04


「妖退治を手伝えって、どうして?」


 頭を下げるなり「頼む」と口にした松葉先輩を目の前にして、先輩は明らかに面倒臭そうな声色で言葉を返した。
 そりゃあ、今まで散々自分に突っかかってきた相手がいきなり「妖退治を手伝ってくれ」とお願いしてきたんだから、そんな態度になってしまうのは仕方ないと思うけど……もう少し、オブラートに包めないのだろうか。


「……実は」


 松葉先輩は問いに答えようと、地に向けていた視線を先輩に移して口を開くが、「実は」の続きが言いにくいのか口ごもる。
 私は顔を松葉先輩に向けたまま、横目でちらりと先輩の表情を窺う。先輩は意味ありげな薄い笑みを顔に貼り付けながら、松葉先輩をただじっと見つめていた。
 その笑みに、私は得体の知れない恐怖を感じる。このままでは、痺れを切らした先輩がどんな奇行に走るか分からない。今の先輩なら、屋上から見える中庭の池に松葉先輩を突き落としてしまう可能性だってある。うん、先輩ならやりかねない。


「実は、なんですか? ちゃんと口にしなきゃ、先輩も分かりませんよ」


 先輩が犯罪者にならないように、松葉先輩が池に落ちないように、そして何より自分のために話の続きを促した。私の言葉を聞いた松葉先輩は、「お、おう。そうだよな」と一度深呼吸をしてから、なんだか申し訳なさそうな雰囲気を漂わせる。


「親父がぎっくり腰になってから寺の“結界”が弱まっちまって、よくねえ妖が寺に入ってくるようになったんだ。今はまだ人に危害は加えてねえけど、それもいつまで続くか分かんねえ。だから、早いとこ奴らを退治したいんだが……その、恥ずかしい話、オレは祈祷師としてはまだまだ未熟で、オレ一人でどうにかできる問題じゃねえ。だから――」
「だから、俺に妖退治を手伝えってこと?」


 話を遮るように発せられた先輩の声を聞いて、松葉先輩は唾をごくりと飲み込み一瞬言葉を詰まらせた。


「……ああ、そうだ。頼む! オレもついカッとなって散々言っちまったが、頼まれてくれねえか! 都合がいいなんてことは分かってる! けど、親父の代わりにオレがなんとかしてやんなきゃいけねえんだ……!」


 そう言うと松葉先輩は先輩に向かって、もう一度深く頭を下げる。錫杖を握っている手には強い力が入り、彼の右手は小刻みに震えていた。
 この松葉先輩には、とことん驚かされる。えらく派手な容姿から不良だと思えば、中身は小学生のように単純で幼く、稚拙な言動が目立つと思えば、礼儀はきちんとしているし自分自身の力量も弁えていて。
 今の今まで言い争いをしていたといっても、こんな頼まれ方をされたんじゃ、いくら先輩でも松葉先輩を見直して彼の頼みを引き受けてくれるはずだ。お父さんのぎっくり腰の原因は先輩にある訳で、丁度いい罪滅ぼしにもなりそうだし。むしろ、断る理由もないだろう。


「なら、君がなんとかしてやればいいんじゃないかな」
「……はっ?」


 先輩の口から出てきた言葉に耳を疑う。思わぬ返答に彼の顔を見れば、先輩は松葉先輩から視線を外してどこか宙を見つめていた。
 この人は一体、何を言ってるんだ。松葉先輩の話をちゃんと聞いていなかったのだろうか。いや、そうじゃないと、そんな無責任な台詞を吐ける訳がない。
 動揺を隠せないのは私だけではなく、松葉先輩も同じ心境だったようで、彼は下げていた頭を勢い良くばっと上げて先輩の肩に掴みかかった。


「お、おい! お前、話聞いてたのか!? 確かにオレがなんとかしなきゃとは言ったが、オレ一人じゃ未熟でどうにかできる問題じゃねえって……!」
「親父さんのぎっくり腰が治るまで、君が頑張ればいい話だろ? よくない妖って言っても小物ばかりだろうし、そんなすぐに危害を加える奴らじゃないよ」
「お前なあ! なんかこう、罪悪感とか罪滅ぼしをしようとか、これっぽっちも思わねえのか!? はっきり言って親父のぎっくり腰はお前に原因があんだぞ!」
「いや、だからそれは悪かったと思ってるよ? でもさ、妖退治にも俺なりのルールがあって、こっちの世に大した影響を及ぼさない妖に手は出さないことにしてるんだ」
「今はそうかもしれねえけど! 小さい奴らが集まって、それこそこっちにとんだ迷惑をかけるくらい大きくなっちまったらどうすんだよ!」
「その時はその時、俺が退治するから」
「なら今やっても変わりねえだろ!?」
「あーっ! はい! とりあえず二人共落ち着きましょう、ね?」


 放っておけばヒートアップするだけで、このままでは埒が明かない。そう思った私は二人の間に割って入り、お互いに距離をとらせた。先輩は落ち着いた様子で松葉先輩に掴まれた肩を手で払うような動作をして、松葉先輩はというと、息を荒げ肩を大きく上下に揺らしながら先輩を睨んでいた。
 この二人は、火である松葉先輩に油を注ぐ先輩というか――まるで、水と油のような関係だ。互いに気が合わず、異質で溶け合わない。初対面でこうも反発し合うなんて、二人は前世から何か因縁でもあるのだろうか。なんて、くだらないことを思ってしまう。
 いや、そんなことより。このまま落ち着かせてからまた話をさせても、状況は変わらない。というより、二人の仲が悪くなるばかりだ。松葉先輩には悪いけど、今日のところは彼に引いてもらうしかない。


「あの、松葉先輩。申し訳ないんですけど、今日のところは引いてもらえませんか……?」


 私は先輩に聞こえないように、小さな声で松葉先輩に話しかける。


「はあ? んな簡単に引くなんて……っ!」
「後で私から先輩に言っておきますから。今の先輩はもう、何を言っても何も聞きませんよ」
「ぐっ……! ……くっそ、分かったよ!」


 案外、あっさりと私の言葉に従ってくれた松葉先輩。彼は小さな舌打ちをして私たちに背を向けると、乱暴な足取りで校内へ続く扉に向かう。
 松葉先輩は扉のノブに手をかけて、それを回す前に体ごとぐるりと振り向く。
 そして右手に持った錫杖を先輩に突きつけて、


「明日も頼みに来てやるからな!」


 それだけを言うと、扉を開けて校舎内に足を踏み入れ、力任せに扉を閉じた。バァン、という大きな音を耳にして思わず溜め息を溢す。松葉先輩は引いてくれた、けど――一番の問題はまだ、残っている。
 私はいつも無意識に力が入っている眉間に、更に力を入れて先輩に目を向けた。彼はただ、ぼうっと空を見つめているだけで、その態度から反省の色は全く見られない。


「先輩。いくらなんでも、あんな言い方は駄目じゃないですか」
「いやー、でもさ、俺からしたら関係なくない? むしろ今俺に関係あるのは、弥生ちゃんのパンツが何色なのかって話だから」
「そんな話1ミリでもしたことありました? 真面目に田んぼに植えますよ?」


 何故、今この場面で私のパンツの話が出てきたのだろうか。松葉先輩と話してから、先輩の知能指数が低くなった気がする。
 ……いや、最初からこんな感じだった気がしてきた。


「まあ、でも、うん。酷い言い方はしたと思ってるよ。けど、俺にも俺のルールがあるのは本当なんだ。奴らがこっちに手を出すまで、俺も奴らに手は出さないよ」


 私の鋭い視線から逃れるように、先輩は顔を逸らしながら話を戻す。
 一応、自覚と罪悪感はあるらしい。
 先輩はさっきから「俺なりのルール」だの「俺にも俺のルール」なんて言っているけど、無闇に、手当たり次第に退治してる訳じゃないんだ。昼休みに二人で話していた時も、「人の世に迷惑をかけてる奴を退治してるだけ」と言っていたし、そこは少し意外というか、先輩も先輩なりに物事を考えてるんだな。


「手伝わないとは言ってないんだけどね、彼も話を聞かない奴だなあ。早い内に退治した方がいいっていうのも分かるけど、奴らが小さい内は手伝えないよ」
「じゃあ、大きくなったら手伝うんですか?」


 その問いに、先輩は自分の首に手を回して悩むように俯いてから「まあね」と小さな声で呟く。
 ああ、そっか――友達付き合いが今までなかった先輩のことだ。松葉先輩にああ言った後に、改めて手伝うとは言いにくいのだろう。例えるなら、友達と喧嘩をして仲直りの「ごめんなさい」が言い出せない小学生男子、といったところか。
 正直な話、私としては今回の出来事を機に、先輩には松葉先輩と友達――とまではいかなくても、話す相手くらいにはなってもらいたい。先輩と同じように、見えないものが見える人なら尚更だ。先輩も同学年に話す人ができれば、もう少し学校が楽しくなるかもしれないし。
 これはなんとしても、松葉先輩の頼みを引き受けてもらわなければならない。だけど、今私が頼んだところで先輩は首を縦に振らないだろう。
 晩ご飯で釣るか……?
 いやいや、そんな卑怯な真似はしたくない。これはあくまで最終手段だ。


「明日も頼みに来るって言ってたし、その時に先輩の事情も話せばいいんですよ。松葉先輩も冷静になってるはずですから、話は聞いてくれますよ、多分」
「最後の多分が気になるけど……うん、明日のことは明日考えよっか」


 そう言って、先輩はシロがいる日当たりのいい場所へ歩いて――そして徐に、日向ぼっこをしているシロの隣に寝転がった。
 思わず二度見するくらい、自然に寝転がった。


「なんで寝転がるんですか!」
「えー、だって授業始まっちゃったし、次の授業まで寝てようかなって」
「今から行けばいいじゃないですか」
「やだよ、みんなからの視線が刺さるじゃん」


 あの一瞬の沈黙が心に刺さるんだよね。と、彼は言葉を付け足す。
 案外メンタルが弱い先輩だった。まるで絹豆腐のようである。


「……それじゃあ、私は行きますからね」


 マイペースな先輩を羨みながら、いつまでも高等部の屋上に居座る訳にはいかないと、寝転がる先輩とシロを置いて中等部の校舎に戻るために彼らに背を向ける。


「えっ、弥生ちゃん、行っちゃうの?」


 校舎へ続く扉を目指して一歩踏み出した瞬間に、背後から私を制止させる声が聞こえた。
 まだ何か用があるのだろうか。小さく溜め息をついて緩慢な動作で振り向くと、先輩は自分とシロの間を一人分空けて、まるでここに寝転がれと言いたげに私の目をじっと見てきた。
 ……いいや、私はその誘いには乗らないぞ。日向ぼっこをするシロが可愛いとか、私も少し寝ていこうかとか、そんなこと少しも考えてないからな。


「ぐっ……わ、私はその、行かないと成績表がですね」
「えーっ、ヤヨイ、行っちゃうの?」
「20分! 20分だけですからねほんと!」


 やっぱりシロの可愛さには勝てなかった。
 横になっていたシロはころんと転がってうつ伏せの体制になり、先輩と一緒に私をじっと見つめてくる。そんな目で見られたら、帰れるものも帰れなくなるだろ。
 私は仕方なく(本当に仕方なく)、先輩とシロの間のスペースに仰向けに寝転がった。屋上の床は硬くて背中と頭が少し痛いけど、まあ、たまにはこういうのも悪くないかもしれない。


「そんな切羽詰まった顔で寝転がらなくても」
「20分経ったら行きますからね!」
「はいはい」


 先輩は呆れたように苦笑を浮かべて、私と同じように仰向けに寝転がる。なんで先輩に呆れられたのか解せないが……日の光が暖かくて気分が良くなってきたから、そんなことは気にしないでおこう。
 思えば――こうして何も考えずに、寝転がってゆっくりと時間を過ごすなんて、久しぶりかもしれない。
 たまには、だらだらと意味のない時間を過ごしても、いいよね。うん、そうだ、息抜きも必要だ。とか、都合のいい言葉で自分に言い聞かせる。


「弥生ちゃん」
「はい?」


 と、物思いに耽けていると、隣に寝転がる先輩が私を呼んだ。一体何事だと、顔だけを先輩の方へ向ける。彼は仰向けのまま、目の前に広がる青空をぼうっと眺めながら、


「晩ご飯は肉じゃががいいな」


 そんなことを口にして、緩りと瞼を閉じた。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -