短編集 | ナノ


 水平境



 定められた時を変えるための犠牲は多く,また,叶う確率は恐ろしく低い。
さらに,我が身をも死に近付けてしまう。
つまり,人という妄想を真に力と取り違えている愚かな生物には万物を超越せし論理は得られぬ,永久に。
 酷い吹雪の夜だった。
厚く積み上げられた雪が行く手を阻み,俺はパーキングエリアに車を止めて途方にくれた。
「どうも明日中に帰れそうにねぇ」
 かじかむ手で短くそれだけ打ち,送信する。
「ついてねぇなぁ」
 ガソリンはあまり残っていない。
財布をみてもなけなしの金しかない。
十分,目的地へ行くだけの予算はあったが,いたるところが吹雪の影響で通行止めになり,挙げ句の果てには会社へ戻る道さえも閉ざされてしまった。
「とりあえず,店にでも入るべきか」
 エンジンを止め,車から降り,鍵をかける。
 携帯を確認するが,返信は来ていなかった。
「やっぱ怒るよなぁ」
 白い息が夜闇に溶けてゆく、何も残さずに,消えてゆく。
 寂しげな背中だけ,この夜闇の中でうごめいていた。
(タイムリミット)
 ぷっつり途切れた糸。
 眠るように倒れる影。
白い息のように夜闇に溶け,ひたすらに寂しげに吹雪だけが影を包む。

 だから私は教える。
私のような,私のように,馬鹿だと笑って,現実になって,後悔に苦しむ人間を減らすために。
 父は逝ける屍となりて母は生ける屍とならん。
私は独り,気味悪がって誰も私を救いはしない。
だけれども私は助けてあげましょう。
ただ一つ残された残虐なる善意で。

 何不自由ない生活に亀裂を入れたのは妹が連れてきた薄暗い転校生であった。
礼儀正しく会釈をするもその顔に笑顔はない。
柔らかな橙色の光が注ぐリビングで彼女は浮きだっていた。
 そんな彼女が話す話は邪気に満ちていた。
「死の通達人がもうじき来ます。救いたくば,素直に従いなさい」
 その場の空気を一瞬で凍結させる,まさにそんな無感情な機械音のようである。
「徒な死を許せぬならば,あらがいなさい。その時は私の力も貸します」
 いきなり言われても何がなんだから分からない。
それが私の彼女に対する感想であった。
「何を言っている? 理解不能だ」
 死だ? 通達人だ? イかれた女だ,さらにはそう思った。
「時期に分かる。通達人はもう来るわ」
 そうして彼女は口を閉ざした。
固く,けして開かぬように閉ざした。
 通達人? は訪れた。
うねうねとうごめく赤い物体に満ちたバケツを従え,ニヘラニヘラと笑む怪しい,汚らわしいやつだった。
「ツウダツニンダ」
 よくあるベタなホラー映画に出てくるような黒ずくめ,覆面の人間がそういった。
かといって二人いるわけでなく,ニヘラニヘラと笑む男の姿が変化したのである。
(人ならざるモノか?)
 陰気な転校生が言った通達人の姿を見ると確かに,ただのおふざけでは無さそうにおもえる。
しかし、
「何をさせるつもりだ? 誰を奪うつもりだ?」
 問いかけるとやつは,くもった笑い声を響かせ,
「オマエノカケガエナキソンザイダ」
と,歓喜に満ちた様相で返してきた。
「はっきり言え」
 くだらないおふざけはうんざりであった。
人間嫌いが進み,平気な体をするのもなかなか難しくなっていたからか,やけに近頃はイライラしていた。
わけもない焦燥で冷静さを欠いていた。
「ワレニニンゲンイッタイイッタイシキベツナドデキヌ」
 関心がない,あるいは多くを裁くがゆえ覚えていられないというのか。
だとしたらこいつは本当に死の通達人だろう。
まさか、クオリティの高さは認めるが信じたくはない。
おとぎばなしには本当に飽々していた。

 カたかたと揺れるバケツ。
ミヲ縮こまらせ,ミジカクなる赤い物体に嫌悪スル。
 後の自分に言わせると幸か不幸か,それは現実であった。
おとぎばなしではなく,れっきとした現実であったのだ。
“極めて残虐な”
「誰かは分からんが大切な人間をむざむざ殺すわけにはいかん。どうすればいい?」
 尋ねて,奴の顔をみた瞬間,ぞっとした。
酷く嫌な予感がしたのだ。
しかし,“稀にみる”自分の大切な命を消されるわけにはいかない。
どんな条件でも呑むつもりだった。
「イイダロウ」
 やはり条件は到底成し得ぬような内容であった。
そして,酷く気分を害し,生きながらにして地獄にいるような感じである。
その条件とは、本日,日本列島で積もった雪と同じ量の赤蟲を喰らい尽すこと。
「何日待つ?」
「コノトケイガキザムブンダ」
 ゆらり。
空間が揺らぎ,五輪の陸上競技のタイムを計測する,ビビットカラーな黄色の馬鹿でかいキャスター付きの時計が現れた。
まくろい画面には70:00:00。制限時間は5日間である。
「12ヲサスコロニウゴキハジメヨウ」
 時計をみやれば22時。
張り積めた空気が取り巻いて身動きができない。
 バケツの中でうごめく赤蟲らを見,誰もが言葉を失ってしまった。

 そうして悪夢は始まった。
陰気な転校生はただただ無言,無表情。
妹は今にも吐きそうな顔。
そして自分は……最悪な気分であった。
スプーンで掬うと赤い糸がうねうねと踊り,時折はらりと床に落ちては床ではいずりまわる。
意を決して口に運ぶと,それらは暴れ,そしゃくせずとも食道へ流れ,あるいは口内に喰らい付く不届きモノもあった。
 不快,不快以外の何物でもない。
しかし,今更引き返せない。
 惰性の法則でひたすら喰らい続けた。
通達人が魔笛を吹きならし,彼の時計が停止するまでひたすらに,どこにも行けず,喰らい尽した。
 そして通達人は言った。
「12ヲサスコロニ」と。

 最終夜にはターゲットは分かっていた。
それを知り,自分と妹は愕然とした。
焦り,喰らうも到底間に合わぬ。
胃はもはや働かず,赤蟲が腹でうごめいているのがよく分かる。
ものを言おうとすれば容赦なく赤蟲が口から飛び出し,不快さを増すばかり。
 通達人はニヤリニヤリと愉快そうに時計を撫で,口笛を吹いている。
 つまり死は避けられないのだ。

 ついに,時計が0に帰すと,目の前が真っ暗になった。
通達人の声が戸惑う自分に言う。
「シニアラガウオロカモノ。オマエモシヌノダ」 
 ブチッ。
そんな,肉が裂け,食い付くされるような音が遠くから聞こえた。
しかし,今となってはどうでもいい。
自分は結局,焉わってしまい,現実ではなくなったのだ。




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