02


「先輩。別に教室に来るなとは言いませんけど、せめて上靴は履いて来てください。今度裸足で私の前に現れたら弁慶どころじゃありませんよ」
「あははっ、ごめんってば。でも俺、上靴なくしたんだよね。裸足の方が楽でさ、裸足でいたらどっかにやっちゃった」
「やっちゃった、じゃないですよ。家の中を探してください私のために」
「んー、まあ、そのうちね」


 月夜里誠十郎という突然の来訪者を追い返す、壮絶な闘い(一方的に脛を蹴る)から数時間後――午前の授業が終わり、昼食をとろうとした昼休みの事である。
 今朝は疲れから食欲がなくあまり食べられなかったため、午前中、私はずっと空腹と戦っていた。まだ鳴るには早いぞと自分のお腹に言い聞かせて、お昼を食べることを楽しみに午前の授業を乗り越え、さあやっとご飯が食べれると弁当箱を広げた私の前に、羽織を着た裸足の先輩が再び現れた。
 佐倉弥生が高等部の、羽織を着た裸足の男子生徒と交流を持っている。うん、このままではあらぬ風評被害を受けてしまう。そう感じた私は、自分の平和な学園生活のために広げた弁当箱を包み直して、先輩の手を引っ張って高等部の屋上へ走った。何故高等部の屋上なのかと聞かれたら、同級生に見られることはない、且つ昨日の奇妙な出来事や先輩のことを詳しく聞ける、人がいない場所はどこかと考えを巡らせた結果が高等部の屋上だったとしか言えない。
 現に、高等部の屋上に来たら誰もいなくて、天気もいいしここを選んで正解だった。我ながら素晴らしいチョイスだったと自画自賛する。

 目の前に先輩がいなかったら、きっとこの青空のように晴れやかな気持ちになったんだろうけど。
 私は弁当箱に詰められた卵焼きを口に運びながら、じっと先輩の顔を睨む。卵焼きを一口噛めば、自分好みに作った甘い味が口の中で広がった。
 一方、私に睨まれている先輩はというと、私の視線に気づかぬまま布に包まれた箱状の何かをどこからか取り出し、自分の膝の上に置いて布を広げているところで。彼も人間だから昼食をとるなんて当たり前なんだけど、この人もちゃんと食べ物を食べるんだなと不思議に思ってしまった。
 どんなものを食べるんだろうと、彼の膝の上に置かれた箱状の何かを覗いてみる。完全に広げられた布の上、そこに現れたのは、片手に乗せられる程の大きさをした四角形の木箱だった。先輩がその木箱を開けると、中には透明で丸い固形物が何個も転がっていて、端の方には何やら見覚えのある黄色い粉と黒い液体があって――いやいや、まさかこの人、これを昼食だなんて言わないよな。


「……先輩、それは?」
「え? 俺のお昼ご飯だよ」


 先輩の膝の上にあるそれを――わらび餅を指差して問えば、彼は当然のようにけろりと答える。
 ――お昼はわらび餅だけ。
 朝に大槻から聞いた話を思い出して、私は呆れて溜め息の一つも出てこなかった。


「……先輩、まさか本当にお昼、わらび餅だけなんですか?」
「ん? うん、そうだよ。どうして?」
「どうしてはこっちの台詞ですよ! 朝と夜は何食べて生きてるんですか!」
「朝はトースト食べて、夜は……インスタントラーメンとか食べてるよ」
「なんて不健康な食生活……!」


 彼の食事事情聞いて、思わず両手を地につけて項垂れる。


「家にキッチンあるでしょう? 料理とかできないんですか?」
「俺、目玉焼きしかできないよ」
「卵焼くだけっ!」


 困った。実に困った。この先輩、まるで生活力がない。まるで野生児だ。
 私は口元に手を当てて、思考する。裸足といい食生活といい、彼のそれは、言われただけでは絶対に直らない癖だ。誰かが手を貸さなければ、一人では直せない。だけど、手を貸してくれるような友人も彼にはいないし、どうすれば。
 そこまで考えて、私は決心する。ここまで先輩に関わってしまったんだ。私がその癖を直さなければ、先輩は人の道を踏み外してしまう。
 要らないお節介かもしれないけど、せめて上靴くらい履いてもらわなきゃ私の気が済まない。こうなったらとことんお節介をやいてやる。


「先輩。帰りにスーパー行って先輩の家に行きますから、キッチン使えるようにしててくださいね」
「へっ? 何? 弥生ちゃんが晩ご飯作ってくれるの?」
「そう言ってるんです」
「うわっ、やった、嬉しいな。いや、でもあれだね。これじゃまるで新婚さんみたい」
「晩ご飯いらないんですか?」
「ごめん冗談です。いります」


 きつく睨むと、先輩は膝の上のわらび餅を横に置いてから額を地につけて土下座をした。後輩に土下座をする先輩。プライドも意地も何もない先輩である。


「ヤヨイがご飯作ってくれるの? ねえねえ、ボクたちのは?」


 と、突然第三者の声が聞こえて辺りを見回していると、先輩が土下座しているその後ろから、彼の背中に両手を乗せて白い狐がひょっこりと顔を出した。声と姿から、昨日、先輩の屋敷で見た白い狐であることが分かる。
 いや、しかし。昨日は頭が混乱してあまり考えることができなかったけど、この狐、改めて見ると凄く可愛い。遠くから見てもふわふわと柔らかそうな毛並みに唾を飲み込む。
 ううん、可愛い、触ってみたい。


「あ、そうだ。弥生ちゃんにはまだ言ってなかったね。この白い方がシロって名前でね、もう一匹の黒い方がクロっていう名前なんだ」


 シロとクロ。うん、そのまんま。誰がつけたか一瞬で分かる、なんとも安直な名付けだった。


「ねーえー、ボクたちのご飯はーっ?」
「うん、ちゃんと作るから……作るから……っ」


 そう言ってとことこと歩み寄ってきた白い狐――シロの姿が可愛くて直視できなくて、触りたいと疼く右手を左手で掴んで気持ちを抑える。声も自分で分かるくらい震えていて、そんな私が滑稽だったのだろう、先輩は耐え切れずに吹き出して笑った後に、涙を浮かべた右目を擦りながら口を開いた。


「別に、ふふっ、触ってもいいんだよ弥生ちゃん、くっ……!」
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか! 人がこの行き場のない衝動を必死に抑えようとしてるのにっ!」
「はははっ! ごめんごめん、もう、弥生ちゃん面白くて。ほら、思う存分触っていいよ」


 先輩はシロを両手で持ち上げると、私の目の前にずいっと差し出す。いきなり目の前に寄越されたものだから、驚いて肩がびくりと震えた。
 訳も分からず急に持ち上げられたシロは、首を傾げてじっと私を見ている。くっ、やめてくれ、そんな目で私を見るな。
 私は意を決して、失礼します、と小声で断りを入れてからシロに手を伸ばした。頭を撫でるように額にあたる部分を右手で触れると、見た目通り、それ以上にふわふわとした感触が手に伝わる。一度触れたことがスイッチとなって、私はそのままシロの頭をわしゃわしゃと撫で始めた。シロは特に文句も言わずに、目を細めて大人しくされるがまま、の状態である。


「うわっ、うわーっ、うわあーっ」
「弥生ちゃん日本語思い出して」


 言葉にならない言葉が無意識に口から溢れるくらい、シロが可愛かったのであった。

 そんな調子で数秒間シロを触って満足した私は、シロから手を離して、そろそろ本題に入ろうと先輩に向き直る。
 本題というのは、昨日の化け物やシロとクロ、そして先輩は一体何者なのかという話だ。あんな、現実離れした世にも奇妙な出来事の一部始終を見て、何も教えられないなんてことは言わせない。私が納得できるまで話に付き合ってもらわなければ、納得いく話をしてくれるまで背後霊のように付き纏ってやる。


「えー、それで先輩。昨日のことなんですけど」
「昨日? ああ、あれとかこれの話?」


 先輩が言う“あれ”は、恐らく牛の頭をした化け物のことで、“これ”は言わずもがな、先輩が指差しているシロやクロのことだろう。まあ、そのあたりの話を聞きたいのも山々なのだが――私が一番気になっているのは、何を隠そう先輩自身のことだ。化け物やシロとクロだって、元を辿れば先輩がいなければ見ることができなかった訳だし、この話で重要な人物は先輩の他にいない。まずは先輩のことを一から語ってもらわなければ、何も始まらない。


「あれとかこれもなんですけど、私が一番聞きたいのは先輩のことなんです」
「弥生ちゃん、そんなに俺のこと知りたいの?」
「嬉しそうにニヤニヤ笑いながら聞かないでください」


 膝の上に肘を置いて頬杖を突くと、先輩は目を細めて頬を緩ませる。ころころと表情を変えて、掴みどころのない先輩だ。
 先輩は「そうだなあ」と呟いて、頬を支えている左手で口元を覆い何かを考えるような仕草を見せる。
 そして、ものの数秒後。彼は頬杖を突いていた左手をぱっと離したと思うと、真剣な表情を浮かべて閉じていた口を開いた。


「俺が陰陽師の子孫とか言ったら、弥生ちゃん信じる?」
「……普通の人間って言われるよりそっちの方が信じられますね」


 陰陽師。漫画やアニメ、ドラマや小説などでよく目にする存在。
 特に陰陽師なんて存在を調べたことのない私の知識はからしき無に近く、陰陽師なんて言われても、式神と呼ばれてる霊的存在を従えてるようなイメージしか湧かない。そう考えると、シロやクロは先輩の式神になるのだろうか。
 いや、それにしても、陰陽師ってもっとこう、昔の学者とか今で言う公務員とか、なんだか凄い職業だったとかそういう話じゃなかったっけ。単に式神を使って妖怪を退治する、なんて認識でいいのだろうか。
 いまいち理解ができていない私を見て、先輩は「えっと」と言葉を続ける。


「んー、そんなに難しく考えなくていいよ。陰陽師の子孫なんて言っても、俺は人の世に迷惑かけてる奴を退治してるだけだから。均衡を保つ、っていうのかな。お互いがお互いの世に干渉しすぎちゃったら、大変なことになるからね」


 そこまで言って先輩はわらび餅が入った木箱を手に持ち、それを一つ二つと摘む。先輩に釣られて、私も弁当箱に入ったほうれん草のバター炒めに箸を伸ばす。彼がわらび餅を飲み込んだところで、「まあ」と付け加える声が聞こえた。


「陰陽師って言うより、霊能力者って言った方が身近に感じやすいかな。普通の人じゃ目に見えない霊や妖とか、そういう類を感覚したり、そいつらの世界と接触、干渉する能力を持ってるのが俺で。霊視や千里眼、テレビでよくやってるテレパシーやサイコキネシス、あとは霊聴とか、世間で超能力って言われてるものも霊能力だよ。ほら、そう言われると陰陽師っていうのも身近に感じるでしょ?」
「えっ、あ、はい……そこに並べられても異質感が一際輝くだけなんですが」


 でも実際、陰陽師という言葉よりも霊能力と言われた方が理解しやすいのは事実。先輩がさっき言った通りあまり難しく考えずに、先輩のことは「妖怪退治をする霊能力を持つ人」と思えばいいのだろうか。うん。現実味のない話だけど、今まで見てきたものを総合すると納得はできる。


「と、まあ。弥生ちゃんが知りたがったことはこんな感じだけど――何か質問は?」
「質問……その、先輩はいつからそんな、妖怪退治をしてるんですか?」


 先輩の話を聞いて浮かんだ純粋な質問だった。陰陽師の子孫ってことは、小さい頃から霊や妖が見えていたと考えられる。それに、昨日のあの身のこなし――天賦の才であることは感じられたが、それを更に洗練したもののように見えた。昨日今日に始めたことではないのだろう。


「いつから、かあ。退治しだしたのは、うん、中学生の時にちょっと、悪い狐に目をつけられちゃってね。真面目な退治を始めたのはそこからだけど、喧嘩はよく小さい頃からしてたよ。家の近くに池があるんだけど、そこに河童とか獺が住んでてね――」
「その話はまた今度でお願いします」


 彼が何者であるかという話は納得はできたけど、急に河童や獺の話を出されても頭が混乱する。まるで近所の知り合いの話をするかのように妖怪の話をするもんだから、この人は同じ人間より、妖怪と関わった年数の方が長いのだろう。


「なんだ、残念」


 心底残念そうにそう呟いて、先輩は再びわらび餅を黙々と口に詰め始めた。それが昼食だなんて、何度見ても信じられない。おやつ、と言った方がしっくりくる。

 話も落ち着いてきたところで、私も残っているおかずを急いで口に詰め込む。先輩と話して大分時間が経ったし、もう少ししたら教室に戻らなければいけない。
 ふと、先程からぱったりと聞こえなくなったシロの声に、シロの姿を探す。シロは私たちから少し離れた日当たりのいい場所で、ごろんと寝転がってすやすやと眠っていた。恐らく、こちらの話に飽きて一人(一匹)ですることもなく昼寝をしたのだろう。


「そういえば先輩、午前中は授業に出たんですか?」
「うん、出たよ。みんな幽霊を見るような目で見てきて、びっくりしててさ。教室の隅の方に本物の幽霊がいたのに、おかしくて笑いそうになったよね」
「笑えませんよそんな話」
「嘘嘘、冗談だって」


 ……先輩が言うと全く冗談に聞こえない。悪い冗談だ。


「でも、授業はまあまあ楽しかったよ。出てきた問題は家で見たところだからつまんなかったけど、現国の与畑って先生が面白い人でさ。夏目漱石のこころを読んでたんだけどね、すっごい迫真の演技だったよ」


 何それ、めちゃくちゃ見たい。
 中等部と高等部の教師はそれぞれで違うので、中等部の生徒は高等部の教師のことを知らない方が多い。部活動や委員会で話す人は話すのだろうけど、ほとんどの中等部生徒はまず話すことがない。中等部からすれば、高等部は未知の領域なのである。


「いやー、でもさ、本当は弥生ちゃんに会いに来るだけのつもりだったんだけど、教室にも行ってみて良かったよ。授業より先生が面白いから、これなら毎日来てもいいかもね」
「来てもいいかもねじゃなくて、毎日来てくださいよ。先輩がダブったら私、先輩の家の周りの雑草という雑草を引き抜いてそれをまとめて家の中にばら撒きますからね?」
「もうちょっと慎ましい脅し文句はなかったのかな」
「今の脅し文句は私の中で一番慎ましい脅し文句でしたよ」
「それはアグレッシブな脅し文句だよ弥生ちゃん」


 この先輩は私のことをどれだけ攻撃的な後輩にしたいのだろうか。全く失礼な先輩だ。


「さて、」


 先輩とたわいない会話をしている内に昼食を食べ終わった私は、弁当箱の蓋を閉じて「ごちそうさま」と手を合わせた。
 そろそろ教室に戻らなきゃいけない、けど――少しでも休み時間が残っていたら、確実に大槻に捕まってしまう。教室に入るタイミングは、予鈴の後の本鈴が鳴るという瞬間しかない。今からゆっくり歩いていけば丁度いいかも。


「それじゃあ先輩、私そろそろ教室に戻りますね。午後もちゃんと授業に出てくださいよ」
「はーい。あ、放課後に弥生ちゃんのこと」
「私が行きますから迎えに来なくていいです! 放課後にここで待っててください!」


 彼の言葉を遮って念を押すように大声で言うと、先輩は「はぁーい」と気の抜けた声で返事をして項垂れる。その様子は大人に叱られて項垂れる子供そのものだった。
 そんな先輩を屋上に置いて、私は一足先に教室に戻ろうと屋上の扉を開けて階段へ出る。上の階から下の階を覗き込めば、午後の授業が始まりそうなのか高等部の生徒はほとんどいなかった。あまり人目を気にせずに帰れると安心した私は、ゆっくりと階段を下りていく。

 下りている途中、四階から二階の踊り場に着いた時に、ふと微かに音が聞こえてきた。その音は小さい音からどんどん大きな音になってきて、しゃりんしゃりんと、まるで鈴が鳴っているような音だった。それが一定のリズムでしゃりん、しゃりんと鳴っていれば怪訝に思うことはなかったのだが――その鈴のような音は、しゃりんのりんの音を打ち消して、しゃしゃしゃ、となんとも面白おかしく連続的に鳴っている。
 一体なんの音だ。私は音の正体を確かめるべく、音がする方へ向かおうと階段を一歩下りた瞬間――その音の正体は、私の目の前に現れた。
 目の前に現れたのは、金髪の男子生徒で。その図体の大きさと上靴の種類から、高等部の生徒であることが分かる。
 しかし、一つだけ理解に苦しむものが私の視界を支配した。私の視界を支配したのは、その男子生徒の右手に握られた、身の丈程の錫杖だ。錫杖は彼が床に突いた拍子にしゃりん、と鳴って、奇妙な音の正体は彼が手にしてる錫杖だったことを理解する。
 金髪の男子生徒はここまで全力で走ってきたのか、錫杖にもたれ掛かってぜえはあと息を荒げていた。


「あ、あの、大丈夫ですか?」


 このなんとも言えない気まずい雰囲気をどうにかしようと声をかけると、私の声を聞いたその人は勢い良く顔を上げる。驚いて反射的に一歩後退――する訳にはいかず、私の踵が階段にこつんとぶつかるだけだった。
 そして彼は、まだ整わない息を無理やり押し殺して、やっと言葉という言葉を口にする。


「おまっ、ぜえ、えー、ぐみのっ、げほっ、やましたぁ、せいじゅろっ、ごほんっ! しって、るかっ……!?」


 途切れとぎれの言葉でも、私の耳はその単語をしっかりと聞き取っていた。
 ――やましたせいじゅうろう。
 この名前、もしかして呪いか何かの一種なのでは?
 そう考えてもおかしくないくらい、私は彼の名前に不吉なものを感じていた。いや、先輩には失礼かもしれないけど、こんな錫杖を手にした金髪の男子高校生にその名を口にされたんだから、そう感じても私に罪はないと思う。

 そんな馬鹿げた思考をして、男子生徒を目の前にただ呆然と立ち尽くす私なんかお構いなしに、予鈴か本鈴か分からないチャイムが鳴った。


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