短編集 | ナノ


 Spring hare



 知っているか?
「貴方しか私を救えない」
 その言葉に潜む陰を、お前は知っているか?

―Spring hare―

 夕闇に彩られた町を、ぼんやり眺めていた。
丘の上、一夜限りの相手と共に。
過去の因習などとうに消え去った、否、元より存在しなかったこの町ではありふれた関係。
全て自己責任、胸中で喘ぐのを選んだら最後、どう転ぼうが誰も助けはしない。
 この町は馬鹿を殺す。
優しさもこの町では身を滅ぼす悪しき性、善人は田舎へ引っ込め、誰もがそう言う。
かく言う俺もその一人、正義を語るのは夢見がちなガキだけにしろ、そう思う。
「貴方は傍に居てくれるかしら」
 思索に耽っていたら、傍らの女がそう言った。
その目には橙に輝く滴が見て取れた。
だが、俺は無視した。
心など要らないのだ、そんな重荷を捨てたくてこの町に来たのだから。
「ねぇ、貴方しか私を救えないの」
 すがりつく女。
俺はこういう女の「貴方」が複数人居ることくらい知っている。
また、救いの手を差し伸べるつもりもない。
俺が欲しいのは心ではない、それよりもっと現金なものだ。
――快楽。
そう、悦楽だ。
そして優越感だ、欲に溺れ乱れる獣を見下し、あざ笑うことだ。
橙が紺に塗り変えられたその時に、この女も獣になる。
言葉を失った、そう、さながら春の兎だ。
寂しくて死ぬ、そんなことを叫びながらも死なない。
兎はそんな生き物だ、寂しくて死ぬほど可愛い生き物ではない。
「貴方だけなの」
 そう言って、すがりつく腕を冷ややかに見据えた。
だが、振り解きはしない。
こんな愚かな獲物は頂いておくに限る。
 夕闇が濃紺に彩りを変えてゆく頃、清楚な振りした春兎は雪原を跳ね回る。
ありもしない希望に手を伸ばして、虚空を掴み、救いを得たと微笑むのだ。




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