08


 商品がぱんぱんに詰められたビニール袋を両手に、裏山を目の前にして深呼吸をする。ここで溜め息なんかついていても仕方がない。歩かなければ、いつまで経っても先輩の家にたどり着けないんだ。
 いざ、気持ちを改めて山を登ろうと一歩踏み出した瞬間――視界に突然、ぼうっと燃え上がる青い炎が現れて、私は次に踏み出そうとした足を止めた。
 まさか、これが怪談話で定番の火の玉……?
 なんて驚きはしたものの、見覚えがあるその炎に、これは先輩の同居人(同居妖?)であるシロかクロだということを感じ取る。しばらく青い火の玉を見つめていると、それはあの時と同じようにぐらりと揺れると、黒い狐がその場に姿を現した。
 黒い狐ということは、彼はクロということになる。昼間は白い狐ばかり見ていたものだから、目の前に出てきた黒い狐に新鮮さを感じる。
 珍しいものだとクロをじっと見つめていると、私の視線に気づいたクロは空中でお座り(みたいな姿勢)をすると、まるで呆れたような様子で口を開いた。


「なんだ、その荷物の量は。一人と二匹の晩飯にそれだけの量を使うのか?」
「いや、その、これは自分の家の分も買っておこうかなと……」
「……帰りに買えば良かったのではないか?」


 狐の妖怪に痛いところを突かれてしまう。はい、そうです。全くその通りでございます。自分でもそう思いましたもん。


「買ってからそのことに気づいたって言うか……うん、そんな感じです」


 クロから顔を逸らしてそう言った後に、ちらりとクロに視線を向ける。クロは心底呆れたように、呆れすぎて溜め息の一つも出ないのか、私のことをただじとりと凝視していた。うう、狐の視線が刺さる。狐――しかも妖怪の狐に呆れられ鋭い視線を向けられるなんて、こんな経験は数少ない……いや、一生に一度だけかもしれない。
 私は中学三年生にして、とんだ貴重な経験をしてしまったようだ。


「どれ、一つ寄越せ」
「へっ? あ、いや、いくらなんでもクロに持たせる訳には……」
「フンッ。そこらの狐と一緒にするな。妖狐なのだから、そのくらいどうってことはない」


 そう言うとクロは私が右手に持っていた袋を口で掴み取り、それが軽いものであるかのように重さを感じさせない動作で、すたすたと私の先を歩く。まさか、あんなに小さい体で、しかも口で、商品が詰まった重いビニール袋を運べるなんて。
 クロは人間じゃないから仕方ないのだけれど、なんだか負けた気がしてもやもやする。くそう、今日は妙に敗北感を抱く日だな。
 荷物が減ったことによりいくらか体が軽くなった私は、先を行くクロを追って山を登り始める。やっぱり荷物を持ってもらうのと持ってもらわないのとじゃ、物理的にも精神的にも全然違うんだな。クロに持たせる訳には、なんて言ったけど、正直持ってもらって良かったかもしれない。クロに感謝だ。


「そういえばクロとシロって、玉葱とか食べれるの?」


 ふと、晩ご飯を作るに当たって気になっていたことを思い出した私は、クロの背中に向かって問いかけてみる。
 狐が食べれるものって犬と同じような感じだと本かテレビで見たことがあるような気がしたけど、実際はどうなんだろう。これは曖昧な知識ではなく、本人に聞いてみた方がいいよな。
 クロは私の問いを聞くと、そのピンと立った耳をぴくりと動かし――ずずず、と何やら重い空気を纏わせながら振り向いた。振り向いたクロは鬼のような形相をしていて、一体何事だと息を呑む。
 彼は袋を咥えた口を静かに開き、


「玉葱は、駄目だ」


 普段よりも重々しい、掠れた低い声でただ一言、そう言った。
 ……彼にも、いろいろあったのだろう。深く聞いてはいけないと悟った私は、そっか、と呟いてこの話を切り上げる。
 人間と妖怪。生きる年数も種族も違えど、この世で生きていれば様々な経験を積んでいくんだな。そうして知恵を重ねて、同じ過ちを二度と繰り返さないように懸命に生きていくんだろう。なんて、自分でもよく分からない悟りを開いてしまった。でも、さっきのクロは多分こんな感じだったと思う。
 大方、先輩が関係しているんだろうな。


「じゃあ、クロとシロのは玉葱とか抜いておくね」


 私の言葉を聞いたクロは、安心したように短い溜め息をつくと「すまない」と謝罪の言葉を口にする。別に謝ることじゃないと伝えると、クロは「いや、しかし、そういう訳には」とごもごもと言葉を詰まらせた。……シロと違って律儀な狐だなあ。
 未だにぶつぶつと何かを呟きながら先を歩くクロを、ただぼうっと眺めながら足を進める。
 ――妖怪なんて、悪さをするような奴らばかりのイメージがあったけど、存外そうでもないらしい。


 × × ×


 それから十数分後――クロとたわいない会話をしながら歩いていると、あっという間に先輩の家に着いた。
 赤い屋根に白い煉瓦で出来た、西洋風の大きな屋敷。白い煉瓦は所々黒ずんでいたり小さなヒビが入っていたりして、こうしてこの屋敷に訪れるのは二回目だけど――先輩の家だと分かっていても、“幽霊屋敷”なんて呼ばれていることについ頷いてしまう程、屋敷が放つ雰囲気は異様なものだ。
 クロは相変わらず私の前を歩いていて、彼が扉に近づくと、扉は誰かがノブを捻って開けた訳でもないのに、ぎいっと音を立てて静かに開く。その現象に少し驚いたけど、クロが然も当然のように屋敷の中に入っていくものだから、そういうものなんだな、と割り切ってクロに続いて中に入る。

 屋敷の中はあの時とは違い、天井にぶら下がるシャンデリアは本来の役割を果たしていて、ホール全体を明るく照らしていた。昨日の薄暗さから醸し出されていた幻想的な雰囲気とは打って変わって、目に優しい暖かな色合いの灯りのおかげか、なんだか懐かしいような、ほっと落ち着く空間となっている。
 違う顔を見せるホールをぐるりと見渡し見とれていると、クロは口に咥えていた荷物をホールにある机に下ろす。「帰ったぞ」とクロの声がホールに響き、その数秒後にどこからか扉を開ける音が聞こえてきた。がちゃりと音がしたのは、階段を正面に見てホールの左側からで、そちらを向くと探索していなかった扉の中から先輩とシロがひょっこりと現れる。
 先輩は私たちに気づくと、眉を垂れ下げ困ったような笑みで「おかえり」と口にした。シロはというと、先輩と言葉を重ねるように「おかえりー!」とはしゃぎながら、すいすいと宙を歩いて私に近づいてくる。


「ねーねー、ヤヨイー! ボクね、セイジューローのお手伝いしたんだよー。えらい?」


 開口一番。一体何を話すんだろうと思っていたら、シロは「褒めて褒めて」というように尻尾を左右に揺らしながら、そんなことを言ってきた。
 あまりの可愛さに膝からその場に崩れ落ちるところだった。私は両足にぐっと力を入れて、崩れ落ちることなくなんとか踏み止まる。……危ない、もう少しで私の中の何かが壊れるところだった。
 私は平然を装い「シロは偉いね」と言いながら、シロの頭に空いている右手を伸ばす。そのままわしゃわしゃと頭を撫でれば、シロは嬉しそうに目を細める。うぐ、やっぱりめちゃくちゃ可愛いぞ。


「ねえ、弥生ちゃん。俺は偉くないの? もうすっごい頑張ったんだけど」
「え? ああ、先輩も頑張りましたね、ありがとうございます」
「クロぉー弥生ちゃんが俺に冷たいー」
「ええい近寄るな莫迦! 大体、お前が常日頃から片付けておけばいい話だろう。おい、人の話を聞け抱き着くな鬱陶しい!」


 泣き真似をしながらふらふらとクロに近づき、先輩はクロに抱き着こうと両手でクロの胴体を掴む。クロは抵抗するように、抱き着かれまいと先輩の顔に尻尾をびたびたと叩きつける。
 それが少し羨ましいなんて、私はこれっぽっちも思っていない。あのふわふわした尻尾に叩かれてみたいなんて、本当に米粒程も思っていないぞ。
 しばらく彼らのことを見ていると、先輩のしつこさに負けたクロがぜえぜえと息を切らせながら、先輩の腕の中にすっぽりと収まった。先輩はクロをその腕に収め満足したのか、にこにこと子供みたいな笑顔を浮かべた。うん、この先輩、ご満悦である。


「あ、キッチンはちゃんと片付けておいたから、フライパンとか食器も遠慮なく使ってね。調味料もいろいろあるから、好きなものを好きなだけ使っていいよ」
「それじゃあ、有り難く使わせていただきます」
「うん。俺は邪魔にならないようにシロたちと遊んでるから、出来上がったら教えてね」


 先輩は私の隣にいるシロに「シロは弥生ちゃんとじゃなくて俺と遊ぼうか」と声をかけて、シロは渋々と私から離れて先輩の下へ行った。先輩はクロを腕に収めたまま、シロを引き連れてホールの中央にある階段の二段目に腰を下ろす。
 するとクロは「離せ」と再び抵抗を始め、先輩は「えー、やだ」といたずらっぽく笑い、シロは「クロばっかりずるいー」と、一人と二匹でわいわいと騒ぎ始めた。
 随分と仲が良いんだな。
 彼らの様子をぼんやりと眺めた後、よし、と気合を入れてクロが机に置いたビニール袋を手に取り、先程先輩とシロが出てきた扉へ向かう。右手に持った袋を手首にぶら下げ、扉のノブを掴み捻る。そのまま扉を引くと、ホールの灯りとは違う白い光が目に入る。

 扉を開けた先には、白や茶色を基調とした落ち着いた雰囲気のダイニングキッチンがあった。キッチンの正面にテーブルと椅子が並べられていて、キッチンの背後に冷蔵庫や食器棚、他にも炊飯器や電子レンジなどがずらりと綺麗に置かれている。
 この屋敷には、外観と家の中のギャップといい驚かされてばかりだ。学園の生徒から“幽霊屋敷”と呼ばれている屋敷の中が、まさかこんなに立派で綺麗だなんて思ってもなかった。人は見かけによらないのと一緒で、家も見かけによらないんだな。
 ……家は住人に似る。


「さて」


 くだらないことを考えてる場合じゃない。
 私は両手に持ったビニール袋をテーブルの上に置き、今から使う材料を袋から取り出して、それらを何度かに分けキッチンの方へ運んでいく。必要な材料全てをキッチンに並べ、シンク下の引き出しを開けてみるとそこには鍋やフライパンなど、様々な調理器具が整頓されていた。その整頓された調理器具を見て、これは先輩がとりあえず大きいものから小さいものへ積んでいったものだとすぐに分かる。ぱっと見ただけでもいくつか水分が拭き取れていない鍋があって、思わず溜め息を溢す。
 まあ、家事ができない先輩とシロなりに頑張って片付けてくれたんだ。文句なんて一つもない。
 整頓された調理器具の中から、肉じゃがと味噌汁に使う鍋を選んで二つの鍋をIH調理器の上に置く。
 ついでに他の引き出しや食器棚、冷蔵庫を一通り覗いてみて、どこに何があるのかの把握をする。肉じゃがと味噌汁に使う調味料はちゃんとあるし……ご飯は、今から炊くには微妙な時間だ。冷蔵庫で冷凍されていた“5月14日”と、昨日の日付が書かれたご飯を解凍して使わせてもらおう。

 この部屋に飾られた時計を見ると、時刻は午後6時前。
 さっさと先輩たちの晩ご飯を作ってしまおうと、シンク近くのスタンドに収納されている包丁とまな板を手にした。


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