07


 学園から徒歩15分程で、商店街の中心にある、そこそこ大きいスーパーにやって来た。
 時間が時間だから、店は買い物をしに来た主婦たちで賑わっていて、自動ドアは店内を出入りするお客さんに合わせ絶え間なく開閉を繰り返している。店内へ入っていく主婦の後ろについて、自動ドアを抜け入り口に置かれた買い物カゴを手に取り、まずは精肉コーナーへと向かう。
 精肉コーナーは店に入って左側の通路を少し進んだところにあり、豚肉、牛肉、鶏肉などが種類別に綺麗に陳列されている。私は牛肉が並べられた列の前で止まり、いくつかの牛肉を見比べて「これだ」という物を買い物カゴへ入れた。
 使う肉が決まれば、次はしらたきだ。しらたきは精肉コーナーから近い場所にあり、特に悩むことなくいつも買っている物を手にする。
 さて、残る問題は……野菜である。今日は野菜の特売日で、それを狙ってこのスーパーに訪れる主婦が多い。先程、絶え間なく開閉を繰り返していた自動ドアがそうだと物語っている。重要なのは値段より、いい野菜が残っているかどうかだ。
 野菜コーナーに足を向け、買うべき野菜を頭の中で整理する。とりあえず必要なのは、先輩たちの晩ご飯に使うじゃがいも、人参、玉葱くらいか。後は自分の家の物だけど……味噌汁が飲みたいから、切らしている葱と大根でも買っていこうかな。
 あ、味噌汁といえば、先輩にも味噌汁を作った方がいいかな。肉じゃがだけというのも可哀想だし、肉じゃがと味噌汁なら残れば明日の朝に食べられるだろう。と、なると、豆腐や油揚げも買わなくてはいけない。野菜を無事手に入れたら、豆腐と油揚げも取りに行こう。
 一通り整理が終わると、丁度いいタイミングで野菜コーナーにたどり着く。
 まずは確実にゲットしなければならないじゃがいも、人参、玉葱が置かれた棚に向かい、棚に並べられた残り少ない数の中から一番いい物だと思った物を手に取りカゴに入れる。葱はそれらと同じ列に置かれていて、葱も無事に手に入れることができた。
 これで残るは大根のみ。大根は今いる列から一つ前の列に置かれていて、見たところまだ数はあるし、私は余裕を持って列を移動する。大根が置かれる棚の前に立ち、どれにしようかと並べられた大根の一つを取ろうと手を伸ばす。
 すると、視界の隅から誰かの手が伸びてきて、私が取ろうとした大根を掴んだ。突然の出来事に私は驚いて、反射的に謝罪の言葉を口にする。


「あっ、すみません」
「いや、こっちこそ悪、い――って、あぁーーーーっ!!?」


 近い距離でいきなり叫ばれたものだから、耳の奥がキィンとなって、思わず横に飛び退いてしまう。
 私の言葉に反応したのは男性の声で――どこか聞き覚えのあるその声に、声の主を確認しようと男性の顔を見上げる。見上げた先に見つけた顔は、今日、出会ったばかりの顔だった。
 忘れたくても忘れられない派手な金髪、その前髪を押さえるカチューシャに、学ランこそ着ていないもののパーカーは学園で見た物と同じで、しゃりんと音を鳴らす錫杖もどこにも見当たらないが――そこにいた彼は、間違いなく松葉智親で。
 松葉先輩は私を指差し、開いた口を金魚のようにぱくぱくと震わせ――なんともまあ、間抜けな顔をして固まっている。そんな松葉先輩の間抜けな顔を見たおかげで冷静さを取り戻した私は、周りの主婦たちの視線にはっと気づく。驚いてこちらをただ呆然と見つめる人、ひそひそと顔を顰めちらちらと見てくる人。「大丈夫かしら?」なんて声が聞こえてきて、このままでは、何か勘違いした主婦が店員を呼んでしまうかもしれない。


「ま、松葉先輩! いやあ、奇遇ですね! 松葉先輩も買い物ですか!?」


 私はあらぬ誤解を生まないように、恥を捨てて、周りの人に聞こえるように少し大きな声で松葉先輩に話しかけた。松葉先輩は一瞬、私の声の大きさにぽかんと口を開けたまま首を傾げる。だけど、すぐに今の状況を把握したのか、彼は私に合わせるように声を張り上げた。


「おっ、おお、おう! 親父がぎっくり腰になっちまったからなあ! その、だからオレが買い物にな!?」


 ちょっと大袈裟な私たちのやり取りを見て、主婦たちはなんだ、というようにそれぞれの買い物を再開しだす。ちらりと周りに目を配り、私と松葉先輩は、はあっと大きな溜め息をついて胸を撫で下ろした。


「いきなり叫ばないでくださいよ、びっくりしたじゃないですか」
「う、うるせえな! お前がこんなとこにいるから、こっちだってビックリしたんじゃねえか!」
「いやいや、それはこっちの台詞ですよ。松葉先輩が買い物だなんてキャラじゃないですって。なんですか? 初めてのおつかいですか?」
「初めてじゃねえっつーの! オレだって4歳からおつかいしてんだぞ!」


 あ、突っ込むところそこなんだ。
 松葉先輩は、予想とは違うところに突っ込んでくる。いや、私もそういうところが面白くて遊びたくなるんだけど。なんというか、松葉先輩って案外天然な人だな。でも、松葉先輩は天然っていうより小学生の方がしっくりくる。


「お前だって、その、……や、やよい? だったか? なんでこんなとこにいんだ?」
「……ああ、そういえば名前、言ってませんでしたね。私、佐倉弥生って言います。佐倉は佐藤さんの佐に名倉の倉、弥生は……弥生時代の弥生です」


 松葉先輩特有(なのかな)の平仮名発音に、自己紹介をしていないことを思い出した私は、名乗ったついでに漢字の書き方まで教えた。松葉先輩はその説明でぴんときたのだろうか、「そうか、弥生か」と確認するように声を溢す。
 そしてついでのついでに、私は先輩の漢字も教えてあげた。何故かというと――まあ、個人的に松葉先輩の「やましたせいじゅうろう」という平仮名発音が気になって仕方がなかったからだ。
 「苗字は、月の夜の里でやましたで」と、左の手の平に右手の人差し指で書いていく。誠十郎は先輩自らが教えてくれた通りに、「誠に十時の十、おおざとの郎です」と先輩の名前を手の平に書いてみせる。それを見た松葉先輩は、「月の夜の里でやましたなんて、変わってんな」と不思議そうに呟いた。
 月夜里なんて、滅多に見ない漢字だからな。私も小説の知識がなければ、これが“やました”と読めなかっただろう。


「私はあれですよ、その月夜里誠十郎のとんでもない食生活を正すべく、こうして彼の晩ご飯を作るための食材を買いに来てるんですよ」
「……お前、本当に中学生か?」
「そんなガチトーンで聞かないでください。……それで、松葉先輩は? お父さんのために買い物ですか?」


 そう聞くと、松葉先輩は「まあ、そうだな」と少し照れ臭そうに答える。なんだ、変なところで素直じゃない人だな。


「大根が入った味噌汁が飲みてえとか言うからよ、大根買いに来たんだ」


 これでいいだろ、と適当に目の前にあった大根を掴む松葉先輩。彼が手にした大根を見て、私はつい「その大根じゃ駄目ですよ」と口を出してしまう。


「あ? なんでだよ」
「ほら、その大根、緑の白の境目が曖昧じゃないですか。色はしっかり付いてる方がいいですよ。あと、ひげ根が螺旋状にあるのは辛いですから、ひげ根は直線的にある方が甘くておいしいです」


 何が駄目なんだと眉間に皺を寄せる松葉先輩に、彼が手に持つ大根を指差して一つひとつ説明する。それらを説明し終えたところで私は別の大根を棚から取り上げ、その大根を先輩に差し出した。


「こっちの方がいいと思いますよ」
「……お前、ほんっとうに中学生か!?」
「中学生ですってば」


 私が中学生だということに文句でもあるのだろうか、この人は。大根の甘い辛いの見分け方なんて、調べればすぐに分かることだ。
 目を見開き驚きを隠せずにいる松葉先輩を横目に、先輩と自分の家で使う大根を二つ選ぶ。
 よし、野菜も必要なものは手に入れた訳だし……あとは豆腐と油揚げを買えば、終わりだな。


「私は豆腐と油揚げを取りに行きますけど……松葉先輩は家にあるんですか?」
「お、おう。それは家にあるから大丈夫だ」
「それじゃあ、これでお別れですね。まあ、どうせまた明日会うでしょうけど」


 松葉先輩に一礼して、私は彼に背を向けて豆腐と油揚げを買うために歩き出す。後ろから「また明日な!」なんて大きな声で言う松葉先輩に、やっぱり中身は小学生だなと呆れる。今時、女子中学生に「また明日な!」と元気に別れを告げる男子高校生がいるだろうか。いや、さっきまで目の前にいたけど。
 豆腐と油揚げが置かれたコーナーに着いた私は、しらたきと同じように、いつも買っている物をカゴの中に入れた。
 カゴに入った商品を確認して、買うべき物を全て手に入れた私は会計を済ませるためにレジへと足を進める。レジは比較的空いていて、あまり待たされることなく会計は難なく済んだ。レジの先にあるサッカー台に商品が入った買い物カゴを運び、貰ったビニール袋に商品を詰めていく。袋詰めが終わり二つの袋を両手に持つと、さすがに大根二つは重く両腕が重さに引っ張られる。
 これを持ってあの山を登るなんて、自分の家の分も買ったのは失敗したな。先輩の家で晩ご飯を作った帰りに買えば良かったかもしれない。
 しかし、買ってしまったものはしょうがない。私は気を取り直して必死に背筋を伸ばし、早く先輩の家に向かおうとスーパーの自動ドアを抜けて外に出る。

 外はまだ夕日が出ていて明るいものの、空は暗い色を少しずつ広げていた。
 暗くならない内に早く先輩の家に行こう。
 先輩の家がある学園方向へ体を向けた時――背後から、「おい」と誰かを呼び止める声が聞こえてくる。誰を呼び止める声かは分からないけど、聞こえたからには気になって私は声がした方に振り向く。
 そこには、大根を左手で鷲掴みにして仁王立ちする松葉先輩がいた。彼の堂々たるその立ち姿に、私は言葉が出てこなくて、その場に硬直する。多分、呆れて言葉も出ないんだと思う。私は冷静に自己分析した。


「お前、アイツに晩ご飯作るってことは、今からあの山登りに行くんだろ? 学園まで持ってってやるよ」
「へっ? あ、いや、別にいいですよ――って、言ってるのに、なんで先輩たちって人の話を聞かずに勝手に荷物を取っていくんですか!」


 松葉先輩は私の鞄を勝手に奪っていった先輩のように、人の話を聞かずに右手に持っていた重い方の荷物をさり気なく取って、学園がある方向へ歩き出す。ずんずんと先に行ってしまう松葉先輩の背中を、小走りで追って彼に追いつく。


「あの、松葉先輩、荷物なんて持ってくれなくても……」
「アイツに会ったらよ」


 私の言葉を遮るように、松葉先輩は背を向けたまま、後ろにいる私に聞こえるような大きな声を上げる。


「急に余計なこと頼んじまって悪かったなって、昼間の話は忘れてくれって、伝えちゃくれねえか」
「……えっ?」


 ――一体、どういう心境の変化なのだろう。
 松葉先輩の口から、耳を疑うような言葉が発せられる。
 そんな、突然、忘れてくれなんて言われても、正直私が困る。先輩と松葉先輩には、ただの私の我が儘だけど、この出来事を機に話すようになってほしい訳で。


「頭冷やして考えてみりゃ、アイツが言う通り、これはオレがどうにかしなきゃいけねえ話だ。月夜里誠十郎は腹立つ奴だけどよ、言ってることは正しい。これは、他人の力を借りて解決する問題じゃねえ」
「い、いやでも、先輩だって、手伝わないなんて言った訳じゃないですし、諦めてどうするんですか」


 松葉先輩が諦めてしまったら、元も子もないじゃないですか。
 せっかく、先輩と話せる人ができると思ったのに。


「諦めるしかねえよ。男はなあ、たまにはきっぱり諦めることも必要なんだよ。いつまでもタラタラと引きずっても仕方ねえ」
「……こなら、……で、……さいよ……」
「は? なんか言ったか?」


 胸の奥から込み上げてくる、自分でもよく分からない感情に、うまく言葉が出ない。何故か、肩が震える。
 それは悲しみにも、怒りにも似たようなもので――私は、松葉先輩が右手に持っていた袋を無理矢理掴み取って、彼の前に歩き出る。
 男はなんたらとか、かっこいいようなことを言って、諦めて結局はどうするっていうんだ。松葉先輩のことだから、どうせ解決策すら浮かんでないのに諦めるとか言っているのだろう。そう考えると、何故か無性に腹が立ってきた。
 松葉先輩の前を数歩進んだところで、私は勢い良く振り向く。視界に入った彼は、状況が分からないというように相変わらず間抜けな面をしていた。


「男なら! 諦めないでくださいよ! もう松葉先輩が手伝わなくていいとか泣いて言っても私は聞きませんからね! 絶対手伝わせてやるんですから! 覚えとけよ!!」
「ああっ!? なっ、んだテメェ! おい馬鹿! 待ちやがれ!!」
「松葉先輩のボケナスあんぽんたん! 明日のお昼に屋上で待ってますからねこの野郎!」


 足を速める私に対しての制止を求める声を無視して、重い大根が入った二つのビニール袋を両手に、松葉先輩の視界から消えるように全力で走る。
 ――こんなムキになって、先輩に向かって暴言なんて吐いて、何をしているんだろう。
 別にこれは、私には関係ない、先輩と松葉先輩の問題だ。私がどうこう言って、解決させればいいって話じゃない。そう分かっているのに、黙っていることなんてできなかった。
 余計なことを、言ってしまったかもしれない。なんて後悔しても、もう遅い。
 後悔先に立たず。
 むしゃくしゃした気持ちのまま、気が済むまで走り続ける。両足が痛くなってきた気がするけど、ビニール袋を手放しそうになるけど、私はただ走り続けた。

 どれくらい走ったかなんて分からないけど、ふと気づくと、私は学園の校門前まで着いていた。目の前に立つ大きな時計に目をやれば、時刻は5時半前。校門前には、部活帰りの生徒たちがちらちらといる。
 時計と生徒たちを交互に見て急に冷静になった私は、はああっ、と今日一番長い溜め息を溢した。
 ああ、自分がしたことが馬鹿みたいだ。私が感情的になる必要なんて、これっぽっちもないのに。……先輩に、なんて言えばいいんだろう。とりあえず、松葉先輩に言われたことはちゃんと伝えなきゃいけないし――うう、どんな顔で先輩に話せばいいんだろう。いや、顔なんていつも父親譲りの仏頂面なのだけれど。
 くよくよしながら校門を潜り、先輩の家がある裏山へ続く道へ入る。途中、生徒の何人かに不思議そうな顔で見られてた気がするけど、今はそんなことを気にする程の余裕がない。
 重い荷物を両手に全力疾走したせいで、足取りがふらふらと覚束無い。なんとか足を動かして、顔を上げるとすぐそこにある裏山を目にすると、思わず溜め息が出た。

 私だって、どこでもドアが欲しいよ。


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