07


 現実だったとは思えない、夢のように奇妙な出来事を体験したその翌日。
 私は寝惚け眼をこすりながら、いつもと同じように学校へやって来た。教室の扉を開けて、数人のクラスメイトと挨拶を交わし、まるで吸い込まれるように椅子に座って机に突っ伏す。恐らく、昨日の疲れがまだ残っているのだろうか。私は顔を伏せたまま、耐え切れずに小さく欠伸をした。


「佐倉さん、おはよう! ねえねえ、昨日の幽霊屋敷、どうだった? 何か見つけた?」


 と、HRが始まるまで眠ろうかと思ったその時、毎日のように聞いている幼い少年の声が聞こえてくる。その声に反応して顔を上げれば、前の席に座る大槻がこちらに体を向けて、にんまりと笑っていた。
 幽霊屋敷――その単語を聞いて、私は無意識に溜め息をつく。


「見つけたっていうか、まあ、収穫はあったけど、うん」
「え? 何なに? 狐以外のものでも見ちゃった?」
「狐も見たし、それ以外のものも見ちゃったかな」


 大槻は身を乗り出し、大きな瞳を輝かせて「その話詳しく聞かせてっ!」と大きな声を上げるが、朝から気分が優れない私に話す気力なんてあるはずがなく。「ごめん、後でね」と大槻に謝罪をして再び顔を机に伏せる。「ちょっと佐倉さん!」とか「日直の仕事はきちんとやったよ!」とか聞こえた気がするけど、私の意識はもう落ちる一歩手前だった。
 

「そうだ! ねえ、佐倉さん。知ってる? 高等部の《変わり者》って言われてる先輩」
「……《変わり者》? いや、知らないけど……」


 どうしても私を寝かせたくなかったのか、大槻が突然、新たな話題を振ってくる。いつも幽霊とかそういう類の怪談話しかしない大槻が人の話を振ってくるなんて珍しいなと思った私は、眠る寸前だった意識をなんとか叩き起して言葉を返す。
 高等部の変わり者、なんて言われてる人のことは、聞いたこともないし全く知らない。しかし。高等部、変わり者――そんなキーワードを聞くと、昨日出会った一人の奇妙な先輩が頭に浮かぶ。いや、でも違うんだろうな。誰もあの幽霊屋敷に住んでるなんて知らないみたいだし。知っていたら間違いなく噂されている。あの幽霊屋敷には御蔵学園の生徒が住んでいる、とか、そんな感じに。


「なんか、中等部の頃から変わってたらしいよ。欠席が多いのに、テストの成績はいつもトップクラス。しかも、登校する時も授業中も下校する時も、ずっと裸足なんだとか。ああ、あと羽織を着てたり、お昼はわらび餅だけとか、学園長とタメ口で話してるところ見た人もいるらしいよ。変わってるよね。本当にそんな人、いるのかな?」
「……あー、うん。凄いね。凄く変わってるよ、うん」


 ――まさか、そんなこと、ないだろうな。
 今も喋り続けている大槻の話が、全然頭に入ってこない。ただ、私の頭の中は、一人の先輩で埋め尽くされていた。
 ここまで一致してしまうと、その変わり者があの先輩じゃないと否定できない。脳は、間違いなくあの先輩だと肯定しようとしてる。


「でさ、その先輩の――」
「大槻! もっと他の話をしようか! 楽しい話をしよう! ねっ!?」
「うわっ! ど、どうしたの佐倉さん? 佐倉さんから積極的に話題の転換を申し出るなんて……」


 椅子から立ち上がって大槻の肩を両手でがしりと掴み、少し力を入れて前後に揺らせば、私の行動に驚いた大槻が痛いところを突いてきた。頼む、そこは何も言わずに話題転換をしてくれ。
 私の無言の圧力を感じたのか、大槻は「それじゃあ、次は――」と新しい話題を出そうとする。良かった、と安心して椅子に腰を下ろす。
 とにかくこの場は凌ぐことができたけど、大槻は絶対、昼休みあたりに昨日のことを聞きに来るだろう。ううん、どう話せばいいんだろう。いっそ本当のことを話して、「という夢を見たんだ」なんて夢オチにしてしまおうか。あ、なんかいけそうな気がしてきた。そんな気がしてしまった私の脳は、明らかに活動が低下している。


「ごめんくださーい。佐倉弥生ちゃんっていう子、いる?」


 そこで。聞き覚えのある声が、教室に響いた。
 現実を突きつけるように、全ての終わりを告げるように、私の都合なんてお構いなしに、その声は突然やって来た。

 ――会いたくない先輩が、会いに来てしまった。

 私は壊れたロボットのように、首をぎぎぎ、と教室の扉へ向ける。そこにいたのは、誰かを――私を探すようにきょろきょろと教室を見回す、ワイシャツの上に羽織を着た《変わり者》の先輩で。そして目線を顔から足元に落とすと、彼は相も変わらず裸足だった。
 いろんな意味で、終わった気がする。学園生活も夢オチも。
 せめて羽織を脱いで上靴でも履いて来てくれたら、私がこんなに絶望することはなかっただろう。いや、そんなのは1パーセントも存在することを許されない希望なのだけれど。
 教室の外にいる先輩を睨むように見ていると、私の視線に気づいた先輩と目がばっちりと合ってしまう。彼は結んだままの唇に笑いを浮かべて、こっちに来いと言いたげに手招きをしてきた。

 ああ、もう逃げられない。
 私は仕方なく椅子から立ち上がり、クラスメイトの視線を集めながら教室の外へ出る。先輩が何か話そうと口を開こうとした瞬間、誰にも気づかれないように無言で脛を蹴った。


「だからっ、弁慶……っ」


 そんな先輩の情けない声は、廊下で賑わう生徒たちの声にかき消された。


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