、お母さんは? もしかして、父子家庭? なんて考えたけど、聞けばお母さんは現在お友達と海外旅行に行っているらしく、しばらく帰ってこないから松葉先輩が仕方なく家事をしているようだ。
 それで今日も晩ご飯の買い物に行くようで、先輩やシロとクロのこともあるし、それじゃあ私も一緒に――という訳で、現在に至る。
 ちなみに、今日は卵がお一人様2パックまでで安いらしい。仕方なく家事をしていると言っていたけど、こうしてセール品をチェックしているあたり、案外主婦感を楽しんでいるのではないだろうか、この人。


「おい! もっとこう、早く歩けねえのか!?」
「むしろ走ってますけど!? 男子高校生と女子中学生の歩幅と歩行速度を同じだと思わないでください」
「あーっ! じゃあもう走んぞめんどくせえ!!」
「あ、ちょ、急に走らないでくださいよ!」


 大股で歩いていた松葉先輩が、大声を上げるといきなり走り出して、置いていかれないようにと私も全力で走った。走りで女が男に追いつけないのは分かりきっていることだけど、あまり距離を離されると負けた気がして、これ以上離されて堪るかと必死に追いかける。
 「うおあっ!? こっち来んな!」とか「走るって言ったのは松葉先輩ですよ!」とか、どうでもいいことを二人で言い合いながら、学園近くのスーパーまで走って向かう。
 金髪の、右手の錫杖を絶え間なく鳴らしながら走る男子高校生と、それを追いかける女子中学生というのは、傍から見ればやばいのではないだろうか。


 × × ×


「ぜーっ、はーっ、お、おま、けっこー、走る、だな……っ」
「げほっ、い、いや、私の中の、敗北感が、ごほんっ、その気にさせた、というか……っ」


 スーパーの前で膝に手をついて息を切らせる私たちを、買い物客の人々は怪訝そうに見ては去っていく。
 お店の前でごめんなさい。でも怪しい者じゃないんです、私は。


「とっ、とにかく、さっさと、買うモン買って行くぞ……!」
「そう、ですねっ」


 息を整えて、店内にずがずがと入っていく松葉先輩に続いて自動ドアを通り抜ける。買い物カゴを手に最初に向かったのは、松葉先輩が狙っていた卵が置かれた棚だ。卵は精肉コーナーの隣にあって、そこに着くのに時間はかからない。

 ――が、そこで、私たちは大きな衝撃を受けることになる。
 まず目に飛び込んできたのは、卵の商品棚に集まった主婦の多さだ。彼女たちは何も迷うことなく卵を手に取ると、買い物カゴにすっと入れて、入れ替り立ち替りで皆が同じ行為をしている。
 そして次に、視界に映ったのは、棚にシールで貼り付けられた『卵10個入り1パック98円』のチラシだ。その驚きの安さに、買い物カゴを落としそうになった。例えでもなんでもなく、一瞬手から滑って落ちそうになったのを咄嗟に掴み、握り直す。
 いや、しかし、10個か。安いのは有難いのだけれど、10個となると話はそう簡単にいかない。
 うちは両親と子供だけの世帯で、しかも両親がいない時も多くて、卵10個なんて滅多に買わない。あまり多くても使い切れないし、消費に困ったり賞味期限が切れたら三食にゆで卵が出るのはざらだ。
 でも98円。98円は捨て難い。買って損はない。うん、ゆで卵の数が増えるだけだ。
 ……いや、わざわざ私だけで消費することはない。今は先輩たちのご飯も作っている訳だし、半分こすればいいんだ。向こうも一人と二匹なんだし、そんなに卵はいらないはず。


「おい、弥生、早く買ってくぞ! 全部取られちまう!」
「あ、はい。それもそうですね」


 松葉先輩の声にはっとして、主婦の波に突っ込んでいく彼を追う。私一人なら苦しい戦いだったかもしれないが、松葉先輩のビジュアルに少し驚いて距離を置く主婦たちを見て、彼が一緒にいてくれて良かったと心の底から思った。松葉先輩万歳。


「ほれ。お前、一つでいいのか?」
「はい。ありがとうございます」


 卵1パックを手に取り、「ん」と差し出す松葉先輩にお礼を言ってから頂く。私に卵を手渡してから、松葉先輩は自分の家の分の卵を2パック買い物カゴに入れる。
 20個も消費に困らないのだろうか。と、純粋に疑問が浮かぶ。
 主婦の波を離れ、「豚肉がほしい」と精肉コーナーに向かう松葉先輩に、その疑問をぶつけてみる。


「松葉先輩。卵、20個もあって困りませんか?」
「あ? いや、煮卵に使うからよ、別に消費には困んねえわ」


 煮卵。ゆで卵と同じようなものだけど、負けた気がする。違う、完敗だ。
 そうか、煮卵か。今まで適当にゆで卵にしていたけど、煮卵もいいかもしれない。今度、ゆで卵にしたらやってみよう。


「お前、今日は何作んだ?」
「へ?」
「アイツにだよ」


 アイツ、と言われて、先輩のことを指しているのだとすぐに理解する。
 今日か。特に何も言われなかったからなんでもいいんだけど……卵買ったし、オムライスでいいかな。


「卵買ったからオムライスにしようかと、今思いつきました」
「今かよっ!?」
「いやあ、何も言われてないし、卵買いましたし、簡単に作れるからいいかなって」
「……お前、結構アイツの扱い雑だよな」
「あ、バレました?」


 そんな会話を買い物中、延々として、それぞれ会計を済ませた私たちはスーパーを出た。
 外はまだ空も明るくて、早めに買い物を済ませられたことにほっとする。今日は昨日より重いものは買っていないから、先輩の家に行くのに疲れはしないだろう。
 私はくるりと松葉先輩の方へ振り向いて、軽く頭を下げた。


「一緒に買い物してくれてありがとうございます」
「べっ、別に、そんな礼なんか言われることしてねえだろ!」
「いや、多分松葉先輩がいなかったら主婦の波に巻き込まれていたと思います」
「ん? あ、お、おう?」


 なんのことか分かっていない松葉先輩は、クエスチョンマークを浮かべながら首を傾げる。自分が一般人に避けられるような格好をしてるという自覚はないんだな。


「それじゃあ、私は先輩の家に行くので。松葉先輩はこのまま帰るんですか?」
「ああ。今日は帰ったら廊下の拭き掃除しろって、親父がうるせえからな」


 錫杖を自分の右肩に立てかけ、面倒くさそうに後ろ髪をがしがしと掻く松葉先輩。彼の話を聞いていると、どんなお父さんなのかちょっと想像できる。簡単に言えば、松葉先輩を厳格にした感じだと思う。……厳格な松葉先輩って、失礼だけどなんか嫌だな。彼は今のまま、お馬鹿な松葉先輩でいてほしい。


「じゃ、明日な。あっ! 遅れんじゃねえぞってアイツに言っといてくれよな!」
「はいはい、言っておきます。さようなら、松葉先輩」


 「絶対だぞ!」と怒鳴るように言いながら去る松葉先輩の背中を見送って、先輩の家に行こうと来た道を戻るように歩き出す。

 それにしても――先輩と松葉先輩の仲が良い方にいって、本当に良かった。このまま犬猿の仲だったらどうしようと諦めそうになったことはあるけど、二人の間に立って話をして、問題が解決して晴れやかな気分だ。
 妖退治を手伝うと聞いた松葉先輩の面白い反応も見れたし、先輩は同級生とコミュニケーションを取れた訳だし、一石二鳥どころの話ではない。
 話がこんなにうまくいくと、柄にもなくスキップしながら鼻歌を歌いたくなる。いや、しないけど。

 ――ああ、早く明日にならないかな。
 早く早くと急かす気持ちが体に現れたのか、自分でも知らない間に歩みを速めていて、気づけば視界には校門前の大きな時計が映っていた。

 昨日は登るのも億劫だった裏山も、今の私の敵ではない。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -