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▼ ココロの華(探偵:松田※花吐病)

夢を、見ていた。
目の前の幸せな光景。
ありふれた日常の一幕と、お出掛けをする私たち。
あの場で舞う花は、現実の私の口から溢れているのだろうか。

【歓喜】【幸福】

これは夢だ。夢なのだ。
泣きたくなるほどに優しくて残酷な。
だってあれは、ああなりたかった私なんだから。

【未来予想】【いつまでも続く幸福を】

彼と顔を寄せ合って、笑って。
あの私と彼の間には、二人に少しずつ似た子どもがいて。
幸せな私は、細身の癖に広い腕の中に、子どもと一緒くたに抱き締められて。

【望み】【諦め】

そんな幸せを、手が届かない所から眺める私。
どうしようもなく羨ましくて。
どうしても目が離せなくて。

【なぜ】【哀願】

ツキン、と夢の癖に胸が痛くて苦しくなって。

【叶わぬ願い】【幸福の終わり】

ああと思う間もなく、ゲホゲホと大きく咳き込んで、私は苦しい現実に帰還する。

「いっそ、ころして、」

泣けぬ代わりに花が溢れる。
逃げる代わりに追い詰められる。
花は正直だ。
現実でも、夢の中でも。
私は嘘つきだ。
現実でも、夢の中でも。
本当は死にたくなんてない。
でも、生きているには現実も夢も辛すぎて。
ぼやけた視界の中の、指輪を着けていられないほど細くなってしまった指を見て、何故だか書けなかった離婚届が浮かんだ。

それからも、幾度となく現実へ浮かんでは夢へ沈み。
夢と現実、そのどちらにもなんの感慨もわかなくなった頃。

ふっと、目が覚めた。

今までが嘘のように気分がしゃっきりして、起き上がることが出来た。
ただ流石に立ち上がれはしなかったので、しげしげとここ数日お世話になっている部屋を眺めてみる。
といっても、これといって物もない部屋だ。吐き出した花も片付けられ、綺麗に整えられた真白の病室。感染を防ぐためか個室だ。
白い病室には私が持ってきていた荷物以外に、ほとんど色がない。簡易な収納のために置かれたクロゼットが、周囲の白に褪せた色をのせる程度だ。

それから。
どれくらいそのままボーッとしていたのか。カーテン越しから橙が射してきて、白を染め上げた頃。

何故だか急に、真横のカーテンの向こう側が気になった。

病院の周辺は住宅やマンションで、窓の外はそういった在り来たりな風景のはずなのに、カーテンで遮られたその向こうを、唐突に見たくなったのだ。
ウズウズするような好奇心とは違って、何かが義務感のような、見なければ、という使命感に近い。
目が覚めたときには起き上がれるくらい元気だったのに、今は動かすのも億劫な腕をゆっくりと持ち上げて、カーテンに手をかけようとしたとき、持ち上げていない片手が暖かくなり、濡れたような感覚がした。
驚いて手を見たときだ。
カラリ、と病室の戸が開いて。

「陣、平、、くん、、、」

久しく会わなかった、旦那さまがそこにいた。

来てくれたものの、彼は扉の側から動こうとしない。
私もどんな顔をすればいいのかわからないから、調度良いのかもしれない。
陣平くんは花束を持っていた。
あんな繊細な仕事をするくせに、普段は大雑把なことをする彼は、綺麗に束ねてもらったはずのそれを無造作に掴んでいた。花は下を向いてしまっていて、なんだか苦しそうだなんて思ってしまう。
ただ、不思議。

目が合わないのだ。

いつも目を合わせてくれる彼と、目が合わない。それどころか、彼は私を見ているはずなのに、見ていない気がする。
そんな彼の固く結ばれた口元。泣くのを堪えるときの癖が出ている。もうちょっとしたら、きっと唇を噛み始めるのだ。
泣きたいのかな。ここには私だけだし、泣けばいいのに。
男だから、なんて言って、私に付き合って感動系の映画やドラマを見たときはいつも我慢していた。でもこっそり泣いていたのを私は知っているし、彼も気づいていたはず。
泣いたらいいよ、と口を動かして気づいた。
声が出ない。
おや、と思ったときに、彼の方にも動きがあった。

「また来る」

気づいたときには彼はもう後ろを向いて、扉に手をかけていた。
折角のお花は彼が力を込めすぎたからか、持ち手のところがぐしゃぐしゃだった。
置いていけば良かったのに。
声無く呟いたときに、片手が暖かくなったのがなんとなく気になった。

それからというもの、彼は私がカーテンに手をかけるタイミングで病室にやって来た。
けれど。
見ているけれど、見ていない。
目を会わせたいのに、目が合わない。
泣いてほしいけれど、泣いてくれない。
そばにいるのに、すれ違う。

彼が帰れば、私はカーテンの向こうが気にかかる。
私がカーテンに手をかけて捲ろうとすれば、彼が来る。
そんないたちごっこを繰り返して、いよいよ我慢が利かなくなった頃。

彼がいるのに、どうしてもカーテンから手が離せなくなった。

カーテンを捲って、その向こうを見るだけ。
なのに、重たい手はカーテンを握って動かないし、彼は触っていないはずなのに、もう片方の手が熱くて、痛い。
痛くて痛くて、まるで握りつぶされるようだ。
思わず痛いと呟いたとき、部屋の入り口にいる彼の持つ花が、ひしゃげて可哀想なことになっていることに気がついた。

それから、落ちてくる滴にも。

ハッとして彼を見れば、唇を噛みしめても堪えきれなかったのだろう、泣いていた。
陣平くん。呼んでも聞こえないのは解っていたけれども、構わず呼んでみれば、彼は流れる涙をそのままに、ベッドに寄ってきてくれた。
椅子に座ればいいのにベッドに腰掛け、そのまま痛いと思っていた手をぐっと握られる。
まるで寄り添うような、そんな位置に彼が来てくれたからか、久しぶりの距離感に少し戦いてしまって、ちらりと彼を見たとき。

初めて、目があった。

「逝くな」

はくり、と私の口が喘ぐように動く。

「散々蔑ろにしておきながら、手前勝手なのもわかってる」
「だけどな、ダメなんだ」
「どうにも苦しくて悲しい」
「腑抜け過ぎて、今日はとうとう仕事も追い出されちまった」

「お前がいないと、俺は俺でいられないんだ」

───真白の衝撃。
ハレーションでも起こしたように、頭の中の思考が吹き飛びリセットされる。
言葉を反芻して何を言われたか理解するよりも先に、体温が上がるのを自覚する。
熱い。暑い。あつい。茹で揚がるようだ。
手だけではなくて、身体が。一番は、頬が。次に目が。握られた手が。
ああ。ああ。なんて幸せな。

【福音】

花が、こぼれ落ちる。
だって不謹慎と思いながらも嬉しくて。何かが充足する感覚。
なんだ。私は、必要とされていたのか。それが無意識であっても、会えない間もずっと、ずっと。
何故だか、もういいかもと思ったとき、どうにも重かったカーテンを握る手が、とても軽くなって。
あ、見れる。捲る前に、目の前の彼が口を開く。

「なあ、戻ってきてくれよ」
「目を開けてくれよ」

【祝福】【疑念】

たった今こんなにも目が合っているのに?
言う前に、彼が私の息をばくりと飲み込んだ。

「愛してるんだ」

猫目が鼻が触れるほど間近で愛を囁き、私の頭は二度目のハレーションを起こした。
今度こそ呼吸を忘れた喉がヒュッと鳴って、腰が砕ける代わりに、せっかく力が入るようになったカーテンを握る手から、つるりと力が抜けた。
そのままどうしようもなく胸が苦しくなって。

────目が、覚めた。

「アキ!!」
「っあ、」

目の前に、先程よりやつれた、慌てた様子の愛しい彼を認め。
今までにないくらい大きく咳き込んで。

どれだけ苦しくても流れなかった涙と一緒に、【白銀の百合】を、吐き出した。

涙を流しながらも唖然とした表情の彼。ぽかんと口が空いた。
半瞬。ぐぐ、と眉根が寄ったかと思ったら、ぶつかるような勢いでもって痛いくらいの力で抱き締められ、ぐりぐりと頬を寄せられ。
ちょっと苦しいながらも、久しぶりの幸福の匂いと温もりに、とても安心して、私はくったりと体を預けた。

お互い涙で最高にぐしゃぐしゃになったところで、実は空気を読んで部屋の外に待機してくれていたお医者様方の診察という名の乱入をうけ、少し恥ずかしい思いをするのはもう少し後のこと。
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