03


 校内に鳴り響くチャイムをぼんやりと聞きながら、私は思考する。目の前に突如現れた、身の丈程の錫杖を手に持つ金髪の男子高校生が、荒れた息を整えるのを眺めながら。

 さて、この状況、どうすればいいのだろうか。
 私としては、午後の授業を受けるために一刻も早くこの場を去りたいのだが、この人が口にした「月夜里誠十郎」という名前を無視して去る訳にはいかない。いや、去った方が私の身の為なんだろうけど――“普通”の生徒が「月夜里誠十郎」に用があるなんて考えられない。まあ、錫杖なんて物を持ち歩いてる人が普通でないことは一目瞭然なのだが。
 これは何か事件の匂いがするぞ。面倒事に巻き込まれるのは嫌いだが、この金髪の男子生徒が先輩に一体どんな用があるのか興味が出てきて、彼が息を整えてから目的を聞こうと、私は向こうから話を切り出すのを大人しく待つことにした。
 階段の上から、錫杖を手にした金髪の男子高校生を見下ろす女子中学生。傍から見れば異様な光景である。


「はっ、はーっ、……ふう、よし、そこのお前! A組の、やましたせいじゅうろうと一緒にいたって中等部の奴だよな!」
「え、ええ、そうですけど」


 噂が回るのは早いもので。こんな、噂話に興味なさそうな人の耳にも入るなんて、あの先輩、実はなんかとんでもないことを仕出かしたりしてるのだろうか。
 男子生徒は私の返答を聞くなり、階段をだんだんと上って私のすぐ目の前までやって来た。彼が動く度に錫杖の頭に掛けられた鐶がしゃりん、と鳴る。


「その、やましたせいじゅうろうに会わせろ! 今すぐに!」
「会わせろ、って……あの、高等部の人ですよね? 休み時間に会いに行ったりとか、しなかったんですか?」
「休み時間に行ってもアイツ教室にいねえんだよ! 授業はサボれねえからこうして休み時間になるたんびに走り回って探してんのに見つからねえんだ!」


 そう言って階段に座り込んで頭を抱える彼に同情してしまう。確かにあの人、休み時間に大人しく教室にいるような感じしないもんな。


「だから、お前がアイツといたって聞いてぶっ飛んで来たんだよ……なあ! アイツ今どこにいるんだっ!?」
「わっ、ちょっ、急に縋り付かないでくださいよみっともない! 男なら自分の足でちゃんと立って生きてください!」
「なんでオレ初対面の女子中学生に人生の説教みたいなことされてんだ!?」


 うむ。金髪って見た目で少し悪い人なのかと思ったけど、意外と反応が面白い人だった。


「まあ、そんな話は置いといて。先輩にどんな用なんですか?」
「それはその……お、男同士の用だよ! 女のお前には関係ねえ用だ!」
「なんですかその怪しげな用は」


 男同士の用。男同士の約束ならともかく、男同士の用とは一体どんな用なのだろうか。
 見ず知らずの私に話せない用となると、もしかして妖関係のことなのかもしれない。錫杖も持ってるし、先輩に関係ありそうなそれっぽい雰囲気だ。だがしかし、だからといって私に用件も伝えないような人を易易と先輩の元へ行かせる訳にはいかない。
 なんて言ってみたけど、本当はただこの人で遊びたくなっただけなのだが。


「先輩の元へ行きたくばこの私を倒してからにしてください」
「倒す!? なんだお前あれか、ラスボス前の四天王の一人かっ!」
「私を倒さなければ先輩の居場所は教えられませんよ」
「くっ! お前、女子中学生の皮を被った狐か! 他の奴は騙せてもオレは騙されねえぞ!」


 いや、騙されてるのはあなただけなんですけどね。
 なんともまあ単細胞な人だった。
 さあ、ここからどう話を進めていこうか。そう考えている時に、


「あれ、弥生ちゃん? まだこんなところにいたの?」


 と、ついさっきまで聞いていた先輩の声が頭上から降ってきた。
 その声を聞いた私は振り向いて、金髪の男子生徒は見上げる姿勢をとる。更に言えば、私は腕を組んで仁王立ちをした状態で振り向いて、男子生徒は錫杖を構えて私を指差している状態で見上げていた。そんな私たちを交互に見やって、先輩は今まで見たこともない真剣な表情を浮かべる。


「弥生ちゃん、恐喝……?」
「なんで私が恐喝してる側みたいに聞いてくるんですか。あと恐喝でもなんでもないですよ、ちょっとした遊びです、遊び」
「なっ……! お前オレのこと騙してたのか!?」
「勝手に騙されたんでしょう!」


 私はラスボス前の四天王の一人を演じていただけで、女子中学生の皮を被った狐を演じていた訳ではない。私に罪を被せようなんてお門違いだ。


「それより弥生ちゃん」
「なんですか?」
「もう本鈴鳴っちゃうよ」


 先輩が言い終わったと同時に。午後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。先程鳴っていたのは予鈴で、どうやらこちらが本鈴だったらしい。このまま教室まで走って遅れて授業を受けるのもいいけど、今の私は授業よりもこの金髪の男子生徒の話が気になって仕方がない。先生には、まあ、後で保健室に行っていたことにしよう。


「授業はいいですよ。それより先輩、この人が先輩に用があるって……」
「え? 俺に?」


 自分を指差して先輩は首を傾げる。
 はい、用件をどうぞ。そういう意味を込めて、金髪の男子生徒に視線を送った。彼は状況が飲み込めないのか、先輩と同じように首を傾げている。


「月夜里誠十郎ってこの人ですよ」


 そう言うと、金髪の彼はやっと理解したのか――右手に持った錫杖を先輩に突きつけて、授業中であるにも関わらず大きな声を張り上げた。


「お前がやましたせいじゅうろうか!やっと会えたなコノヤロー! こちとらお前のせいでなあ、えっと、めちゃくちゃ苦労してんだぞバカヤロー!」
「弥生ちゃん、あんな小学生となんで知り合ったの?」
「知り合いたくて知り合ったんじゃないんですけどね。先輩のこと、探してたみたいで」


 金髪の男子生徒が声を張り上げる中、先輩がこっそりと耳打ちをしてきたためその場でこれまでの経緯を簡潔に伝える。教室に戻る途中で、錫杖を手に全力疾走してきた金髪の男子生徒が「月夜里誠十郎」に会わせろと私に縋り付いてきたこと。女の私には言えない男同士の用が先輩にあるということ。これらのことを先輩に伝えた。
 言っておくが、私は何一つ間違ったことは言っていない。脚色なしの、全て事実で構成されている。
 その旨を聞いた先輩は、ふむ、と考えに耽るように口元を手で隠して、しばらくした後に、


「俺、年下の女の子が好きなんだけど」


 至って真面目にそう言った。
 うん、この先輩、なんか変な勘違いをしている。確かにちょっと伝え方が悪かったかもしれないけど、でもそれが事実で、どうしようもないというか。


「オレは年上のお姉さんが好きなんだよ!」
「ここには馬鹿しかいないのか!?」


 別にお前らの好きなタイプの話を聞きたい訳じゃない。
 話を聞かない人間が二人揃うと、収拾がつかなくなる。


「先輩たちの好きなタイプとかどうでもいいですから、ほら、授業中なので静かに……そうだ、屋上に行きましょう、屋上に」
「弥生ちゃん、男にとって年下か年上かって話はね、血で血を洗うような争いなんだよ」
「殺傷? 殺傷事件が起きる程の問題ですかその話?」
「だから女のお前には関係ねえ話だって言っただろ!」
「いやこんな話をするために先輩を探してた訳じゃないですよね」


 この二人がよく分からない談義を始める前に、なんとかこの場を収めて屋上へ行かなければならない。このままここで談義が始まれば、何やら騒がしいなと感じた教師や生徒の誰かが様子を見に来るに違いないだろう。
 私は静かに睨み合う先輩たちのワイシャツの襟とパーカーのフードを掴んで、無理矢理引っ張るようにして階段を駆け上った。駆け上ったと言っても、二人の男子高校生を引きずり回せるくらい怪力ではないので、そんなに勢いはないのだけれど。
 後ろから「伸びる」だの「歩きづらい」だの「腰が痛い」だの聞こえてきたけど、全ての言葉を無視して私は屋上へ足を進める。
 そのまま二階から四階まで上がって、金髪の男子生徒のフードを掴んでいた右手を離し、その手で屋上へ続く扉を開けた。左手は先輩のワイシャツの襟を掴んだままで。

 扉を開けるとまず目に入ったのが日向ぼっこをしていたシロで、シロはこちらに気づくと寝転がったまま「あれ? セイジューローとヤヨイだー」と声を上げる。ああ、私の癒し。
 そして案の定、金髪の男子生徒もシロの姿が見えるようで「うおっ、狐!?」と驚いていた。


「弥生ちゃん、も、腰痛い……」
「あ、ごめんなさい」


 私の背が小さくて悪かったな。
 屋上に着いたことだし、私は先輩の襟を掴んでいた左手をぱっと離す。先輩は両手を組んで上体をうんっと伸ばすと、自分の腰をとんとんと叩いた。おじいちゃんか。


「で? なんの話だっけ? 年下か年上かの話?」
「違います。ほら、金髪の先輩、男同士の用っていうのを話してください」
「いや、でもお前……!」
「そこの白い狐なら見えてますよ」


 彼を納得させるためにシロがいる方を一瞥(シロは相変わらず日向ぼっこをして眠っていた)して、再び金髪の男子生徒に視線を移す。彼は目を見開いて驚きを見せた後、しばらく口を閉ざして尻込みする。
 考え事が終わり、私がいても問題はないと思ったのか、金髪の男子生徒は深刻そうな顔つきで話を始めた。


「お前ら、祥風寺って知ってるか?」
「ああ、祥風寺」


 金髪の男子生徒が口にした「祥風寺」という単語に、先輩は直ぐ様反応を示す。その口振りから先輩は「祥風寺」について何かを知っているようだった。
 私はというと、「祥風寺」なんて単語は聞いたことも見たこともなくて、なんのことだかさっぱり分からない。


「先輩、知ってるんですか?」
「うん。父さんがそこの住職と昔の知り合いらしくてね、名前はよく聞いてたよ。小さい頃だけどね」


 住職と知り合いって、先輩のお父さんは何者なんだろうか。先輩も不思議な人だけど、そのお父さんも気になってきた。


「で、その祥風寺の住職っつーのがオレの親父なんだけどよ」
「父親同士が知り合いなのにお互いのこと知らなかったんですかあなたたち」
「いやほら、俺は小さい頃に住職の話を聞かされてただけだから? 息子がいるとは聞いてたけど、まさかこんな金髪小学生とは思わないじゃん?」
「誰が金髪小学生だ! オレも親父から名前だけ聞いてたけど、こんな迷惑ヤローだとは思ってなかったぜ!」


 互いを指差し言いたいことを言い合う二人。お互い様だし、私から見ればどちらも小学生である。


「あー、はいはい。小学生並みの言い合いは話し終わってからにしてください。それで金髪小学生さん」
「だから金髪小学生じゃねえって! オレは松葉智親っていうんだよ覚えとけバカヤロー!」
「松葉先輩ですね、はい。それで、話の続きは?」
「あっ! お、おう、続きな」


 私に話を促され、一度冷静になって「んんっ」と咳払いをする金髪小学生さん――もとい、松葉智親と名乗った先輩。
 さっきから彼の話を聞いていて気になるのが、先輩のせいで苦労してるだの迷惑ヤローだの、まるで先輩に手を焼いているような様子であることだ。先輩に身に覚えはなさそうだけど、何かとんでもないことを仕出かしてるのだろうか。


「オレたち松葉家は祈祷師の家系で、まあ、難しいことはオレにもよく分かんねえけど、占い事や祓い清めなんかやってんだ」


 祈祷師。これも陰陽師と同じく、聞いたことはあってもあまり詳しくは知らない言葉だった。
 松葉先輩ではこの通り、説明もできないと感じ取った私はちらりと先輩に視線を向ける。彼は私の視線に気づくと、何も知らない私のために簡易的な説明をしてくれた。


「俺も専門じゃないからそんなに詳しくないけどね、祈祷師ってその名の通り“祈り”を儀式として行う人だよ。日本では巫女さんとか、代表するなら卑弥呼がそれになるのかな。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全や無病息災とか、そういう祈りを集団の中心となって祈祷する人が祈祷師って認識でいいと思うよ」


 先輩の説明を聞いて、なるほどそうかと頷く。そして頷く私の隣で、松葉先輩も頷いていた。いや、本来なら本職であるあなたがこの説明をしなきゃいけなかったんですけどね。挙句の果てには、制服のポケットからメモ帳のようなものを取り出してメモをしだしている。意外と根が真面目でこまめな人なんだろう。
 メモが終わった松葉先輩は、メモ帳をポケットにしまって話を戻す。


「そんで、さっきコイツが言った通りの祈祷の他に、そこの白い狐みてえな妖が住み着いて“穢れ”ちまった場所を、また妖が寄り付かねえように祓い清めるんだけどよ――ここ最近、誰かさんのせいで仕事が増えて、親父がぎっくり腰になっちまったんだ!」


 びしぃっと効果音がつきそうな勢いで、先輩を指差す松葉先輩の声が空に響く。
 ぎっくり腰――仕事が増えてぎっくり腰とは、お疲れ様です、としか言えない。
 松葉先輩に指を差された張本人はなんのことだ、とんだ言いがかりだと言いたげに怪訝な表情をしていた。こんな表情もできるんだな、この人。
 このままではまた、小学生みたいなくだらない言い合いが始まってしまうと察知した私は、二人の間に入って話を繋げることにした。


「えーっと、あの、どうして先輩のせいで仕事が増えたんですか?」
「はあっ!? 決まってんだろ! ここらで妖退治をしてんのは、このやましたせいじゅうろうだけなんだよ! お前が妖を退治した後にその場所を清めてんのはオレたちなんだ! コイツ、妖を倒すしか脳にねえ脳筋ヤローだからな! テメエの尻はオレたちが拭いてやってんだよバーカバーカ!」
「だからあんたは小学生かよっ!」


 思わず本音が口に出てしまう。いけないいけない。どんなに中身が小学生でも、松葉先輩は先輩である。
 そしてそこで、言われたからには黙っていられない人がいる訳で、


「でもさ、仕事が増えたとか言うけど、祓い清めるのが祈祷師の仕事でしょ? 俺は妖退治が仕事でそっちは祓い清めるのが仕事な訳だし、別に俺が悪いってことじゃないよね? いや、ぎっくり腰になった親父さんには悪いなと思うけど、お互い仕事は成り立ってる訳だしさ。俺が退治して、そっちが清めて、その場所にもう妖は住み着かないから俺も疲れないし、祈祷師は信仰が高まるし、ほら、ギブアンドテイク」


 にこにこと、まるで松葉先輩を諭すように柔和な笑みを浮かべて先輩は言った。その飄々とした余裕な態度から、先輩の方が一枚上手なように見えるけど、土俵は同じだ。
 同じ穴の狢。団栗の背比べ。


「ぎっ、ぎぶ……? あーっ! ぎぶなんちゃらとか急に横文字使ってんじゃねえよ! 難しいことは分かんねえんだよ!」
「いやいや何も難しくありませんよね」
「オレ英語できねえんだよ文句あんのか!?」
「とりあえず、その喧嘩腰やめて落ち着きましょう」


 松葉先輩を宥めるように、彼の背中をぽんぽんと叩く。彼の扱いはもう小学生だった。
 背中を叩かれた松葉先輩は特に抵抗することなく、素直に「お、おう」と言って深呼吸を始める。本当、子供みたいに素直な人だ。
 しばらく深呼吸をして頭が冷えたのか、松葉先輩は真剣な眼差しを先輩に向ける。そんな眼差しを向けられた先輩は、小さく溜め息をついて困ったように自分の首に右手を当てた。


「そんな文句を俺に言いに来ただけじゃないよね。他にどんな話があるの?」


 先輩はなんでもお見通しのようで松葉先輩にそう聞く。彼の問いに、松葉先輩は視線を少し下げて――頭を下げるような姿勢をとった。彼が頭を下げると、手に持っていた錫杖は地と平行になり、鐶は一際大きな音を響かせる。
 突然の、予想もできなかった出来事に、私と先輩は顔を見合わせて首を傾げる。
 まさか急に、先程まで先輩と小学生レベルの言い合いをしていた松葉先輩がこうして頭を下げるなんて、私は驚きが隠せなかった。


「――頼む」


 松葉先輩が口を開く。その表情は見えない。彼は視線を地に向けたままだ。
 そして彼の言葉に反応するように――松葉先輩が動いた訳でも、風が吹いた訳でもないのに、錫杖がしゃりんと鳴る。


「妖退治を、手伝ってくれ」


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